年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

勝海舟記念館へ

2021年10月03日 | 宅老のグチ
大田区立勝海舟記念館の【開館2周年記念特別展】 開館2周年記念特別展「交差する主従 慶喜×海舟」へ行きました。(会期 : 9月17日~12月12日) 維新後30年間、慶喜と海舟の間では終わることなく続いていた「もう一つの幕末」の物語を、初公開資料の数々から紐解かれてます。
 明治17年の初代静岡県知事の 関口隆吉は勝海舟を暗殺しようとした人物ですが坂本竜馬の様に海舟によって開国派へ転向させます。関口は静岡県知事になると、投獄されていた清水の次郎長の釈放に尽力します。これは山岡鉄舟・天野愚庵(東海遊侠伝)などの力もあります。 

静岡県興津の清見寺には、『食人之食者死人之事』と書かれた咸臨丸殉難者の碑があります。この碑には榎本武揚の揮毫があって、後に咸臨丸でアメリカに行った福沢諭吉がこれを見てやせ我慢の説を発表しました。清見寺の駐車場に車を止め、寺に行くのですがJRの東海道線を超え、階段を上り寺に入ります。門の右手に碑があって、明治の物議の原因だったことを想い佇んだ。
 寺を出ると清水の町が見えるのですがこの碑が建った時代は眼前に太平洋が広がっていると思うと複雑な思いが出ます。敗者復活ということも必要だし、節を曲げないということも必要だし中々答えが出ない。

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