年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

言い訳・雨だから

2024年06月18日 | 宅老のグチ
梅雨入り宣言の出そうな雨。このところ晴天で出歩きすぎたので一休み。コロナ明けから都内を出歩いていたのでおおよそのバス停の位置とそこから目的地までの道筋を知った。
 荒川区の中央図書館というべき ゆいの森あらかわ(中央図書館)へ行った。ここに行くのは2度目で1度目は関東大震災の小説を書いた吉村昭のイベントを見るためで、図書館自体は関心が無かった。でも印象として新しいい・キレイ・荒川区の意気込みが感じる。でもどうしてこの地が選ばれたかは部外者で判らない。多くの書庫は2階以上で、水害対策をしていると感じる。図書館の入り口付近に水害の時の予想水位があった。ハザ-ドマップの表示で5Mとあって、図書館2階まで水没だろう。この辺りはもし屋上に登ることが出来たら川との関係が判りそう。荒川区は自分には通過する地域で築地で仕事をしていた時には代打の要因で不慣れであった。荒川区は千住宿で水戸街道の宿場という印象がある。街歩きで南千住駅を歩いていた時、回向院という寺院があって、確か江戸時代の刑死した人を埋葬した寺院として知っていたが、あまりにも新しい寺院で古刹という感じがしなく、目礼で通過し、南千住駅の浅草行きのバス停に向かったことがある。
 東海道の鈴ヶ森、板橋宿の刑場、そして小塚原刑場は、明治初年に廃止されるまで、ここで処刑された人は約20万人と云われて、荒川区史と史蹟回向院という郷土資料を読みに行きました。後で調べると荒川区民なら貸し出し可能の本と知りましたが他の区なので、司書に道案内され本を手に取りました。本というより冊子に近い薄い本で何か住職さんが訪問者向けの案内本でした。
 多くの幕末史を気にしている人は回向院の埋葬者は安政の大獄の刑死者と思いますが自分が気になったの相馬大作でこの人から政治犯が回向院に埋葬されるようになったようです。それ以前の政治犯の扱いは自分にはまだ知識が無い。相馬大作事件は福神漬の命名由来を調べていて、鶯亭金升が先祖が歌舞伎の題材(檜山騒動)となった記述があって、何の事やら数年ほど判らなかった。ある時、御先手火付盗賊改の職の時に、相馬大作を捕縛し、刑死させた人だった。何事も先祖の不都合なことは詳しく書かない。
文政の三蔵・間宮林蔵・近藤重蔵・平山行蔵で平山の一番の門人が相馬大作であった。この三人はロシアの脅威を説いていた人でもあった。なお平山行蔵の門人格で勝海舟の父勝小吉が行蔵の事を書いている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする