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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



ピンポンパンポン♪

お楽しみいただいております「とりがら時事放談」は11月1日~11月9日まで新規投稿をお休みさせていただきます。
なぜなら、管理人〔私)が旅に出るからです。
もちろん、みなさんの投稿、トラックバックはOKです。

ということで、新たな旅行記ネタを探しに、本日深夜、関空から飛び立ちます。

ピンポンパンポン♪

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もちろんホッパ山の頂上は怪しげなナッだけの聖地ではない。
日本の神道が数々のエッセンスを仏教に求めているのと同じように、ナッ信仰も様々な仏教のエッセンスを含んでいる。
例えば、ナッの像は必ずお寺の中にあるのだ。
ナッだけで独立している存在しているケースは、ミャンマーを旅すること都合二回。滞在日数合計12日間にして、未だ目撃したことはなかった。

ナッがお寺の中に存在しているということは、ナッと一緒に仏像もちゃんと祀られていることになる。

考えてみれば、これはとてもヘンテコな話で、日本人の感覚からすると、神棚と仏壇が渾然一体となり教会の形をしたモスクに祀られているくらいに、奇妙な光景だ。
しかし、これがミャンマーの土着信仰なのだから、非難するのはよくない。

こういう土着信仰のいかがわしさが、きっとTさんのお釈迦様に対するストレートな深い信仰心に抵触してくるものがあるのだろう。

キンキラキンの境内をめぐりながら、Tさん、石山さんと一緒に胸一杯にオイシイ空気を吸い込んで山を降りることにした。
当然のことながら、下りも猿たちと戯れながら降りることになる。
箱根駅伝の第六区にも見られるように、山は登るよりも下る方が骨が折れる。
ここで、足を滑らせて手摺りや柱にでも足をぶつけると本当に骨を折ることになるので注意が必要だ。

「サルカウンダー、って言うんだよね」
と石山さんが突然猿を指さして笑い出した。
石山さんとはヤンゴンからマンダレーへ向かう過酷な列車旅行の途中、ウズラタマゴ売りの売り声で、笑いのツボにはまってしまい、狂ったように笑いが止まらなくなった記憶がある。
記憶がある、といってもたった3日前の話だ。
またまた新しいミャンマー語で笑いのツボにはまってしまっては、面白いかも知れないがTさんたちミャンマーの人に失礼だろう。

「で、サルカウンダーってなんです?」
と私は。
「おいしい、っていう意味のミャンマー語ですよ」
と答えてくれたのはTさんであった。
「さっき教えたじゃないですか」
「えっ?そうでしたっけ?」
と外国語を覚えるのが私は苦手だ。
一方、
「覚えやすいんですよね」
とは石山さん。

おいしい、という意味の言葉はミャンマー語では「サルカウンダー」と言うらしい。
これは普通、覚えやすい。
このように日本語の発音に似ている外国語というのは少なくない。
タイ語で下着のパンツのことを「関係ない」というのだが、それと同類の同音異義外国語の一つのようだ。

不覚にも私は、ミャンマー語を「チェイズーウェイ」ぐらいしか覚えていないのだ。
理由は簡単で、ミャンマーでは日本語を話すことの出来るTさんを伴っての旅行であるため、あれこれとボディーランゲージや指さし会話帳などをまったく利用せず行動しているので、脳みそがミャンマー語まったく覚えようとしないのであった。

その点、石山さんはさすがに女性。
言葉もきっちりと覚えて旅を楽しんでいるのであった。
私は男。
語学力に乏しいのであった。
ともかく石山さんは昨夜の飲み会からかなりのお調子者と推察したが、もともとかなり頭のいい人なのかもしれない、と思った。

つづく


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「サヨナラ、MacOS」
と雑誌の表紙を飾ったのも今は昔。

ここのところウィンドウズの最新バージョン「ビスタ」の記事が一般新聞や雑誌などでも報道されるようになった。
なんでも来年早々に発売になるウィンドウズ・ビスタには4種類の商品があり、それぞれ松竹梅・法人用と別れているという。

MaxOSを駆逐すると謂われたウィンドウズ95発売の時は、そんな面倒なグレード違いはなかったように記憶する。

ウィンドウズPCにあまり詳しくないので多くは語らない。
語らないが、このグレード違いと、それに伴う価格の違いは一般消費者、とりわけPCの知識の乏しい私たち一般市民には分かりにくくて仕方がない。
どうして仕様を一本化できなかったのか、また一本化しなかったのか。
そのあたりが詳しく解説されている専門書ではない新聞や雑誌は未だに見かけない。
消費者を大切に思うのならマイクロソフト自らが金を出し、グレード違いがどう違うのか。きっちり広告してみてはいかがだろう。

ところで、今から二十数年前。私が高校生であった頃。
大阪なんばの地下街「虹のまち」にXというラーメン店があった。
「なんばウォーク」という名前に変わっても、このラーメン屋は営業を続けているので、かなり人気の店であることは間違いない。

私がこの店を知った高校生の時、ここは「味噌ラーメン」一種類だけで勝負する店だった。
札幌ラーメン風の味噌ラーメンは麺が引き締まり、スープが美味く、私は即ここのファンになった。
ミナミの映画館で映画を見た後や見る前にちょくちょく寄って、ここのラーメンに舌鼓を打った。

ところがある日、この店に味噌ラーメン以外のメニューが登場。
唐揚げ定食や餃子定食などの定食物もやりはじめた。
ラーメンの味も味噌だけではなくなり醤油味なんかも登場したように記憶する。

この多品種メニューに変わった途端、味が落ちた。
売り上げ増加の欲を出したのかどうかはわからない。
分らないが価格も上がり、エネルギーが漲るものの小遣いに限りのある高校生がオヤツ代わりに食べるラーメンとは言えなくなった。
多数のメニューが品質を低下させ、顧客サービスも低下した。

で、マイクロソフト。
OS以外にビジネスソフトやゲームソフトを発売したが、鳴り物入りでデビューしたX-BOXは任天堂やソニーの足元にも及ぶことはできないし、サヨナラしているはずのMacOSもiPodの大ヒットやUnix路線の新型OSで未だ元気だ。

意外とコンピュータビジネスもその実、ラーメン屋とあまり変わらないのかもわからない。


--------お知らせ--------

11月1日から一週間ほど旅にでます。そこで当ブログも旅先でインターネットカフェなどが見つからない限りお休みです。
その間は、バックナンバーでお楽しみ下さい。(笑)

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またまた日本人の若者が海外で行方不明になったらしい。
昨日の夕刊によると、慶応大学の学生が9月にインドのニューデリー空港を下り立ち両替した後、消息を絶ったという。
本人から連絡が入らず、ついに10月になって帰国の航空券が失効してしまってので、心配になった両親が記者会見を開き息子がどうなったのか「だれか知りませんか?」と訴えはじめたという。

この手のニュースを最近頻繁に目にするようになった。
昨年だったか同じくインドのムンバイ空港で帰国直前の日本人ビジネスマンが行方不明になった事件があった。
そのビジネスマンは空港近くの荒れ地で死体で発見されたのだが、逮捕された犯人は金銭目当ての強盗殺人であったことを認めていた。

足下に置いてあった荷物を盗まれて、盗んだ犯人を捕まえたら犯人曰く、
「床に落ちていたものを拾ったのだから、これはオレのものだ」
と厚かましく主張するのがインドだという。
またそれはインドの正論であり、私たちには否定することができない文化なのだとも謂う。

国内と同じ感覚で旅行すると思わぬ災難に巻き込まれることになるのが外国だろう。

たとえば両替一つにしても注意を要する。
空港の到着ロビーで両替をするときは、なるべく財布の中身を見られないように、しかもその財布も何処へ直したのか分らなくするか、ちょっとやそっとじゃ盗めませんよ、という場所に収納する智慧が必要だ。
両替なんか慣れておらず、ましてや日頃ほとんど目にすることのないドル紙幣など持っていたりすると、現金ではなく人生ゲームのオモチャのお金を持っている感覚に陥る日本人だから、そのあたりの案配は、かなり無防備になる。
もしかすると行方不明の慶大生はニューデリー空港の両替所で多額のドル紙幣や円紙幣をもっていることを悪いヤツに認められたのかも分らない。
日本人にとってたかが3~4万円もインドの低階層の人々にとっては年収以上に値する金額なのだ。

PHP新書「日本人が知らない世界の歩き方」は作家の曾野綾子さんがキリスト教の慈善団体や日本財団の会長を務めていた時の経験を、数々の書籍に記したものからハイライト部分を抜き出したダイジェストだ。

そこには日本人の思い込みや価値観は世界では通用しないということを如実に描き出している。
単に「平和」を叫び「紛争は単に悪いこと」と決めつけることや、乏しいものは「正義で純粋」だという考え方は、頭の惚けた日本人のならではの発想だが、正しい面もある一方、実際にはそんな呑気な考え方は世界ではまったく無意味であることを、本書に記されている数々のエピソードは物語っている。

アラブの石油プラントで暮らす日本人の子供はアメリカやイギリスの子供とはすぐ仲よくなるが、アラブ人とは遊ばない。しかし、それは差別ではなく純粋に文化の違いが子供にさえ交流を難しくさせること。
巨額の援助を拠出しても、「それはその国が悪から当然だ」というパレスチナの考え方。
などなど。

物見遊山の海外旅行ばかりでなく、こういう旅のしかたがあるものだと考えさせる、海外へ出る時に最低限は読んでおきたい一冊だ。

~「日本人が知らない世界の歩き方」曾野綾子著 PHP新書~

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今シーズンのプロ野球は総ての日程が終了した。
日本シリーズは北海道日本ハム・ファイターズが中日ドラゴンズを4勝1敗で撃ち下し、日本一に輝いた。

優勝の決定した第5戦目はファイターズの看板選手、元阪神タイガースの新庄剛志選手の引退試合ともなったので私もチャンネルを合わせてテレビで途中から試合を観戦した。

お調子者の新庄選手のことだから、きっと最後も笑いをとって終るかと思っていたら、意外にも八回裏の最後の打席から涙々になってしまった。
奇抜なパフォーマンスに値する成績を常に残していた新庄が流す涙は、やはりプロとして十数年間、全力を挙げて努力をし続けていた者の証拠なのだと感じられ、先日のタイガースの片岡選手の引退式典の時と同じ感慨、つまり一人の人生のドラマを強烈に印象つけられ、こちらも涙してしまった。
翌朝、その新庄がプロ野球人生の総てを一個のグラブで闘っていたという新聞記事を目にして感動をさらに大きくした。それもタイガースファンとしての感動を新たにしたのだ。
新庄は初めてもらったタイガースでの給与で7500円のグラブを買い求めた。
そしてそのタイガースのロゴとタイガース時代の背番号が刻まれたたった一個のグラブでNYメッツ、SFジャイアンツ、そしてファイターズでプレーしていたのだ。
阪神タイガース暗黒時代のスター選手であっただけに、グラブの話はファイターズの新庄となった今でも、やっぱりタイガースの新庄でもあったのだな、と思わせるものがあった。

ところで、史上初の北海道に本拠地を置くプロチームの日本シリーズ優勝は、驚くべき視聴率を打ち出していたことを、今日の産経新聞の社説は伝えていた。
第5戦の札幌での平均視聴率は52%で、瞬間視聴率は70%を突破したというのだ。
低迷を続けていた北海道経済もファイターズの躍進で雰囲気に変化が生まれ、上向きに変わってきているという。

マスコミはサッカーは好きだがプロ野球はお好きではないようで、Jリーグの誕生以来、野球人気の下落を頻繁に伝えていた。
とりわけ最近はジャイアンツの視聴率低迷を採上げ「野球はすでに地上波で放送する価値を失っている」という辛口な報道を繰り返していた。

今朝の産経新聞の社説は、ジャイアンツの人気のみにスポットを当ていると野球人気の凋落が見て取れるが、今回のファイターズの試合にみられるように、野球の地域密着型が進んでおり、一概に野球の人気が凋落した、とは言いがたいものがある、という意味のことが論じられていた。

考えてみれば、これまで日本国民は多くの共通した嗜好を持ち合わせていた。
テレビを見るのは同じ番組。
旅行をする時は団体旅行。
という具合に。
ところが、ここ十数年でその嗜好は随分と多様化してしまっているのだ。
例えば、大晦日の紅白歌合戦は高視聴率を維持しつつも、視聴者の3分の1は他局の番組にチャンネルを合わせはじめているし、同じ大晦日のレコード大賞は紅白歌合戦よりも悲惨で、もはや話題にもならない。
歌についての嗜好の分散化もはっきりしており、レンタルやネット配信が主流になったとは言え、もはやミリオンセラーを達成する楽曲はない。

だからプロ野球のファンの大部分がジャイアンツを応援するなどという時代はすでに終焉しており、それをことさらに「プロ野球人気の凋落」と位置づけるマスコミは異常ですらある。
つまり彼らには市場調査の能力がないのだ。

連日、球場を満員にしたファイターズは北海道。
タイガースと並び唯一黒字の球団と言われる福岡ホークス。
いつもチームカラーでマリンスタジアムが埋め尽くされる千葉ロッテ。
そして関西人で埋め尽くされる甲子園の我がタイガース。(尤も雑誌「諸君!」の冒頭コラムによるともはやタイガースは関西人だけのものではないらしいが)

地域に密着した球団こそが、今のプロ野球の人気の姿なのだ。
だからプロ野球人気は凋落したのではなくて変化した。
テレビやラジオといったマスコミは、その変化についていけない。
ただそれだけのことなのだ。

産経新聞社説

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予想通りと言えば良いのかどうか分らないが、やっぱり出ました、富山の高校以外に必修科目漏れのあった高等学校。

「受験に供えたカリキュラムに気をとられたから」
というのが、一番多く耳にする言い訳だが、いつから高等学校は予備校になったのか訊いてみたい。

学校は、
「人間育成を目指した教育の場」
などと、もっともらしいことをパンフレットに並び立てている学校が少なくないが、実際は、
「うちは大学進学が目的の学校だから、その受験技術を磨かせれば、学校の評判も向上し、経営不安を招かなくてよい」
ということになることが少なくなく、結果的に有名国公立大学に進学した卒業生を輩出することになる。
が、その卒業生はやがて社会的に高い地位について、
「公務員汚職」
「新興企業経営者の詐欺行為」
「国益を損なう、反日政治家」
を生み出すのだ。

ラジオを聞いていると、ある大学の学者先生が、
「学校の週五日制が始まってから、カリキュラムに変動が生じました。しかも、1980年代までは集団で和をもって行動できる人間を育てることに主眼が置かれましたが、1990年代からは各個人の個性を伸ばすことに変化し、教育現場に混乱がもたらされたのが、今回の主な原因です。」
とおっしゃっていた。

教育行政の失敗だと分っているのなら、正さんかい!
と叫びたいところだが、大学先生は評論家で、役所の役人は「何も起こさず定年まで過ごしたい」人ばかりなので、どうにもならない。

必修科目漏れ事件は、教育制度失敗のあぶり出しか?

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ホッパ山に祀られているのは実はお釈迦様がメインではなく「ナッ」という精霊がメインなのだ。

ミャンマーの宗教は一般に仏教とされている。
ところが実際にはそれ以外にも原始宗教とも呼んでいい精霊信仰が共に信仰されているのだ。
つまり2つの宗教を同時に信仰しているというキリスト教やイスラム教では考えられない世界なのだ。
でも、これは仏教国にはごく普通に存在する特徴だ。
タイやベトナムでも同じように精霊信仰が残っており、それらの国では精霊は「ピー」と呼ばれ、ミャンマーでは「ナッ」と呼ばれている。

タイ語の教科書などではピーは精霊、もしくはお化けと訳されており、なんとなく物騒な意味合いも含まれている。

精霊は主に人に対してイタズラをしたり、幸運をもたらしたり、時に悪運ももたらしたりする一見マンガのキャラクターのような存在なのだ。
その実態は亡くなった人が、死んだ時の強い怒りや無念や嬉しさなどの感情が霊として変形し、精霊となってこの世に残っていると信じられている。
つまり宗教の対象としてはちょっとばかし理解しにくい対象なのだ。

東南アジアの文化を紹介した書籍の中には、
「ピーやナッを精霊と訳すから分かりにくいのだ。日本人なら「神様」と訳せばしっくりとくる」
と書かれているものがある。
そう、ミャンマーのナッやタイ、ベトナムのピーは日本風に言えば「神様」なのである。

日本も6世紀頃に仏教が伝わってくるまでは神様たちを信仰する「神道」が唯一の宗教であった。
この八百の神々は長きにわたり我が大和の国の宗教市場を独占していたが、ある日大陸に留学していた帰国子女の若い連中が仏教を持ち込み事態が一変する。
というのも、インド生まれ、チベットや中国で発達した仏教(北伝仏教=大乗仏教)は、論理的な倫理観と、科学技術という市場のニーズに合致した最先端の知識を持ち込み、ユーザーの心をがっちり攫み一挙に日本全土に浸透していったからだ。

八百の神々は突然の外資系宗教の台頭に大わらわ。
これが普通の国であれば神々は保守的思想を貫き、外資系に追いやられ、ミャンマーやタイのように「ナッ」や「ピー」という威厳よりも風俗(「フーゾク」ではない)の一種である土着信仰として残るところであった。
が、我が国.の神様たちはそうではなかった。

さすがに日本の神様たちは、
「今のままでは良くない。このまま、のほほ~んとしていれば外資(仏教)に食われっぱなしになってしまう。この際思いきって構造改革をしようではないか」
ということになった。
その重大な決議を島根県出雲市で打ち出した10月を記念して出雲以外の全国各地では「神無月」呼ぶようになった。というのはウソです。

ともかく原始的であてずっぽうな占いや呪術、人柱や生け贄などといった残酷な儀式で民衆の心をつなぎ止めておくことは困難であるし、なによりも一番のスポンサーであった天皇をはじめとする皇室や貴族が「仏教の方がええわ」ということになってしまったので、まず「海外を学ばねば」ということで、改革のためのモデルの多くを外資の仏教に求めることになった。

で、非科学的な分野は「おみくじ」や「卦」程度のフレンドリーなものに変化させ、亀の甲羅などを使った怪しげな占いや呪術は、仏教の朝夕のお務めにならい威厳ある形式のご祈祷祈願に変更。
そしていささか粗末な作りであった神社も仏教により伝えられた最先端建築技術を応用し立派な威厳に満ちた社殿の建設に取り組んだのであった。

日本人の、外国の技術と文化を導入し自国にフィットする形にアレンジする優れた能力は、この時誕生し、千数百年後の明治維新や第2次大戦後の経済発展、そして現在にまで至っている日本人独特の文化となったのであった。

と長々に書いてきたが、以上は私の勝手な思い込みなので100%鵜呑みにしないように。
それに間違いがあっても指摘しないように。

以上、長い余談になったが、ホッパ山山頂の中央部を占めるものはなんといっても、死んでから「ナッ」になったという50年ほど前に亡くなったこの地の有力者であったオッサンの祠なのであった。

まず中心の祠の中には、そのオッサンが亡くなった時の光景が漫画チックな人形で再現されている。
いかに漫画チックかというと、枚方大菊人形(ちと古いが)が芸術性高き緻密な人形に思えてしまうような「いかにも作り物で、桂小枝のパラダイスシリーズ(関西の人にしかわからないネタ)」そのまんまの世界なのだ。
とりわけ故人を取り囲んで泣いている泣いている人たちの人形の表情がユニークだ。

「さ、行きましょうか」
とTさん。

Tさんはナッにはいささか冷たいところがある。
実はTさんは「ナッ信仰」が嫌いなのだ。

つづく

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恥ずかしながら、大学二回生の時に必須科目の試験の時間を間違え遅刻して、単位を落としたことがある。
もしこれが4回生なら「留年」決定!

もしそうなっていたとすれば、人の不幸話を宴会ネタにすることが「だ~い好き」な私の友人たちのこと。
今ごろ忘年会なんかで集まると、絶好のからかいネタになっていたのは間違いない。

新聞報道によると富山県立高山南高校の三年生全員が地理歴史教科の必須得科目を履修しておらず、このままでは卒業できない事態になっているという。

大学生の履修チョンボは学生の責任だ。
履修ガイダンスを受け、自分で履修科目を決めるのだから当然だからだ。
でも、高校生は明らかな学校側のチョンボ。
高校生は「何が必須科目なのか」なんてことは知らないはず。
カリキュラムを組むのは教員の責任で、今回の事件は100%学校側が悪いということになる。

しかし、一番驚いたのは「日本史、世界史、地理」の総てが必須ではないという学校教育の現状だった。
「日本史」が選択教科なのがとりわけ恐ろしい。
これも日教組のなせる技か、それとも団塊教師のなせる技か分らない。
分らないが、世間の人材不足の原因が、少しかいま見られたというところが恐ろしい。
国益無視した政治家、役人、企業家が出てくるのも納得できるというものだ。

「日本史だけ、地理だけ学習しても、その中で世界とのつながりについて触れるため世界史も履修したことにできると思った」

と校長先生はおっしゃった。
アホか、この人。
普通、こういう頭脳の持ち主は民間の会社なら管理職になれなし、なってもこういう事態を招いたら、間違いなくクビである。

生徒を中傷して自殺に追い込む教師がいたり、世間でこれだけ騒いでいることが分っていても飲酒運転で逮捕される教師がいたり、風俗嬢とトラブル起こして逮捕される教師がいたり。
教育界の荒廃は凄まじい。

なお、
「調査してみたら既卒業生の単位も足りなかった。だから卒業取り消し!」
という事態にだけは発展しないことをお祈りしておりますです。


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「実は私、スポーツクラブへ通ってるんです」
と告白すると、友人、会社の同僚、得意先のお客さん、パーティで会った初めての人に限らず彼らは一様に、
「エ~っ!」
と反応するのだ。

失礼な話である。
確かに私は太っている。
まさか「ジム通い」している人とは思えないであろう。
しかし、体脂肪率は意外に低いし、よく見かける一般デブと異なって「ぷよぷよ」ではない。
「カチカチ」に太っているのだ。
人はこれを「相撲取り型肥満」と呼ぶ(誰が呼ぶかい!(一人ツッコミ))。

私が太っている原因は、一にビール、二にビール。
ビールこそが、私の肥満の原因なのである。
その証拠にビールを一週間一滴も飲まないだけで1キロや2キロぐらい簡単に体重は減ってくるのだ。
「おまえ、それ水太りやんけ」
と私にジム通いを促した幼稚園時代からの友人は無遠慮に指摘してくれたが、まさしくその通りなのである。
つまりビール(ついでに日本酒や泡盛も)さえ飲まなくなれば、私はジム通いをしなくても体重を減らすことができるのだ。
が、ジム通いというのは一旦生活に組込まれるとなかなか止められなくなるもので、ここ6年ほど毎週2回から4回ぐらい近所のクラブへ通うという日々が続いている。
それにジムで汗を流した後のビールはメチャ美味い。

私の通っているのは大阪市堺市内にあるコナミスポーツクラブ。
ここは業界最大手ということも手伝って、スタジオも2つあり、プール、テニスコートが整備され、マシンジムもたくさん設置されている。
ところが、ジムそのものがかなりの歴史を刻んだ建物と設備だものだから、正直言って、各マシンや建物は相当にガタがきていたのだった。
先々月には集中豪雨のためにジムの一部が冠水するという、まるでバンコクかヤンゴンの街中か、という少々情けない事態も発生した。

「そろそろ、新品の綺麗なジムに移ろうかな」

と思ったりしていたら、先週一週間、全館を休館させ、内装をマシンを入れ替え「eエクザス」なるシステムを導入したのだ。

で、早速その「eエクザス」なるシステムを体験しようと、先週唯一の休日であった日曜日にイソイソと出かけたのであった。

まず、フロントのシステムが変わっていた。
以前はフロントでロッカーの鍵をもらい指定されたその番号のロッカーで着替えをしたのだが、今回はICタグ内蔵のリストバンドを手渡された。
そのリストバンドは好きなロッカーを使用できるようになっていた。
つまり、ロッカーの側にもICが内蔵されており、タグとの照合で任意のロッカーを選ぶことができるようになっていたのだ。
これは素晴らしい。
素晴らしいが、ある意味困ることになる。
というのも、ロッカーの番号にこだわりが生じて、「その番号じゃなきゃ嫌」という我がままが芽生える可能性がある。
中には「あの娘の出席番号と同じロッカー」などという、さだまさしの歌詞に出て来そうなこだわりをもつシャイなヘタレが出現する可能性もあるのだ。
時世が時世なので、ロッカーの番号の取り合いで殺人事件に発展しないかも心配である。
(考え過ぎ)

着替えてジムへ降りていくと、途中のロビーでまず血圧と体重を測定するのだが、これがシステムサーバに繋がっており記憶されていくようになっているのだ。
これは、凄い。
自分の健康管理がスポーツクラブのコンピューターで出来ちゃうのだ。
目標体重などの設定も可能だが、できれば飲めるビールの量も表示してくれると有り難いのは言うまでもない。

で、ジム内に設置されていたマシンの大部分もLANで接続されたインテリジェンス・マシンジムに交換されていたのだった。
これも、凄い。
例えば、バタフライと称する胸筋と二の腕裏手の筋肉を鍛えるマシンでは、リーダー部分にリストバンドのタグをSuicaカードやICOCAカードを改札機に接触させる要領で読み込ませると、自分の名前が表示され。、ウエイトの重さが操作をするたびに加算されていき、今自分がどのくらいのエネルギーを消費しているのか重量の合計で判断することが出来る。
もちろん回数も表示されるので、あとちょっと、あとちょっと、とだんだん意地になってきて、気がつくといつもの倍以上も運動を繰り返していることに愕然としてしまうのだ。

ともかくバタフライのマシンだけでなく、ランニングマシンもエアロバイクも、どれもこれもネットで接続されており、エネルギーの消費が分る仕組みになっている。
これは癖になりそうだ。

結局、どこかの新しいジムへ移籍する気持ちは吹き飛んでしまい、暫くは消費カロリーの合計値を上げることに血眼になることは間違いない。

なお、システムが複雑なだけに、故障が増えるのではないかと、疑っているところではある。

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実際のところ、猿たちがいなければ、ホッパ山登山はかなり過酷なものとなっていたのに違いない。
というのも、ホッパ山の登山参道の傾斜は、めちゃくちゃ急なのであった。

「へ~、じゃあ香川県の金比羅さんの参道みたいなもんなんだね」
というあなた。
あなたの推測は甘い。

ともかく相手はデビルズタワーのようなホッパ山である。
頂上付近の山肌はほとんど垂直。
その垂直の壁面に張り付くように参道は通じているので傾斜は生半可ではない。
ほとんどが屋根のあるコンクリートとタイルで固められた歩きやすい参道なのであるが、急である。
関西の人なら分るだろうが、「探偵ナイトスクープ」に採上げても不思議ではないほど急であり、さらには到るところに猿や派手派手なお釈迦様像や精霊像があるところから、桂小枝のパラダイスシリーズでも通じそうな場所なのだ。
一部は傾斜角度70度から80度はあると思われる階段というよりも梯子といったほうが適当なのではないかというような部分もあるのだ。
ただし、度々テレビのバラエティー紀行番組紹介されるような、
「中国秘境、眼下までの落差はなんと2000メートル」
なんてバカバカしいところはまったく無い。
そんな特殊な参道を作ったりすると老若男女、総ての人がお参りすることのできないチンケな寺院ができてしまう。
ここ仏教国ミャンマーは、あくまでもお釈迦様の教えに則った、本当にすべての人に平等(注:欧米的な意味における平等ではない)な思想が貫かれているのだ。
ただ政府だけが、そのお釈迦様の教えを守れていないのではないかと思えることろが国際的な非難の対象になってしまっているのであろう。

このような急坂なので、ただ登っているだけであれば、ある種のトレーニングと同じになってしまい、とってもくたびれたものになってしまっていたことだろう。
ところが参道の途中ではひっきりなしに猿たちがちょっかいを出してくるので退屈しない。
ちょっかいを出さなくても、ちょっとした岩の上で親子でポケ~としている猿たちを見かけたりすると、思わず心が和むのであった。

石山さんも元気に一歩一歩ホッパ山の参道を踏みしめていた。
昨夜の宴会で飲み過ぎ食べ過ぎし、夜中に相当苦しんだようで、今朝はすっかり体力を消耗しきっていた様子だったが、猿のおかげなのかそれともTさんとの気心があっているのか、私の先導の仕方が上手いのかどうか、果たして不明だが、息を切らせながらも陽気に登山しているのであった。

「あなた大丈夫ですか?」
とTさんが私に心配りをしてくれた。
私が少々太っているのを気にして声を掛けてくれたのだろうが、日頃スポーツクラブで汗を流すことを忘れない私は、これくらいの登山でへこたれる分けがない。
汗は流しているが、これはいつものことである。
「大丈夫です」
「そうですか」
と、Tさんはそれっきり後は私のことはお構いなく、石山さんが登ってくるのをサポートしているのであった。
相変わらず冷たいのか暖かいのか、真面目なのか不真面目なのか、私をからかって楽しんでいるTさんなのであった。

登りはじめて1時間もかからず頂上にたどり着いた。
「やった~! 到着!」
私たちは叫んだ。
頂上にはキンキラキンに輝く寺院が聳え、清々しい風が私たちの頬を撫でていく。
「うわ~、きれい~!」
と指さしたのは寺院ではない。
ホッパ山からの眺めが、美しく絶景だったのだ。

ホッパ山から眺める下界はなだらかな丘のつながりで、緑豊かな木々がそれを覆い、遥か彼方まで続いている。
もしここが日本なら、きっとゴルフ場やショッピングセンターなどの目障りな人工物が点在していたことであろう。
しかし、ここはミャンマー。
まだ人の手で開発されることなく自然の地形が広がっているのだった。

私はホッパ山からはエヤワディー川の流れやバガンのパゴダ群が眺められるかも知れないと思い込んでいたが甘かった。
さすがにそういう景色は見えなかったのである。

「では、行きますよ」

ベンチで私と石山さんとTさんは一緒に暫くへたり込んで山頂のそよ風で涼んでいた。
しかし、やがてTさんが出発を促した。
では頂上の寺院群を見学と行きますか。

つづく

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