Tsuny'sブログ

老人が感じた日常生活を気ままに綴ったあれこれ

アンコール・ワットとアンコール・トム

2010-04-18 23:39:45 | 旅行
昨日のブログでカンボジアのアンコール・ワットに関連したことを書いたので、次々に思い出すことが沢山ありました。

1964年当時は外貨持ち出しが厳しく、この年やっと500ドル(1ドル=360円)上限で入手出来るようになったのです。

1960年にベトナム戦争が始まっていたので、バンコックからベトナム航空に乗ってカンボジアに入るのはどうかと思っていた頃でした。

日本の大手の旅行業者も、カンボジアの情勢に詳しくなく、一人旅の相談に応じるのも精一杯でしたから、冒険旅行みたいなものでした。

世間もアンコール・ワット観光なんて考える事は希だったのです。

1970年代の頃だったか、中学校の国語の教科書に「アジアのところどころ 1 クメール文明のおもかげ」という文章が3種の写真付きで4ページにわたって掲載されました。
ところが、驚いたことにその写真がデタラメなのでした。

間違った写真であっても、たいしたことはないとは思ったけれど天下の教科書だしなーと気にしないでいました。

どうせ教科書が次の改訂時期になれば、間違いがはっきりしているので、訂正されるのだろうと思っていたのです。

予想に反して、又々同じ印刷のまま掲載されたのにはあきれました。
?
    
アンコールワットと記載されていますが、アンコール・ワットから北へ約1.5kmにあるアンコール・トムバイヨン廟の写真です。
?
    
アンコール・トムとだけ記載されていますが、アンコール・トムという大都城の中にある寺院群の一つで「バイヨン廟」の写真です。

ここの前で時間をかけて絵を描いたので、よく記憶しています。

同じ文章の中に撮影角度の違う同じ場所の写真を載せたうえ、説明は間違いです。

もう1枚の写真も、スラ・スランの西側テラスの写真と思われますが「癩王のテラス」と記載されていたのです。

もう我慢ができずに、教科書会社に連絡しましたが、訳の分からない弁解はありましたが、教科書は次の改訂時期まで使われていました。

そのくらいにカンボジア情勢にうとい頃の日本でしたが、近頃のアンコール・ワットツアー募集のパンフレットの写真にも、アンコール・ワットとアンコール・トムのバイヨン廟との区別がはっきりしていないのもありましたよ。連絡したところ、すぐに対応して訂正印刷されたこともあったのです。

もう40年くらい前の話なので、時効だろうし笑い話なのですが、当時は教科書の他の写真にも疑念をいだき、調べてみたことがありました。