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吉幾三 雪國

2019-10-17 03:12:16 | Jポップス
雪國  吉幾三





青森出身の吉幾三の「雪國」は1986年2月25日発売で、レコード売り上げ計60万枚を記録、有線放送でも絶好調で、東北を中心にリクエストが相次ぎました。

もともと栃木・那須温泉で宴会中にメロディーが浮かび、即興で作詞作曲したもので、お遊びで作ったものだったそうですが、後になって曲を気に入ったレコード会社のディレクターが絶賛、吹雪の中を走る奥羽本線の姿を見てあらためて歌詞を練り直した曲だとか。

9人兄弟の末っ子は、1969年(昭44)、歌手になりたくて家出同然で青森を後にした。

作詞、作曲家の米山正夫氏に師事を受けたが、デビューは72年。

山岡英二という芸名でなんとアイドル歌手に、しかし、全く売れずにパチンコ店や喫茶店でバイトをする日々が続きます。

77年に吉幾三と改名し、ギターと木魚を使った、コミックソング「俺はぜったいプレスリー」、これが当たります。

これでなんとか芸能界で生きていけるかも、という希望も突然忙しくなったことで皮肉にも過労でダウン。

また低迷が始まったのです。

息を吹き返したのが、それから8年後。85年に「俺ら東京さ行くだ」がレコード売り上げ40万枚を記録する大ヒットに。

テレビのベストテン番組にも出演し、一気に顔が知れ渡たります。

歌手になった時、「いつかは紅白歌合戦に出たい」と大志を抱いていましたが、ようやくそのチャンスが巡ってきたと感じ、手応えも十分でした。

しかし、大みそかにNHKホールの舞台に立てなかったのです。

歌手と同時に作詞と作曲も手掛けていた吉は千昌夫の「津軽平野」やプロ野球巨人の中畑清が歌った「十和田丸」などを提供していました。

その千に「演歌を歌わないと紅白に出られない」と訴えると、千は「コミックソングでやってきたんだからそれで行った方がいい」とたしなめられます。

それでも吉は「これでダメだったら後は言うことを聞くから」と押し切って歌ったのが「雪國」。

86年の紅白に初出場。それから16年連続出場を果たしました。

このヒットで地元青森に1億円と言われる「雪國御殿」を建てます。

青森を離れて18年、文字通り故郷に錦を飾ったわけです。
















































































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