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 年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

誤解の始まり

2007年06月24日 | 福神漬
明治27年12月31日読売新聞
商人の奸計
御用商人徒、軍事に託して思いがけない利益を得ようとする者がしきりに不正の行動をする由を聞いていたが、さきの名古屋丸にて戦地に送りたる缶詰の箱に過半大石を埋め合わせありと言えり。これを上納せし商人はまだ詳細は知るらねども製造元は東京○○町某であると聞いている。嗚呼姦商。

これだけの記事が年末に出た。田中正造全集第7巻によると陸軍に牛肉缶詰納入業者は明治27年10月では東京の業者のなかには大倉組があり、逸見勝誠(サンヨー堂創始者)の名は東京には無く広島にある。東京○○町某と報道され大倉組が大倉喜八郎と思われてしまったかも知れない。年明けに詳細の記事が出るのだが「姦商」の印象は消えなかったのであろう。
サンヨー堂85年史より

世間の風評で大倉喜八郎が日清戦争が終わった年の秋に福神漬の「缶入り」でなく「樽入り」を献納したのではないのだろうか。
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