今シーズンのプロ野球は総ての日程が終了した。
日本シリーズは北海道日本ハム・ファイターズが中日ドラゴンズを4勝1敗で撃ち下し、日本一に輝いた。
優勝の決定した第5戦目はファイターズの看板選手、元阪神タイガースの新庄剛志選手の引退試合ともなったので私もチャンネルを合わせてテレビで途中から試合を観戦した。
お調子者の新庄選手のことだから、きっと最後も笑いをとって終るかと思っていたら、意外にも八回裏の最後の打席から涙々になってしまった。
奇抜なパフォーマンスに値する成績を常に残していた新庄が流す涙は、やはりプロとして十数年間、全力を挙げて努力をし続けていた者の証拠なのだと感じられ、先日のタイガースの片岡選手の引退式典の時と同じ感慨、つまり一人の人生のドラマを強烈に印象つけられ、こちらも涙してしまった。
翌朝、その新庄がプロ野球人生の総てを一個のグラブで闘っていたという新聞記事を目にして感動をさらに大きくした。それもタイガースファンとしての感動を新たにしたのだ。
新庄は初めてもらったタイガースでの給与で7500円のグラブを買い求めた。
そしてそのタイガースのロゴとタイガース時代の背番号が刻まれたたった一個のグラブでNYメッツ、SFジャイアンツ、そしてファイターズでプレーしていたのだ。
阪神タイガース暗黒時代のスター選手であっただけに、グラブの話はファイターズの新庄となった今でも、やっぱりタイガースの新庄でもあったのだな、と思わせるものがあった。
ところで、史上初の北海道に本拠地を置くプロチームの日本シリーズ優勝は、驚くべき視聴率を打ち出していたことを、今日の産経新聞の社説は伝えていた。
第5戦の札幌での平均視聴率は52%で、瞬間視聴率は70%を突破したというのだ。
低迷を続けていた北海道経済もファイターズの躍進で雰囲気に変化が生まれ、上向きに変わってきているという。
マスコミはサッカーは好きだがプロ野球はお好きではないようで、Jリーグの誕生以来、野球人気の下落を頻繁に伝えていた。
とりわけ最近はジャイアンツの視聴率低迷を採上げ「野球はすでに地上波で放送する価値を失っている」という辛口な報道を繰り返していた。
今朝の産経新聞の社説は、ジャイアンツの人気のみにスポットを当ていると野球人気の凋落が見て取れるが、今回のファイターズの試合にみられるように、野球の地域密着型が進んでおり、一概に野球の人気が凋落した、とは言いがたいものがある、という意味のことが論じられていた。
考えてみれば、これまで日本国民は多くの共通した嗜好を持ち合わせていた。
テレビを見るのは同じ番組。
旅行をする時は団体旅行。
という具合に。
ところが、ここ十数年でその嗜好は随分と多様化してしまっているのだ。
例えば、大晦日の紅白歌合戦は高視聴率を維持しつつも、視聴者の3分の1は他局の番組にチャンネルを合わせはじめているし、同じ大晦日のレコード大賞は紅白歌合戦よりも悲惨で、もはや話題にもならない。
歌についての嗜好の分散化もはっきりしており、レンタルやネット配信が主流になったとは言え、もはやミリオンセラーを達成する楽曲はない。
だからプロ野球のファンの大部分がジャイアンツを応援するなどという時代はすでに終焉しており、それをことさらに「プロ野球人気の凋落」と位置づけるマスコミは異常ですらある。
つまり彼らには市場調査の能力がないのだ。
連日、球場を満員にしたファイターズは北海道。
タイガースと並び唯一黒字の球団と言われる福岡ホークス。
いつもチームカラーでマリンスタジアムが埋め尽くされる千葉ロッテ。
そして関西人で埋め尽くされる甲子園の我がタイガース。(尤も雑誌「諸君!」の冒頭コラムによるともはやタイガースは関西人だけのものではないらしいが)
地域に密着した球団こそが、今のプロ野球の人気の姿なのだ。
だからプロ野球人気は凋落したのではなくて変化した。
テレビやラジオといったマスコミは、その変化についていけない。
ただそれだけのことなのだ。
産経新聞社説