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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



久保田早紀
アラジン
クリスタルキング
エマニエル坊や
岸田智史
殿様キングス
ぴんからトリオ
円広志

ヒット曲「千の風になって」を聞くたびに私は、秋川雅史が上記の人々の仲間入りをしたように思えてならないのだが、みなさんはいかがか?

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ミャンマーへ旅立つ数日前。
出張の合間に神田神保町にあるアジア文庫を訪れた。
「何か面白そうな本はないかいな」
と探して見つけたのが本書「ビルマ商人の日本訪問記」だ。

この本。
ミャンマーのことをあえて「ビルマ」と書いているのは、この日本訪問記が1930年代の話であるからで、当時はミャンマーのことを誰もが「ビルマ」と読んでいたのでそのまま使われているというわけだ。

戦前戦中のミャンマー人の日本訪問記といえばアウンサン将軍以下30名の青年で構成されていた「三十人の志士」の物語が有名だ。
イギリス官憲の目を逃れてバンコク、サイゴンを経由して訪日し、日本や当時我が国の領土であった海南島などで訓練と教育を受ける様はなかなか興味深いものがあった。

「ビンタはミャンマー人には耐えられない屈辱的な習慣だ」
「みそ汁が臭くて食えない」
「集団で風呂に入る習慣はミャンマー人には恥ずかしくて仕方がないものだった」

などなど。
日本人の私たちが「へ~~~~」と感心してしまう内容が目白押しだった。

本書の主人公はアウンサン将軍などと異なり一般の商人。
但し、愛国精神を持っているところはアウンサン将軍らと変わりなく、日本が成功したことと自国が異国民に統治されている現実を比較して何とかしたいという心意気がひしひしと伝わってくる。

残念ながら独立から60年。
本書の発刊から70年が経過するが著者の祖国は未だに混迷の中にある。

もちろん本書の魅力はミャンマー人という同じアジアの民族から見た戦前の日本を眺めることのできることだろう。
習慣の違いや金銭感覚。
飛行機ではなくて船舶の時代にヤンゴンから神戸~東京へやって来るまでの長旅の様子などがよくわかり面白い。
中でも本書を読むまで私は超有名な薬品「タイガーバーム」がミャンマー生まれだったとは知らなかった。
ホントに意外だったのだ。

ともかく戦前のアジアを眺めることのできる良書の一つと言えるだろう。

~「ビルマ商人の日本訪問記」ウ・フラ著 土橋泰子訳 連合出版刊~

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これがゴールデンロックへ向かう「登山用豪華バス」。
運賃は片道1300チャット(11月26日現在 日本円で130円)。

爽やかな風が頬をなでるが、客席は極めて狭く足がメチャ痛。
慣れない「オープンカー」の「ダンプ式ショックアブソーバー」に加え探偵ナイトスクープ!で採り上げてもらいたいぐらいの急傾斜をアップダウンするので、まるで「ジェットコースター」。

正直言って、実際にチャイティーヨーパゴダのゴールデンロックへ行って帰っての最大の土産話は「ゴールデンロック」ではなくて「この豪華バス」。

是非一度ご体験ください!(笑)

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写真:チャイティーヨーパゴダのゴールデンロック(11/26撮影)

「ミャンマーへ行こう!」
なんて誘っておきながら、どこへ行くのかプランも示さないのはサイテイ。
と言われかねないので、「とりがら時事放談」がお勧めするお笑いプラン第一弾。

まずは超有名なゴールデンロックへの旅。

A.年末年始に旅する豪華版の場合

(第一日)バンコクを経由してタイ航空のビジネスクラスでヤンゴン入り。関空からなら深夜便で翌朝到着可。成田からは夜到着。途上国とばかりの先入観でヤンゴンに到着すると完成したばかりの国際線ターミナルがミャンマーの印象を一変。しかしこのターミナルが私たち日本人の血税で作られていることを知る日本人は、少ない。

朝到着の関西人はそのままヤンゴン市内観光。シェダゴンパゴダやアウンサン将軍記念館を観光。なお、お寺の境内は履物厳禁、靴下厳禁で全て素足なので犬のウ○コを素足で踏まないよう注意を要する。(筆者は踏んでしまった経験あり)
天候は快晴。
気温は28度前後。朝夕は寒いくらいのさわやかさ。
宿泊はヤンゴン中心に位置するトレーダーズホテル。

(第二日)早朝5時頃ホテルを出発(車チャータ)。途中シッタン市の日本人墓地を訪問し、異国の地で非業に倒れた兵隊さんたちを追悼。チャイト市近くのリゾートホテルで昼食ののち、キンプン村キャンプから専用チャーター登坂用バスで楽々登山。中腹のヤテタウンでチャーター車を下車し四人の男が担ぐカゴでチャイティーヨーパゴダへ。
ゴールデンロック参拝。
遥か地上に夕日に輝くシッタン川を眺める。
チャイトホテルの見晴らしの良い崖っぷちの部屋へ宿泊。

(第三日)早朝5時に起床し夜明けのゴールデンロックを参拝。旭日奉拝。
朝食後、四人の男が担ぐカゴでヤテタウンへ下山。そこからは専用チャーター下山用バスでキンプン村へ。
キンプン村で土産物購入後、専用車でバゴー市内観光を経てヤンゴンへ。

(第四日)ヤンゴン市内のマッサージ店でリフレッシュマッサージ2時間の後、ホテルのプールで疲れを癒す。夕刻のタイ航空ビジネスクラスで帰国の途に。

B.6~8月頃に旅する貧乏版の場合

(第一日)成田からのインド航空でバンコク入り。カオサンのドミトリーで一泊した後エアアジアのエコノミーでヤンゴンへ(往復80ドル)。
ヤンゴン国際空港へ到着もターミナルのボーディングブリッジが故障でバスに乗車。バスの中の「つぎとまります」表示や「降車の時はこのボタンを押してください」などの「日本語表示」にがく然とする。
入管で手続きに手間取ったうえ10ドルの賄賂を請求される。
ほとほとの入国に続いて手荷物が出てくるまで1時間。
やっとのことでロビーへ出ると、どれが乗り合いタクシーなのかさっぱり分からず途方にくれる。
外へ出てみるとモワ~とした空気が漂い、蒸し暑い。
雨がシトシトと降っている。
ヤンゴン市内では一泊10ドルのクイーンズ・パークホテルへ宿泊。夜中は外からの音がやかましいは、停電でエアコンは止まるは熟睡できず朝を迎える。

(第二日)朝から時間潰しのためシェダゴンパゴダを訪問するも「外国人は拝観料5ドル」に憤慨し屋台でミャンマービールをたらふく飲み、飲酒を卑しむこの国の文化で人々から眉をそばめられる。
夕刻、乗り合いバスのゴールデンロック行きに乗車。
季節外れにも関わらず車内は満席。
運転席後ろのテレビからはミャンマーの音楽が大音量で流れ続ける。なお、バスは聞いたこともないような日本の観光バスの中古車両。窓枠は壊れていて閉まらず、雨粒が頬を伝う。

(第三日)未明、キンプン村へ到着。登山用バスが運行し始めるのを宿屋兼食堂で仮眠して待つ。
始発のバスに乗り込もうとバス乗り場へ行くとバスとは名ばかりの「日本の中古ダンプカーに腰掛け用板を渡したもの」であることを知りがく然とする。
超満員に詰め込まれ足を腰かけ板に挟まれ苦痛のまま「日通北関東支店」と書かれたバスで登坂開始。
ジェットコースターのような運転に悲鳴を上げながら「オープンカー」の乗客席で早く目的地へ着くことを祈る。
なお、雨合羽を着てみたが雨期の雨に効力はなくパンツまでびしょ濡れになる。
ヤテタウンで下車の後、自力で登山。
途中、坂道の石段部分で足を滑らせひっくり返りミャンマー人の参拝客の笑いものになる。
チャイティーヨーに到着するも雨のため10メートル先も見えず、ゴールデンロックの輪郭だけ見て帰る。
宿泊はチャイトホテルのビニール窓がガタガタうるさいドミトリー。

(第四日)雨は降り止まず朝日を期待してゴールデンロックに参拝するも、ライトアップの電球だけを拝んで下山。
恐怖のダンプカーバスでびしょ濡れになりながら下山。
乗り合いバスに乗り込もうにもびしょ濡れのためキンプン村の売店でロンジーを買い求め、
「よく似合うよ。ミャンマー人みたいだ」
とミャンマー人に褒められて初めて感動する(なぜ感動するのか分析は不能)。
シッタン川を渡っている途中何気なく「奇麗な景色だな~」とカメラのシャッターを切ったら同乗していた軍人の客から思いっきり叱責を食らう。
途中バゴーでバス故障。修理3時間の後、深夜ヤンゴン着。

(第5日)昨晩屋台で食べたモヒンガーで腹を壊し下痢。不安を抱えたままヤンゴン国際空港へ。
エアアジアのエコノミークラスで帰国の途へ。


と言う具合に金額に関係なく結構おもしろい旅プランが作成できます。

ま、実際はもっと普通なんですけどね。


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写真:大勢の参拝者で賑わう夕刻のシェダゴンパゴダ(ヤンゴン)。欧州系外国人観光客の姿も多く見られた。(11月18日撮影)


ということで、皆様の予想通りミャンマーへ行って参りました。
本来なら、オモ~イ雰囲気で「ミャンマーの今」なんてレポートを書くのが一般的なのでしょうが、そこは左巻きの人たちとは異なる意見の「とりがら時事放談」。
そんなことは書きませんからね~っと(←桂小枝の口調で読んでください)。

外務省の海外安全情報をチェックするとミャンマーは「渡航の是非を検討してください」とか書いてあった。
なんじゃ、こりゃ?

これはお隣の観光大国「タイ」への旅行と比べて費用がかかるので「予算の是非を検討してください」という意味ではまったくない。
ご存知のように日本人カメラマン(←ジャーナリストなんて呼びたくない)がデモの取材中に射殺されるなんていう事故(←事件なんてことも言いたくない)が発生したので、事なかれ主義の外務省というお役所が「もめ事はたくさんだ」というご立派な精神のもとに発令している邦人への警告なのに違いない。(ちょうど駐ミャンマー大使も代わったところみたいだし)

で、その事件について現地ヤンゴンではどんな噂がささやかれているのか、という皆さんが関心あることについては明日以降にお伝えするとして、まず今日は私から皆さんにお願いがあります。
それは.......

ミャンマー旅行に出かけよう!

ってこと。

ミャンマーの旧都ヤンゴン(英国名ラングーン)はタイのバンコクから空路僅か85分。
成田や関空、中部空港からはタイ行きチケットに往復で2~3万円もプラスすればヤンゴンまで行くことができる。
ビザ取るのが面倒だけど、それだけの価値は間違いなくあり!と断言。

有名なゴールデンロックまではヤンゴンから強行日帰りもできる。
シェダゴンパゴダをはじめとする数々の寺院も魅力的。
そしてなんといっても超親日的な対日感情と、超穏やかで人懐っこいミャンマーの人々が魅力的。
治安も抜群。
これは軍政による弾圧があるから、なんていうバカな話ではなくって、かつての日本人にとてもよく似た国民性によるもの。
タイのスコータイで発生したような悲しい事件は極めて起こりにくい国と言っても過言じゃない。

もし、年末年始に海外旅行を計画し「東南アジア方面に出かけよう!」なんて思っている方々がいらっしゃったら是非ともミャンマーを訪問していただきたい、というのが「とりがら時事放談」管理人の私からのお願いです。

で、なぜ私がこんな余計なお世話なことを書いているかというと、例の事件でひるんでしまって現地を訪れる日本人が激減していることを知ったからです。
これ、当たり前ですが現地の一般の人々には非常に困ることなのです。

ミャンマーには日本語を学習して数少ない国内の日本企業で働くことを夢見ている若者大勢います。
日本語を習うことはある意味チャンス。
ミャンマーの劣悪な経済状態から抜け出すための一つのチャンスと言えます。
まして日本人は彼らの尊敬するアウンサン将軍らを中心として先の大戦で一緒に戦った身近な民族。
日本人として気恥ずかしい話ですが、彼らの希望に少しでも応えてあげる立場にいることが日本人とアメリカ人やイギリス人とも違いです。

で、その日本語を駆使して生計を立てている代表が観光やビジネスツアーを支える日本語ガイドさんたち。
日本人が「ビビって」訪れなくなるだけで、普段でも苦しい彼らの生活がさらに苦しいものになってしまうのです。

「経済制裁は当たり前じゃ!それで国民が苦しんで何が悪い!」
なんて思っている人は日本人ではありません。
アメリカかイギリスにでも移民してください。
自分の目で確かめもせず、また自分の人生の中で苦労などしたことのない人間の戯言です。

このメチャクチャ厳しくなってしまった今このときに彼らは何をしているのか。
考えたことがありますか?

例えば日本語ガイドさんたちが今何をしているのかというと、
「日本語力のブラッシュアップ」
「グループを組んで観光地を訪れ日本人に紹介するための集団合宿学習」
「ミャンマー文化の日本語紹介のための勉強」
などなど。
そういう地道な努力をしているのです。

経済の都合で田舎へ送金をしないといけない人たちや、残念ながら一時帰郷してしまった人たちもいるようですが、この厳しい時期に地道に立ち向かっているミャンマーの人たちの姿があります。

だから「とりがら時事放談」管理人の私はお願いしたいのです。

年末年始の東南アジア旅行なら。
みんな話題のミャンマーへ行ってみよう!



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南の国に来ていますが、今朝、めっちゃ寒かったです。
「ん?南の国」
そうです。
ご存知ミャンマーに来てしまいました。

今、メールを打っているのは先日の事件で有名になった場所からほんのわずかの繁華街。

今日は祭りの日なのでものすごく人通りも多く、平和そのもの。

詳しくは帰国後報告。
こうご期待!

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管理人は一週間の旅に出ています。次回エントリーは11月27日になります。
それまでは浅草寺の夜景をお楽しみください。

訪問地=秘密

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大阪なんばHatchで開催された「谷村有美デビュー20周年記念ライヴ もっとおそばに」へ行ってきた。

ほんとうに5年ぶりぐらいになる大阪でのライブは、これまた久々の全国ツアーの千秋楽なのであった。(相撲か)

大阪とシンガーソングライター兼ピアノ弾きでお馴染の谷村有美の関係は古くて深い。
なんと言ってもFM802で十年近くも毎週毎週DJを務めていたのだから、鹿児島生まれの東京育ちの谷村も関西弁が上手いというもの。
今日は初めから本人も感激していたのか笑いながら涙ぐんだままスタートを切ったのであった。

私としても座席がベストポジション。
前から5列目のど真ん中なのであった。
ライヴビデオをパナソニックの103インチプラズマテレビで見るよりも迫力があったことは間違いない。
しかも迫力だけでなく感動もあったのであった。

それにしても、デビューしたての頃と声質が変わらんのは素晴らしい。
しかも人妻(旦那さんは日本マクドナルドの原田CEO)になってガキまで生んでいるのに変わらないのは素晴らしい。

まさに今夜はあのクリスタルヴォイスが大阪の夜に帰ってきた記念すべき日となったのであった。

なお、本日の最高だった演奏は谷村がマリンバで演奏した「NHK今日の料理のテーマ」なのであった。(←もちろん冗談)

ああ、また大阪でライヴやって欲しい。

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NTTと他の通信業者がNTTが所有する光ケーブルの運営についての会合を開いたそうだ。

それによると、一括貸し出しを希望するNTTと個別貸し出しを希望する各通信会社の意見が対立。
結論は出なかったという。
この会合で一番息巻いたのはソフトバンクの孫会長だそうで、
「もしNTTが光ファイバーを独占したいなら、NTTグループの構造改革を今すぐ議論すべきだ」
と主張したのだという。(フジサンケイビジネスi紙より)

通信事業というのは知識不足のためによくわからないのだが、他人の会社が工事した回線を「あんたところはデカイから、うちも使わせるのが当然だ」という理論が通じるような業界なのか。
とすれば、非常におかしな世界と言わねばなるまい。

大抵の場合、どんなビジネスでも自分のビジネスに必要なインフラは自分で整備する。
整備できなければ借りるわけだが、例えばトヨタが自動車生産ラインを日産から借り入れたり、松下電器がソニーのラインでビデオデッキを作ることは、まずないだろう。
なぜならそれらがビジネスの主軸だからだ。

そういう意味では通信社の通信回線といえば立派なビジネスの主軸インフラ。
自分で整備せずに他人から「自分の都合だけでせしめよう」なんて考えは、どう考えてもオカシイ。

「NTTは国営だったでしょ」
とも言うなかれ。
NTTは国営だったから作った光ネットの環境は民間企業が自由に使えるのも当然、なんて理論が通じたらJRの線路に阪急電車や小田急、名鉄、阪堺電車なんて他の私鉄が走っても良いのかな?なんて理論も通じてしまうことになる。

そういえばケーブルテレビは自社でケーブルを張っている。
電力会社やNTTの電柱などを貸借しているようだが、これも立派な独自インフラ。

金作り以外は自分の力ではなにもやって来なかった孫会長の話。
これってやっぱりヘンじゃないか?

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「さすが、吉兆は違いますな」
「なんといっても大阪一の料亭ですから」
「浪速の味の神髄、っちゅうころですかな....ははは」

などというのは悪代官と越後屋さんの話のようだが、きっと船場吉兆ではこのような会話が関西財界の「偉いさん」たちの間で交わされていたのに違いない。

今回の船場吉兆の不正事件は「大阪の恥」。
食い倒れの街、大阪の名誉を肉まで傷つけた事件に発展した。
もうさすがに大阪人は吉兆を許すことはないだろう。

財界や著名人の間で食通と呼ばれる人たちが一番大きな被害を受けているはずだ。
「さすが吉兆」
などとつぶやいて悦に浸っていた人たちはどういう心境でいるのやら。

グルメな吉兆。
とんだジャンクフードの料亭だった。

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