雫石鉄也の
とつぜんブログ
とつぜんコラム№71 人類が変わろう
今年の夏は異常に暑かった。小生はどっちかというと、寒いのと暑いのでは暑い方が平気なのだが、さすがに今年は少々こたえた。
会社の業務で毎日正午の気温を記録しているが、神戸市兵庫区の勤務先の昨年8月の平均気温は33.8度。今年は33.9度。9月は昨年27.2度。今年は32.1度。8月はわずかの上昇だが、9月が大幅に上がっている。4.9度も平均気温が上がって30度を超えた。異常な残暑の暑さといえよう。
これは巷間いわれているように地球温暖化の影響だろう。今の勢いのCO2の排出を考えれば、気温が上がることはあっても下がることはないだろう。今年と同じ調子で平均気温が上がったとしたら、来年9月の神戸の平均気温は37度ということになる。9月なのに40度を越す日があるかも知れない。正に炎熱の9月ということになる。これは同じぐらいの平均気温の上昇としての計算だが、上げ巾が加速度的に上がると9月の平均気温が40度を越すかもしれない。9月でこれだから8月となるとどんな猛暑になるか想像するだに恐ろしい。日本は遠からず熱帯の国になるだろう。事実、西日本ではセミだけ見れば熱帯になっている。昔は西日本のセミの主流はアブラゼミだった。ところが今西日本で鳴いているセミはほとんどがクマゼミ。クマゼミは本来、もっと南のセミなのだ。
さすがにみんなこれじゃだめだというので、なんとか京都議定書を発効させたが、いろんな国のいろんな思惑があって、もひとつうまく行きそうにない。
地球の環境を考えているわけだが、これは人類にとって都合のいい環境なだけで、CO2が増えて温暖になった方が都合がいい生物もいるだろう。現実問題として、この文明を維持しつつ、地球の環境が人類にとって快適な環境を保っていくのは不可能だと思う。文明はこのまま環境は快適に。人類とはなんというわがままな生き物だろう。
考えてみれば人類が及ぼす地球への影響も地球の活動の一環なのだ。だから「地球にやさしい」などという言葉は実に思い上がった言葉なのだ。だからある意味、地球が温暖化するのは地球史の一こまにすぎない。温暖化防止などということは、地球から見れば地球史を捻じ曲げようとする行為であり、巨大な流れに立ち向かう蟷螂の斧のごとき笑止千万なことかも知れない。
と、いうわけで地球の環境の変化は人類ごときに止めようがないと思うが、人類とて快適に暮らしたいし、このままでは絶滅に瀕する恐れがある。では、どうするのか。人類が変わるのである。
いま、一生懸命処置が講じられているのは、地球の環境を人類にとって都合のいい状態に保つにはどうすればいいか。また、遠未来的には地球を都合よく改造するにはどうするべきか、と、いうことだ。これ、実に勝手な理屈といえよう。人類にとって都合がよくても他の生き物に取っては都合が悪いかもしれない。地球は人類だけのものではないのだ。
周りの環境を変えずに人類が変わればいいのだ。現存している生き物はそうやって生き残ってきた者たちだ。それができなかった者は絶滅していった。人類だけがこのことわりとは別の生き物であるとの保証はどこにもない。人類は確かに地球史上で初めて文明を築いた生き物だが、しょせんはたんなる霊長類。決して特別な存在ではない。
会社の業務で毎日正午の気温を記録しているが、神戸市兵庫区の勤務先の昨年8月の平均気温は33.8度。今年は33.9度。9月は昨年27.2度。今年は32.1度。8月はわずかの上昇だが、9月が大幅に上がっている。4.9度も平均気温が上がって30度を超えた。異常な残暑の暑さといえよう。
これは巷間いわれているように地球温暖化の影響だろう。今の勢いのCO2の排出を考えれば、気温が上がることはあっても下がることはないだろう。今年と同じ調子で平均気温が上がったとしたら、来年9月の神戸の平均気温は37度ということになる。9月なのに40度を越す日があるかも知れない。正に炎熱の9月ということになる。これは同じぐらいの平均気温の上昇としての計算だが、上げ巾が加速度的に上がると9月の平均気温が40度を越すかもしれない。9月でこれだから8月となるとどんな猛暑になるか想像するだに恐ろしい。日本は遠からず熱帯の国になるだろう。事実、西日本ではセミだけ見れば熱帯になっている。昔は西日本のセミの主流はアブラゼミだった。ところが今西日本で鳴いているセミはほとんどがクマゼミ。クマゼミは本来、もっと南のセミなのだ。
さすがにみんなこれじゃだめだというので、なんとか京都議定書を発効させたが、いろんな国のいろんな思惑があって、もひとつうまく行きそうにない。
地球の環境を考えているわけだが、これは人類にとって都合のいい環境なだけで、CO2が増えて温暖になった方が都合がいい生物もいるだろう。現実問題として、この文明を維持しつつ、地球の環境が人類にとって快適な環境を保っていくのは不可能だと思う。文明はこのまま環境は快適に。人類とはなんというわがままな生き物だろう。
考えてみれば人類が及ぼす地球への影響も地球の活動の一環なのだ。だから「地球にやさしい」などという言葉は実に思い上がった言葉なのだ。だからある意味、地球が温暖化するのは地球史の一こまにすぎない。温暖化防止などということは、地球から見れば地球史を捻じ曲げようとする行為であり、巨大な流れに立ち向かう蟷螂の斧のごとき笑止千万なことかも知れない。
と、いうわけで地球の環境の変化は人類ごときに止めようがないと思うが、人類とて快適に暮らしたいし、このままでは絶滅に瀕する恐れがある。では、どうするのか。人類が変わるのである。
いま、一生懸命処置が講じられているのは、地球の環境を人類にとって都合のいい状態に保つにはどうすればいいか。また、遠未来的には地球を都合よく改造するにはどうするべきか、と、いうことだ。これ、実に勝手な理屈といえよう。人類にとって都合がよくても他の生き物に取っては都合が悪いかもしれない。地球は人類だけのものではないのだ。
周りの環境を変えずに人類が変わればいいのだ。現存している生き物はそうやって生き残ってきた者たちだ。それができなかった者は絶滅していった。人類だけがこのことわりとは別の生き物であるとの保証はどこにもない。人類は確かに地球史上で初めて文明を築いた生き物だが、しょせんはたんなる霊長類。決して特別な存在ではない。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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日本国内では、1903年(明治36年)のマラリア患者数は20万人もいたのに、1935年(昭和10年)には3,000人にまで激減したそうです。ちなみに、北海道(←冷帯です。実際、明治35年1月25日の北海道旭川市の最低気温は氷点下41.0℃でした)でも、マラリアが流行していました。DDTが日本国内に普及する前ですので、激減したのは、おそらく、開発が進んだためでしょう。したがって、今の日本は、開発が進んでいますから、マラリアに関しては、それほど、心配する必要はないのではないかと、私は下記のサイトを読んで、考えました。
http://www.marusans.co.jp/home/sanitarnews/1999/08/02.html
勉強になりました。
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