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こわれざるもの 5

 この一週間は一行にとって生涯で一番多く電話やメールをした一週間だろう。シンコン2実行委員で、連絡をとれる者には可能な限り連絡を取った。
 アパートが全壊した裕子は二ヶ月城崎の実家ですごした。通っていた神戸市内のデザイン専門学校も全壊し再会のめどは未だにたっていない。母親に世話をやかれながらなにもせず、ただボーとしていた。一行とだけは毎日電話でしゃべっていた。神戸は壊滅した。
 震災後二ヶ月。一行からシンコン2をなんとか開催したいので実行委員会を再開するとの連絡を受けた。 
 事務局のマンションも全壊した。実行委員会の会合に使っていた六甲道の勤労会館も全壊。神戸市内で会合のできる適当な場所はない。神戸をはじめ、芦屋、西宮、尼崎などの阪神間の街は軒並み地震の大きな被害を受けた。一行はやむなく大阪の梅田に集合をかけた。
 日曜日の梅田。阪急梅田駅の下、紀伊国屋書店の前。大型テレビビッグマンの前。梅田で一番の待ち合わせ場所である。着飾って仲良く肩を並べて歩く若い男女。京都にでも行楽に行くのか、阪急の改札に向かう家族連れ。みんなうきうきと楽しそうである。多くの人々が行き交い街は華やいで見える。ここは別世界だと一行は思った。神戸からほんの二〇キロほど離れただけでまったく違う光景がそこにある。
「みんな来るかしら」
 裕子が聞いた。少し心配そうだ。
「来るゆうてたで」
「みんな地震でSF大会どころじゃないのでは」 
「そしたらワシと裕子と二人でやろう」
 一番最初に久美子が来た。続いて坪田、山脇が現れた。結局全員で十一人集まった。
「どこ行こ」
 山脇が一行に聞いた。
「これだけの人数が座れて長居できる喫茶店を知らないかしら」
 裕子がみんなに聞いた。
「海外SF研究会の連中が会合に使っている『レイ』という喫茶店があるけど」
 久美子がいった。
「いや、あそこは海外SF研の連中でいっぱいで、その上ワシらがおしかけ長居すると店に悪い」
 そういうと坪田は少し考えた。
「OS劇場の近くに『ホワイトローズ』という喫茶店がある。確かあそこに会議ができるようなスペースがあったはずやが」
 坪田の提案にみんな賛成した。
 梅田OS劇場の一筋東側に「ホワイトローズ」があった。その店の地下に大きな楕円形のテーブルが設置しているスペースがある。二〇人程度の会議ができる。十一人全員が席に着いたところで一行が口を開いた。
「シンコン2をやろう」
 一同が顔を見合わせた。一行から連絡をもらった時点で彼の考えていることは分かっていた。それでもこうはっきりと本人の口からいわれると少しは驚く。
「押さえていた会場のイベントシアターは全焼。事務局も全壊。神戸の街は壊滅。こんなんで神戸でSF大会ができるわけないやろ」
 坪田がいった。怒ったような口振りだが悲しそうな目だ。
「会場は探せばいい」
 一行はきっぱりといった。言葉に気迫がこもっていた。
「おれも坪田さんと同じ意見や。神戸でSF大会はむり。どうしてもSF大会をしたかったら神戸以外の都市で会場を探そう」
 山脇が坪田に同調した。
「どうしても神戸でやりたい」
「ファングループ連合会議に大会返上の連絡を入れたんやろ。それに事務局のマンションが全壊して参加者さえわからないのでは」
 この坪田の意見に異を唱えて一行の味方が口を開いた。久美子である。
「連合会議にはまだ連絡してないわ。参加者名簿はわたしがバックアップのフロッピーを自宅に保管してある。わたしは高津君に賛成。シンコン2をやりましょう」
「会場と事務局はどうする」
「神戸は壊れてないわ。神戸で探しましょう」
 裕子は強固な意志を秘めた言葉をみんなに投げかけた。場の雰囲気がだんだんと変わってきた。
「高津と山沢さん二人でもやるんやろ」
 坪田が一行に聞いた。
「やります」
「しかたないな。どうするみんな」
 最年長者の坪田のこの問いかけが、どうするか迷っていたメンバー全員の決心を促した。
「わたしは二人といっしょにやるわ」
「おれもやるよ」
 久美子に引き続いて山脇も賛成にまわった。こうなればメンバー全員が賛成となった。
「それではシンコン2を今年の夏神戸で開催するということで」
「賛成」
「地震なんかには負けない」
 一行は自分自身にいい聞かせるようにつぶやいた。
 実行委員会は神戸で適当な会場が見つかるまで「ホワイトローズ」で行うことになった。事務局も大阪で探す予定だ。
「それではシンコン2の新たな出発と成功を祈って」
「そして神戸の復興も願って」
「乾杯」
 阪急三番街二階の居酒屋「あせんぼ」に実行委員会を終えた面々が顔を揃えている。神戸で実行委員会をやっていたころは生田神社近くの「あけび」で二次会をしていたが、生田神社周辺は地震で全滅した。この「あせんぼ」は大阪に通勤している坪田が行きつけにしている店だ。場所がら平日の夜は会社帰りのサラリーマンが多いが、休日の夜は行楽帰りやデート帰りの若い客が多い。グループの客も多い。
「まあ飲め」
 坪田が一行にビールを注ぎに来た。
「お前が神戸でSF大会をやりたいのはわかる。しかし今の神戸には適当な会場はないぞ」
「わかっています。でも、神戸以外でやると地震に負けたみたいでイヤなんです」
「地震に負けてもしゃあないやんか」

 地下鉄阿波座駅近くのマンションに事務局に適当な部屋があった。山脇が知り合いに教えてもらった物件だ。
「家賃は月十二万。敷金三十六万。2DK。場所は地下鉄阿波座から歩いて五分」
「で、山脇くん見てきたの」
 久美子が聞いた。
「見てきた」
「どうだった」
「階は二階。部屋はきれいやった。まわりはビジネス街」
「一階は。SF大会の事務局になるんやから大勢の人間が出入りする。しょっちゅ一階に怒られるんはいややで」
「一階はコンビニです」
「そうか。そら便利でええな」
 机、椅子などは坪田が自分の会社の中古をもらってきた。炊事用具は久美子が文房具の類は裕子が。その他事務局で必要な備品は極力委員会のメンバーが金を使わずに調達してきた。パソコンだけは日本橋で新品を購入した。金は坪田が出した。そのかわり大会が終われば坪田の私物となる。
 事務局は開設できた。最初の仕事はプログレスの発送。SF大会開催予定地で巨大地震が起きたのだ。参加申込者は本当に大会が開催できるのか不安を感じているに違いない。一刻も早く実行委員会から連絡を送って不安を解消してやる必要がある。次に早急に会場を確保しなければならない。会場が決まらないと広告が打てず参加者をこれ以上増やすことができない。
 幸いなことにキャンセルする人はほとんどいなかった。「地震に負けずにがんばってください」と、励ましの便りをくれる人もたくさんいた。中には義援金だといって、参加料以外にお金を送ってくる人もいた。実行委員会はそれらの人たちに大いに力づけられた。
「タイムリミットを設けよう」坪田がいった。
 ホワイトローズに集まるメンバーも、実行委員会再開直後は少なかったが、最近は震災以前のメンバーのほぼ全員が復帰した。
「高津が神戸でSF大会をやりたいという意志は尊重したい。しかしいつまでも会場が決まらないままではあかん。で、今月いっぱいで会場が決まらなければ神戸以外で探す。これでどうや」
「ぼくは賛成」
 山脇が手を挙げた。
「そうなったらシンコンという名称は使えませんね」
「そういうことになるな」
 そういいながら坪田はみんなを見渡した。ここにいる実行委員全員はシンコン2をやるということで集まったメンバーだ。それが突然、自分たちがやる大会がシンコン2ではなくなった。たんに名称だけのことではあるが、そう簡単にはわりきれない。
「あのう」
 実行委員で一番若い矢本が口を開いた。
「大阪でやってもシンコン2といってもいいじゃないでしょうか」
「それはダメ。神戸でやるから神コンなのよ」 裕子が反対した。
「でもSF大会の愛称は地名に関係ないもんもあるんでしょう。例えば大会内で結婚式を挙行して新婚という愛称にしたらどうでしょう」
 矢本が裕子に食い下がった。
「それじゃたんなるダジャレじゃない」
「おもしろい。SF大会で結婚式をやってもらう。企画書に書いておこうな」
 山脇がいった。
「確か一九八三年のエゾコン2で挙式したカップルがあったぞ」
 坪田が一行を見ながらいった。
「どうや高津。もし神戸で会場が見つからなかったら矢本のいうとおりにしたらええんちゃうか」
「ぼくは神戸でやらないのならシンコンの名称にこだわりません。ダイコンでもかまいません」
「それじゃ高津。実行委員長として決断を」
「わかりました。今月中に会場が決定しなければ神戸以外でも会場を探すということで」
 
 あたりに梅の芳香がただよう。この梅園はころあいの大きさ。狭すぎず広すぎず。この規模にしては梅の種類は多い。阪急岡本駅から歩いて一〇分。一行と裕子は、いま、岡本の梅林にいる。久しぶりに二人だけでデートを楽しんでいる。
 神戸の街が見渡せる。ブルーシートで覆いをした屋根がまだまだ目立つ。
「行こうか」
「うん、行こう」
 三宮で阪急を降りてフラワーロードを南へ。神戸市役所の横を通り過ぎて税関の前まで来る。そこを海岸通りを西へ。赤い鼓型の塔がある。ポートタワーだ。そこが神戸港の中突堤。一行と裕子は中突堤のビルの一室に入って行った。
「なんとかできそうじゃない」
「そやな。裕子」
「うん」
「なんかうれしいからちょっと贅沢な夕ご飯にしよか」
 二人は南京町で夕食を食べて帰った。

 船は完成間近の明石海峡大橋の下をくぐり抜けた。瀬戸内海の海面が真夏の午前の光を受けてキラキラと輝いている。うねりはほとんどない。甲板に七〇〇人の参加者が集合している。デッキの一段高い所に一行が立った。
「それでは、ただいまよりシンコン2を開催いたします」
 レストラン船「キヨモリ」神戸発展の基を築いた神戸の恩人平清盛の名を取った「キヨモリ」は午前九時に中突堤を出航した。
「キヨモリ」は一〇〇〇人の乗客を受け入れることができる。しかしそれはレストランの客としての定員。この船一隻借り切ってSF大会のようなイベントをやるには七〇〇人がリミット。最終的一二三五人の参加申し込みがあった。抽選で七〇〇人に絞った。阪神大震災という大きな理由があるのでファンダムの納得は得られた。
 船は九州の別府まで航行。別府で一泊して神戸まで帰ってくる。その二日間船内でSF大会が行われる。

 二〇〇〇年十二月。二十世紀も終わろうとしている。一行、裕子、そして三歳になった息子浩一の三人はJR元町駅を出た。国道二号線の信号の所にはかなりの人が信号待ちをしている。信号を渡ってしばらく歩くと大丸。そこにはすでに列ができている。小一時間列に並ぶと旧居留地の通りに出る。光のゲートがあった。神戸ルミナリエ。震災で亡くなった人たちへの鎮魂の光である。
「ひょっとするとぼくも死んでいたかもしれない。浩一も生まれてなかったな」
 一行は浩一の頭をなでながらいった。
「でも、ボクここにいるよ」
 浩一がいった。
「そうね。あなたは生きているのよ。地震で壊れた神戸でSF大会をやったわ」
「いいや神戸は壊れてない」 

                              (終) 
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