年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

富貴楼のお倉 待合政治の元祖

2007年06月11日 | 福神漬
横浜富貴楼のお倉 鳥居民著から
明治の政治を動かした女
福神漬はどんな関係があったのだろうか。
過日、日本缶詰史の本を都立中央図書館で請求していた時、本が出てくるまでのほんの数分間時間つぶしのため書棚を眺めていた。そこには「横浜富貴楼のお倉」という本が目についた。たしか三遊亭円朝の落語「七福神詣で」に出てくる金持ちの富貴楼のお倉のことを思い出した。内容をよむと日本郵船の発足にかなり関係がありそうであった。
 幕末にアメリカに向かった咸臨丸の荷物には梅干・沢庵等の漬物しか積込まれておらず、郵船の船舶に当時としては高価な漬物「福神漬」がどんなきっかけで積まれたか解らなかった。
 浅田正文・横浜富貴楼のお倉・川田小一郎等は上野近辺に縁があり、しきりに売り込みを計っていた酒悦の野田清右門を助けた、彼の福神漬を積んだと思われる。
 郵船の福神漬は「上野・池之端・酒悦」のが積込まれていたと思う。「印度洋の常陸丸」の遺留物は酒悦の福神漬だった。従って最初にカレーライスに付いた福神漬は酒悦の缶詰福神漬だったのである。そしてそれは4号缶と思われる。

現在の日本缶詰規格
4号缶 内径7.4cm 高さ11.3cm 容量453ml
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