ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

見所は多い 龍泉寺から来迎院(龍ヶ崎)

2016年10月14日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2016年10月14日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成28年度第21回(2016年第31回)、「龍泉寺から来迎院(龍ヶ崎)」を巡るウォーキングに参加した。

第一集合場所の乙戸沼公園に集まったのは、20名。
車4台に分乗し、スタート地の龍ヶ崎市役所へ向かった。


龍ヶ崎市役所には、既に16名が直行しており、合わせて36名の参加者となった。
今年度最高の参加者数である。


市役所の真前ということもあって、準備体操は省略。
10時1分、Oさんを先頭に出発だ!


市役所前を通る県道5号線へ出て、


市役所前交差点を渡り、


最初の訪問地頼政神社を目指した。


頼政通りの標識が・・・


頼政神社は近くにありそうだが、なかなか見つけられない。
たまたま近くにいた地元の人に訊ねると丁寧に教えてくれた。


10時11分、教えらえれた場所に行ってみると、
公園のような広場の大木の下に頼政神社があった。
『え~っ どこどこっ?』


頼政神社は、平氏追い討ちを図りながら戦死した源頼政を祀ったものといわれる。
鳥居や本殿などはなく、ヤマハゼの木の下にある石の祠で、
地元でも知る人の少ない小さな神社だが、約800年の歴史があるという。
『へぇ~っ これが頼政神社なのっ?』
『随分小さな神社なんだねっ』
『これじゃぁ 見つけるの大変だよねっ』


次の訪問地、八坂神社を目指す。


関鉄竜ヶ崎駅から直線で伸びる市街地を進む。


頼政神社から10分ほど進むと、八坂神社があった。


厄除けの早見表
『この歳だからもうとっくに厄は卒業しちゃったよっ』
残念?ながら、当会には一人も厄に該当する人はいない。
喜ぶべきことではないが・・・


八坂神社の本殿
文治年間(1185~90)、下河辺正義が龍ヶ崎開拓にあたって、
高井の農民移住とともに鎮守天王社をこの地に分祀させたのがはじまり。


厄除け以外の祈願は、やはり欠かせない。


7月の祇園祭りの最終日に行われる撞舞(つくまい)は、


高さ14mの柱の上に雨蛙姿の男がよじ登って曲芸を行う。
国選択無形民俗文化財の珍しい行事である。
(平成20年7月27日に般若院の撞舞通りで撮影したもの)


神社の裏には、砲弾の形をした立派な忠魂碑が建てられていた。


次の目的地は龍泉寺へ向かう。


龍ヶ崎市の街中には古い家も残っている。


新旧の建物が入り混じった市街地を進むと、


10時41分、龍泉寺(龍ヶ崎観音)に到着


龍ヶ崎観音は茨城百景の1つに選ばれている。


賓頭盧(おびんずる)様は、撫でられて全身ピカピカだ。
体に触ると、その箇所の病気や怪我が良くなると云われているのだ。
自分も足首が痛いので、撫でさせてもらった。


寺の本尊は安産聖観世音菩薩。
水子地蔵がずらりと並んでいる光景は壮観ではある。


龍泉寺本堂
天台宗の寺院である。
天正年間(1573~92)、江戸崎(現稲敷郡)城主土岐胤倫(たねとも)の創建と伝えられ、
寛永年間(1624~44)に上野寛永寺の天海僧正が再興した。
通称「龍ヶ崎観音」と呼ばれ、安産・子育て・開運・厄除けにご利益があると親しまれ、
毎月17日が縁日となっている。


本堂にお参り


『おん あろりきゃ そわか』


龍泉寺を後にする。


市街地に見られる古い家


この蔵も古そうだ


龍ヶ崎城址が前方に見えてきた。
(設定ミスで、これ以降ピンボケとなってしまった)


『この石段を上るのぉ』
『ここで待ってようかなっ』


などと言いつつも、皆さんしっかりと石段を上る。


石段の上から町を見おろす。
一望とまではいかないが、見晴らしは良い。


かつてこの地を支配した竜崎氏は、現在の龍ヶ崎一高に龍ヶ崎城(白旗城)を築き、
その出丸を置いたのが竜ヶ崎二高のあるこの高台であった。
竜崎氏が滅ぶと土岐氏がここに城を構えた。
全体の地形が城としての面影を残している。


石段を下る。
『下りの方が怖いよねっ』


街中を進み、次の目的地大統寺へ向かう。


県道5号をしばらく進むと、大統寺の入口が見えてきた。


11時9分、大統寺の参道へ。


大統寺は、曹洞宗の寺院である。
参道の途中右手には、宗祖道元禅師の塔が建てられている。


門の前では六地蔵が迎えてくれる。


門を潜ると、


左手に鐘楼があり、ちょうどMさんが鐘を撞くところだった。
今回は鐘を撞く瞬間に間に合った。


本堂にお参り
天正十三年(1585)、大聖院、天真院の二つの寺院を合併して創建。
本堂は寛文年間(1661~73)と文化年間(1804~18)に再建された。
本尊は釈迦年尼仏
龍ヶ崎城主土岐胤倫(たねとも)の墓がある。


本堂前のマキ科常緑樹竹柏(ナギ)は、市指定の天然記念物。


ナギの木の隣には、一回り大きなマキの木が赤い実を付けていた。


根町の撞舞通りを般若院へ向かう。


般若院の正式な門はもう少し先だったが、入口案内があったのでそこを入った。


11時30分、細い道を何度か曲がって般若院の正門に到着。


般若院本堂
天元元年(978)道珍法師によって創建されたといわれる。


本堂裏にある枝垂れ桜は、推定樹齢350~400年、
樹高約10m、枝張り東西約15m、南北約22mで県の天然記念物となっている。
『やっぱり花の時期じゃないとねっ』


満開の枝垂れ桜
(平成19年3月29日撮影)


般若院を後にして、


撞舞通りを市役所方面へ。


龍ヶ崎市役所裏の駐車場を左手に見ながら、真っ直ぐ進むと、


11時52分、愛宕神社に到着した。
『また階段を上るんだぁ』


お昼近くになってお腹も空いてきたが、ここは元気を出して石段を上るしかない。


愛宕神社拝殿
「火伏の神」とも云われ、寛永十八年(1641)、当時の領主伊達陸奥守忠宗
(正宗の子)が龍ヶ崎領民を火災から守るために創建したと伝えられている。
現在の社殿は宝永五年(1708)に再建されたもの。


愛宕神社本殿には覆いがしてあった。


立派な彫刻が施されている。
なかでも左甚五郎作と伝えられている鷹の彫刻は逸品、らしい。


愛宕神社の裏手を回り、


愛宕中学校校舎前に出た。
校舎の前を通り抜け、


校門を出ると、緩やかな坂道があった。
『さっきの石段を下りるよりは良いよねっ』


坂道からは龍ヶ崎市役所がよく見える。
『この高台はなかなか見晴らしが良いねぇ』


坂道を下った所で折り返し、最後の訪問地である来迎院へ。


市道を進み、
(後ろは愛宕中学校)


県道48号を横断して来迎院を目指す。


12時20分、来迎院に到着した。
弘治二年(1555)、当時領主だった土岐治英が万民安泰を願って建立した
多宝塔(県指定文化財)で有名。


多宝塔


室町時代の特色を示す優美な姿の多宝塔は、関東以北唯一の古塔とされ、
極めて貴重な存在とされている。


多宝塔の裏にお釈迦様の涅槃像があった。


再建された江戸時代の山門の脇を抜けると、


本堂がある。
山号は法華山、寺号は宝塔寺、院号は来迎院と言い、
本山は比叡山延暦寺である。
本尊として阿弥陀如来三尊を祀っている。


本堂にお参りを済ませ、


ゴールの市役所を目指す。


道端に馬頭観音像と道祖神がひっそりと佇んでいた。
『この辺は昔は街道筋だったのかなぁ』


県道271号を市役所へ向けて進む。


県道271号から県道48号を横断して市役所へ。


ゴールの龍ヶ崎市役所が見えてきた。


龍ヶ崎市役所


『到着したみたいだねっ』


市役所の玄関前を通り、


12時54分、龍ヶ崎市役所に到着。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


今回、龍ヶ崎市内の寺社を巡り、龍ヶ崎市の歴史のいったんに触れることが出来た。
最初に訪れた頼政神社には、驚かされたが、歴史の奥深さを感じた。
龍ヶ崎城址・愛宕神社という変化のある地形い恵まれ、
大統寺・来迎院など見どころも多く、充実した半日を過ごせた、と思っている、

この日の万歩計は、14,000歩を計測していた。

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