年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

明治28年1月3日読売新聞

2007年06月25日 | 福神漬
明治28年1月3日読売新聞
石塊入缶詰取調始末 〈要約〉
大本営掲示
昨年末の新聞報道にて,大連行きの名古屋丸に搭載の缶詰入り箱に過半に大石で埋めていることを発見した記事があるより、名古屋丸事務長は大本営に召還し事実か否かを問いただされた。名古屋丸の事務長の話では同船は12月20日宇品に於いて某部隊とその糧食品を積み,25日に大連に於いて本船より艀に積み替えの際に誤って3個取り落とし破壊した内一箱に上段に大石を詰下段に缶詰を入れてあった。その箱には東京大伝馬町1丁目山陽堂逸見勝誠と張り札があった。  云々とありその後の記事で宇品にある商品を調査して、途中ですり替えられたかどうか調査しているので結果が出るまで山陽堂の商品は購入の停止をしたことになった。

 後の調査で積み替え時に人夫によってすり替えが判明し、再度山陽堂の缶詰が陸軍に納入されることになった。当然調査の段階で入念なる検査をしたので信用は前より上がったという。この記事からどうして大倉喜八郎の「石入り牛肉缶詰」に風評が変わるのだろうか。悪質な意図があって、露骨に事実を捻じ曲げ記事を作っていったような気がする。戦前は大新聞と小新聞という言葉があってあって、小新聞はとにかく売れる記事を書かねばならないのである。明治時代の記事は今ではとても載らないような記事がたくさんあって販売部数競争をしていた。
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