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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



会社の会議やクラブのミーティングなどで一番困るのが「実力者」や「有力者」を窘める時の言動だ。

「そんなことは認められません」
「あなたの考え方は間違っている」
「態度を改めなければ大変なことになりますよ」

というようなことを会社の実力者に面と向かって発言したら、
「ああ、君、明日から倉庫で商品の発送伝票を書く雑用係でいいから」
なんて言われる恐れがあるので、ココロで思っていても口に出せないのが辛いところ。

で、こういう時はどうするかというと、そういう実力者によく似た「弱い」社員を捕まえて、「君!分っているのか」と実力者が隣にいる時に攻めるのだ。
すると実力者が賢ければ「ああ、あれはワシのことを窘めてるんだ」と理解することができるし、パロマの会長のように少し性格的に問題のある人ならば「なにをいってるのか分らない」で、発言者に被害が及ぶことはないのだ。

ASEANプラス3の会議が先日閉会した。
この国際会議の重要議題の二つのうちの一つが「北朝鮮ミサイル問題」。
これはASEANの親分的存在である我が日本が議題に乗せるように働き掛けたものだから、断ることなどできないので、「とりあえず日本の機嫌をとっておこう」ということで「非難決議」を出して一段落。
そしてもうひとつの重要議題が「ミャンマーの民主化を促す」というものだった。

「スーチー女史を解放させよ」
「民主化運動家たちをムショから出せ」

というのが主な要求で、つまり「軍事政権は悪役政権だから、はやく民主化政治に変わってよ」というのが要求だった。

「人権弾圧」
「報道の自由の抑圧」
「軍部による政治独裁」

というのがミャンマーが抱える問題だそうだが、これってどこかの大国が得意にしていることではないか。

「人権弾圧」
「言論弾圧」
「軍部を抱えた共産党による政治独裁」
「インターネットのフィルタリング」
「信仰の不自由」
「人治国家」
「非民主的共産国家」

あれれ?これって中国だ。

でも中国は軍事大国で危険だし、最近は泡銭を持ってて金持ちだし。
「あんたとこ民主化しなくちゃいけないよ」
と直接言ったら怖いじゃない。

だから性格が穏やかで、何を言われても文句を言わないミャンマーを捉まえて、
「早く民主化を!」
と誤魔化しているというのが本心か。

これこそ正真正銘、ASEAN会議に見る「怖い人への起こり方」だ。

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「白人のキリスト教とじゃないアジア人だから、原子爆弾を投下してもへっちゃらさ」
と言ったかどうかは知らないが、1945年の夏前にアメリカ合衆国のトルーマン大統領は日本へ原子爆弾を投下することを許可した。
放っておいても敗戦するのは明らかな青色吐息の日本対して出した決断が、戦争のルールを無視した原爆投下。
「せっかく作った原子爆弾だから、なんとか試してみたいのが人情だ」という軍部と科学者の欲求と「日本人はイエローモンキーの異教徒だ」という大統領のレイシズム思想とが合致することにより下された悪魔のような決断だった。

それが証拠に終戦直後から占領軍は軍服着せた科学者を広島長崎に送り込み、原爆被害者の写真を撮るは人体標本は採取するわで、ワクワク、ウキウキだった。
「貴重な人体実験ができたよね」と、これも言ったかどうかはしらないが、ちょうどその頃、彼らの仲間がニュルンベルグ裁判でユダヤ人虐殺の罪でナチスドイツを裁いていたのだから、なんて歴史はシニカルなのだ。

ということで長い間アメリカ合衆国の首脳連中は「相手が人のアジア人だから平気で原爆を投下した」と私たちも思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。

マイケル・ハリス著「ぼくたちは水爆実験に使われた」は1950年代に南太平洋の水爆実験場に送り込まれたアメリカ兵(もちろん白人を含む)の実体験が綴られたノンフィクションだ。
そのアメリカ兵とは著者自身。
書いた本人が経験した内容だけに、かなりリアルで不気味なのだ。

物語は第五福龍丸事件直後から始まる。
徴兵されてマーシャル諸島のエニウェトク環礁に一年の任務で送られた著者は、女気なし、植物なし、ブルトーザーで平坦に均されて、コンクリートで固められたエニウェトク島で数々の狂気と十数件の水爆実験を目撃する。
「直接見なければ目は大丈夫」
「死の灰が降ってきたら窓を閉めて室内で待機」
「水爆実験をしている海はサンゴ礁。綺麗な海だから泳いで大丈夫」
などなど嘘で固められた軍部の説明のもとで任務に当たる。

夜明け前。
総員整列で屋外に並ばされ「爆発方向は向こうだからこっちを向いて」と指示を受け、つぶった目の上を両手で覆う。
「5.......4.......3.......2........1.......」
と進むカウントに続いて轟く音の表現が凄まじい。
「ブーン」

「ドカーン!」でもなければ「ズドーン!」でもない。
「ブーン」なのだ。

目を覆っている手など役に立たないのはもちろんで、後頭部をすり抜けて強烈な光が網膜に突き刺さる。
(感覚で言うと、東京タワーに仕掛けた水爆の爆発を新宿辺りで眺めるのに等しい行為)

「目を開けて良し」の指令を聞いて目を開けたら失明していないことに感動し、後は笑うだけ。
本書に付いている帯の宣伝文句「笑わなくちゃ生きられないぜ」というのがこの環境だ。

ともかく、このような兵士を任務と称して核実験に供したアメリカ政府というのは恐ろしい存在だ。
しかし一方に於て、こういう事実があったことを公表する自由があるところも、ある意味アメリカの恐ろしいところだ。
もっとも事実の詳細が公開されたのは、半世紀近く経過したクリントン政権になってから。

全体的に明るい筆致で書かれているだけに、ある意味そんじょそこらのスリラーよりも恐ろしい雰囲気の漂うドキュメンタリーと言えるだろう。


~「ぼくたちは水爆実験に使われた」マイケル・ハリス著 三宅真理訳 文春文庫刊~

とりがらおすすめ度 ☆☆☆☆(星五つが満点。アマゾンと同じような採点方法でおま)

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今年の4月にミャンマーのグウェサンビーチへ行って来た。
このとりがらブログのタイトル写真(上のやつ)がそのグウェーサンビーチだ。

「リラックスできる場所をアレンジして下さい」
と現地旅行社にお願いして訪問することになったのがここだった。
もともと私はミャンマーへ行った帰りにタイのホアヒンビーチへ寄るつもりだったが、ミャンマーのビーチへ寄るのも悪くないと思ってオファーをお願いしたのだった。

このグウェサンビーチで滞在した二日目に、私はバイクをレンタルした。
「バイクを使うと遠くへいくのが便利ですよ」
というガイドのTさんの助言に従ったのだった。

バイクのレンタル料金は1時間2000チャット(200円)。
日本人の私には決して高くない金額なので借りることにした。

ホテルの私の部屋の前がビーチになっていて(上は部屋のテラスから写した写真です。一見高級そうですが宿泊費はたったの30USドル/泊)そこからビーチをバイクで走ってビーチの南端にある小島へ行った。
ビーチの砂浜が美しく、キラキラ輝くインド洋が目に眩しくて、バイクで風切る空気の流れが耳に心地よかった。
海外へ来て、バイクに乗るのはなんて気持ちがいいんだと感動した。

20年前と違って、今や海外でバイクや自動車を運転することはもはや珍しいことでもなんでもない。
私の場合は、ミャンマーのビーチとタイのホアヒンでバイクを運転して、タイのムアンボランでチャリンコを転がして、アメリカではラスベガスからロサンゼルスまではレンタカーを運転したのが、海外での運転歴。
いずれも大陸を駆け抜けているという、日本とは違った感覚が胸をときめかせた。

「ユアン・マクレガー大陸横断~バイクの旅」はスターウォーズのオビワン役で有名なユアン・マクレガーが友人で同じく俳優のチャーリー・ブアマンと一緒に、ロンドンからNYまでユーラシアと北米大陸を横断したドキュメンタリー番組だ。

旅の好きなものなら。一度はしてみたいというバイクによる世界一周。

それを世界的に著名な映画スターが「危険を覚悟」で決行した紀行ドキュメンタリーだから面白くないはずはない。
3ヶ月に及ぶ壮大な旅は、人生ゲームのキャッチコピーではないが「山あり谷あり」で面白い。
とりわけモンゴルの道無き道をバイクの故障にめげず駆け抜けるところと、シベリアのツンドラ地帯を泥や川に捉まりながらも突き進んでいくところは感動的だ。

「わ~、アスファルトの道路だ!」
と叫んでデコボコの土道からハイウェイに出たところ(モンゴル)は、なぜか自分も感動していることに気づいてハッとした。

ともかく、沢木耕太郎の名作旅行記「深夜特急」に匹敵するような、多くの感動的なドラマがちりばめられた旅行ドキュメンタリーだ。

なお、本作のDVDを気持ちよく貸して下さった英会話スクールのクラスメート,coolgiggsさんに感謝します。
素晴らしいドキュメントを教えてくれてありがとう。

ユアン・マクレガー大陸横断~バイクの旅

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滋賀県の県庁所在地は大津市だ。
東京からは新幹線のぞみ号に乗って京都までが約2時間。
ここでJR琵琶湖線(東海道本線)の新快速に乗り換えて約10分で大津駅。
京都と大津の間には山科しか駅がないから各駅停車でも同じ時間。
ちなみに京都から東の地域も大阪・京都・神戸のベッドタウンなので列車本数は10分に1本は走っているからかなり便利だ。

この便利な乗り換えにも関わらず「広い滋賀県下には新幹線の駅(米原)が一つしかない。だから駅をもうひとつ造ろうよ」ということで、前知事と地元市町村がJR東海にお願いして着工したのが「南びわこ駅」。
南びわこ駅は滋賀県の中核都市栗東市内に建設され、完成すれば大企業の工場が多い同地域に何らかの利益をもたらすはずだ。
草津駅までは前述の新快速で京都から20分程度。
名古屋でのぞみ号から一時間に1本か2本しか走っていないこだま号に乗り換えて、ちんたら走って南びわこ駅で下車するのが京都経由より早いとは思えないのが辛いところ。

そこで登場したのが「もったいない」論。
ケニアのワンガリ・マータイ環境副大臣のヒットした著作からタイトルをパクって己の選挙のキャッチスローガンに使ってマグレ当選したのが滋賀県初の「女性知事」嘉田由紀子氏。
その嘉田氏の「もったいない」の対象が新幹線「南びわこ駅」で、就任直後から工事中止をさせようと、あれやこれやと走り回っている。

京都大学を卒業し、京都精華大学で教鞭をとっていた同氏の専門は「琵琶湖の生活環境史的研究」という訳の分らないカテゴリー。
琵琶湖博物館の総括学芸員を務めていたそうだが「琵琶湖博物館」とはいったい何?
聞いたこともなければ、もちろんどこにあるのかも分らない。
そんなどこにあるのかも一般人に知られていない博物館は「もったいなくなく」て、新幹線の駅は「もったない」では理屈が通らない。

ところで、前述したように新駅の近くには多くの工業団地が控えていて、滋賀県下の産業の基幹をなしている。
新駅「南びわこ駅」は県庁所在地大津から見ると、新幹線乗車に要する時間も中途半端で不要に見えるかも知れないが、こと南近江地方からは重要な駅となる。
滋賀県の産業地域を知っていればよくわかるが、南びわこ駅が交錯するJR草津線は旧東海道「国道一号線」に沿っている。
この国道一号線沿いには信楽や水口といった街があり、ここら辺りにも工業団地が集中する。

宇宙に浮ぶ銀河のように点在するこの滋賀県の工業団地群の輸送手段は全国でも珍しい無料高速道路の名阪国道。
この無料高速道路のおかげで滋賀県南近江の物流は低コストで大阪名古屋へ繋がっているというわけだ。
あとは人だけ早く運ぶにはどうすれば良いかと考えると、新幹線をイメージすることは簡単だ。

京都駅や米原駅は南近江からはちと遠い。
しかし南びわこ駅ができれば便利になるは間違いない。
トヨタのための三河安城駅と同じように南近江のための南びわこ駅というわけだ。

田中長野県知事が反対したダムと今回の駅とはその性質がまったく違う。
ダムは金を生むことはないけれど、駅は運営次第で地域に途方もない富をもたらす。
無計画で政治家の勝手で作られた昔の国鉄ローカル線と異なって、南びわこ駅は民間企業のJRが運営する。
国鉄ならば要らなかったかも知れないが民間企業相手に勝手に工事を止めたら違約金を払うのが当然だ。
計画がスタートした今、駅を造ってそれを育てるのが正しいのか、百億円を超えるといわれる違約金を払って駅の計画を中止するのが正しいのか。
嘉田知事の行動と言動を見ていると近ごろの大学教授には、こんな単純なことも分らないほど頭が悪いのがいるのかと思えて残念だ。

東京から来た人が、近江地方を旅して「レオ」のマークを付けて走っているバスや鉄道を見て驚くらしい。
「さすが西武グループ。近江地方の鉄道会社をも傘下に置くとは」
と感嘆の声をあげるが、これは勘違い。
ホントは田舎の近江グループが西武グループの本家本元。
トヨタグループでいえば、一般人が耳にしたこともないトヨタ自動織機にあたるのだ。

このように滋賀県はタフな商売で知られる近江商人のお膝元。
そこへダムと鉄道の駅の区別もつかない博士知事が就任したのだからお気の毒。

嘉田由紀子知事は琵琶湖を眺めるのには精通しているかも知れないが、琵琶湖のまわりの陸地にとってはずぶの素人よりも無知のよう。

いい加減な選挙は高くつきます、滋賀県民さん。
大阪府眠の私が言ってるのだから間違いない。
そ、間違いない。

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「過去30年間死亡事故ゼロ」
というのは、パロマのホームページに掲載されていた「セールストーク」だという。

「セールストークはこの時期相応しくないので削除しました」
というのは、ホームページからこの「死亡事故ゼロ」という記述を削除したパロマの理由だということを先週末に報道されていた。

パロマという会社は「セールストーク」は英語で「ウソも方便」という意味だとでも思っているのか。

むかしハナ肇とクレージキャッツの歌の中に「クリスマスとは英語で『忘年会』」という歌詞があった。
コミック系バンドがクリスマスは忘年会と歌うことには笑えるが、一般に名前の通った企業が「セールストークはウソも方便」というのには笑えない。

こういう笑えない感覚の持ち主だからかどうかは知らないが、自社の商品で死者が出ても謝罪に出向くのは社長でも会長でもなくて「副社長」。
常識を逸した会社だけに、もしかすると「副社長」が一番エライ会社なのかも知れないが、民衆はそんな非常識は信じないだろう。

セールストークはハッタリで、謝罪は番頭が行うような会社であれば、きっと「まともな商品」も、ウソなデータとウソの実験、ウソのスペックで塗り固められていることだろう。

一生懸命説明しても「それって『セールストーク』ですか?」と訊ねられたら、この会社の副社長や営業社員はなんて言葉で答えるのだろう。

これほど他人を馬鹿にした会社は、世界でもなかなか探すことは難しい。

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重いスーツケースとリュックを背負って川岸へと歩いた。
辺りが暗いので足下に気をつけなければならない。

Tさんの先導で川岸へ出ると、そこには大きな船が横付けされていた。
大きさは神戸港の遊覧船ぐらいだが、遊覧船と違うのはあちらこちらペンキも剥げていて、かなり年季の入った、くたびれ加減の船というところだろう。
それに中が薄暗く裸の蛍光灯と電球がボンヤリと甲板を浮かび上がらせていた。

「大丈夫ですか?」
と訊いたのはTさんだった。
「大丈夫ですよ」
と私は答えた。

なぜこのような互いの安全を確認するような会話が交わされたかというと、船に乗るためには川岸の土手から船に向かって掛けられている巾30センチ、長さ10メートルぐらいの木製の足場板を渡らなければならなかったからだ。
もし足を滑らせて踏み外すとエヤワディ川で朝の沐浴をすることになってしまう。

足場を渡る安全のための手摺りはあるにはあった。
しかしその手摺りというものは船側と土手側に船会社の作業員が丸い鉄パイプを手摺りのように持っているという持って渡らないほうが安全ではないかと思われるような代物なのだ。

私とTさんの重いスーツケースは船の乗組員(たぶん。ポロシャツにズボンだから普通の人と見分けがつかない)が運んでくれたので、私たちは自分の心配さえすればよかった。
それでもリュックを背負っているので落下の危険性は手ぶらよりはある。
手ぶらなら落ちても別になんてことはないが、私のリュックにはiBookが入っており、それごとドボンといくとシャレにならない。

足場板の上をバウンドしながら渡り終えると一安心。
船の中を見回すと、すでに多くの地元のミャンマーの人たちが思い思いの場所に座っている。
座っているといっても座席は無いので甲板の上に座っているのだ。
甲板は二層になっているので、座席は上甲板にあるのかも知れない。
それにしても、外見と同じでいささか小汚い船だな。
と、観察していると、

「なにしてるんですか?こっちですよ」

とTさんは私を呼び止めた。
Tさんの声の方を振り向くと、このボロ船の向こう側にもう同じような大きさの船が横付けされていた。
私たちが乗船するのはそちらの船なのであった。
そちらの船は、まさしく観光船。
小奇麗な中型のクルーザーであった。

小奇麗であってもそこはミャンマーのこと、期待は裏切らない。
1階船室は瀬戸内海を行き来する連絡船のような前方に向いた座席がずらりと並ぶ劇場形式で、四隅には据置型のパッケージエアコンが置かれていた。

「これはこれは。さすが観光船ですね。涼しい航海ならぬ川下りができそうで」
「エアコンですか?たぶん動かないと思います」
「..........動かない?」
「ハイ、たぶん」

ヤンゴンの市内バスで「エアコンバス」というのは、エアコンの「機械」が付いているバスのことで、それが動くかどうかは別問題であったことを思い出した。
したがって、この船もまた「エアコン付きの観光船」ではあったのだが、正確には「エアコンの『機械』付き観光船」なのであった。

「ああ、おはようございます」
「おはようございます」

私たちに続いてデイビットさん夫妻が男性ガイドに連れられて乗船してきた。
ヤンゴンからの列車も一緒、バガンまでの船も一緒なのであった。
デイビットさんのガイドはマンダレー限定。
ここからはバガンに到着するまで彼らは二人だけの旅になるが、前にも述べたようにTさんは彼らが手配した旅行社の社員なので、万一の場合、私だけでなく彼らの世話もすることになるのだろう。
Tさんは、まことにもってご苦労さんなことである。
疲れているだろうに......。
と心配してTさんの方を見ると、デイビットさん夫妻のマンダレーの男性ガイドと楽しそうに世間話に花を咲かせていた。
Tさんは結構タフなのかも分らない、と思った。

つづく

写真も一緒に楽しもう!
ミャンマー大冒険も載っている東南アジア大作戦


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レンタルビデオ店の「ミニシアター系」コーナーで見つけたのが本作のDVDだった。

ミニシアター系には大作にはない映画そのものを楽しめるような作品が少なくないので、見逃さないように注意を払うようにしている。
大阪のミニシアターの映画館は東京と比べると遥に少ない。
梅田ガーデンシネマやテアトル梅田、九条シネヌーボ、動物園前シネフェスタなど、数えるほどしかない。
上映本数そのものは東京に引けをたらないのかも知れないが、上映期間が短く見逃してしまうことが多い。
そこで、頼りになるのがDVDというわけだ。

「大なる休暇」はレンタルビデオ店で見つけるまでは、まったく知らない映画だった。
知らない映画なのに3枚も同じDVDがあり、2枚が貸し出し中だったので「もしかすると面白い映画なのかも知れない」と思い、借りることにした映画だった。
もちろんDVDのパッケージに面白そうな文句が書かれていたことも影響していた。

本作はカナダの映画だ。
最近カナダの小作品がミニシアター系で公開されることが増え、本作もその一つのようだ。

ケベックの人口120人の小島にプラスチック工場誘致の話が浮上し、その条件のひとつに常駐の医師が必要だということになった。
ところが、島は漁業が主体だが、それ自体が廃れてしまい島民は生活保護で暮らす毎日。
もちろん医師などいない。
なんとか工場を誘致して島民を失業から救いたいと考えた町長はモントリオールから一人の医師を引き込んで、大芝居を打つ。
というストーリーだ。

アイデアが面白そうなので借りたのだが、再生ボタンを押してすぐ、少し後悔することになった。
フランス語の映画だったのだ。
私は何が嫌いかというとフランス語の映画と韓国語の映画ほど嫌いなものはない。
何を言っているのか皆目見当がつかないのはもちろんだが、この二つの言語が持つ独特の音が大嫌いなのだ。
これまでフランス語の映画で視聴に耐えたのは「アメリ」だけで、これも耐えられたのは主演女優のオデレイ・トトゥが可愛かったというただ一つの理由によるものだった。

フランス語アレルギーがビビビッと反応したものの、映像の美しさにアレルギーはかなりのレベルで押さえることができた。
しかし、フランス語以上にストーリーにかなり拒否反応が起こってしまったというのが正直なところだ。

町長以下島民が島へ好印象を持ってもらおうと医師を騙すため、あれやこれや実行する作戦が、どうも笑えないのだ。
冷や冷やしすぎて笑えないのはもっともだが、そのウソが私の許容範囲を超えており、微かな不快感がただようのだ。

コンセプトは悪くない。
しかしコメディとしても、シリアスドラマとしても少しばかし灰汁が濃すぎるのではないかと思える映画だった。
これもフランス遺伝子の成せる技かも知れない。

~「大いなる休暇」La Grande Seduction 2005年クレスト・インターナショナル~

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東京都内のいくつかの会場に分散し20日から27日まで「難民映画上映会」が催されているという。
主催したのは国連難民高等弁務官事務所。

難民映画というのはアフリカやアジアなどの難民を題材にした劇映画やドキュメンタリーはもちろん、難民自らが製作した映画、というカテゴリーだそうだ。

先週末、この映画上映会をTBS系のニュース番組が妙なコメントやテロップを使って報じていた。
なんでも、世界の難民受け入れで旧西側先進国では欧米各国は数十万人規模で受け入れているが、日本はたった26人しか受け入れていない、というもので「国民の意識を変えてもらうことを目的とした映画上映会です」などと言っていた。

ここでちょっと疑問が浮ぶ。
26人しか難民を受け入れていないのは問題か?
数十万人もの難民を受け入れることの方が問題じゃないのか?

TBSの報道は目につく表面的なところだけを断定言葉で報道し、難民問題発生のメカニズムはまったく触れない。
もしメカニズムを報道したら、日本が26人しか難民を受け入れていない理由を視聴者に悟られて、自分たちの偽善性が露呈してしまうのを恐れているのだろう。

難民の出ているアジア・アフリカ・中東地域は、これらすべてヨーロッパの旧植民地。
彼ら旧宗主国の中途半端で無責任、残忍な政策が「難民」という結果になっているのは、ちょっと近代史を齧れば子供でも分る歴史の事実。
その宗主国の過ちを、なんで日本が責任を取らなければならないのか理解に苦しむ。

高等弁務官の「白人」職員の発言「日本の皆さんに理解してほしい」とは、おこがましい。

もっとも日本は難民を受け入れてはいないが、見殺しにしているわけでもない。
問題地域に人や資金をつぎ込んで難民支援活動を支えている。
例えば中東パレスチナへの一番の支援国家は我が日本。
見えないところで活動しているのだ。

話は変るが、サッカーワールドカップの決勝戦でジダン選手が起こしたマテラッティ選手への頭突き事件は「差別発言がきっかけだ」という。
その「差別をなくして戦おう」いうのが今大会の開戦前からのスローガンだということらしい。
だからかどうか知らないが「日本は自国のチームの応援ばかりに気を取られ、差別撤廃を叫ばなかった」という一部のしったか報道も聞えてくる。
しかし、これも日本の知ったことではない。

日本は幕末に開国するまで民族差別や人種差別がこの世にあるとは知らなかった。
東京湾へ入ってきた貿易船が、実は奴隷船であることを知った政府は、
「そんな残酷なことがあるものか、人道に反する」(マリア・ルース事件)
とばかりにすべて解放させてしまった国柄だった。

で、差別を教えてくれたのは西欧人だ。
中国大陸の海岸に治外法権の街を創り、清国人を顎で使うことを教えてくれたのも西欧人だ。
その教えで二つのアジア人民の間になかなか回復できない不信感を作り出したことは、現在にも通じる。
そして現在、我らの先生だった西欧人が中心になって「差別はいけない」「差別をなくそう」とテレビのCMのように叫んでいるのだからちゃんちゃらオカシイ。

日本人のやり方は、なんと言われようと日本人で決めれば良いことだ。

難民映画を鑑賞し、難民問題に触れることは重要だ。
世界には自分の国が紛争で疲弊し、明日を生きることも難しい人々が多くいる。
そして、我らの目は難民だけでなく途上国のスラムに生きる「貧民層」やストリートチルドレン等にも目を向けるべきなのだ。

安易に彼らを自国に受け入れるよりも、彼らがどうやって彼らの祖国やその地域で生きて行けるようにしてあげるのか。
それを考え伝えるほうが日本の報道として親切であり正論だと思うのだがどうだろう。


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今年もトニー賞の授賞式がNHK衛星で放送された。
私は毎年この授章式の中継が楽しみで、毎回録画をして見ることにしている。

アカデミー賞やエミー賞と違ってトニー賞だけは見ておかなければ、かなり後悔することになる賞なのだ。
というのもトニー賞の対象作品だけはNYへ行かなければ見ることのできない舞台エンタテーメントだからだ。
だから、テレビの中継を見逃したら実際にNYに行くしか作品を目にする方法はないというわけだ。

今年も力作揃いでNYへ行って直接この目で観たい作品ばかりだった。
中でも、とりわけ目を引いた作品の一つが「ウェディング・シンガー」だった。
情報によるとあの「ヘアースプレー」のスタッフが製作したミュージカルだということで、ロックのリズムに合わせたアップテンポな踊りにも納得できるというものだ。

で、ここで金や時間があれば「NYへ行って見てこよう!」ということになるのだが、私には金はもちろん、時間もないのでNYに行くことはできない。
そこで代わりに「該当するミュージカルのCDを購入する」というプロセスに進むことになる。

もちろん購入するのは手軽なアマゾンドットコム。
さっそく検索ワード「wedding singer」と入力した。
するとなんと、この作品は同名映画が原作だったのだ。
映画があるなら話は早い。
映画を見ればストーリーくらいはチェックできる。

映画のDVDには星が5つも付いている。
「もしかして、面白いのか?」
ここで1枚1500円のDVDなら迷うことなく買ってしまうのだが、価格を見ると6300円。
なんじゃ、こりゃ?
今どき1枚6300円の映画DVDがあるとは驚きだった。

6300円は来月発売の「男たちの大和 スペシャルエディション」と変らない価格。
だから購入することは即あきらめて、直ちにTSUTAYAへ足を運んでレンタルしてきた。

で、観賞したところ「ホノボノとした」「とびきりハッピー」で、とんでもなく明るい作品であることが判明した。
要は、単純なラブコメなのだが、テンポが良いうえ、ところどころ微笑ませながら「ホロリ」とさせる粋なスパイスが利いているのだ。
主演のドリュー・バリモアは、同じラブコメ女優でもメグ・ライアンやジュリア・ロバーツとはかなり違う。
「ちょっとおデブ」で「おちゃめな顔」のキャラクターだから決して美人でもなんでもない。
でもこの普通キャラがとてつもなく魅力的で、「ちょっとおデブ」も手伝って、私は10年近く前の数年間つきあったガールフレンドのことを無意識のうちに思い出してしまったくらいだった。

ともかくブロードウェイのミュージカルも気になるが、映画もかなり面白い。
気持ちが沈んでいる時に元気にしてくれる一本だといえるだろう。

なお、ドリュー・バリモアが「E.T」の主人公の妹役で出演してたガキだとは思わなかった。
時は流れ、私がオッサンになってしまったのも頷けるのである。

~「ウェディング・シンガー」1998年作 ギャガ・コミュニケーションズ=ヒューマンピクチャーズ配給~
~ブロードウェイ・ミュージカル「The wedding singer」~

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ビールの美味しい季節になった。
夏になると私はいつもオリオンビールを飲みたくなる。
「蒸し暑い=オリオンビール」
というのが、1987年以来の習慣なのだ。

学生気分も冷めやらぬ1987年6月。
私は初めて沖縄へ行った。
残念なことに仕事で行ってきたのだった。
仕事の内容は沖縄本島中部に建設中のリゾートホテルの竣工書類の作成業務。
約1ヶ月の滞在だった。
6月だというのに連日蒸し暑く、ホテルも工事中なので現場事務所以外は冷房なんか効いていない。
書類の作成のために各種項目のチェックや測定のために現場へ入ると汗だくになった。

名門ビーチ「ムーンビーチ」近くの宿泊所の安ホテルは驚くなかれクーラーが有料で1時間100円。
コインボックスには400円までしか入らないので、4時間ごとに目を覚ましては100円玉を追加した。

暑さをしのぐ、毎日の楽しみはビールを飲むこと。
ホテルの近所の万屋の冷蔵庫にはキリン、アサヒ、サッポロ、サントリーのメジャー4社のビールも入っていたが、オリオンビールが最も多くの場所を占有していた。

「オリオンビールって何?」
と初めて見た沖縄の地ビール会社に興味津々。
興味津々だが、やはり飲み慣れたキリンやアサヒを購入した。
で、ホテルへ持ち帰り飲んでみると、
「なんや? 不味~!」
となってしまった。
大学時代、そして社会人になって2年間、ビールは暑い季節には美味しいものという既成概念が崩壊した瞬間だった。

翌日、めげずにサントリーとサッポロを買い、試しにオリオンを買ってホテルに帰った。
で、サントリーとサッポロはやはり不味くて飲んでもすっきりしないのだ。
「オリオン、飲んでみよか」
と大阪からの出張組の仲間と一緒に飲んでみると、
「え~!うま~!」
と驚いた。
「沖縄では沖縄のビールしか飲んだらアカンということか」

カルチャーショックを受けてから、沖縄滞在中は本土のビールは一本も買わなかった。
しかも帰る時のお土産もオリオンビールで、当時本土と沖縄県は酒税が異なっていたので、郵パックで送っても、本土で買うビールよりも安かったのだ。

1987年というとビールといえばキリンのラガービール。
家でも外でも「ビールちょうだい」といえば、ラガービールが出て来た時代だった。
ところが、この1987年は、ビールの歴史ががらっと変る激変期間の最初の年でもあったのだ。

天の邪鬼の私は高校卒業以来、コンパや宴会、ちょっとしたパーティなどでは必ずラガー以外のビールを飲んでいた。
「ラガーって、美味しくないよね」
などと大胆にも味の違いなど分らないまま恰好をつけて宣ったりした。

ある雑誌で聞いたことがある一説に「オリオンのパクリらしい」というアサヒ・スーパードライ。
本書はそのスーパードライ登場に始まるビール業界の市場逆転と発泡酒の出現による過酷な「ビール戦争」をリポートしたドキュメントだ。
1980年代半ば、サントリーへの合併を進めるために倒産寸前のアサヒビールに住友銀行から送られた社長が、和食に合うビールを創れと開発に指示したことからスーパードライが誕生した、という前半は、まさにNHKのプロジェクトXの感覚で楽しめる。
一方、市場が激変し、僅か数年で奈落の底に落とされたエリート集団キリンビールの社員のエピソードは現在まで続く多くの日本企業の縮図でもある。

本書は過去20年に渡るビール業界の闘いを通じて、営業とは何なのか、企業文化とは何なのか、ということを読者に対して率直に問いかけたルポルタージュの傑作だ。

思えば父や祖父の時代はキリンのラガーがお決まりのビールだったが、その理由を私たち一般人が知ることはなかった。

今では酒屋やコンビニへ行くと大手四社はもちろん沖縄のオリオンビールまで売られている時代。
こうなる過程で、ビールの市場がどう変ったのか、そしてその変化に各メーカーの営業マンや企画開発担当者はどう挑んだのか。
単にビールのみならず、あらゆるビジネスに通じるドラマが本書では紹介されているのだ。

そして、各々のドラマには共通の言葉が含まれている。
その言葉を「情熱」という。
本書を読むと、その情熱が胸を打ち、気楽に構えていることができないくらいの感動と衝撃を受けるのだ。

企業戦士として生きる者なら是非読みたい一冊だ。

~「ビール戦争15年 すべてはドライから始まった」永井隆著 日経ビジネス人文庫刊~

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