年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

牛ミンチ事件と自衛隊の汚職

2007年06月23日 | 福神漬
昔も今も変わらない
石入り缶詰事件の顛末を調べていると,事件から100年以上も経過しているのに,平成の今にも同様な事件が起こっているとは、それは北海道の牛ミンチ偽装:豚肉混入事件だったり,自衛隊の後方支援の入札で陸上自衛隊の幹部自衛官が装備品の調達に絡み、納入業者から現金を受け取っていた事件だったりあまり進歩していない。
 奸商と購買の癒着は日清戦争時からあって,『死の商人』とわれた大倉喜八郎は弁解することなく、風評に対して黙していて,かえって自伝で『上野戦争』のときに彰義隊に監禁され、幕府方に鉄砲を売らないことを理由にしたものだったが、喜八郎は「前に銃を納めたときの代金が未納だ。横浜のガイジン相手に現金商売をやっている者の立場も考えてくれ。」と物怖じせず主張し、開放された逸話のみ強調されていたので、『石の缶詰』事件も何時の間に大倉組の仕業になってしまっても彼は言い訳していない。『サンヨー堂85年史』より
 しかし、石の缶詰事件はどうして大倉喜八郎と結びついたのだろうか。その答えは田中正造全集第7巻529頁に答えが書いてある。それは日清戦争時(明治27年10月)に合名会社大倉組が東京・大阪支店・広島支店で販売者になっている。40匁牛肉缶詰は297万個陸軍が買い上げているが、その内大倉組は約28万3千個、240匁牛肉缶詰は総数約100万個のうち大倉組(東京・大阪・広島)全体で9万個納入している。田中正造の演説と大倉組の陸軍への納入額が多いから風評が立ったのだろう。なお海軍は別の統計と思えわれるから輸入缶詰は更に大倉組から納入されていたかも知れない。
コメント
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