山形の森 保守醒論

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いわゆる「8.15、終戦(の日)」なる理解、国際法上は1952.4.28が正しい。

2011-08-14 18:56:47 | Weblog
毎年8月15日を迎えるにあたり、「終戦(の日)」、終戦特集なる語彙がごく普通に使われている。が、これは日本人だけの国内的な表現である。
正確には詔勅「玉音放送」された日である。
5日前の(1945)8月10日、御前会議で天皇聖断による「ポツダム宣言の受諾」を決定する(戦闘終結条件の受入れ・停戦)。
「(天皇)私の任務は、祖先から受け継いだこの日本という国を子孫に伝えることである。今日となっては、一人でも多くの日本国民に生き残ってもらい、その人たちに将来再び起ち上がってもらうほかに、この日本を子孫に伝える方法はないと思う。」 天皇が「ポツダム宣言受諾」の悲痛な思いを国民に直接語りかけたのである。
そして、9月2日太平洋洋上の米艦ミズーリ号船上で降伏文書に調印(休戦協定)、ここで正式な停戦、連合軍による占領統治に入る。
1949.10の(中国共産党)中華人民共和国建国宣言のころから、講和(戦争状態の終了)への機運が高まり、朝鮮戦争勃発(1950.6.25)を受けて、トルーマン大統領は(9.8)対日早期講和を承認した。
講和協議を重ねてちょうど一年後、吉田茂首相のもと(1951.9.8)サンフランシスコ講和会議で対日平和条約調印(48ヶ国調印、非調印はソ連・中国など6ヶ国)、翌9.9、日米安全保障条約調印も併せて為された。
翌1952.4.28午後10時30分、対日講和条約が発効(停戦・占領時代の終焉)され、国際法上の戦争状態終了(正式な終戦)となった。
発効時間(午後10時30分)はアメリカが4月28日を迎えるのを待たねばならなかったからである。
日本の8月15日は、天皇による日本国民向けの停戦受諾(ポツダム有条件)の詔勅で、9月2日から休戦(連合軍占領)、講和条約締結を経て、1952.4.28国際的に正式な「終戦(の日)」となったのである。
いわゆる「終戦(の日)」なる正しい理解と経緯を知れば、歴史的にも国際的にも日本の新たな正当性が見えてくる。
占領期に制定された日本国憲法(1947.5.3施行)は、国際法たるハーグ陸戦規則第43条違反とも解される。
繰り返すが、国際法上の戦争状態は1952.4.28まで(停戦中)継続していたもので、あくまでも休戦(1945.9~停戦・占領)であったと解釈されるのである。
従って、占領期における戦犯刑死も戦死と見なされ、靖国神社合祀の対象とされたものである。
また、8.23(東久邇内閣)最後の陸軍相に就任した下村定は「(敗戦ではなく)終戦と称して欲しい」と発言しているのも、日本人の国内的表現である。
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