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とつぜんSFノート 第41回

 小生は大藪春彦のファンである。最近はちとご無沙汰だが、昔はよく読んだ。小生がSF以外で好んで読んだ日本人作家といえば、まず大藪春彦。そして山田風太郎、西村寿行かな。稲見一良も好きだった。 
 さて、大藪春彦だが、女性の大藪ファンというのは寡聞にして聞いたことがない。そりゃそうだろう。戦い、銃、車、復讐、野望、反権力、荒野、孤独、これらの言葉で彩られた大藪が描く世界は、凡そ女が手を出せる世界ではない。極めて時代錯誤ないいようで、非難されることを覚悟の上で書くが、感情に流されやすい女は、ストイックな大藪の世界は理解し難いのではないか。そう、大藪春彦が創造した人物はみんなストイックなのだ。伊達邦彦、北野晶夫、朝倉哲也、みんなストイックなのだ。目標を定めたら、赤外線追尾のミサイルのごとく標的めがけて最短距離を飛翔する。彼らは、それを達成するために必要なこと以外はすべて削ぎ落とす。
「大藪春彦から銃と車を除いたら何も残らない」と悪口をいうムキもいるが、これは悪口ではない。確かに銃と車は大藪作品の2大アイテムである。銃と車の描写に多くの枚数を費やしていることは事実だ。小生は銃はあまり知らないが車は好きだ。男が車で走り去った。これだけのことを、大藪は車の描写を、手を抜かずきっちりと描く。
 キーが鍵穴に挿入される。電流が流れセルモーターが駆動する。シリンダーの中でピストンが動き出す。キャブレターが空気を吸い込む。ストレイナーを通じてガソリンが流れ込む。空気と霧状のガソリンが混ざり合う。バッテリーから点火プラグに電流が流れる。点火。爆発。高温高圧ガスがピストンを押し下げる。クランクシャフトが回る。駆動輪に駆動力が伝わる。タイヤが回る。タイヤが地面を蹴る。車が前進する。
と、まあ、これだけの言葉を費やして「車で走り去る」ことを表現するわけだ。つまり、大藪にとって車や銃は、主人公が命を託す最も重要なパートナーだ。孤独な大藪の主人公は誰も頼れない。頼れるものは己のみ。己が操る銃や車だけが頼れる相棒なのだ。もし故障する車、ジャムを起こす銃ならば、主人公の死に直結する。だからこそ車や銃の描写があだやおろそかにできない。「車で走り去る」これじゃとても車に命を託しているようには見えない。
 小生がなぜ大藪春彦が好きなのか。それはSF好きと一脈通じているのではないか。今はそんなことはないが、小生がSFもんになったころは、SFは日本の読書のジャンルとして認知されていなかった。SFに手を出す出版社は必ず失敗するといわれ。事実、早川書房と東京創元社が定着させるまで、いくつもの出版社が、SFを企画しては失敗企画しては失敗を繰り返していた。荒唐無稽でしょせんは子供の読むものだといわれていた。
 大藪春彦も、いわゆる「読書人」なる人種からは無視され続けた作家だった。その証左に大藪ほど賞と縁のない作家は珍しい。芥川賞、直木賞などはノミネートすらされていない。その大藪の名を冠した大藪春彦賞があるのは、なんとも皮肉なことだ。
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