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9月28日(金) 術と道

 日本人はなんでも「道」にしたがる。柔術が柔道に。剣術が剣道に。闘茶が茶道に。西洋が発祥の野球まで野球道とかいったりする。なにごとも精神性を重視したがる国民性の現れといえよう。
 例えば、昔のスポ根マンガのコーチの言葉はどんなジャンルでも入れ替え可能。「××は△△ではない。心だ」柔道マンガでは「柔道は技ではない心だ」
相撲マンガでは「相撲は力ではない心だ」別にスポーツマンガでなくとも「料理は技術ではない心だ」、と××と△△にいろいろな言葉を代入するだけで、それぞれの競技の真髄がいいあらわせる。だから「心、技、体」のうち「心」が最も重視される。朝青龍の問題にしても「技、体」はだれからも文句は出ない。「心」の面で問題があるとされるから、あれだけ非難されたのだろう。
 さすがに今ではそうではないが、かって日本人は精神力は万能だと思っていた。極論すれば、精神力だけで戦争に勝てると思って太平洋戦争に突入したわけだが、物量と国の基礎体力に勝るアメリカに負けた。日本の軍隊は実際に戦闘にあたる正面装備を重視し、補給、兵站、後方支援を軽視していた。そのことが結果として命取りになったわけだが、軍指導部の心の奥に弾がなくなっても精神力で敵を倒せると思っていたフシがあったかも知れない。
 では「道」を極めた達人と「術」を磨いたチャンピオンではどっちが強いか。これは残念ながら「術」の方が強い。先の柔道の世界選手権で女子はなんとか面目を保ったが男子は惨敗。1本を取る柔道がポイントを取るJUDOに負けたのだ。また400戦無敗の最強の挌闘家は柔道家ではなく、グレーシー柔術の柔術家なのだ。弓道を極めた弓の達人とアーチェリーのオリンピック金メダリストでは、たぶんアーチェリーのメダリストの方が命中率は高いだろう。
 いや、「道」の極める者は勝ち負けにこだわらない。そのようなものを超越した次元の高い世界を目指すのだ、といういい方もある。こういわれると勝った負けたといって騒いでいることがとても卑小なことのように思える。また、負け惜しみにも聞こえる。
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