春江のメモ用紙

楽しく節約、なるべく捨てず、売る断捨離。
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ほんの少しですがご紹介します。

笑えて泣ける国語の教科書

2008年09月12日 | 感想・日常
小学4年のときの教科書を読み返していたら、ありえない作品が載っていました。
「沢田さんのほくろ」が超泣ける。
沢田さんが最後に泣いたのは、いくら大仏と拝まれたって、謝ってくれたって、「ダイブツのおせっかい!」と言われた事実は消えないからだと私は思うんだけど。
でもこれって、彼女の立場だったらそう言うしかないよね。うまくあしらってるっていうか。でも癒されないしさあ。
諸行無常じゃないですか。なぜ、小学4年生にこれを読ませるんだ、とツッコミを入れたくなった。
教育って、どこまでリアリティある小説を教えて、どこまで道徳を教えればいいんだろうね。
子供ってこういうのとは無関係に成長するもんなのかな。

そのあと、「ひとつの花」でこれまたぶっとぶ。
その母と父のせりふ、どう考えてもおかしいんだけど、直しようがなくて焦るやら困るやら。
そして最後のシーンがものすごく違和感。
「ひとつだけの花、大事にするんだよう」と言った父。
「お父さんがいたことすら忘れているのかもしれない」ゆみ子。
それでも家の周りに咲き誇るコスモス。
これってどう解釈したらいいの?私にはムズカシすぎてわからない。
父が亡くなり、母は縫物をして生計を立てているらしい。
「今日は日曜日、ゆみ子が、小さなお母さんになって、お昼を作る日です。」
この中途半端な終わり方がどうにも居心地が悪い。
ストーリーは反戦意識がものすごく強いのに、なんでこんなに明るく終わるんだろう。
この作品が自分の教科書に載っていて、この教科書で授業を受けたんだなあと思うと、笑いが止まらない。
ロマンティックも止まらない~♪

こんなの、改訂版ですぐに削除されてるにきまってるけど、いつまで載っていたんだろうね。ちょっと気になっております。
中学のときの先生が、「国語に正解はない」って言ってたんだけど、本当だね。
各々の感じ方が全てだし、時間が経って読み返したら、違う側面が見えてくるものだし、それが成長の証ってものなんだろうね。
だから、小説というのは人間関係を書くものであり、作家がテーマを主張するものであってはならないと思った。
「作者の言いたいこと」を考えさせる国語教育が、日本文学をだめにしているとも思った。
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