2017年2月17日(金)
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28年度第36回(2017年第7回)、「牛久大仏周辺散策」ウォーキングに参加した。
乙戸沼公園に集まったのは12名。
『今日はちょっと少ないねぇ』
この日は近場なので、出発地に直行している人が多いのかな?・・・
車4台で出発地(第二集合場所)の牛久奥野生涯学習センターへ行ってみると、
案の定、いるわいるわ、奥野生涯学習センターには大勢の人が集まっていた。
この日の参加者は33名となった。
いつものようにOさんの号令で準備体操開始。
『大きく胸を反らして~っ』
『最後に深呼吸~っ』
10時1分、Oさんを先頭に出発!
奥野生涯学習センター前を後にして、
ヤマイチ味噌工場の前を通り、
牛久二中入口交差点手前を横断。
JA龍ヶ崎市牛久東部辺りを進み、先ずは観音寺を目指す。
左手前方に見えるのは奥野小学校だ。
大きな板塀のある民家の前を進む。
『立派な塀だよねっ』
農道を進む。
Oさんが先頭集団の旗振り役を務めてくれるのは心強い。
矢の根神社手前辺りを通過し、
10時16分、矢の根神社手前を左に折れて乙戸川を渡る。
ヘルスロードの案内標識に従って進む。
案内標識の文字が見え難い。
そろそろ標識の交換時期ではないだろうか。
この日は風が強い。
砂埃を舞上げて、周りの景色が黄色に染まってしまっている。
予報では、春一番が吹く可能性が高いと言っていたが・・・
どうやら春一番に間違いなさそうだ。
『しばらく雨が降らなかったから土が乾燥してるんだねっ』
『いやぁ しかし もの凄い風だねぇ』
田んぼに沿った民家の脇の道を進む。
民家近くの木々が風を和らげてくれるのが、これほど有り難いと思ったことはなかった。
県道68号を渡ると・・・
正面に塚のようなものが現れた。
塚? それとも古墳?
(後で調べたが、塚でも古墳でもなさそう・・・)
裏には中根会館という地域の集会所があった。
中根会館を左に見ながら進むと、
観音寺の案内板があった。
観音寺の参道を進むと、
正面に観音寺の山門、右手に文化財指定の標柱が立っていた。
茨城県指定有形文化財
木像十一面観音座像、観音寺本堂、仁王門とある。
銅葺き屋根の仁王門
三間一戸の単層仁王門
この門の重要性は、古い柱痕跡(元の貫や板壁がとりついていた跡)や
組物の肘木・斗・挙鼻などが現本堂の大永五年建立時のものと同一であるところから、
宝永年間本堂大修理時に発生した古材を再利用して建立されたと考えられる、
と紹介されている。
力強い阿形仁王像と
吽形仁王像
両仁王像は、慶安三年(1650)造立の「大日尊像二躰」に当ると考えられる、とのこと。
『かなり古そうな仁王さまだねっ』
山門を抜けると銅葺き屋根の本堂があった。
威徳山観音寺は、本尊に十一面観音を祀る天台宗の古刹である。
境内には、四季折々の花が咲き乱れ、特に紫陽花の季節には
歩くことが困難なほど咲き乱れる、そうだ。
禅那の森へ向かうMZさんを追って行くと、
鐘楼があった。
寛保元年(1741)に久世睴之(当時のこの地の支配者)が中心となって寄進された梵鐘は、
昭和17年(1942)に太平洋戦争の進展に伴う日本軍の金属類特別回収により供出。
現在の梵鐘はその後に復興されたもの、とのこと。
この日はMさんの鐘を撞く瞬間を撮ることが出来た。
十王像
十王は、冥府にあって亡者の罪業を裁断する十人の王のこと。
秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・太山王・
平等王・都市王・五道転輪王がいる。
中央石段の上に座っているのが十王の長である閻魔王である。
四阿(あずまや)
この建物(四阿)は、寛保元年(1741)鋳造の梵鐘の鐘楼仮堂として
明治元年(1868)に建立されたもの。
火炎の彫刻
境内にあった大木を利用して作られている、そうだ。
10時47分、観音寺を後にして、
次の目的地、八坂神社を目指す。
風が次第に強くなってきた。
『とてもじゃないが、目を開けてられないねぇ』
県道34号に合流し、
直ぐに県道34号を横断直進し、八坂神社方面へ。
『杉の木が真っ茶色だねっ』
間もなく杉花粉が飛び始める。
花粉症に悩む私にとっては最も憂鬱な季節を迎えることになる。
猛烈な砂塵に周囲の景色が霞む。
少しでも風が弱まるのを祈るしかない。
砂埃がひどい。まるで砂嵐である。
左からの強風を受けながら、八坂神社を目指す。
八坂神社を目指し、坂道を進む。
11時9分、八坂神社に到着。
八坂神社に参拝
『何とか風が収まりますように』
これで風が収まれば何も言うことはないのだが・・・
八坂神社の前で暫しの休憩。
恒例の「お茶タイム」だ。
相変わらずの強風のなか、次の目的地牛久大仏を目指す。
11時21分、牛久大仏公園が見えてきた。
農道を通って牛久大仏公園へ。
牛久大仏様は、もう直ぐだ。
石段を上ると、
目の前に『牛久大仏様が見えた~っ』
牛久大仏
『いやぁ やっぱり大きいねぇ』
牛久大仏は身長120m、ギネスブックに認定された世界最大の大仏である。
自由の女神の3倍、奈良の大仏が手に乗る大きさというから驚きである。
その大仏様をバックに記念撮影
記念撮影が終わったとたん猛烈な風に見舞われた。
体調を整えるため、牛久浄苑管理事務所「十方堂」へ。
「十方堂」は法要や休息に利用可能な施設である。
この日も何組かの法要が行われていた。
体調を整えて、「十方堂」を後にする。
相変わらず風は強い。
牛久大仏公園を後にする。
『前を向いて歩けないわねっ』
猛烈な風が吹き、砂埃が舞い上がる。
かつてこれほどの春一番は経験したことがない。
少しばかり、この日の例会を実施したことを悔やんだ。
しかし、ここで怯む訳にはいかない。
ここは風に堪えて前に進むしかない。
久野上橋を渡る。
久野上橋から乙戸川を望む。
砂嵐に牛久大仏も霞んで見える。
強風に堪えて進む。
『何て学校なのかしら?』
12時15分、「牛久農芸学院」前を通過。
続いて「東日本入国管理センター」入口前を通過。
東日本入国管理センターは、法務省入国管理局管轄の移住者収容所、のこと。
他国からの難民申請者等が居住している。
12時20分、農芸学園前バス停のある広い道路に出た。
前方に砂塵が吹き荒れているのが見える。
凄い砂埃、砂嵐である。
『うわ~っ こんな所を歩いて通り抜けないといけないのねっ?』
砂嵐が収まるのを待つことに・・・
ちょっとだけ風が弱まった。
『今のうちに通り抜けちゃおうっ』
駆け足で砂嵐の場所を抜けようとするも・・・
また風が強くなった。
もうこれ以上駆け足は無理である。
ここは風に堪えて進むしかない。
『この風には参ったなぁ』
少し進むと、少しばかり風除けのある場所に出た。
12時36分、牛久リサイクルセンター前を通過。
12時41分、牛久二中入口交差点に到着。
牛久二中入口交差点を渡り、
ヤマイチ味噌前を通過すると・・・
12時45分、ゴールの奥野生涯学習センターに到着した。
『いやぁ今日は大変だったね~っ』
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
春一番の強風が吹く中、牛久大仏周辺散策ウォーキングを無事終えることが出来た。
これまで春一番は何度か経験しているが、これほどの強風は初めてだ。
記憶に残る一日となったのは間違いない、と思う。
この日の万歩計は、15,000歩を少し超えていた。
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毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28年度第36回(2017年第7回)、「牛久大仏周辺散策」ウォーキングに参加した。
乙戸沼公園に集まったのは12名。
『今日はちょっと少ないねぇ』
この日は近場なので、出発地に直行している人が多いのかな?・・・
車4台で出発地(第二集合場所)の牛久奥野生涯学習センターへ行ってみると、
案の定、いるわいるわ、奥野生涯学習センターには大勢の人が集まっていた。
この日の参加者は33名となった。
いつものようにOさんの号令で準備体操開始。
『大きく胸を反らして~っ』
『最後に深呼吸~っ』
10時1分、Oさんを先頭に出発!
奥野生涯学習センター前を後にして、
ヤマイチ味噌工場の前を通り、
牛久二中入口交差点手前を横断。
JA龍ヶ崎市牛久東部辺りを進み、先ずは観音寺を目指す。
左手前方に見えるのは奥野小学校だ。
大きな板塀のある民家の前を進む。
『立派な塀だよねっ』
農道を進む。
Oさんが先頭集団の旗振り役を務めてくれるのは心強い。
矢の根神社手前辺りを通過し、
10時16分、矢の根神社手前を左に折れて乙戸川を渡る。
ヘルスロードの案内標識に従って進む。
案内標識の文字が見え難い。
そろそろ標識の交換時期ではないだろうか。
この日は風が強い。
砂埃を舞上げて、周りの景色が黄色に染まってしまっている。
予報では、春一番が吹く可能性が高いと言っていたが・・・
どうやら春一番に間違いなさそうだ。
『しばらく雨が降らなかったから土が乾燥してるんだねっ』
『いやぁ しかし もの凄い風だねぇ』
田んぼに沿った民家の脇の道を進む。
民家近くの木々が風を和らげてくれるのが、これほど有り難いと思ったことはなかった。
県道68号を渡ると・・・
正面に塚のようなものが現れた。
塚? それとも古墳?
(後で調べたが、塚でも古墳でもなさそう・・・)
裏には中根会館という地域の集会所があった。
中根会館を左に見ながら進むと、
観音寺の案内板があった。
観音寺の参道を進むと、
正面に観音寺の山門、右手に文化財指定の標柱が立っていた。
茨城県指定有形文化財
木像十一面観音座像、観音寺本堂、仁王門とある。
銅葺き屋根の仁王門
三間一戸の単層仁王門
この門の重要性は、古い柱痕跡(元の貫や板壁がとりついていた跡)や
組物の肘木・斗・挙鼻などが現本堂の大永五年建立時のものと同一であるところから、
宝永年間本堂大修理時に発生した古材を再利用して建立されたと考えられる、
と紹介されている。
力強い阿形仁王像と
吽形仁王像
両仁王像は、慶安三年(1650)造立の「大日尊像二躰」に当ると考えられる、とのこと。
『かなり古そうな仁王さまだねっ』
山門を抜けると銅葺き屋根の本堂があった。
威徳山観音寺は、本尊に十一面観音を祀る天台宗の古刹である。
境内には、四季折々の花が咲き乱れ、特に紫陽花の季節には
歩くことが困難なほど咲き乱れる、そうだ。
禅那の森へ向かうMZさんを追って行くと、
鐘楼があった。
寛保元年(1741)に久世睴之(当時のこの地の支配者)が中心となって寄進された梵鐘は、
昭和17年(1942)に太平洋戦争の進展に伴う日本軍の金属類特別回収により供出。
現在の梵鐘はその後に復興されたもの、とのこと。
この日はMさんの鐘を撞く瞬間を撮ることが出来た。
十王像
十王は、冥府にあって亡者の罪業を裁断する十人の王のこと。
秦広王・初江王・宋帝王・五官王・閻魔王・変成王・太山王・
平等王・都市王・五道転輪王がいる。
中央石段の上に座っているのが十王の長である閻魔王である。
四阿(あずまや)
この建物(四阿)は、寛保元年(1741)鋳造の梵鐘の鐘楼仮堂として
明治元年(1868)に建立されたもの。
火炎の彫刻
境内にあった大木を利用して作られている、そうだ。
10時47分、観音寺を後にして、
次の目的地、八坂神社を目指す。
風が次第に強くなってきた。
『とてもじゃないが、目を開けてられないねぇ』
県道34号に合流し、
直ぐに県道34号を横断直進し、八坂神社方面へ。
『杉の木が真っ茶色だねっ』
間もなく杉花粉が飛び始める。
花粉症に悩む私にとっては最も憂鬱な季節を迎えることになる。
猛烈な砂塵に周囲の景色が霞む。
少しでも風が弱まるのを祈るしかない。
砂埃がひどい。まるで砂嵐である。
左からの強風を受けながら、八坂神社を目指す。
八坂神社を目指し、坂道を進む。
11時9分、八坂神社に到着。
八坂神社に参拝
『何とか風が収まりますように』
これで風が収まれば何も言うことはないのだが・・・
八坂神社の前で暫しの休憩。
恒例の「お茶タイム」だ。
相変わらずの強風のなか、次の目的地牛久大仏を目指す。
11時21分、牛久大仏公園が見えてきた。
農道を通って牛久大仏公園へ。
牛久大仏様は、もう直ぐだ。
石段を上ると、
目の前に『牛久大仏様が見えた~っ』
牛久大仏
『いやぁ やっぱり大きいねぇ』
牛久大仏は身長120m、ギネスブックに認定された世界最大の大仏である。
自由の女神の3倍、奈良の大仏が手に乗る大きさというから驚きである。
その大仏様をバックに記念撮影
記念撮影が終わったとたん猛烈な風に見舞われた。
体調を整えるため、牛久浄苑管理事務所「十方堂」へ。
「十方堂」は法要や休息に利用可能な施設である。
この日も何組かの法要が行われていた。
体調を整えて、「十方堂」を後にする。
相変わらず風は強い。
牛久大仏公園を後にする。
『前を向いて歩けないわねっ』
猛烈な風が吹き、砂埃が舞い上がる。
かつてこれほどの春一番は経験したことがない。
少しばかり、この日の例会を実施したことを悔やんだ。
しかし、ここで怯む訳にはいかない。
ここは風に堪えて前に進むしかない。
久野上橋を渡る。
久野上橋から乙戸川を望む。
砂嵐に牛久大仏も霞んで見える。
強風に堪えて進む。
『何て学校なのかしら?』
12時15分、「牛久農芸学院」前を通過。
続いて「東日本入国管理センター」入口前を通過。
東日本入国管理センターは、法務省入国管理局管轄の移住者収容所、のこと。
他国からの難民申請者等が居住している。
12時20分、農芸学園前バス停のある広い道路に出た。
前方に砂塵が吹き荒れているのが見える。
凄い砂埃、砂嵐である。
『うわ~っ こんな所を歩いて通り抜けないといけないのねっ?』
砂嵐が収まるのを待つことに・・・
ちょっとだけ風が弱まった。
『今のうちに通り抜けちゃおうっ』
駆け足で砂嵐の場所を抜けようとするも・・・
また風が強くなった。
もうこれ以上駆け足は無理である。
ここは風に堪えて進むしかない。
『この風には参ったなぁ』
少し進むと、少しばかり風除けのある場所に出た。
12時36分、牛久リサイクルセンター前を通過。
12時41分、牛久二中入口交差点に到着。
牛久二中入口交差点を渡り、
ヤマイチ味噌前を通過すると・・・
12時45分、ゴールの奥野生涯学習センターに到着した。
『いやぁ今日は大変だったね~っ』
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
春一番の強風が吹く中、牛久大仏周辺散策ウォーキングを無事終えることが出来た。
これまで春一番は何度か経験しているが、これほどの強風は初めてだ。
記憶に残る一日となったのは間違いない、と思う。
この日の万歩計は、15,000歩を少し超えていた。
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