味の素食の文化センタ-へ一年ぶりに訪問した。以前よりまたコロナ対策が強化され、前は座席指定はなかったが、今はシ―ルドがあっても席を隔離し、座席位置でコロナの濃厚接触者を調べるようだ。さらに変わったのが以前は家政学系学生とライタ―の女性が目立ったが、図書室にいたのは料理人のような男性ばかりが雑誌を眺めていた。コロナ以後の出店を考えているのだろうか。
野田醤油35年史を出してもらい読む。大正時代の過当競争を避けるため、野田の醤油業者は統合した。35年史にはその経緯を詳しく書いてあった。キッコ-マンの百年史は35年史よりブランド統合の話は少ない。多くの社史は世間的に都合の悪い記事は少し触れるだけで、戦前の最大・最長期のストライキの事は記述は少ない。まだ35年程度では野田市の中では記憶に残っていてうまく書けなかったと思われる。この労働争議の後に町の融和としていろいろな施設が作られた。その中の図書館で叔父は勉強していたと思われる。どんな雰囲気だったのだろうか。
味の素の図書館で明治屋の社員向けの食品事典を眺めていた。平成の刊行で中を見ると福神漬が消えていた。奈良漬は残っていた。どうやら明治屋の中でも福神漬と会社史の関係は忘れている。ちなみに味の素は明治40年代のサッカリン事件で運よく巻き添えを回避した。味の素食の文化センタ2階にある田島技師の味の素の無害品質証明の日付が昭和だったので、明治の時代の発明だったので日付の件を質問した。味の素の人は知らなかった。多分紛失し、再発行したのだろう。田島博士は警視庁の食の技官で日本醤油醸造事件でサッカリン鑑定に活躍した。
昭和の味の素の再鑑定の必要性は何の事件だったのだろうか。社史には見えない。