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とつぜんSFノート 第31回

 コピーライター時代に某PR誌の取材旅行を3度した。1回目は四国2回目は中国地方だった。そして3度目は東北である。確か行ったのは5月の終わりか6月のはじめだった。梅雨入り前の最もきれいで良い気候の季節に東北地方を旅行させてもらった。行ったのは、宮城、岩手の2県。
 四国の時はレンタカー、中国地方の時はマツダ本社から借りたコスモ。いずれも小生がずっと運転した。小生、車の運転は嫌いではない。ではあるが、1週間ほど、ずっと運転というのはいささか疲れる。小生は運転好きではあるがラリードライバーではないのだ。
 東北特集では岩手県北バスが企画協力会社になっていたので、運転手つきで車を貸してくれた。車は日産ローレルだった。小生、人の運転は不安を感じるのだが、この時の運転手は通常は観光バスの運転をしているプロの運転手なので、非常に運転が上手で、安心して乗っていられた。
 運転しなくていいし、取材ルートの選定も岩手県北バスが先にやってくれていて、だまっていても順番に目的地まで連れて行ってくれる。移動に関しては非常に楽な旅行であった。
 伊丹からYS-11で花巻まで飛ぶ。しっかし、このYS-11、ちょくちょく乗っていたが、乗り心地の悪い飛行機であったな。ガタガタと振動するし、騒音がするし。ただし、プロペラ機だから、プロペラを一生懸命回して、精一杯飛んでいるという感じで、けなげでかわいい飛行機だったな。
 花巻に無事に着陸。空港では、岩手県北バスの運転手さんが待っていてくれた。前回、前々回はカメラマンと小生の二人旅だったが、今回は三人旅である。
 まずは食事ということで、花巻市内のホテルの和食レストランに入る。「そばはっと」なるものを食べる。どんなものだったか記憶が定かでないが、そば粉を練ったすいとんのようなものだったではなかったか。うまい。うまい食べ物だから、こんな贅沢なものは領民は食ってはならん、と殿様が禁じたとか。ご法度の食べ物。だから「そばはっと」という名になったとか。
 そば粉そのものがうまいのだ。普通のそばもいただく。驚愕した。ものすごくうまい。小生はそば好きである。出雲、出石、信州と、そばどころといわれている土地のそばはひと通り食べた。出雲は毎年のように、かの地で開催されるSFイベント「出雲SFコンパ」に出かけていた。出石は11月の新そばの季節には愛車インテグラを駆ってそば食いツアーを挙行していた。信州は親父の故郷で、なにかと行く機会があった。これらの地に行けば必ずそばを食べた。このような小生が、生涯で食べたそばで、一番うまいのはこの時の岩手のそばだ。
 食事の後、宮沢賢治の自宅であった羅須地人協会の建物を見学取材。建物の壁に小さな黒板が有って、「裏の畑にいます。賢治」とチョークで書いてある。妙にリアルだ。宮沢賢治はこんな字だったのかな。ま、チョークだからすぐ消えるだろう。実際は学芸員か係員が書いているのだろう。
 花巻で一泊。翌日の昼食はわんこそば。わんこそばなるものは、この時初めて食べたのだが、あれはものすごく人手がかかっている。調理するためではない。給仕に人手がかかる。2階の座敷で食べたのだが、1階の調理場から、階段を通って、2階の座敷まで、ずらっと店の人が並んで、そばを順々に手渡して行って、食べる人の前に立っている人が最終給仕者で、そばを椀に放り込むという次第。あらかじめゆでたそばを近くに置いてあって、それを椀に入れていたのではない。ゆでたてのそばを調理場からリレーして食べる人に運んでいるのだ。そばはゆでたてを食べるべきだからだろう。
 鳴子温泉郷へ移動。鳴子は秋の紅葉が素晴らしいとのこと。小生が訪れたのは深緑の季節だったが、緑の鳴子も美しかった。この美しい鳴子に松尾芭蕉のこんな句碑があった。
  
  蚤虱馬が尿する枕もと(のみしらみ うまがしとする まくらもと)
 
 芭蕉が辺鄙なこの地の山家に一夜の宿を取った。その晩は、ノミはいるシラミもいる。枕もとにまで馬が小便する音が聞こえてくる。と、いう意味だろう。芭蕉は奥の細道で、こう詠んだが、今の阪神ファンなら、さしづめこうだ。

 ブラ マートン、アライがヘタする タイガース

 鳴子はこけしが特産品。日本こけし館を見学取材。こけし造りの職人を紹介してもらう。紹介してもらった職人さんの工房にお邪魔して、こけし造りを取材する。その夜は温泉につかってくつろぐ。
 翌日、仙台市内に移動。仙台はさすが伊達さまのご城下。きれいな街だ。大きな都会でありながら、澄んだ感じがする。仙台市内周辺を取材。昼食は名物の牛タン。夕方、日本三景の松島へ移動。松島で一番大きなホテルを岩手県北バスが予約してくれていた。料理取材撮影。東北のうまいものをずらっと並べてもらう。3人ではとても食べきれない。翌日、仙台空港からYS-11に乗る。
 小生が仙台を離れてすぐ、宮城県で大きな地震。1978年の宮城県沖地震である。この時、仙台では震度5を記録した。神戸人の小生は、生まれてから大きな地震を経験したことがない。そんな大きな地震、怖いだろうなと思い、ぞっとした。まさかそれから17年後、神戸で震度7を経験するとは思いもしなかった。その阪神大震災から16年後、この東北の地を、未曾有の大災害が襲うとは想像すらしなかった。
 この時、小生が周った土地の多くは、東日本大震災で大きな被害を受けた。小生にとっても想い出の土地でもあるので、心が痛む。
 ずっと旅行につきあってくれた岩手県北バスの運転手さん、こけし造りの職人さん、料理取材にていねいに応じてくれた、松島のホテルの板長さん、その他、この旅行中に世話になった人たち。みなさんご無事でしょうか。みなさんのご無事を祈るとともに、かの地の1日も早い復興を心より強く願う。
 
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コメント
 
 
 
語るに足る時代 (まろ)
2012-05-25 15:25:32
このコピーライター時代のエピソードは何度読んでも面白いですね。
「語るに足る時代」があるというのはモノを書く上では大きな財産ですね。
私もそれは人並み以上にあると思いますが、なかなか語る技術が伴いません。
でも、いつかは・・・と思っています。
 
 
 
まろさん (雫石鉄也)
2012-05-25 16:02:35
私の「コピーライター時代」が「語るに足る時代」かどうかは本人たる私にはわかりません。
ただ、この時代の体験経験は、私だけのものであることは間違いありません。この「私の時代」を、人さまが読んで面白いかどうかは、読んだ人が判断することですね。
面白く読んでいただければいいのですが、私など未熟者で自信はないのですが。
 
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