吉田拓郎 ああ、グッと

2018-09-17 08:11:54 | 吉田拓郎
吉田拓郎 LIVE1989 ああ、グッと


おれとお前はまん中にボトルを置いて酒を飲む
あぁグッとグッと飲もうぜのんだくれ
夢しか知らないろくでなし
あぁグッとグッと飲もうぜ夜明けまで
夢のラッパを吹き鳴らせ

恋は破れて傷になる 人とぶつかり人を知る
そんな時代を通り過ぎ男はやさしくなるんだろ
あぁグッとグッと飲もうぜのんだくれ
親の意見も聞かないで
あぁグッとグッと飲もうぜ生きてきた
だれに説教のガラじゃない

たとえば海が酒ならばお前は魚になるという
おれは渚の貝になる波が来るたび酒を飲む
あぁグッとグッと飲もうぜのんだくれ
それじゃまたなと手を握るが
あぁキッとキッと飲もうぜまたここで
勝手気ままの旗たてて
あぁグッとグッと飲もうぜ夜明けまで
夢のラッパを吹き鳴らせ



自民、LGBT議連の質問状に回答せず 杉田氏も「…」

自民党の杉田水脈(みお)衆院議員が同性カップルを念頭に「生産性がない」などと主張した問題で、同党は「LGBT自治体議員連盟」が安倍晋三首相の党総裁としての見解をただした質問状に回答しなかった。議連は14日を回答期限としていた。(朝日新聞)

「憲法改正、発議しないのは国会議員の怠慢ではないか・・・」と言った自民党国会議員。

それでは、質問状を無視するのは怠慢ではないのでしょうか。

国民の8割が納得していない「モリカケ問題」、説明責任を果してないのは怠慢ではないのでしょうか。

「強者」の理不尽を増長させ、横行する、勝手気ままの旗たてて、ああ、グッとな国、日本。(笑)
コメント

吉田拓郎 七つの夜と七つの酒

2018-09-17 00:39:02 | 吉田拓郎
吉田拓郎 LIVE1989 七つの夜と七つの酒


酔いにまかせて 荒くれ夜は
海賊みたいに 七つの海を
お前とゆれて波の間に
奪った船のキャビンには
女王陛下のエメラルド

正気のかけらのオン・ザ・ロックス
溶けて全ては楽になる
Oh Seven wines&Seven nights

酔いにまかせて うろつく夜は
道化師みたいに 七つの街を
お前はキュートなへび使い
街のはずれのテントには
クロコダイルのブラックパンサー

正気のかけらのオン・ザ・ロックス
溶けて全ては楽になる
Oh Seven wines&Seven nights

酔いにまかせて 抱き合う夜は
ジプシーみたいに 七つの国を
お前と流れて星を見る
イスファファンの市場には
金の腕輪とペイズリー

正気のかけらのオン・ザ・ロックス
溶けて全ては楽になる
Oh Seven wines&Seven nights

コメント

吉田拓郎  シンシア

2018-09-16 18:00:11 | 吉田拓郎
吉田拓郎 LIVE1989 シンシア'89


懐かしい人や 町をたずねて
汽車を降りてみても
目に写るものは 時の流れだけ
心がくだけていく

帰ってゆく場所もないのなら
行きずりのふれあいで
なぐさめ合うのもいいさ

シンシア そんな時
シンシア 君の声が
戻っておいでよと 唄ってる
君の部屋のカーテンやカーペットは
色あせてはいないかい

(間奏)

人ごみにかくれて 肩をすぼめて
自分を見つめた時
過ぎ去った夢が くずれ落ちる
長い夜が終わる

夜空は町に落ち 人々が
笑いながら通りすぎる
あの日と おんなじところを
シンシア そんな時
シンシア 君の声が
戻っておいでよと唄ってる
君の部屋に僕ひとり いてもいいかい
朝を待つのがこわいから

シンシア 帰る場所も
シンシア ないのなら

シンシア 君の腕で 
シンシア 眠りたい



「シンシア」は、1974年7月1日によしだたくろうとかまやつひろしが、「よしだたくろう&かまやつひろし」名義で発表したシングル・レコードです。

表題曲の“シンシア”とは、1971年6月1日に「17才」でレコード・デビューを飾り、「元祖アイドル」と語られることもある南沙織の愛称で、彼女のクリスチャン・ネームでもあります。

南の6枚目のシングル盤「早春の港」(1973年1月21日発売)を耳にしたよしだがこの楽曲に感銘を受け、アンサーソングとして制作したのがこの曲。

現役ミュージシャンが同時期に活躍するアイドルに捧げた歌という点が特徴でしょうか・・・
コメント

誕生日 吉田拓郎

2018-09-16 11:43:34 | 吉田拓郎
吉田 拓郎 誕生日


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201608260616510cc.mp3

何回目かの記念日が
今年も明日またやってくる
もう一つ 年を重ねるわけだね
祝ってなんかくれるなよ
20才の頃なら そいつもいいだろう
仲間を 集めて飲んで踊って
世の中を変えてやるんだと
力一杯右手をさし上げる
あの頃の写真が 一枚出てきたよ
ジーンズはパンタロンでミディーのコート
あんまり綺麗にゃ見えないが
かっこ悪いなんて思ってやしない
人生は一本の道だった筈
僕はその道にも迷ったらしい
今、どのあたりを歩いているのか
さっぱり、わからなくなっている
札付きの悪党じゃなかったし
それなりにやさしく生きてきた
恨むほど悪い世の中でもなく
結局は自分の愚かさのせい
何かが起こるたびごとに
少しは落ち込んでいたんだろう
そんな毎日が今につながって
テレ臭くて強がっているだけさ
道行く人よあなたの
行く先々に幸あれ
僕は今日を最後に雲隠れ
いつの日からか今日までの
想い出みんな捨て去って
笑って暮らしていたいと思います
難しい顔で悩むのも
楽しい事があると思うから
愛されたいと願うのは
愛したい気持ちが足りぬから
駅の階段を駆け下りる
通勤ラッシュは今日も又
ひとつの方向に押し進む
僕は流れに逆らっていた
ひけ目も感じているけれど
違ったやつが一人いてもいい
あいつもこいつもどいつも同じなら
人間やってる気がしない

誘惑させてさせられて
振り回されているけれど
僕は時間を楽しんでいた
くよくよしても何かが
始まってくれるわけじゃない
後悔がなけりゃ
don't think twice it's alright
若いからとか大人だからとだとか
理由になるけどいまさら面倒で
今の自分をやさしくみつめたい
20才のころもきっとそうだった
あいつは変わった時代も変わったと
話している奴臆病なんだよ
自分の心を確かにしておこう
20才のころもきっとそうだった



誕生日・・・

誕生日とは人の生まれた日を意味するわけですが、一般的には毎年迎える誕生の記念日として使われています。

「誕生日おめでとう」

言われて嬉しい年代もあれば、近づく定年や余生への不安から素直に喜べない年代もあるようです。(笑)

しかし、総じて言えば、やっぱり嬉しいのが本音かもしれませんよね。

それは、小林正観さんによれば、誕生祝いの言葉には「あなたがこの世にうまれてくれてありがとう」という意味がつねに隠れているからだと。

う~ん、そこまで考える?、・・・はマスターの本音。(笑)

コメント

吉田拓郎 大阪行きは何番ホーム

2018-08-09 06:52:03 | 吉田拓郎
吉田拓郎 大阪行きは何番ホーム


19の頃だったと思うけど 家を出ることに夢を託して
一人きりで暮らしてみようと 希望に満ちていた時があった

たとえ都会の片隅であろうとも 何かが起こりそうな気がして
後ろ髪を引かれる思いを 明日のために断ち切ってしまった

恋に破れる寂しさで 酒に溺れてしまったこともある
人を信じるはかなさが心の形を 少し変えてしまった

愛をむさぼる気持ちのまま 一人の女との生活が始まり
幸福という仮の住まいに 子供の泣き声まで加わっていた

外の景色が変わってゆく中で
人との関わりが煩わしくなり
一人の男であったはずだと
真実を隠したまま旅に出た

家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか

自然であることの不自然さは 流行という名に揉み消され
流されるままにたどり着いたのは
新しい女との巡り会いだった

女は男より賢かったけれど 男は愚かさに身を任すだけ
何故愛したのかと問われても
ただ押し黙るだけになっていた

この世に美しさがあるのなら
きれいなことのほうを選ぼうと
やさしさや思いやりを投げ出して
二人は違う度に出て行った

家を捨てたんじゃなかったのか
家を捨てたんじゃなかったのか

今東京駅に立ち尽くす僕は 長すぎる人生の繰り返しと同じ
大阪行きの電車は何番ホーム?
繰り返し繰り返し旅に出ている



勝ち組・負け組・・・・・

現在では、経済的に成功し社会的地位・信頼を勝ち得ている企業や個人の事を勝ち組、その対義語として負け組という言葉が使われているようです。

しかし、そもそもは、ブラジルを主とした南米、およびハワイなどの日系人社会で、太平洋戦争終結後、「日本がブラジルやアメリカ合衆国などの連合国軍に勝った」と信じていた人々の集団が「勝ち組」。

逆に「日本は負けた」と考えた人たちを「負け組」と呼んでいて、これが、いわゆる、勝ち組・負け組のルーツのようです。

本来の意味からすれば、本当は負けてるのに狂信的に勝ったと思いこんでいる人が「勝ち組」で、冷静に負けを認めている現実的な人たちが「負け組」。

ところで、「勝ち組」に乗りたいのか、校名の上に「現役合格保証」って書いてる予備校をたまに見かけますが、コレってもし現役合格できなかったら、契約不履行か不当景品類及び不当表示防止法(景表法)4条2項あたりで提訴できそう。(笑)
コメント

歩道橋の上で

2018-07-25 01:46:28 | 吉田拓郎
♫ 歩道橋の上で ♫ 吉田拓郎


http://blog-imgs-75.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150624054142d39.mp3

車の音があふれる街に
君の弾んだ声が届く
「蛍が綺麗見せてあげたい
指の先に止まっているの」
ぼくは携帯、耳に押しあて
君の笑顔を思い浮かべてる
ヘッドライトが流れる街の
人が行き交う、歩道橋の上で

奥入瀬のそば、蔦沼あたり
夜の森から声が届く
「それから沼にね、星がうつってる
まるで星の雫みたい」
僕は目を閉じ、耳をすまして
星降る空を思い浮かべてる
水面に写り、きらめく星の
人が行き交う、歩道橋の上で
歩道橋の上で

秋ににぎあう木造りの宿
君は一人で、くつろいでいる
「俳句読む人、寂しがりやね
だってこんなに嬉しいものまる」
彼女らしいと微笑みながら
君のことばにうなずいている
来年あたり、出かけてみよう
人が行き交う、歩道橋の上で
人が行き交う、歩道橋の上で
歩道橋の上で




作詞家岡本おさみさんが40年ほど前に新婚旅行で泊った青森県の蔦温泉での思い出を書いたのが「旅の宿」、そのパート2が「歩道橋の上で」です。

歌詞に出てくる「奥入瀬のそば、蔦沼あたり」 「木造りの宿」それがこの蔦温泉旅館。



「旅の宿」も好きでしたけれど「歩道橋の上で」を聴いた時、初めて聴いた感じがしなかったのはそのせいかも・・・(笑)




コメント

人生を語らず

2018-07-24 15:55:59 | 吉田拓郎
吉田拓郎 人生を語らず



朝日が 昇るから
起きるんじゃなくて
目覚める時だから 旅をする
教えられるものに 別れを告げて
届かないものを 身近に感じて
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

嵐の中に 人の姿を見たら
消えいるような 叫びをきこう
わかり合うよりは たしかめ合う事だ
季節のめぐる中で 今日をたしかめる
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

あの人のための 自分などと言わず
あの人のために 去り行く事だ
空を飛ぶ事よりは 地をはうために
口を閉ざすんだ 臆病者として
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

おそすぎる事はない 早すぎる冬よりも
始発電車は行け 風を切ってすすめ
目の前のコップの水を ひと息にのみほせば
傷もいえるし それからでもおそくない
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

今はまだまだ 人生を語らず
目の前にも まだ道はなし
越えるものは すべて手さぐりの中で
見知らぬ旅人に 夢よ多かれ
越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

越えて行け そこを
越えて行け それを
今はまだ 人生を 人生を語らず



この曲が収録されている「今はまだ人生を語らず」と言うアルバムは、それまでよくコンビを組んでいた作詞家の岡本おさみさんからの卒業的なアルバムだと本人が言っていました。

また最初の離婚を歌った「僕の歌はサヨナラだけ」も収録されていますので、拓郎さん個人の時代背景で言えばそんな意味もあったのかも。(笑)

この曲自体は約1年後に「つま恋」でのオールナイトコンサートが控えていた時期なので、自分への応援歌だったのかもしれません。

卒業・離婚・挑戦、さらにレコード会社設立への覚悟を歌っているようにも思えます。

この曲を聴いただけで魂が奮い起こすされる、スーパーヘビー級のメッセージソングです。
コメント

旅の宿 

2018-07-24 03:02:31 | 吉田拓郎
石川さゆり 旅の宿


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201504201929121ab.mp3

浴衣のきみは 尾花のかんざし
熱燗徳利の首つまんで
もういっぱい いかがなんて
みょうに色っぽいね

ぼくはぼくで あぐらをかいて
きみの頬と耳は まっかっか
ああ 風流だなんて ひとつ俳句でもひねって

部屋の 灯をすっかり消して
風呂あがりの髪 いい香り
上弦の月だったけ
ひさしぶりだね 月見るなんて

ぼくはすっかり酔っちまって
きみの膝枕にうっとり

もう飲みすぎちまって 
きみを抱く気にもなれないみたい



東京から北へ約700km、本州の最北端、青森県、十和田湖に近い十和田市の一軒宿「蔦温泉旅館」。

1968年の晩秋。当時は、上野−青森間は特急「はつかり」が約8時間半で結び、27歳だった岡本おさみも新婚旅行で青森を訪れていた。

10畳一間の和室で、火鉢の鉄鍋にとっくりを浮かべて熱かんをつけ、寒さをしのいだ。ほろ酔いになった妻が、道で拾ったススキをかんざしのように髪にさし、窓枠の向こうには左半分が欠けた月。

「あの月はなんて言うんだっけ?」岡本が聞くと、妻が「上弦の月よ」を教えてくれた・・・。


ぼくの髪がぁ~肩までのびて~、と、いきなりちょっと、標題から、外れてしまいますが、かってのフォークシンガーたちと言えば、長髪というのが定番でした。

しかし、今の吉田拓郎さんのお姿しか知らない人には、想像もできないかもしれないけど、拓郎さんほど、見事に、長髪が似合った人はいなかったなぁと思います。

当時、なんか、頭にお掃除モップを貼り付けたような薄汚い感じの長髪のフォークシンガーが多かったなかで、甘いマスクに、ストレートの長髪をなびかせた姿は、かっこよかったです。

そして、ギターをかき鳴らしながら、首にかけたハーモニカを吹く姿は…セクシーでした。(笑)

でも、軟弱なアイドルっぽい風貌ながら、結構、硬派的なメッセージソングなんかも歌ってました。

そう…人生を語らずと言いながら、人生を語ってました。(笑)

浴衣のきみは 尾花のかんざし
熱燗徳利の首つまんで
もういっぱい いかがなんて
みょうに色っぽいね


「尾花」とかいて「すすき」と読み、秋の七草のひとつ、当然、俳句では秋の季語です。

当時、長髪だった若者たちも、いまや頭の上に、すすきを載せたような…と、えっ、髪の毛の話は、もういいって?。(笑)

歌詞だけを見れば、およそフォークというよりは、演歌の世界。

そう言えば、森進一さんの「襟裳岬」は、この曲と同じ作詞作曲コンビで、「落陽」「祭りのあと」なんかも出してますね。

部屋の 灯をすっかり消して
風呂あがりの髪 いい香り
上弦の月だったけ
ひさしぶりだね 月見るなんて


情景とともに、ほのかにシャボンの香りがするような気がします。

なお、上弦の月とは、向かって左側が欠けた半月のことで、右側が欠けた半月を下弦の月といいます。

遠いむかしに、理科で習ったこと覚えてます?(笑)

ぼくはすっかり酔っちまって
きみの膝枕にうっとり


こんな情景も、なんか憧れましたね。

もう飲みすぎちまって 
きみを抱く気にもなれないみたい


若かりし頃は、歌うだけで、どっきりとする歌詞でしたね。

うぶ(シャイ)で、真面目で、硬派だったマスターにとっては…。

…シーン…

…以上です。

…なお、本件に関する異議申立てはすべて却下します。(笑)


コメント

昨日の雲じゃない  吉田拓郎

2018-06-04 17:12:18 | 吉田拓郎


http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201608240504043eb.mp3

あの空に浮かぶのは 今日の雲
それは 昨日の雲じゃない

幾度も 君に伝えたが
すれ違うような 時が行く

この淋しさを 乗り越えて
いつか わかり合える 二人になれる

いつもと同じに 出来ぬ僕
君にも変化を 求めてた

もし君に何かが 起きるなら
僕はこらえ切れず 泣くだろう

約束などは 出来ないが
君の気持ちを 抱きしめる

この虚しさを 突き抜けて
きっと わかり合える 二人になれる

あの空に浮かぶのは 今日の雲
それは 昨日の雲じゃない



麻生財務相、辞任を否定=閣僚給与12カ月分を返納―森友文書改ざん

麻生太郎財務相は4日、学校法人「森友学園」への国有地売却に関する決裁文書改ざん問題に関して記者会見し、「行政全体の信頼を損なった」と述べ、自身の閣僚給与の12カ月分を自主返納すると発表した。(時事通信)

あの空に浮かぶのは 今日の雲
それは 昨日の雲じゃない

嫌なことは、忘れたい?(笑)
コメント

今日までそして明日から~人間の「い」

2018-05-31 18:41:57 | 吉田拓郎
豊かなる一 日 今日までそして明日から~人間の「い」


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150420175204a68.mp3

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかの力を借りて
時にはだれかにしがみついて
わたしは今日まで 生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかをあざ笑って
時にはだれかにおびやかされて
わたしは今日まで生きてみました
そして今 私は思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

わたしは今日まで生きてみました
時にはだれかにうらぎられて
時にはだれかと手をとり合って
わたしは今日まで生きてみました
そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと

わたしにはわたしの生き方がある
それはおそらく自分というものを
知るところから始まるものでしょう
けれど それにしたって
どこで どう変わってしまうか
そうです わからないまま生きて行く
明日からの そんなわたしです

わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました
わたしは今日まで生きてみました

そして今 わたしは思っています
明日からも
こうして生きて行くだろうと



http://blog-imgs-93.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2016082502312541b.mp3

じれったい 抱きしめたい
うしろめたい いとおしい
許せない いくじがない
信じていたい 心地よい

ぎこちない 口づけたい
やりきれない にべもない
おこがましい 味気ない
あられもない いさぎ良い

冗談じゃない うばいたい
つめが甘い 人がいいい
やぶさかでない うかがいたい
正直じゃない もどかしい

それが欲しい それがしたい
それが望まし うらやまし

はしたない 恩きせがましい
それが 恥ずかし おくゆかし

人間の「い」 僕達の「い」
いつだって「い」 これからも「い」

さりげない 結ばれたい
ふがいない そつがない
みもふたもない いじらしい
とりとめもない 古くさい

そそっかしい 離れたい
そこはかとない ういういしい
喜ばしい たわいない
てっとり早い つつがない

いさぎよい しらじらしい
こころもとない こそばゆい
理屈っぽい つまらない
長ったらしい ゆるぎない

まわりくどい おぞましい
まぎらわしい ありがたい
ふてぶてしい きなくさい
残り少ない 生きてたい

それが欲しい それがしたい
それが望まし うらやまし

はしたない 恩きせがましい
それが 恥ずかし おくゆかし

人間の「い」 僕達の「い」
いつだって「い」 これからも「い」

人間の「い」 僕達の「い」
永遠の「い」 命がけの「い」



「今日までそして明日から」(きょうまでそしてあしたから)は、よしだたくろうさん(現・吉田拓郎)の楽曲で、3枚目のシングルです。
1971年7月21日にCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)から発売・・・

さて、「吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生れたかとんと見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。」

森鴎外と並んで、日本の近代文学を語る上で欠かすことのできない明治時代の文豪、夏目漱石の処女作にして、出世作ともいえる「我輩は猫である」という小説の有名な冒頭です。

おそらく青少年時代に、いわゆる宿題の読書感想文用として、読まされるようにして、読んだ記憶がある方も多いかもしれません。(笑)

さて、冒頭の文章は、クイズなんかにも出題されるほど、有名なんですが、それでは、最後の文章と結末がどうだったのか覚えていますか。

「吾輩は死ぬ。死んでこの太平を得る。太平は死ななければ得られぬ。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。ありがたいありがたい。」

興味本位でビールを飲んだ猫が、酔っ払って、誤って水がめに落ちて死ぬという結末でした。

事故であって自殺ではないのですが、最後のせりふなどは、まさに遺書めいたものであり、従容として死を受け入れているところなどは、猫として一生を終わらせたのが、もったいないくらいです。(笑)

ところで、明治時代に、現在の東京大学の前身の一つである旧制第一高等学校のエリート学生が、日光の華厳の滝で、次のような遺書を残して、18歳という若さで投身自殺しました。

巌頭之感
悠々なる哉天襄、遼々なる哉古今、五尺の小躯を以て比大をはからむとす。 ホレーショの哲学竟に何等のオーソリチィーを値するものぞ。万有の真相は唯一言にしてつくす。 曰く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶終に死を決す。 既に厳頭に立つに及んで、 胸中何等の不安あるなし。 始めて知る、大いなる悲観は大いなる楽観に一致するを。

この巌頭の吟を書いて自殺したのは、藤村操という、漱石が英語を担当していた教え子であり、自殺直前の授業中に、予習もしてこずに、ぼんやりとしていた藤村操を、漱石は叱責していました。

「打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。」

漱石は「吾輩は猫である」の中においても、この自殺事件について、さらっと触れていますが、内心においては、かなり複雑なものもあったのでしょう。

後年の漱石研究においては、この自殺事件が、漱石のトラウマとなって、うつ病的体質を悪化させたのではないか、としているものもあります。

夏目漱石は、1867年(慶応3年)江戸牛込馬場下横町に生まれ、本名は夏目金之助。

東大卒業後、松山中学、第一高等学校などの教職を歴任し「吾輩は猫である」に続き、「坊ちゃん」「草枕」を発表、教職を辞して、朝日新聞社に入社後は、「虞美人草」を発表し、神経衰弱や胃病に苦しみながら、三部作といわれる「三四郎」「それから」「門」、そして「彼岸過迄」「こころ」「道草」などを発表。

1916年(大正5年)12月9日、「明暗」の連載途中に胃潰瘍で永眠しました。
享年49歳でした。

     智に働けば角が立つ。
     情に棹させば流される。
     意地を通せば窮屈だ。
     兎角に人の世は住みにくい。
                  「草枕」-夏目漱石

     どっしりと 尻を据えたる 南瓜かな

     野菊一輪 手帳の中に 挟みたり

     行けど萩 行けど薄の 原広し
                       夏目漱石

   わたしは今日まで生きてみました
   時にはだれかの力をかりて
   時にはだれかにしがみついて
   わたしは今日まで生きてみました
   そして今 わたしは思っています
   明日からも
   こうして生きて行くだろうと

「が、少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」と書いたのは、夏目漱石を師と仰ぎ、漱石も絶賛して推挙し、期待を寄せた芥川龍之介です。

芥川龍之介は、1892年(明治25年)東京に生まれ、生後八ヵ月の時、実母フクが突然、精神に異常をきたして、養子に出されました。

この実母の発狂という事実は、龍之介の生涯にわたって暗い影を落として、龍之介の作品の中にも大きく影響しています。

少年時代は龍之助と名乗り、後年は戸籍名どおりに、龍之介と名乗ったということです。

東大在学中に、同人誌「新思潮」に参加して創作活動を始め、1915年(大正4年)に「羅生門」を発表し、翌年の「鼻」で夏目漱石に認められ、文壇に登場します。

「蜘蛛の糸」「地獄変」「邪宗門」「杜子春」「藪の中」など、説話などの古典を題材にしたり、参考にして、 若くして文壇を代表する作家となります。

師の漱石と同じように、教師を辞してから、大阪毎日新聞社に入社、執筆活動を続けますが、激しい神経衰弱に悩まされ、「河童」「歯車」「或阿呆の一生」「西方の人」などを書いて、1927年(昭和2年)睡眠薬で服毒自殺しました。
享年35歳でした。

     人生は地獄よりも地獄的である。

     人生は一箱のマッチに似ている。
     重大に扱うのはばかばかしい。
     重大に扱わねば危険である。
             「侏儒の言葉」-芥川龍之介

   わたしは今日まで生きてみました
   時にはだれかをあざ笑って
   時にはだれかにおびやかされて
   わたしは今日まで生きてみました
   そして今 わたしは思っています
   明日からも
   こうして生きて行くだろうと

1970年(昭和45年)11月25日、陸上自衛隊東部方面総監室において、総監を監禁し、憲法改正のために自衛隊の決起を呼びかけた事件が起こりました。

しかし、自衛隊を正規の軍隊にしようとする憲法改正の檄文の呼びかけに、自衛隊からの同調者も、決起者もなく、反対に非難を浴びたり、揶揄や嘲笑されたりして、首謀者は、割腹自殺をしました。

盾の会会長の三島由紀夫でした。
享年45歳でした。

三島由紀夫は、1925年(大正14年)東京都に生まれ、平民の出自ながら、当時華族中心の学習院初等科、中等科、高等科から東大への道を進みます。

独特の唯美主義的な作風は、「仮面の告白」「金閣寺」「潮騒」などの有名な著作にも現れています。

そして、その二年後に、三島由紀夫と師弟関係のような親交のあった、日本的美意識を追求し続けた著名な作家もガス自殺をします。

我が国初のノーベル文学賞受賞作家、「伊豆の踊子」「雪国」など、美しい日本を描いた川端康成でした。
享年72歳でした。

ちなみに、「斜陽」で戦後の華族の没落を描いたために、華族への憧れの強かった三島由紀夫が嫌った作家、太宰治も、1948年(昭和23年)玉川上水にて入水自殺しています。
享年39歳でした。

   わたしは今日まで生きてみました
   時にはだれかにうらぎられて
   時にはだれかと手をとりあって
   わたしは今日まで生きてみました
   そして今 わたしは思っています
   明日からも
   こうして生きて行くだろうと

     私が両手をひろげても、
     お空はちっとも飛べないが、
     飛べる小鳥は私のやうに、
     地面(じべた)を速くは走れない。
     私がからだをゆすっても、
     きれいな音は出ないけど、
     あの鳴る鈴は私のやうに、
     たくさんな唄は知らないよ。
     鈴と、小鳥と、それから私、
     みんなちがって、みんないい。
             「私と小鳥と鈴と」-金子みすゞ

     朝焼け小焼だ 大漁だ
     大羽鰮(いわし)の 大漁だ。
     浜は祭りの ようだけど
     海のなかでは 何萬の
     鰮のとむらい するだろう
                 「大漁」-金子みすゞ

     うちのだりあの咲いた日に
     酒屋のクロは死にました。
     おもてであそぶわたしらを、
     いつでも、おこるおばさんが、
     おろおろ泣いて居りました。
     その日、學校でそのことを
     おもしろそうに、話してて、
     ふつとさみしくなりました。
                 「犬」-金子みすゞ

金子みすゞは、1903年(明治36年)年山口県に生まれ、すでに二十歳の頃には、「童話」「婦人倶楽部」「婦人画報」「金の星」の四誌に投稿した詩が一斉に掲載されるなどの、めざましい活躍をします。

「童話」の選者であり、我が国の童謡、歌謡曲の著名な作詞家として、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の会長もつとめた西條八十をして、「若き童謡詩人の中の巨星」といわしめるほどでした。

しかし、その後の不遇な結婚生活を経て、1930年(昭和5年)に服毒自殺しました。
享年26歳でした。

   わたしにはわたしの生き方がある
   それはおそらく自分というものを
   知るところから始まるものでしょう

平成10年(1998年)に、我が国の自殺者は年間3万人台を超えて、年次によって、多少の増減はあるものの増加の傾向にあります。
それも50歳以上の中高年の自殺が顕著です。

自殺の原因としては、経済的な労苦、家庭生活の脆弱性、健康への不安などに加えて、近年の社会経済情勢の変化に伴うリストラなどの雇用や労働環境の変化などがあげられていますが、さまざまな要因が複合的に複雑にからまっているとみるべきでしょう。

自殺をする人は、なんのために生きるのかを問い、そして、その生き方の価値にまで踏み込んで問い続ける、極めて真面目な方が多いと思います。

でも、反面、融通の効かない頑固さや、一途さ、偏屈さ、不器用な律儀さがあるように思われ、まるで、マスター(館長)は鏡を見ているようで、自己批判しているような気持ちすらしてきます。(笑)

価値には絶対的な価値と相対的な価値があります。

     しあわせはじぶんのこころがきめる
                        相田みつを

若いときは、こんな言い方は嫌いでした。
それは単に自己満足に過ぎず、自慰的行為みたいで嫌いでした。

でも、多くの人の生き方、生きざまを見てきました。

そして、たとえ自己満足であっても、自己が満足すれば、それはそれで、いいのかもしれない、という考え方に近づいてきました。

人がなんといおうと、自分には自分の生き方がある。
自分の生き方しかできない。

それが、人には、つまらぬ、とるに足らないものであったとしても、それが自分なんだから。

   けれど それにしたって
   どこで どう変ってしまうか
   そうです わからないまま生きてゆく
   明日からの そんなわたしです

もちろん陳腐貧相なプライドも捨てきれず、毀誉褒貶に翻弄される日々は、まだまだ続くでしょう。

でも、父親が早くに亡くなって、また師匠となるべき人たちとも早くに死に別れ、そして多くの友人、知人の早すぎる死にもあってきました。

ただ言えるのは、死んで花実が咲くものか、死ぬ者貧乏、死ねば死に損生くれば生き得、生きてるだけで丸儲け、そういうふうにぼくは考えたいと思います。

死に急ぐことはない。
もし、いま死にたいと考えている人がいるなら、こう考えてほしいのです。

今日まで生きてきたんだから、ついでに明日くらい生きてみようかって。
そして、明日になったら、今日まで生きてきたんだから、ついでにまた明日くらい生きてみようかって。
また、明日になったら、今日まで生きてきたんだから、おまけに明日くらい生きてみようかって。

そうこうしているうちに、心配せんでも、いつのまにか、どんなに明日がきてほしくても、明日がこない日がやってくるんやから。
きっと、そう遠くない明日やで。(笑)

   わたしは今日まで生きてみました
   そして今 わたしは思っています
   明日からも
   こうして生きて行くだろうと


吉田拓郎さん、1946年(昭和21年)4月5日、鹿児島県生まれ、血液型A型、9歳のときに広島に転居して、県立広島皆実高校、広島商科大学(現広島修道大学)卒。
70年(昭和45年)に上京し、同年「イメージの詩」でデビュー、72年「結婚しようよ」が大ヒットしました。

この曲は、ファーストアルバム「青春の詩」に収録され、シングルカットもされています。
フォークギターを持った人なら、誰でも一度は挑戦したでしょうが、ハマリング奏法とカーターファミリー奏法の練習曲には最適の曲でしたね。
まあ、うまく弾けたかは別問題。(笑)

吉田拓郎さん、肺がんという大病のあとに復帰し、また精力的に活動されていると思ったら、今度は「うつ病と診断され、抗うつ剤を飲んでいた。」時期もあったともおっしゃってました。

うつ病は、治療を受ければ必ず治る病気で、治療の基本は、薬物療法と十分な休息をとること、適切な治療を早期に行えば、回復も早く、悪化すれば長期化して回復困難となり、自殺のおそれも強くなります。

この曲は、直接的な応援メッセージのようなフレーズは一行たりともありません。

相手にどうしろとはいいません。
わたしはどうした、どうしようと思っていると、淡々と語っているだけです。

しかし、拓郎さんのこうした生きざまを見ていると、この歌詞に内包された、生きるということ、明日からもこうして生きて行くだろうと、ということを実践しているのが分かり、改めて敬服する次第です。
コメント

ある雨の日の情景

2018-03-09 11:37:50 | 吉田拓郎
天地真理 ☆ ある雨の日の情景


http://blog-imgs-84.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2016040203271081e.mp3

バスが止まって (並木道に) 外は雨が降っている
ガラス窓に いっぱい並んだ雨だれの 
向こうで誰かが (肩をすぼめて) タバコに火をつけた

それから人は (人はみんな) 皆傘をさして 
まるで心を 傘で隠せるみたいに
そして黙って (黙って雨の) 雨の中を歩いてる

それから雨は (雨はどこか) どこかの風といっしょに
茶色の葉っぱを 一枚落としていった
それから皆 (みんな雨に) 雨にぬれて歩いてる

雨の中を (中をバスは) バスは動きだした



雨は、上空の水蒸気が冷えて、水滴となり、地上に落ちてくる、単なる自然現象に過ぎません。

しかし、日本は、四季がはっきりしており、梅雨や台風のもたらす降雨により、世界的にも降水量の豊富な多雨地帯で、雨とも縁の深い土地柄です。

そのため、四季折々に迎える風景たちとともに、さまざまな人生の折節が重なりあって、人は、その時々に降る雨を見ることになります。

そして人は、そんなある雨の降る日の光景を感情を込めて見つめて、心の中に写し撮るのです。

この曲は、マスターの記憶では、Am/Dm/Am/Emという、いたってシンプルなコード進行と、ストーローク奏法のギター伴奏はたやすく弾けるだったと。

ただ、そのせいでしょうか、ボーカルのメインとコーラスがしっかりしていないと、雨の日の泥んこ遊びのようになってしまうる曲かも。(笑)

なお、この曲を作詞された伊庭啓子さんですが、吉田拓郎さんらも参加していた広島のアマチュアフォークサークル「広島フォーク村」のメンバー。


コメント

春を待つ手紙

2018-03-05 03:02:52 | 吉田拓郎
吉田拓郎「春を待つ手紙」


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160223130416bfa.mp3

直子より
   追いかけました あなたの姿だけ
   幼い あの頃の 想い出 あたためて
   あれから 幾年 友さえ 嫁ぎ行き
   その日を 待つように 父母も 逝きました
   人間だから 求めてしまうけど
   それこそ悲しみと 知ってもいるけれど

俊一より
   変わらぬ心を 素直と呼ぶならば
   オイラの気持ちは 最終電車だろう
   涙を見せると 足もとが フラフラリ
   めめしくなるまい 男の意気地なし
   時間が 僕らに別れを すすめてる
   このままいる事で 寒い冬越えられぬ

直子より
   約束なんて 破られるから 美しい
   誰かの言葉が 身体をかすめます
   あなたは あくまで 男で いて欲しい
   私を捨てても あなただけ 捨てないで
   傷つく事に 慣れてはいないけど
   ましてや 他人など 傷つけられましょか

俊一より
   夢またひとつ 二人で暮らす町
   通り通りゃんせ オイラだけ 通せんぼ
   これが最後の ひとつ前の便りです
   春には 小川に 君の櫛 流します
   待つ身の辛さが わかるから 急ぎすぎ
   気づいた時には 月日だけ 年をとり

誰もが誰かを 恋しているんだね
それは あてのない 遙かな 旅なんだね
旅する人には 人生の文字似合うけど
人生だからこそ ひとりになるんだね
ここでも春を待つ 人々に逢えるでしょう
泣きたい気持ちで 冬を越えてきた人




あれから 幾年 友さえ 嫁ぎ行き
その日を 待つように 父母も 逝きました
人間だから 求めてしまうけど
それこそ悲しみと 知ってもいるけれど



さて、まず修辞法(レトリック)的に解説しますと、「嫁ぎ行き」と「父母も逝き」と、韻を踏んでいるわけですが、要するには、ここでは天涯孤独の身である、ということをまず強調して訴えています。

また、「求めてしまうけど」と「知ってもいるけれど」は、これもまた韻を踏んで、かつ対句のような形式になっていますが、「けど…」、「けれど…」という接続詞のあとに続く言葉の部分が「…」として、隠されています。

つまりは、ここが書けない文字ですね。


変わらぬ心を 素直と呼ぶならば
オイラの気持ちは 最終電車だろう



そして、これは比喩、いわゆる隠喩と呼ばれるもので、気持ち=最終電車としています。

さて、ここが比喩の難しいところです。
このフレーズだけでは、最終電車を、「もう次は来ない電車」ととらえるのか、「最後に間に合う電車」ととらえるのか、という選択肢があることになります。

そこで、これでは誤解を招くので、次のフレーズに移るわけですが、ここで登場させるのが、いわゆる擬人法と呼ばれるレトリックです。


時間が 僕らに別れを すすめてる
このままいる事で 寒い冬越えられぬ



つまり「時間」が「別れをすすめている」のであって、
ず・る・い~~~と思われるかもしれませんが、決して「オイラ」が別れたいのではないのです。(笑)
うんうん、ほら、「時間」がいうのよねぇ。(笑)


約束なんて 破られるから 美しい
誰かの言葉が 身体をかすめます



誰かの言葉ということなんで、調べてみましたが、いったい誰の言葉なんでしょうか。

「約束は破るためにある」なんて言葉も、よく聞きますが、はたして誰の言葉なんでしょうか。

ともかく、一見、なんか格言風、箴言風で、つまりは引用で権威付けをするとともに、つまりは誰かの言葉であって、けっして、自分の言葉ではないと責任転嫁をしてるということになります。

   
あなたは あくまで 男で いて欲しい
私を捨てても あなただけ 捨てないで
傷つく事に 慣れてはいないけど
ましてや 他人(ひと)など 傷つけられましょか



このフレーズあたりは、対句のオンパレードとなっており、リズム感を出すことには成功していますが、言葉の重みと素晴らしさに関わらず、内容はあまり無いよう~~~な。(笑)

しかし、ひとつの泣かせどころではあります。
ともかくここは、建前を前面に押し出して、健気さと優しさを印象付けようとしているのです。


これが最後の ひとつ前の便りです
春には 小川に 君の櫛 流します



最後の便りとはせずに、最後のひとつ前ということであり、いわゆる予告編ということなります。

これは、衝撃を和らげる手法として有効であり、心の準備期間を置かせるためのものです。

しかし、その予告編には、櫛を流すシーンが映し出されるようなんですが、白線を流すのならいざ知らず、櫛やったら流れにくいやろな。(笑)


待つ身の辛さが わかるから 急ぎすぎ
気づいた時には 月日だけ 年をとり



健気さと優しさに対して、こちらは、律儀さと気遣いで答えています。

そして、ここでもまた、擬人法です。
気がついてみたら、シワとシミが増えて、老けたよな~~~なんて、けっしていわずに、「月日」だけが高齢化したよというわけです。(笑)
「月日」にしたら、ハタ迷惑な話ですけどね。(笑)


誰もが誰かを 恋しているんだね
それは あてのない 遙かな 旅なんだね
旅する人には 人生の文字似合うけど
人生だからこそ ひとりになるんだね
ここでも春を待つ 人々に逢えるでしょう
泣きたい気持ちで 冬を越えてきた人



さて、これは、「直子さん」の手紙なのでしょうか、あるいは「俊一くん」の手紙なのでしょうか。

順番からいえば、「直子さん」なのですが、どちらかといえば、「男言葉」なので「俊一くん」でしょうか。

おっと、その前に、歌詞には、「直子より」「俊一より」と付いてますが、もちろん、歌では、微妙にそのフレーズごとに歌い方を変えてはいますが、「直子より」「俊一より」とは歌ってはいません。

そこで、考えてみたのですが、この最後のフレーズは、きっと「拓郎さんより」なんじゃないでしょうか。

つまり、若いときは「今はまだ人生を語らず」といっていた拓郎さんですが、ここに至って、「人生ひとり旅」と、人生を語ったのではないでしょうか。(笑)

…ということで、結論といたします。(笑)


コメント

人間なんて よしだたくろう

2017-12-28 03:33:15 | 吉田拓郎
71中津川フォークジャンボリー 人間なんて/よしだたくろう


http://blog-imgs-75.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150624053044d07.mp3

人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ

何かがほしいオイラ
それが何だかはわからない

だけど何かがたりないよ
今の自分もおかしいよ

空に浮かぶ雲は
いつかどこかへ飛んでゆく

そこに何かがあるんだろうか
それは誰にもわからない

人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ
人間なんてラララララララーラ



この曲「人間なんて」、そしてもう1曲「結婚しようよ」、この2曲は、有名と言う意味では拓郎さんが作った曲の中ではずば抜けて有名です。

ただ、この2曲、本人がどういうわけか封印気味に扱っており、長い拓郎さんのライブ活動暦の中でも歌われたことは殆んどなく、なにか特別な時だけだったように思います。

ですから、この映像、とても貴重で是非、削除されることがないよう祈っています。

ところで、この歌詞ですが長い演奏時間のわりに、ほとんど全編が「人間なんて La…」で進みます。

そして歌詞らしい歌詞と言えば数行、それも大した意味もなさそうな・・・

ただそれでいて、伝わってくるモノは豊富で、熱い感情も湧きます。

それは、この曲の殆んどに流れているアナログ的メロディーラインが単純な歌詞を何重にも被って深く厚みのある曲として構成しているからではないでしょうか。

甘く、温かく・・・優しい・・・そう、そんな人間だから ラララララララーラ・・・


コメント

となりの町のお嬢さん 

2017-10-01 16:41:17 | 吉田拓郎
となりの町のお嬢さん 鈴木奈穂子


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20160223132931db4.mp3

となりの町のお嬢さんが
僕の 故郷(くに)へやって来た
都会の香りふりまいて
夢を見させてくれたんだ
好きになっ ちまったんだよ
はじめて知った口紅の味
僕の胸は はりさけそう
月夜の晩に誘われて
大人になると決めたんだ
長い髪は夜露にぬれて
蒼い月がかわいい女(ひと)の
エクボの上でゆれてるよ

となりの町のお嬢さんに
僕は心も捧げたい
忘れる事は出来ないよ
白い胸で眠りたい
好きになっちまったんだよ
ステキな君は町の人だ
いつか帰ると知ってるさ
切符を二枚 買っちまえばいい
二人で恋の汽車ポッポ
夜風が君の うなじを見せる
おもわず僕は 可愛い人の
くびれた腰を抱きしめる

となりの町のお嬢さんは
僕を残して行っちゃった
約束よりも早い汽車で
何もいわずに帰ったよ
嫌いになっちまったのかよ
となりの町の風に乗って
そんな噂を耳にした
お嫁に行ってしまったんだね
娘心と秋の空
海辺の町は夏の終わりと
すっぱい恋でみかん色に
しらんふりしてゆれてゆく
となりの町のお嬢さんは
今年の夏のわすれもの



大阪、東京とご当地を代表する曲を紹介してきましたので、最後に愛知で閉めようと思って考えましたが、・・・全く思い浮かびません。

それではと調べてみましたが、誰もが知ってるようなご当地ソングは皆無でした。(笑)

それでは民謡はと、これまた調べてみたのですが、となりの静岡県には「ちゃっきり節」、「ノーエ節」とあるのに対し、こちらも全国的民謡はありません。

そこで、仕方なく、「となりの町のお嬢さん」(笑)



コメント

唇をかみしめて 吉田拓郎

2017-09-09 04:09:41 | 吉田拓郎
唇をかみしめて 吉田拓郎


http://blog-imgs-75.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150623151949f16.mp3

ええかげんな奴じゃけ ほっといてくれんさい
アンタと一緒に 泣きとうはありません
どこへ行くんネ 何かエエ事あったんネ
住む気になったら 手紙でも出しんさいや
季節もいくつか 訪ねて来たろうが
時が行くのも ワカラン位に
目まぐるしかったんじゃ
人が好きやけネー 人が好きやけネー
鯖食うも鯖缶も 空に任したんヨー
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

何かはワカラン 足りんものがあったけん
生きてみたんも 許される事じゃろう
自分の明日さえ 目に写りもせんけれど
おせっかいな奴やと 笑わんといてくれ
理屈で愛など 手にできるもんならば
この身をかけても すべてを捨てても
幸福になってやる
人が泣くんヨネー 人が泣くんヨネー
選ぶも選ばれんも 風に任したんよ
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー

心が寒すぎて 旅にも出れなんだ
アンタは行きんさい 遠くへ行きんさい
何もなかったんじゃけん
人が呼びよるネー 人が呼びよるネー
行くんもとどまるも それぞれの道なんヨ
人が生きとるネー 人がそこで生きとるネー
人がおるんヨネー 人がそこにおるんヨネー




1982年から1987年までに全5作が公開された武田鉄矢さん主演のシリーズ映画「刑事物語」、この曲はそのエンディングテーマでした。

映画「刑事物語」は、・・・
普段は冴えないが、正義感に溢れており一旦暴れ始めるとやり過ぎてしまい、それが原因で左遷となり日本各地を異動することになる片山刑事。
毎回、赴任先で美しいマドンナに恋をし助けるのだが、最後には失恋して、一人淋しくその土地を去ってゆく・・・そんな物語です。

この映画、原作、脚本(第4作を除く)、主演が武田鉄矢さんでしたので、この曲も武田さんの作品と勘違いされてる方も多いようですが、武田さんに頼まれ作った吉田拓郎さんの作品です。

歌詞は難解で、いろんな方がいろんな解釈をされてるようですが、こちらは聴かれる方の心情に合わせての「お任せ」が正解なのかも知れません。

コメント