山形の森 保守醒論

山形から発信する内外の時評ブログ!

フジテレビのボロボロ国旗「日の丸」掲揚に思う。

2011-09-22 23:05:53 | Weblog
フジテレビへの韓流偏向放送に抗議するデモが繰り返されている。
そのなかで、9.19デモ行動の際に起きたボロボロ国旗(日の丸)掲揚問題について思うことがある。
まず、(ボロボロ国旗「日の丸」)を置いて、掲揚されている姿勢にはひとつの評価をしたい。
そこでフジテレビは、降納することなく長期間揚げっぱなしなのだろうかと不思議に思う。
降納することがあれば、破損状況は見ての通りで、取りかえることも施設管理として業務の範囲であろう。
また多くのフジテレビ社員が掲揚されている破損国旗(日の丸)に目を向ければ、当該部署に一報するなりの普段の心遣いがないものなのだろうか。
幹部、役員においても一切欠如しているとすれば、フジ社内全体のゾンザイな企業体質が見えるようである。
ブログ子の近くには山形県庁(国旗と県旗が掲揚)、市立山形一中(国旗と校旗が掲揚、バスケ大神雄子の母校)がある。
特に感心するのは、山形一中であり、平日(学習日)には掲揚され、休日には降納されるのである。
この作業を生徒がやるものなのか、職員がされているのかは解からないのだが、学校前を通る際によくできているものだといつも思う。
また近くの、民間ゼネコンの鹿島山形支店でも国旗と社旗を掲揚している。 さすがに、業界のリーダーだけあるなと、なぜか信頼と安心感を感じてしまう。
車両運転中ではなかなか目線が届かないが、歩いている時はできるだけ遠目に国旗掲揚がなされているものか、目をやる習慣がついてしまった。
公共施設や国内、県内の一流企業の社屋前では特に見入る。
国旗と社旗を掲揚しているとそれだけで会社全般の規律姿勢が感じられるものだ。
フジテレビの日の丸掲揚(ボロボロ国旗)には、形あれど心無しの思いを受け止めてしまう。
鹿内信隆社長がいた時なら、こんな不作法は決して許さなかったであろう。
また鹿内は、産経新聞創刊に際して「敢然と守ろう『自由』、警戒せよ、左翼商業主義!」を訴えている。
いまや、フジサンケイグループの雄となったフジテレビは「左翼商業主義」そのものではなかろうか。
フジテレビに日本のテレビメディアの堕落を見る思いがする。
ニッポンジンってバカでもいいかな!。 アカでもいいかな!。「いいとも~!」の惰声が聞こえてくる。
フジTV「いいとも、赤化隊」ジャリーズ事務所。
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そもそも、能無し、問題有りを選ぶから、クルクル代わることになる。日本国首相

2011-09-22 19:17:38 | Weblog
ニューヨークを訪問中の鳩山元首相は、野田首相が、国連総会に出席して外交デビューすることに関連して、「国民の代表がクルクル代わるようでは、(国際社会での)日本のプレゼンスが見えない」と述べ、1年で交代するような短命政権にしてはいけないとの考えを強調した。
鳩山は「私も含めて、大いに反省しなければならない」とも語った。
そもそも、能無し、問題有りの首相を選ぶから、結果としてクルクル代わることになる。
外国からルーピーと呼ばれ、戴く国民としても恥ずべき立場にあることを、鳩山はいまだに感じ取れていないのだろう。
ルーピー鳩を放し飼いにしている政府・民主党の姿勢も同様である。
先の民主党代表選挙で、鳩山グループ(40~50人)の最終行動判断で、鳩山会長に同意したものはわずかに3人しかいなかった。
ここで感じることは、鳩山グループに名を連ねる議員は、鳩山由紀夫の政治家器量、政治理念の共有などではなく、潤沢な鳩山マネー(子ども手当)目当ての寄合いであったと見るべきであろう。
政治資金規正法違反、所得税法違反として立件され、鳩山マネー分配が停止したことで本心がでたとも言えよう。
その愚かささえも気付かずにいるのだから、呆れるばかりである。
野田佳彦については、鳩山・菅両人よりはマトモで期待できると踏んでいたものだが、政権発足後の経過を見るに進まない内向きの八方美人なのか、の感がする。
岸信介元首相が政権人事について、「意見を聞くにはいいが、あとは『わしが命懸けでやる』といってさっと示せば、だれも反対できなかった。 反対すれば、したやつが批判される。」と語っている。
覚悟と信念を示せば為政者本意の人事ができる、と説いたものと理解する。
果たして野田首相は思いの人事権を行使できたものか疑問である。
これも所詮、政治家器量不足の露呈でしかない。
野田が細川護煕元首相を相談相手にしていることは致命的であろうと考える。
細川政権がやったことは政治改革と言う名の選挙制度改正(小選挙区比例代表)、コメの関税化措置の自由化など、もっとも問題なのは、訪韓での「植民地支配に加害者として陳謝」「戦争責任への言及」である。
過日、親しい古老(早稲田OB)と会食した際に、「東條英機の戦争責任」に触れた会話があった。
ブログ子は反論として、開戦時の首相である東條の責任よりも、そこまで急迫に至った近衛文麿前首相の大きな責任、後任に指名した木戸幸一内大臣書記官長の責任はより重いと考える旨を述べた。
さらには、近衛を戴き国家社会主義の大政翼賛会結成の先陣を切ったのは、日独伊三国同盟を推進し、南進論「米英撃つべし」の旗振りをした東方会の中野正剛ではなかったのかとも説いた(1938.中野がヒットラー、ムッソリーニに会いに訪欧した際、随行したのは東大新人会出身の岡上守道・朝日新聞ベルリン支局長であることも留意)。
なによりも近衛文麿も木戸幸一も京都大に学び、社会主義者・河上肇に私叔した訳であるから、当時の首相官邸内こそがコミンテルン分子(尾崎秀実ほか)を招来する素地が備わっていたものである。
細川護煕も祖父近衛元首相の責任を身内として言及するならまだしも、一国の首相として国民を背にしての発言は慎重であるべきものだ。
このような細川と気脈を通じていれば、行く末の政治的窮迫(投げ出し)は容易に想像できる。人事の結果、発足後の言行にいくつかの「細川性向」が見受けられる。
そもそも、日本国首相に能無し、問題有りを吟味しないで選ぶから、クルクル代わることになる。
「朱に交われば赤くなる」とはよく言ったものだ。
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