雫石鉄也の
とつぜんブログ
トキワ荘の青春

監督 市川準
出演 本木雅弘、鈴木卓爾、阿倍サダオ、さとうこうじ、大森嘉之、古田新太
トキワ荘。あの伝説の漫画家の梁山泊ともいうべきアパート。手塚治虫、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫、つのだじろう、水野英子。昭和の漫画を創った人たちが住んでいたアパートである。見た目はごく普通の木造アパートである。しかし、もし、このトキワ荘がなかったら、戦後の漫画はなかったかも知れない。
最初は手塚治虫が住んでいた。そこに若い漫画家の卵たちが手塚をしたってここにやってきた。先日読み直した「鉄腕アトム」にも、手塚自身が、「ここは赤塚に、あそこは石森に手伝ってもらった」と記していた。
手塚は、このころはすでに第一線の売れっ子だったので、ほどなくトキワ荘を出て行く。このトキワ荘の漫画家たちのリーダーとなったのが寺田ヒロオ。小生(雫石)も子供のころ、少年サンデーに連載されていた寺田の「スポーツマン金太郎」や「背番号0」を読んでいた。
年長の寺田は、若い石森や赤塚の相談相手となり、良き兄貴分となって若い漫画家を支える。そうして、藤子=「海の王子」か、石森=「サイボーグ009」?赤塚=「ナマちゃん」これは映画でそういう描写があった。若い漫画家たちはそれなりに売れていった。しかし、寺田は「漫画は健全で明るくあるべき」との信念から、時流に乗れず/乗らず、漫画の第一線から身を引いていく。
画面は暗く、静かなシーンが多く、決して心うきたつ映画ではないが、昭和の漫画で育った小生には、たいへん興味深く見れた。おさえた演出はドキュメンタリーを観ているようで、タイムマシンに乗って、あのトキワ荘に忍びこんだよう。
ラスト、少年たちの野球を寺田が見ている。ボールが転がってくる。ボールを取りに来た少年の背番号は0だった。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« イカとタラの... | 私学の小学校 » |
残念ながら世代の差で寺田氏を知りません。
私は、さいとうたかお氏や平田弘史氏、白土三平氏など、関西の貸本文化から生まれた劇画家が好きなので、どうしても「トキワ荘グループ」に評価がきつい!
でも信念を貫いて去っていった人に敬意をしたいです。
「明るく健全であるべき!」
それはそれで傾聴に値すると思います。
私は全く賛成しないけど、それでも己のマンガ道を歩いた一人のマンガ家がいた事を評価したいので、この映画はみます。
兄貴分として住人達を温かく見詰め、そして漫画に付いては確固たる考えを持った上で、自分を曲げる事が出来なかった寺田氏。或る意味、非常に不器用な方だったのだと思います。そんな優しい兄貴が、晩年は世捨て人の様な生活をし、望んで死を受け容れた様な最期だったというのは、何とも遣り切れない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E7%94%B0%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%AA#.E7.95.A5.E6.AD.B4
又、森安氏の晩年にも、堪らない思いを持ってしまう。嘗ての仲間達が華々しい活躍を見せる中、必死で自分の作品を世に出そうとしていた彼の胸中はどんな感じだったのか。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E5%AE%89%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%82%84#.E4.BA.BA.E7.89.A9
私は劇画も好きですが、寺田のいう健全な漫画もあってしかるべきだと思います。
才能というモノの残酷さがよく判る映画でしたね。
寺田も森安も漫画の才能はあったのではないでしょうか。ただ、時流に乗り切れなかったわけですね。
私も、寺田の最期を知って悲しくなりました。
※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。