2018年7月13日(金)
毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第13回(2018年第23回)、「三石森林公園から閑居山」ハイキングに参加した。
閑居山は、2010年6月24日(木)に「関東ふれあいの道」で訪れたことがある。
その時は磨崖仏で引き返したため、閑居山の裏山を上って尾根(稜線)へ出るコースは、
今回が初めてとなる。
この日の集合場所は、当初は土浦ピアタウンのみとしていたが、
土浦ピアタウンまでの足が確保できない人は参加しづらいといった声が多数あり、
土浦ピアタウンと乙戸沼公園に別々に集まることにした、という次第。
乙戸沼公園には11名が集まった。
車2台に分乗して、9時40分、三石森林区公園に到着
土浦ピアタウン組は既に到着していた。
直行した人も次々に到着。
ただ、笠間から参加するDD子さんの到着が少し遅れているとのこと。
結局、この日の参加者は、DD子さんを入れて23名になった。
三石森林公園からの眺め。
予報によれば、今日は33度くらいになる、とのこと。
この日、雪入探検隊副隊長の宮田さんが道案内をしてくれるという。
閑居山から尾根に抜ける径は全く不案内なので、これ以上心強いことはない。
なお、IW子さんが、笠間から参加するDD子さんの到着後直ぐに後を追いかける、
と言うので、2人を残す形で出発することに。
宮田さんの案内で、車道とは異なる斜面の近道を下ると、
数分で三石森林公園の玄関口に出た。
2-300mほど舗装道を進むと、
円明院への近道があるので、そこを右に曲り、
薄暗い坂道を下ること7分、
円明院の裏に出た。
案内標識は、宮田さんたちが設置したそうだ。
10時26分、円明院に到着
円明院は、真言宗豊山派の寺院である。
何はともあれ、この日の無事安全を祈願した。
境内には慈母観音像が鎮座している。
円明院で一休み。
宮田さんも一息入れる。
円明院からの眺め。
『いやぁ きれいに手入れした庭の眺めが良いね~っ』
宮田さんによると、円明院の住職は、庭を手入れするのが好きなのだそうだ。
10時30分、閑居山を目指し、円明院を後にする。
参道には、観世音菩薩様や
六地蔵尊が見送ってくれる。
『気をつけて行っておいで』
2週間後には米寿を迎える当会最年長のHA子さん。
その元気さには、いつも驚かされる。
閑居山を目指す。
この日は日差しが強い。
男性にとっても日傘は必需品かも。
農道を進み、
10時41分、木陰があったので一休みしよう。
一休みしていると・・・
遅れていた二人が追い着いた。
『遅れちゃってごめんなさいっ』
『いやぁ 意外に早く追い着いたね~っ』
2人が追い着いた直後なので、少し長めに休憩を摂る。
宮田さんの”けものみち”の説明に耳を傾ける皆さん。
10時53分、新治地方広域事務組合/環境クリーンセンター前を通過
最新技術を導入したごみ焼却施設、粗大ごみ処理施設等があり、自己搬入出来る。
(ここはかすみがうら市だが、土浦市の新治地区も利用できるとのこと)
環境クリーンセンター前の道を進み、突き当りを左に曲る。
左手に環境クリーンセンターを見ながら、
閑居山へ向かう。
周りが山間の田んぼの中を進み、
杉に囲まれた路を進んで行くと、
「関東ふれあいの道」の休憩所があった。
閑居山は、古くは志筑山と称し、詩歌に歌われた景勝地で、弘法大師が東国遍歴の途中、
この地で霊感を覚え、庵を建てて布教に努めたという言い伝えから、閑居山と呼ばれる
ようになったと云われています。
(この山の洞穴に”閑居”したという言い伝えが山名の由来となっている)
山の中腹の金堀穴のまわりにある花崗岩には、鎌倉時代以前の作といわれる100体余りの
仏像が彫られており、俗に百体観音像と呼ばれ、県の文化財に指定されています。
環境庁・茨城県
「関東ふれあいの道」の休憩所前で、一休み。
暑い日はこまめに休憩し、水分を摂ることが重要だ。
閑居山を目指す。
”磨崖仏”の案内標識に従って細い径を進んで行くと、
径の脇に石碑が立っていた。
石碑
黄金の観音像も。
『これは、最近誰かが置いて行ったもの』と宮田さん。
石段を上る。
古い石灯籠が歴史を感じさせる。
孟宗竹の林を右手に見ながら進む。
この石仏もいつの時代かに誰かが置いていったものなのだろう。
薄暗い径を上って行くと、
助六地蔵と磨崖仏の分岐点に到着した。
風致保安林の説明板には、以下の説明が。
急峻な山岳地形の露出した岩肌には、百体磨崖仏(県指定文化財)が鎮座し、
その周辺をモミ、カシ、シイ等の老木が覆い、近郊の「閑居山志筑の森」として
親しまれている。(東京営林局・笠間営林署)
助六地蔵の案内標識に従って進む。
急坂の径を上ると、
目の前に助六地蔵が現れた。
宮田さんから次のような説明が。
志筑地区は、江戸時代には旗本本堂氏の領地となっていたが、
領民に過重な年貢を課しており、あまつさえ水戸街道の稲吉宿の助郷役の負担もあり、
安永七年(1778)、ついに耐えきれなくなった下佐谷村はじめ25か村の農民たちが
本堂氏の江戸屋敷に強訴を行った。
首謀者として下佐谷村の名主・福田助六が捕らえられ、通称「首切山」で処刑された後、
その首は街道筋に晒された。
その後、義民助六を弔うためとして、閑居山に助六地蔵が建立された。
助六地蔵の脇には六地蔵もある。
助六地蔵を後にして、磨崖仏へ。
『分岐点まで戻らなくても行けるんだねっ』
磨崖仏への途中、
金堀穴があった。奥行15mとある。
とても狭そうだったので、中には入らなかったが、
宮田さんによると、中は善光寺の戒壇巡りのように真っ暗闇だそうだ。
大きな岩の上に首のない石仏があり、磨崖仏の説明板があった。
この磨崖仏は、俗に百体観音と呼ばれ、その昔、山麓に弘法大師草創と伝えられる
志筑山惣持院願成寺があり、寺中興の僧乗海が手彫りした鎌倉時代の作と云われている。
山の中腹に突出した四メートル四方の花崗岩の表面に百個余りの仏像を線刻薄肉彫で
刻んでいる。
県下でも珍しいものとされており、昭和三十八年八月茨城県の文化財に指定されている。
またこの山は、古くは志筑山と称して古歌によく詠まれたところで、眺望もよいので、
茨城百景の一つに数えられている町の名所である。
(かすみがうら市教育委員会)
より近くから磨崖仏を見ようと岩場を上る。
岩場は狭くて数人しか上れない。
磨崖仏(1)
岩に彫られた仏像が並ぶ。
磨崖仏(2)
磨崖仏(3)
写真を撮っている間、下で待ってくれている。
磨崖仏(4)
磨崖仏(5)
梵字も見ることが出来る。
11時39分、磨崖仏を後に、閑居山コースを尾根へ向かう。
標識には”急坂”の文字が。
尾根を目指す。
『随分急な径なんだね~っ』
何かに掴まらないと滑って危険なほどの急坂である。
このコースを下りにしていたら、転倒者が続出していたかもしれない。
『上りにして良かったんじゃないっ?』
『くれぐれも気をつけるように』
岩の上に鎮座している石仏に励まされている感じだ。
途中に生えている木に掴まりながら登る。
『木が生えていて助かったよな~っ』
『閑居山てこんな急な所だったんだねっ』
一休みして呼吸を整え、
再び尾根を目指す。
『頑張ろ~っ!』
『もうこれ以上無理だわっ』に
『あと一息ですよ~っ!』を返すが、何の根拠もない。
その数分後の11時58分、ようやく尾根に到着することが出来た。
到着して直ぐにその場に座り込む皆さん。
かなり疲れた様子で、全員汗びっしょりだ。
数分のうちに全員無事に尾根に辿り着いて、一安堵。
皆さんが休んでいる間に、宮田さんの案内で希望者のみで弘法石へ行ってみることに。
弘法石を見届けて、
先ほどの分岐点に戻り、あらためて三石森林公園を目指した。
先頭を務める宮田さんは、我々のペースに合わせてくれるので、助かる。
後を追う皆さん。
径が平坦になったのも幸いし、大分楽になった。
最年長のHA子さん、少しも疲れた様子は見せない。
常に先頭Gから離れず、元気である。
12時14分、谷津コースへの分岐点を通過
他の標識は見当らないが、どうやらここが閑居山の山頂(227m)
ということが、後で分った。
三石森林公園への分岐点を目指す。
尾根の平坦な路を進む。
最後に緩やかな坂道を上って行くと、
12時30分、三石森林公園への分岐点に到着した。
ここで、最後の休憩を摂り、
12時34分、三石森林公園を目指した。
『いぇ~いっ』
下りになって、本来の元気が出て来たようだ。
三石森林公園を目指す。
宮田さんが刈ったという笹原は三石森林公園への近道とのこと。
(ここはまだ、三石森林公園の敷地外らしい)
三石森林公園の敷地内に入り、皆さんにも少し余裕が出て来た感じ。
『もう直ぐゴールだよねっ』
木製の階段を下り、
アスレチック広場を左手に見ながら進む。
『あと少しだねっ』
笑顔が戻って来た。
最後の坂道を下り、
12時52分、三石森林公園ログハウス「もりの小屋」に到着
『やっと着いた~っ』
「もりの小屋」に到着し、まず最初に冷たい水を一杯いただいた。
当会会員で雪入探検隊の隊員でもあるED子さんたちが、冷たい水と梅ジュースを
用意して待っていてくれたのだ。
冷たい水と梅ジュースが何よりのご馳走で実に美味しかった。
『いやぁ 本当に美味いねっ!』
水をお変わりする人が続出である。
喉を潤した後、ゆっくりと食事を摂った。
食後に「もりの小屋」をバックに全員で記念撮影
(残念ながら「もりの小屋」は写っていなかった)
『宮田さん、ED子さん、どうもありがとうございましたっ』
『皆さん、今日は本当にお疲れさまでしたぁ』
猛暑の中、三石森林公園から閑居山を巡るハイキングが無事終わって、
一安心と云ったところ。
閑居山の磨崖仏から閑居山コースを上り、三石森林公園へと歩くのは、
初めてのことであり、一抹の不安があったが、雪入探検隊副隊長の宮田さんが
道案内を買って出てくれたのは、ありがたかったし、本当に助かった。
この場を借りて厚く御礼を申し上げます。
この日は、思い出に残る一日となったことは言うまでもない。
この日の万歩計は、10,000歩を計測していた。
思ったより歩数は少なかった。
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毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成30年度第13回(2018年第23回)、「三石森林公園から閑居山」ハイキングに参加した。
閑居山は、2010年6月24日(木)に「関東ふれあいの道」で訪れたことがある。
その時は磨崖仏で引き返したため、閑居山の裏山を上って尾根(稜線)へ出るコースは、
今回が初めてとなる。
この日の集合場所は、当初は土浦ピアタウンのみとしていたが、
土浦ピアタウンまでの足が確保できない人は参加しづらいといった声が多数あり、
土浦ピアタウンと乙戸沼公園に別々に集まることにした、という次第。
乙戸沼公園には11名が集まった。
車2台に分乗して、9時40分、三石森林区公園に到着
土浦ピアタウン組は既に到着していた。
直行した人も次々に到着。
ただ、笠間から参加するDD子さんの到着が少し遅れているとのこと。
結局、この日の参加者は、DD子さんを入れて23名になった。
三石森林公園からの眺め。
予報によれば、今日は33度くらいになる、とのこと。
この日、雪入探検隊副隊長の宮田さんが道案内をしてくれるという。
閑居山から尾根に抜ける径は全く不案内なので、これ以上心強いことはない。
なお、IW子さんが、笠間から参加するDD子さんの到着後直ぐに後を追いかける、
と言うので、2人を残す形で出発することに。
宮田さんの案内で、車道とは異なる斜面の近道を下ると、
数分で三石森林公園の玄関口に出た。
2-300mほど舗装道を進むと、
円明院への近道があるので、そこを右に曲り、
薄暗い坂道を下ること7分、
円明院の裏に出た。
案内標識は、宮田さんたちが設置したそうだ。
10時26分、円明院に到着
円明院は、真言宗豊山派の寺院である。
何はともあれ、この日の無事安全を祈願した。
境内には慈母観音像が鎮座している。
円明院で一休み。
宮田さんも一息入れる。
円明院からの眺め。
『いやぁ きれいに手入れした庭の眺めが良いね~っ』
宮田さんによると、円明院の住職は、庭を手入れするのが好きなのだそうだ。
10時30分、閑居山を目指し、円明院を後にする。
参道には、観世音菩薩様や
六地蔵尊が見送ってくれる。
『気をつけて行っておいで』
2週間後には米寿を迎える当会最年長のHA子さん。
その元気さには、いつも驚かされる。
閑居山を目指す。
この日は日差しが強い。
男性にとっても日傘は必需品かも。
農道を進み、
10時41分、木陰があったので一休みしよう。
一休みしていると・・・
遅れていた二人が追い着いた。
『遅れちゃってごめんなさいっ』
『いやぁ 意外に早く追い着いたね~っ』
2人が追い着いた直後なので、少し長めに休憩を摂る。
宮田さんの”けものみち”の説明に耳を傾ける皆さん。
10時53分、新治地方広域事務組合/環境クリーンセンター前を通過
最新技術を導入したごみ焼却施設、粗大ごみ処理施設等があり、自己搬入出来る。
(ここはかすみがうら市だが、土浦市の新治地区も利用できるとのこと)
環境クリーンセンター前の道を進み、突き当りを左に曲る。
左手に環境クリーンセンターを見ながら、
閑居山へ向かう。
周りが山間の田んぼの中を進み、
杉に囲まれた路を進んで行くと、
「関東ふれあいの道」の休憩所があった。
閑居山は、古くは志筑山と称し、詩歌に歌われた景勝地で、弘法大師が東国遍歴の途中、
この地で霊感を覚え、庵を建てて布教に努めたという言い伝えから、閑居山と呼ばれる
ようになったと云われています。
(この山の洞穴に”閑居”したという言い伝えが山名の由来となっている)
山の中腹の金堀穴のまわりにある花崗岩には、鎌倉時代以前の作といわれる100体余りの
仏像が彫られており、俗に百体観音像と呼ばれ、県の文化財に指定されています。
環境庁・茨城県
「関東ふれあいの道」の休憩所前で、一休み。
暑い日はこまめに休憩し、水分を摂ることが重要だ。
閑居山を目指す。
”磨崖仏”の案内標識に従って細い径を進んで行くと、
径の脇に石碑が立っていた。
石碑
黄金の観音像も。
『これは、最近誰かが置いて行ったもの』と宮田さん。
石段を上る。
古い石灯籠が歴史を感じさせる。
孟宗竹の林を右手に見ながら進む。
この石仏もいつの時代かに誰かが置いていったものなのだろう。
薄暗い径を上って行くと、
助六地蔵と磨崖仏の分岐点に到着した。
風致保安林の説明板には、以下の説明が。
急峻な山岳地形の露出した岩肌には、百体磨崖仏(県指定文化財)が鎮座し、
その周辺をモミ、カシ、シイ等の老木が覆い、近郊の「閑居山志筑の森」として
親しまれている。(東京営林局・笠間営林署)
助六地蔵の案内標識に従って進む。
急坂の径を上ると、
目の前に助六地蔵が現れた。
宮田さんから次のような説明が。
志筑地区は、江戸時代には旗本本堂氏の領地となっていたが、
領民に過重な年貢を課しており、あまつさえ水戸街道の稲吉宿の助郷役の負担もあり、
安永七年(1778)、ついに耐えきれなくなった下佐谷村はじめ25か村の農民たちが
本堂氏の江戸屋敷に強訴を行った。
首謀者として下佐谷村の名主・福田助六が捕らえられ、通称「首切山」で処刑された後、
その首は街道筋に晒された。
その後、義民助六を弔うためとして、閑居山に助六地蔵が建立された。
助六地蔵の脇には六地蔵もある。
助六地蔵を後にして、磨崖仏へ。
『分岐点まで戻らなくても行けるんだねっ』
磨崖仏への途中、
金堀穴があった。奥行15mとある。
とても狭そうだったので、中には入らなかったが、
宮田さんによると、中は善光寺の戒壇巡りのように真っ暗闇だそうだ。
大きな岩の上に首のない石仏があり、磨崖仏の説明板があった。
この磨崖仏は、俗に百体観音と呼ばれ、その昔、山麓に弘法大師草創と伝えられる
志筑山惣持院願成寺があり、寺中興の僧乗海が手彫りした鎌倉時代の作と云われている。
山の中腹に突出した四メートル四方の花崗岩の表面に百個余りの仏像を線刻薄肉彫で
刻んでいる。
県下でも珍しいものとされており、昭和三十八年八月茨城県の文化財に指定されている。
またこの山は、古くは志筑山と称して古歌によく詠まれたところで、眺望もよいので、
茨城百景の一つに数えられている町の名所である。
(かすみがうら市教育委員会)
より近くから磨崖仏を見ようと岩場を上る。
岩場は狭くて数人しか上れない。
磨崖仏(1)
岩に彫られた仏像が並ぶ。
磨崖仏(2)
磨崖仏(3)
写真を撮っている間、下で待ってくれている。
磨崖仏(4)
磨崖仏(5)
梵字も見ることが出来る。
11時39分、磨崖仏を後に、閑居山コースを尾根へ向かう。
標識には”急坂”の文字が。
尾根を目指す。
『随分急な径なんだね~っ』
何かに掴まらないと滑って危険なほどの急坂である。
このコースを下りにしていたら、転倒者が続出していたかもしれない。
『上りにして良かったんじゃないっ?』
『くれぐれも気をつけるように』
岩の上に鎮座している石仏に励まされている感じだ。
途中に生えている木に掴まりながら登る。
『木が生えていて助かったよな~っ』
『閑居山てこんな急な所だったんだねっ』
一休みして呼吸を整え、
再び尾根を目指す。
『頑張ろ~っ!』
『もうこれ以上無理だわっ』に
『あと一息ですよ~っ!』を返すが、何の根拠もない。
その数分後の11時58分、ようやく尾根に到着することが出来た。
到着して直ぐにその場に座り込む皆さん。
かなり疲れた様子で、全員汗びっしょりだ。
数分のうちに全員無事に尾根に辿り着いて、一安堵。
皆さんが休んでいる間に、宮田さんの案内で希望者のみで弘法石へ行ってみることに。
弘法石を見届けて、
先ほどの分岐点に戻り、あらためて三石森林公園を目指した。
先頭を務める宮田さんは、我々のペースに合わせてくれるので、助かる。
後を追う皆さん。
径が平坦になったのも幸いし、大分楽になった。
最年長のHA子さん、少しも疲れた様子は見せない。
常に先頭Gから離れず、元気である。
12時14分、谷津コースへの分岐点を通過
他の標識は見当らないが、どうやらここが閑居山の山頂(227m)
ということが、後で分った。
三石森林公園への分岐点を目指す。
尾根の平坦な路を進む。
最後に緩やかな坂道を上って行くと、
12時30分、三石森林公園への分岐点に到着した。
ここで、最後の休憩を摂り、
12時34分、三石森林公園を目指した。
『いぇ~いっ』
下りになって、本来の元気が出て来たようだ。
三石森林公園を目指す。
宮田さんが刈ったという笹原は三石森林公園への近道とのこと。
(ここはまだ、三石森林公園の敷地外らしい)
三石森林公園の敷地内に入り、皆さんにも少し余裕が出て来た感じ。
『もう直ぐゴールだよねっ』
木製の階段を下り、
アスレチック広場を左手に見ながら進む。
『あと少しだねっ』
笑顔が戻って来た。
最後の坂道を下り、
12時52分、三石森林公園ログハウス「もりの小屋」に到着
『やっと着いた~っ』
「もりの小屋」に到着し、まず最初に冷たい水を一杯いただいた。
当会会員で雪入探検隊の隊員でもあるED子さんたちが、冷たい水と梅ジュースを
用意して待っていてくれたのだ。
冷たい水と梅ジュースが何よりのご馳走で実に美味しかった。
『いやぁ 本当に美味いねっ!』
水をお変わりする人が続出である。
喉を潤した後、ゆっくりと食事を摂った。
食後に「もりの小屋」をバックに全員で記念撮影
(残念ながら「もりの小屋」は写っていなかった)
『宮田さん、ED子さん、どうもありがとうございましたっ』
『皆さん、今日は本当にお疲れさまでしたぁ』
猛暑の中、三石森林公園から閑居山を巡るハイキングが無事終わって、
一安心と云ったところ。
閑居山の磨崖仏から閑居山コースを上り、三石森林公園へと歩くのは、
初めてのことであり、一抹の不安があったが、雪入探検隊副隊長の宮田さんが
道案内を買って出てくれたのは、ありがたかったし、本当に助かった。
この場を借りて厚く御礼を申し上げます。
この日は、思い出に残る一日となったことは言うまでもない。
この日の万歩計は、10,000歩を計測していた。
思ったより歩数は少なかった。
”ウマさんの「健康ウォーキングの会」の目次”へ戻る。