年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

求人条件で茶髪・ネイル等の服装の自由化

2024年06月20日 | 宅老のグチ
デフレの継続のような経済指標の日本で関東のス-パ-等の求人条件で茶髪やネイルの条件を緩和した報道があった。さらに中国通の日本人が最近の日本のサ-ビスがコロナ前より悪くなったと嘆いていた。様々な報道でどれが事実か確認できないが、やはり35年の不景気から脱却する時期に来ている現象だと思う。今NHKの朝ドラを見ているが丁度昭和24年頃の話でようやく米軍の方針転換で極端な民主化を抑え、日本人による治安維持に向かっていて、左翼の激化を抑えるため、食の供給を増やしている時期で、25年に朝鮮戦争が始まると、兵站基地となった日本が復活してきた。今の日本はウクライナの戦争で物価高となってデフレ脱却の方向が見えてきた。ただ長い低迷は集団による意思決定の日本では決断の判断が遅く、農林系の金融機関が大損害となったようだ。でも先送りしないのはバブル崩壊の経験だろう。
 築地市場で45年も関係していて、浮き沈みを良く聞いた。また戦前の同業者の栄枯盛衰を見ていると、その時々の、いわゆる底辺層の様子が判ってくる。
 日本人の中国通の人の言い分は日本人のアルバイトのサ-ビスの質がコロナ以前と比べて悪くなったと感じるのは良いサ-ビスをしていた人が安いバイト料で値上げをしない経営者に黙って転職したと思われる。もしくは友達から激安のバイト料を馬鹿にされ、雇用主との賃金交渉をすることなく、適当な理由で職を変えたと思われる。前なら次の仕事を見つけるのに苦労した時代が35年続いた。そこで欠員になった所が激安給与でバイトを探しても、応募する人はやる気のない人しか来ないし、さらに接客教育をしても転職されるのが好景気の時代だった。築地の仕事は結構の頻度で場内転職がある。やる気のある人は目立ちスカウトされる。そこに学歴の重要性が無い不思議な職場だった。ただ遊びで早起きできない人は不向きで多くのやる気のある人は家に帰らず、築地で仮眠する。それゆえ酒気帯び勤務と酒気帯びタ―レ-運転となる。事故さえ起きなければ、無法地帯だった。今の豊洲は規制が厳しく酒気帯び勤務は減ったと思うが仕事上で昼から接待で酒を飲むこともある。高齢でも体力と商材知識を日々獲得する意欲のある人は90でも築地・豊洲で働ける。
 築地時代に場外市場で天秤棒に魚を入れて運んでいる人を見た時一瞬自分が江戸時代の風景を平成の時代に見たと思った。これも豊洲では消えたと思われる。広すぎて歩いて運搬することは出来ない。
 電動タ―レ-も運転免許証が必要で当然高齢者講習が必要となるので、ここが難関かもしれない。豊洲の市場は東京都の敷地で、事故等の処理は守衛所に届け出して後に警察扱いとなる。つまり私有地の事故扱いとなる。そこから行政の問題で感覚的には市場の自主管理という江戸時代の気風が残っていて、江東区の警察が市場内事故の多発で豊洲市場で取締りを試みようとしたが失敗した。一応道路には車線があるがフォ―クリフトやタ-レ-は得意先の車両の位置で逆行することもある。それゆえ暴走行為は時速10Kでも危険走行となる。ここにも世間の感覚と異なる世界がある。
コメント
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