ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

関東ふれあいの道(埼玉)No.9「将門伝説を探るみち」

2014年10月12日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年10月12日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第2回目は、コースNo.9「将門伝説を探るみち」(約14.3Km)を歩くことにした。

上野から高崎線に乗る。
この日の参加者は9名だ。
「関東ふれあいの道」で高崎線を利用するのは初めてである。
予定ではこれからも何度か利用することになる。


高崎線車内
『今日もよろしく~っ』


熊谷駅で秩父鉄道に乗り換えたが、何と満員状態である。
近くの人の話から、今日は龍勢祭(りゅうせいまつり)が行われる日らしい。
帰宅してWebで確認すると、毎年10月の第二日曜日に実施される、とのこと。
27の流派があり、毎年30数本の龍勢(火薬を仕掛けた龍)を轟音とともに天高く打ち上げるもの、だそうだ。


8時57分、皆野駅に到着。


駅中で体調を整えて改札口を出ると、駅前のタクシー会社からちょうど1台のタクシーが出て行くところだった。
9名なので3台必要だが、戻ってくるまで待たなければならない、とのこと。
向かいにも別のタクシー会社があるとのこと。


向かいのタクシー会社も出払って車庫は空っぽだ。
とりあえず窓口へ行ってみると、1台は用意できるとのこと。
女性が多ければ、5名は乗ることができると。
取りあえず、女性4名と男性1名は先にスタート地点の西門平バス停へ向かってもらった。


残った4名は、戻ってくるタクシーを待つしかない。
30分ほどで、戻ってきたタクシーで西門平バス停へ向かった。


9時46分、西門平に到着し、既に到着していた5名と合流。
「関東ふれあいの道」の案内板を確認。


道標で城峯山(3.7Km)・登仙橋(14.3Km)方面を確認して、


9時47分、直ぐに出発だ!


歩き始めて直ぐ、「門平の虫おくり」の説明板に見入る。
8月17日の送り盆に行われる精霊送りを、「虫おくり」と呼んでいる、そうだ。
精霊とは悪霊と考えられ、無縁仏とも理解されているようだと。
悪霊の祟りがないよう、農作物の病中害、疫病、厄や天災地変までも虫として送り出す、のだそうだ。


「関東ふれあいの道」の道標に従って、鐘掛城・城峯山方面を目指す。
コース案内によると、標高500mの西門平バス停から標高1,037mの城峯山頂まで
その差500mを上ることになっている。
最初からかなり急な坂道だ。


『いきなりこの坂道はきついよねぇ』


舗装された道はそれほど長くはなく、道標は草が生い茂った山道へと案内されていた。


朽ちかけた木の梯子が架けられていた。
『え~っ ここを渡るのぉ』


恐る恐るだが、梯子を渡るしかない。


ここでも「関東ふれあいの道」を歩く人は少ないのだろう、草ぼうぼうで道もよく分からない。
道標だけが頼りである。


草ぼうぼうを過ぎると、杉林が始まった。
ストロボを使わないと暗くて人の顔も見え難い。


しばらく杉木立の坂道を進んでいると、次第に首筋に汗が滲んできた。
歩き始めて約30分経過、薄暗い林の中で一休み。


さらに5分ほど上ると、舗装された道路に出た。
『もうちょっと頑張って歩いとけば良かったんだね』


舗装された道路だったが、道標は直ぐに山道を上るよう差し示していた。


今度は最初から杉の林である。


かなり急な坂道が続く。
『けっこうきついよねっ』
『ゆっくりで良いよっ』


道は、時には少し緩やかになったりしながら続く。


両手を使わなければ登れないような場所もある。


標高が高くなるにつれ、ガスが出てきた。
ストロボを使った状態では、光が反射する。
城峯山への直登にするか、巻き道へ進むかで迷ったが、ここは直登に挑戦することに。


11時3分、巻き道の地点から数分で鐘掛城山頂(1,003m)へ到着。


鐘掛城は、戦国時代の秩父地域の山城の一つで、説明板には以下のように案内されている。
神流川の北方、西上州に支配権を確立した武田軍は、永禄十二年(1569)頃から数回にわたり、
上武国境(土坂峠・大田部峠等)を越え、秩父地域への侵略を行った。
ここ鐘掛城をはじめ、城峯山の物見や周辺の山城(金鑽御嶽城・虎ヶ岡城・金尾要害山城・天神山城・高松城)
等が最も活躍した時代であった。
しかし、これらの山城は、前田・上杉の連合軍によって鉢形城が落城し、その後の豊臣秀吉の天下統一で
その存在意義を失い廃城となった。


弁当には少し早いため、城峯山を目指すことにした。
『城峯山に着いたら弁当にしようっ』


ここからは一転急な下りになる。


『ひぇ~っ この坂道は怖い~っ』


しばらく下って行くと・・・


11時24分、石間峠の休憩所に出た。
我々の弁当にはちょうど良い広さの東屋である。
『コースはまた戻るようになってるから、城峯神社で証明写真を撮ってから、ここで弁当にしようっ』


ということで、撮影ポイントの城峯神社へ向かった。


突然視界が開けた。
『いやぁ 素晴らしい眺めだなぁ 天気さえ良ければ』


平将門と城峯山
平将門が城峯山や秩父地方に足跡を印した事実はないと云われているが、ここ城峯山をはじめ秩父地方には
数々の「将門伝説」が語り継がれている、とのこと。
これは、坂東平氏(千葉氏・秩父氏・相馬氏・豊島氏・葛西氏・畠山氏・河越氏・江戸氏等)の地盤に
この種の伝説が多く見られることと深い関係があるようだ。(以下略)


石間峠から7分で、城峯神社の入口に到着。


城峯神社入口から少し進むと、キャンプ場があった。


キャンプ場を進むと、


11時44分、城峯神社の鳥居に到着した。


証明写真の前にお参りを済ませよう。


『ちょっと変わった狛犬だわねぇ』
目が金色に輝いているし、鋭い爪もある。
『これ犬かしら? それとも狐?』


『ちょうどお昼になったし、ここで弁当にしないっ?』
と言う声が上がり、急遽神社の境内(キャンプ場横)で弁当に。


上手い具合にベンチが空いていた。
城峯神社の境内では数人の観光客を見ただけで、我々以外誰もいない。
空いていたというのは正しくないか。


12時28分、弁当も終わり、直ぐに城峯山山頂へ向けて出発!
1,000m近い場所のためか、空気が冷たい。
手がかじかむほどで、身体を動かさないと寒い。


城峯山頂を目指す。


城峯山頂への途中、大和武尊(やまとたける)を祭った城峯神社中宮があった。


栗の大木があちこちに見られる雑木林を進む。


急な坂道もある。


道標に従って進むと、


突然、前方にパラボラアンテナの鉄塔が現れた。


12時45分、城峯山山頂(1,037m)に到着した。


鉄塔に上ってみよう。


雲取山・白岩山方面


『凄いっ 360度見渡すことができるんだねっ』


『晴れてたら最高の眺めだったのにね~っ』
予報では一時晴れマークもあったのに、本当に残念である。


パラボラアンテナ塔を後にして、城峯山を下る。


急な坂道のあと、少し緩やかに。
パラボラアンテナ塔から下ることおよそ10分ほど、


石間峠に到着した。


ここからは、下りだけである。


しばらく舗装された道を進む。


ちょっと目に付き難い道標に従って、3.5Km先の宇那室バス停を目指す。
この道標、もう少しで見落とすところだった。


舗装道路からの入り口付近は、ほとんど人が歩いた形跡が感じられなかった。
『関東ふれあいの道にしてはちょっと寂しいねぇ』
同感である。


薄暗い杉林の中、つづら折りの道を進む。


小さな沢があった。
沢を渡ったところの道標に”跨ぎ仕舞い”と記されていた。
これが上りの”最後の沢”という意味で名付けたものと思われる。
ということは、これから先、いくつかの沢を渡ることになるのだ。


”跨ぎ仕舞い”で給水のため、軽い休みを摂り、


出発して直ぐに、最初の沢跨ぎだ。


右手に沢の音を聴きながら下る。


これでいくつ目の沢を跨ぎだろう。


杉の木が倒れたままになっている。
取り除いたりする財政的な余裕もないのだろうか。
まあ、この方が自然ではあるので、気にするほどでもないか・・・


下りの山道は


右に左に折れ曲がって続いている。


途中、巨大な岩もあったりする。
『いやぁ これはでかいなぁ』


『どっこらしょっと』


下り最後の沢を渡ると・・・


舗装された道路に出た。
どうやら石間峠に続く道路と思われる。


将門伝説
平将門は桓武平氏出身で下総の国に勢力を広げ、天慶二年(939)、常陸国府を襲撃して反乱を起したが、
天慶三年には、藤原秀郷等の追討軍に敗れ、その首級は京都に送られた。
将門伝説には以下のものがある。
1.首塚伝説
京都に晒された首が「笑った」とか、坂東の地へ「飛び帰った」とかいうもので、
全国各地に首塚が造られ祀られている。(皆野町円福寺、東京大手町等)
2.桔梗の花が咲かない伝説
将門の内室(妻)桔梗の前が秀郷と内通して将門を滅ぼしたため、
その怨霊が花を咲かせないというもの。
(以下略)


宇那室バス停を目指していると、


道路の真ん中に小さなカニがいた。動きが鈍い。
甲羅の大きさは7mmほどで沢ガニの子のようだ。
そっと道路の端に寄せてやった。


間もなく宇那室バス停だ。


14時24分、宇那室バス停に到着。


ここで、一休み。
『お茶が美味しいわっ』


バスの時間を確認すると、鬼石行き便は15:20となっている。
この日のゴール登仙橋バス停まではまだ5Km以上あるが、
今までのペースではあと1時間半近くかかることが予想される。
歩いている最中にバスに追い越されてしまう可能性がある、ということだ。


ゴールまで歩きたいのは山々だが、乗り遅れると次のバスは、17:53発しかない。
当然日も暮れて真暗になる。
相談の結果、ここで鬼石行きバス(神川町営)を待つことにした。


少し時間が出来たので、休憩舎で身体をほぐしてゆっくり寛ぐ。


15時20分、時刻表どおり神川町営バスがやって来た。
お客は我々だけだった。
『貸切だねっ』


15時34分、神泉支所前に到着。


ここで、本庄駅南口行き(朝日バス)に乗り換える。


朝日バスもしばらくは貸切状態だった。
この辺りのハイキングコースを歩く人は少ないのだとあらためて思った。


うとうとしているうちに、15時36分、本庄駅に到着した。
この後、15時42分発の高崎線アーバン号で帰途についた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

「関東ふれあいの道」(埼玉県)第二回目は、コースNo.9(将門伝説を探るみち)を歩いた。
第一回目のコースNo.3(伊豆ヶ岳を越えるみち)と同じく”健脚向きコース”だったので、
ある程度覚悟していたが、前回のように足がつるようなことはなく、最後まで歩くことが出来て一安心している。
この先も長い距離や、険しいコースがあり、思わぬ状況に陥ったりするかもしれないが、
何とか最後まで皆さんと一緒に歩き通したいと願っている。


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