雫石鉄也の
とつぜんブログ
とつぜんSFノート 第19回
今もそうだが、SFの例会をやって1次会だけで帰ることは、まずない。必ず二次会三次会まで行く。創作研究会の例会は、大阪市立北市民教養ルームと、大阪駅前第1ビル地下の喫茶店マズラでやっていた。両方とも梅田である。関西で一番の繁華街だ。飲む所には事欠かない。例会はアルコール抜きだが、二次会はもちろん飲む。小生は神戸在住で、創研の例会は梅田、この当時は勤務先は神戸だったから、梅田では酒を飲むことがほとんど。だから昔は、梅田をしらふで歩いた記憶があまりない。
どんな店に飲みに行っていたかというと、みんなそんなに裕福ではないから、高い店には行かない/行けない。スナック、バーなんてとこにはあまり行かなかった。たまに眉村さんに連れて行ってもらったことがあったかな。
行く店は、もっぱら赤ちょうちんがぶら下がっている店だ。一番よくいった店は正宗屋か松屋だった。どちらも典型的な大衆居酒屋で、実に気楽に飲み食いできる。場所は阪急東通り商店街だったと記憶する。あれから行ってないから記憶違いかも知れない。
飲むのはもっぱらビール。寒くなると燗酒も飲む。アテはごくまっとうなもの。関東煮の盛り合わせ、天ぷらの盛り合わせ、焼き鳥なんか。焼き鳥はズリがお好みだ。小生は鶏の空揚げが好きで必ず注文する。それに忘れてはならないのが、ドテ煮こみ。牛のスジ肉を味噌で煮たもの。
松屋と正宗屋。正宗屋の方がよく行った。必ずといっていいほど2階の座敷に上がった。店の人も小生たちを覚えていてくれて、小生たちが座るスペースを開けておいてくれた。
お仲間と、酒を酌み交わしながら、話題はもっぱら小説の話だった。そして出た話。この中でプロの作家になって、直木賞候補になれば、ここ、正宗屋の2階に集まって連絡を待とう。受賞が決まったら、みんなで祝杯をあげよう。と、いうことになっているのだが、残念ながら、早川のコンテストで入賞した者はいるが、プロの作家になった者はいない。当然、直木賞候補になった者もいない。谷甲州が日本に帰ってきた時、ちょこちょこ一緒に飲んだが、彼はプロの作家になった。直木賞ではないが、新田次郎賞を受賞した。
創作研究会の例会二次会で、みんなともよく飲んだが、個人的に、二人で一番よく飲みに行ったのが柊たんぽぽ。柊さんと小生は歳も同じで、二人でよく飲んだ。二人の時は松屋でよく飲んだ。確か、松屋は曽根崎小学校の裏手にあったと記憶する。ここでも、空揚げ、ズリで飲んでドテでしめるというパターン。お金があるときは、亀すしで鮨を食べた。それから、確か兎我野町にあったと思うが、「かかし」という居酒屋があった。店の入り口にD51の蒸気機関車があって、中は古い農家。どこかの古民家を移築したものと思うが、かなり古い農家の内部で、百姓一揆前夜という雰囲気のインテリアだった。この店のおにぎりは巨大だった。
もう一人よくいっしょに遊んだのが原戸丈二だった。彼と毎年のように行っていたのは、兵庫県立近代美術館で開催していたアートナウという美術展。近代美術館は神戸市立王子動物園の南側にあった。今は、県立美術館は海に近い方HAT神戸に移転した。それはそれとして、こんな海の近くでだいじょうぶだろうか。津波が来ても収蔵品を守れるのだろうか。津波ということを考えると元の王子動物園の南のほうが安全なのでは。
近代美術館は今は「原田の森ギャラリー」となっている。この県立近代美術館で70年代後半、「アートナウ」という企画展が開催されていた。新人の美術家の登竜門の企画展で、熱気あふれる実に好企画の美術展だった。一度、90年代に復活したが、70年代ほどの熱気がなくてがっかりした。
どんな店に飲みに行っていたかというと、みんなそんなに裕福ではないから、高い店には行かない/行けない。スナック、バーなんてとこにはあまり行かなかった。たまに眉村さんに連れて行ってもらったことがあったかな。
行く店は、もっぱら赤ちょうちんがぶら下がっている店だ。一番よくいった店は正宗屋か松屋だった。どちらも典型的な大衆居酒屋で、実に気楽に飲み食いできる。場所は阪急東通り商店街だったと記憶する。あれから行ってないから記憶違いかも知れない。
飲むのはもっぱらビール。寒くなると燗酒も飲む。アテはごくまっとうなもの。関東煮の盛り合わせ、天ぷらの盛り合わせ、焼き鳥なんか。焼き鳥はズリがお好みだ。小生は鶏の空揚げが好きで必ず注文する。それに忘れてはならないのが、ドテ煮こみ。牛のスジ肉を味噌で煮たもの。
松屋と正宗屋。正宗屋の方がよく行った。必ずといっていいほど2階の座敷に上がった。店の人も小生たちを覚えていてくれて、小生たちが座るスペースを開けておいてくれた。
お仲間と、酒を酌み交わしながら、話題はもっぱら小説の話だった。そして出た話。この中でプロの作家になって、直木賞候補になれば、ここ、正宗屋の2階に集まって連絡を待とう。受賞が決まったら、みんなで祝杯をあげよう。と、いうことになっているのだが、残念ながら、早川のコンテストで入賞した者はいるが、プロの作家になった者はいない。当然、直木賞候補になった者もいない。谷甲州が日本に帰ってきた時、ちょこちょこ一緒に飲んだが、彼はプロの作家になった。直木賞ではないが、新田次郎賞を受賞した。
創作研究会の例会二次会で、みんなともよく飲んだが、個人的に、二人で一番よく飲みに行ったのが柊たんぽぽ。柊さんと小生は歳も同じで、二人でよく飲んだ。二人の時は松屋でよく飲んだ。確か、松屋は曽根崎小学校の裏手にあったと記憶する。ここでも、空揚げ、ズリで飲んでドテでしめるというパターン。お金があるときは、亀すしで鮨を食べた。それから、確か兎我野町にあったと思うが、「かかし」という居酒屋があった。店の入り口にD51の蒸気機関車があって、中は古い農家。どこかの古民家を移築したものと思うが、かなり古い農家の内部で、百姓一揆前夜という雰囲気のインテリアだった。この店のおにぎりは巨大だった。
もう一人よくいっしょに遊んだのが原戸丈二だった。彼と毎年のように行っていたのは、兵庫県立近代美術館で開催していたアートナウという美術展。近代美術館は神戸市立王子動物園の南側にあった。今は、県立美術館は海に近い方HAT神戸に移転した。それはそれとして、こんな海の近くでだいじょうぶだろうか。津波が来ても収蔵品を守れるのだろうか。津波ということを考えると元の王子動物園の南のほうが安全なのでは。
近代美術館は今は「原田の森ギャラリー」となっている。この県立近代美術館で70年代後半、「アートナウ」という企画展が開催されていた。新人の美術家の登竜門の企画展で、熱気あふれる実に好企画の美術展だった。一度、90年代に復活したが、70年代ほどの熱気がなくてがっかりした。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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いいですね。
いつまでも楽しい思い出が残るのは自分の財産だと思います。
私は下戸なので 本当にウラヤマシイ。
馴染みの居酒屋さん、熱燗にアテがいいなぁ。
ほどよく酔いがまわって、好きなだけ話をする。
気持ちいいでしょうね。
そういう時間が大切だとわかるのはそういう時間を
持ったことのある人だけです。
私も、今は持てなくてもこんな楽しい時間を持ちたい
と思ってがんばります。
今も、しょっちゅう、お仲間と飲んでおります。
ありがたいことだと、自分でも思っております。
神戸の震災の際は大変だったこととお察しします。チャチャヤングの第二集を探しましたら2冊出てきました。1冊お送りします。あと、南山鳥27さんにはいろいろと連絡等で面倒をみていただいたので、あの個性的な文字のお手紙も発見できました。第2回の定例会には私も大阪へ伺ったので、そこで雫石さんとも同席しているようです。原戸さんとは眉村さんが案内してくださったスナックへの道中、アメリカンコミックの話をしたのを覚えています。
再びお会いできた僥倖に感謝いたします。資料を整理して、出席者のリスト等をまたコメントさせていただきます。今日ははこのぐらいにします。
皆さんによろしくお伝えください。
そうですね。あれから40年たったんですね。
私も、いろいろありました。小川さんもどうかご自愛ください。
眉村さんをはじめ、大熊宏俊さん、SAさん、宇井あきおさん、妹尾俊之さん、聖亜仁伊さん、寺方民倶さん、小野霧ゆたかさんたちとは、今も交流がありまして、時々、お会いして、お酒を飲んだりしています。
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