雫石鉄也の
とつぜんブログ
仁義なき戦い 頂上作戦

監督 深作欣二
出演 菅原文太、金子信雄、加藤武、小林旭、梅宮辰夫、松方弘樹、小池朝雄
シリーズ四作目である。このシリーズの主役は菅原演じる広能昌三だが、この四作目での広能は影が薄い。本作で異彩を放っていたのは、二人の親分さんだ。金子の山守組長と加藤の打本組長。この二人の怪演が、この本作を実に可笑しい映画としている。
山守は5作全作に出ているが、この組長の存在が広島と呉に血の雨を降らせることになる。いわば「仁義なき戦い」シリーズの諸悪の根源ともいう人物。じつにこすっからく、ずるく、ケチで、それでいて小心者。でも能力はあるらしく、広島の極道の頂点に立っている。この山守組長は、全5作を貫いている、いわば串カツの串の役割を果たしている。「仁義なき戦い」を具現化するキャラクターではないか。山守には仁義もクソもない。このシリーズの真の主人公は広能ではなく山守ではないか。
もう1人、特筆すべき組長さんが出てくる。加藤演じる打本組長だ。臆病、優柔不断、どっちつかず、脅しに弱い。とても暴力団の組長とは思えぬ人物。それでも何人かの組員をかかえる組のボス。この組長のキャラクターが実にいい。常に困った顔をしていて、ぼやき言葉を吐く。実に滑稽。打本組長にとってはなにより大切なのは自分。組でも組員でもなく自分が大切。
「ウチの若いもんがあんたんとこにカチこみに行く」なんて敵対する組に電話したりする。こんな組長どこにいる?
別に暴力団の抗争だけではないが、組のエライさんはコソコソしてるのに、はねっかえりの若いもんが血気にはやって殺し合いをする。この映画のサブタイトルの「頂上作戦」は、一般市民が抗争の犠牲になって、警察が本気になって取り締まりをはじめた。組のトップ組長クラスをびしびし逮捕する。だから「頂上作戦」というわけ。山守も打本も逮捕された。山守は1年と少しの刑期という軽い刑。打本は刑務所に入れられて安心する。
コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )
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「あんた、極道なんかいな、それともそこらへんのタクシー屋のおっちゃんかいか!」
と怒鳴りつける場面は、シリーズの最高場面のひとつでしょうね。
さすが米朝師匠と親交のあった名優です。
大薮を読み返すと、「黒豹の鎮魂歌」「長く熱い殺し」「東名高速に死す」
などなど、頂上作戦が背景に来る話 が多いです。山野組=山口組が70年安保でスチューデントパワーの鎮圧に必要であるので
偽装解散を進めるなか、対立組織が警察にガシガシと逮捕されてガタガタになる。
実はそれは田中角栄と福田?
の権力闘争が背景にあって、山口組は勝者の番犬(番犬は警察か?じゃ、ケルベロス)
だった為に、頂上作戦が彼らの勢力を拡大する事になった…
ということらしい。
大下英二氏の「トップ屋魂」を読んでいるのですが、昔の週刊誌は迫力があったなあ…記事も連載小説も。
この頃の大薮や、仁義みたいな
粗い非芸術系のバイオレンス作品は!実は新聞やTVが伝えない時代の現実を描いていたのだと気がつきました。
娑婆、外道、往生…広島って言うと浄土真宗が…命のやり取りまで発展しかねない稼業の人達だから、案外に信仰心が深いのですかね?
信仰心が深いならヤクザなどしないか?
いやいや、親鸞は「悪人正気」と言ってますから。
あれ、親鸞って浄土宗だったっけ?
私はクリスチャンなので、仏教の事は良くわかりませんが…
でも日本語の台詞だから、聖書を引用するよりも、漢字の仏教用語の方が迫力がある気がいたします。
仏教用語は面倒です。
ところで、この間、角川映画の「天と地と」を見ておりましたら、敬虔な事で知られる上杉謙信の軍が、
オンベイシラマンダラソヤカ…と唱えながら霧の中を進軍してくるシーンがありました。
なんだそれ?
エロエムエッサイムか?
全然、仏教っぽくない!
やっぱりここは、「往生せいや!」だろうと思うたのですが、
何とサンスクリット語だそうで。
あーそうか、私らが知る仏教用語って、漢字に還元された中国渡来のものだったのですね…
ヤクザが真言を唱えながらチャカを撃っても迫力は感じないたろうなあ、不気味だけど。ヤクザ映画は漢字発音(呉音か漢音か唐音か知らんけど、大和言葉てはないと思う)の方が迫力がありますね。
映画「プライベート・ライアン」の中で、
狙撃手が「父と子と精霊の御名において…」と唱えながら敵兵を撃つシーンが有り迫力がありましたが、
あれが仁義だったら笑っちゃう処ですね。
「『仁義なき戦い』の抗争が繰り広げられていた頃、私は平和公園でデートしていると、警察に言われた。
『今夜は、これから撃ち合いがあるから、このあたりを歩かないでください』」
凄いですねー仁義。
震災で派遣された時に、大阪の飛田新地と西成の境にあるドヤに宿舎があり、「鬼龍院花子の生涯」みたいな風情に感心したのですが、夜になるとババアが手招きして「良い娘おるで」と「現役」な色町なのに驚きました。道端では鉄板でレバーを焼いて売っていたり、ガラクタを拡げた露天があって、30分前に銭湯で盗まれた私の時計が売られてました。
「そりゃ運が良いで、大事なお父はんの時計を3000円で買い戻せるなら安いもんや!」何となくオヤジに説得されて買ってしまいました(笑)
つくづく「大阪は日本ではない!」と実感しましたが、銃撃戦があるから…と警官に言われる当時の広島はさらに日本ではないですね。
同じことを東南アジア某国で、警備の兵士に言われた事が多いありますから。
一般的には加藤さんは、金田一シリーズの「よし、わかった」警部が代表作だといわれてますが、わたしは、このシリーズの打本組長が最高だと思ってます。
米朝師匠とは俳句仲間なんでしょうね。
でも、解脱、涅槃、大乗、といった言葉は使いませんね。
なんかで、そんな台詞が流行りませんでしたっけ?
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年くらい前の話でしすが。
の権力闘争が背景にあって、山口組は勝者の番犬(番犬は警察か?じゃ、ケルベロス)
>だった為に、頂上作戦が彼らの勢力を拡大する事になった…
>ということらしい。
政治の世界が、権力の代理戦争たる、市井の闘争だと思います、やくざの仁義なき戦いというのは。つまり、国家権力に近い勢力として、やくざが取るべきは、仁も義もある闘争だと思います。つまり、やくざはどこかで取り違えたと。それは、権力に近い勢力として、凋落を見越した上で、国家とか権力による大きな物語ではなく、小さな物語であるべきだったと。組織力で押してくるやくざに対して、個人の物語である、仁義とは、個人が生き延びて行く上で、必須の選択肢であったのではないでしょうか。
>娑婆、外道、往生…広島って言うと浄土真宗が…命のやり取りまで発展しかねない稼業の人達だから、案外に信仰心が深いのですかね?
悪人正機説しかり、悪人、悪党を取り込むのは、仏教徒が基盤を確立して行く上で、正道であったと思います。当時の中世社会の爪弾き者としての、悪党が居り、それは、既存の社会に反抗する若者の叛骨であったと思います。だから、悪人とは、中世の膠着した社会から観た、若者全般の捉え方、と見る事もできませんかね。
>映画「プライベート・ライアン」の中で、
狙撃手が「父と子と精霊の御名において…」と唱えながら敵兵を撃つシーンが有り迫力がありましたが、
>あれが仁義だったら笑っちゃう処ですね。
仁義と言う事もあるかも知れませんが、宗教の一面性を表してるようにも思います。つまり、信仰を狂信する事によって、その支持を確立するというか、キリスト教同士である筈ですよね。それを、対立する国家間の闘争に帰する、という、矛盾のようでもあると。世界宗教たるキリスト教の巨大さに比して、個人の宗教である、仁義が得る所もある、と考えられませんかね。つまり、善とか悪といった、個人的な道義観を持ち込めば、世界は狭くなる、という…。
>夜になるとババアが手招きして「良い娘おるで」と「現役」な色町なのに驚きました。道端では鉄板でレバーを焼いて売っていたり、ガラクタを拡げた露天があって、30分前に銭湯で盗まれた私の時計が売られてました。
最強ババアの恐さもよく分かる人には、大いに語らいのあるところではないでしょうか(笑)。経済の根深い市場には、善も悪も無いもので、ババア逞しいというか、後進的な市場社会で見られる理不尽とは、独裁的、つまり、家父長的な体制を、市場が引き継ぐ事によって、格家庭の伝統を延命させているように思いますね。それを、アジア的というか、民族主義で併呑するものが、経済全体を統括する、アジア後進国家の役割でしかない、と思います。
>娑婆、外道、往生、なるほど、いわれてみればヤクザは仏教用語をよく使いますね。
>でも、解脱、涅槃、大乗、といった言葉は使いませんね。
解脱、涅槃、大乗といった、言葉には、来世への期待、つまり、現世での繁栄や富貴といった、贅沢を忌避する意味があるゆえ、やくざは好まないかも知れませんね。やくざの価値観には、現世を愉しむ、つまり、儒教的な価値観もあり、複数の信仰や価値観を、吸収して血肉とする、「ブロン」であるからではないでしょうか。対する、来世とか浄土というのは、一元的な価値、つまり、終わりを決めるところから始まり、その落着が分かっているものだと思うのです。
済まないのですか、風邪をこじらせて返事を書く気力が湧きませぬ。
回復してから…という事で、今回は御容赦ください。
雪は嫌だなあ。
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