年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

京急天空橋駅で羽田空港のシャチの大群を見る

2021年09月11日 | 宅老のグチ
歩いて多摩川河口から上流の羽村まで歩く計画を立てているが下調べで徒歩の無事を願いつつ、穴森稲荷からバスに乗って、六間通りを経由のバスに乗った。大回りとバスの運転手に言われたが暑いのでバスの中で観光しつつ羽田空港の回りを通過した。天空橋駅に近づくといつもなら広い羽田空港が目に入るのだが、大きなJAL・ANAのマークが入った海の王者シャチのような旅客機が多数駐機していた。優に20近い。コロナで飛ぶことも出来ずにいる。この風景が今の日本の観光状況を示している。
 マクドナルド環八大鳥居店が昨年8月1日に閉店となったところが建設工事が始まった。バスの車内なので建築案内板を見ていないので判らないがホテルかマンションだろう。ホテルだったらコロナの収束を期待しているのだろう。格安航空は早朝出発が多いので京急空港線沿線のホテルは需要は多い。
 京急空港線は穴森稲荷の参拝客需要から鉄道が始まった。同様の例は関東では川崎大師、池上本門寺の池上線、成田山新勝寺が京成成田線など多数の線路がある。これは多分阪急の小林一三の影響だろう。
 天空橋駅の脇の海老取川 に羽田空港と漁師町との間に橋が架かっている。これを弁天橋と言って、安保闘争の時はいつも学生と機動隊が橋のところで激戦していた。最後は大田区内の線路で石合戦をしていて、線路が駅付近のところがアスファルト舗装になった。今でも弁天橋付近は漁師町の雰囲気が残っていて、多くは空港関係の仕事をしている。ここから多摩川の散歩が始まる。

 9・11は飛行機がビルに特攻した記念日で、二機目がビルに特攻した時生中継だった記憶がある。あれから20年経ってテロは激しくなって、安保闘争が太平洋戦争の名残で今はテロとコロナ戦争の最中で過去の知見は役に立たず、かえって妨害しているように思える。それはアジア太平洋戦争のことが今の時代に対応できないからと思う。昔は女性が一線の戦闘員になることは稀だったが今ではイスラエルのように普通となりつつある。

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