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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



今月15日、かつて朝日放送「探偵!ナイトスクープ」で探偵をやっていた北野誠が復活することになったのだという。

そもそも北野誠がなぜ昨年4月、無期限謹慎処分になったのか謎のまま。
大手芸能プロダクションの社長の秘密をしゃべったとか、アイドルタレントの人権を侵害するような内容をラジオで話していたからだとか、様々な説が流れた。
今も真相は語られていない。

たかが芸人、しかも関西ローカルな芸人の謹慎事件にそんな注目せんでも。
という意見もあるかも知れないが、公共の電波を使って商売をしていた芸能人が何らかの罪によって芸能活動ができなくなったというのであれば、その罪を説明する義務が罰した側にはあるのではないか、と私は思っている。
もしそれが言論に関するもので、人権に抵触するような内容であったとしても、もし真実であって、公共の利益が著しく阻害される内容であったにも関わらず芸能活動を停止されたというのであれば、かなり問題に違いない。

芸能人の謹慎処分というのは一種のパフォーマンスではあるのかも知れないが、それにしても「なぜ」を知らせないままの復帰。
祝!
なのか、
祝?
なのか分からない芸能ニュースだった。

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京都市立美術館で開かれている「ルーブル美術館展」へ行ってきた。

素晴らしい展覧会だった。
なんといっても待ち時間2時間。
こんなに長い時間並んだのは神戸のポートピア博覧会へ行って以来28年ぶりのことなのであった。
USJでも私は1時間しか並んだことはない。

しかしながら今回の展示会はUSJよりはマシなのであった。

USJの場合、1時間も並ばされた揚げ句、アトラクションはほんの3~5分で終了してしまうが、ルーブル美術館展は好きなだけ作品を鑑賞することができるという大きな違いがあった。
しかし、作品鑑賞も一苦労で、人ごみを観賞しているのか、前の人の頭に見える作品の上の方の部分だけ観賞しているのか分からない。
美術館の方も良く考えているものでフェルメールの作品を含めて数点以外はバカでかい号数の作品を展示しており、遠くから眺めても見えなくはない作品選択をしていたのだ。

ということで鑑賞時間、私の場合は1時間。
合計3時間の旅。

次回は予約制にしていただきたいと思ったのであった。

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このお盆休み中に桂枝雀生誕70年記念落語会に行ってきた。
場所は大阪のサンケイホール。
サンケイホールといえば桂米朝さんや生前の枝雀が独演会を開いていたホール。
ただし、昨年に建て替え工事が完了して昔のモッサイ、チッコイ、小汚いホールはもはやなく、そのイメージもない。
ただ、めちゃ狭くてイスの座り心地がイマイチなイメージだけは踏襲しての新しくなったホールでの開催となった。

私は昼の部を観賞しに訪れたのだが、出演者は紅雀、雀松、南光の順でゲストは落語に笑福亭松之助、トークショーにイーデス・ハンソンと桂ざこばに小米朝改め米團治。
いずれもなかなか面白く楽しい内容だった。
が、驚いたことがただひとつ。
いろいろと生の落語を聞かせていただいたが、一番面白かったのが、中入後に上映された生前の(もちろん死後はあり得ない)桂枝雀が演じた朝日放送の枝雀寄席「道具屋」のビデオだったことだ。

ビデオ上映終了後のトークショーで南光自身も「悔しいですけど」と呆れたように話していたが、今もなお、ビデオとなった枝雀が一番面白いのは、さすがだと実感、。
枝雀の落語がいかにユニークで突出して面白かったかがよく分かる落語会だった。

これで、もし今も死なずに生きていたら枝雀の芸はどんなものに発展していたことやら、と想像するとポロッと涙がこぼれそうになった。
ちょこっと困ったのであった。

それにしても枝雀の人気は今も衰えない。
私自身、枝雀は今も大好きな落語家だし、学生時代に録画した枝雀寄席のビデオテープもひどい画質ながらたまに見たりする。
とりわけ仕事が行き詰まったり、悔しいことや悲しいことがあったりすると枝雀の落語はいとしこいしや人生幸朗と生恵幸子の漫才と共に元気回復の特効薬だ。

最近のつまらない使い捨て芸人の一発芸を観ていて、こちらが恥ずかしくなくとも少なくない。
そういうテレビ衰退時代に、枝雀のような真のエンターテイメントを目にすると人類の歴史と文化度は時と共に発展するばかりではなく、著しく衰退することもあるのだと、痛烈に感じるのだ。

と、思っている今日この頃でござました。


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「日立が日立マクセルを完全子会社化」というニュースを読んで、久々に音楽や外国製のテレビ番組に目覚めた少年の頃だった自分を思い出した。

中学生の時、確か毎週日曜日に朝日放送で「地球は音楽だ!」という番組が放送されていたこ。
この番組のスポンサーが日立マクセル。
番組とコマーシャルで流れる独特のコーラスで始まる音楽に「お、めっちゃ感じええやん」と、それまで山口百恵や桜田淳子、西城秀樹、フォーリーブスなんていうアイドル歌謡にしか興味がなかった私に音楽センスに関する天気を与えてくれたのであった。

その曲は当時ほとんど無名だったゴダイゴが演奏する「シンフォニカ」。
全編英語で歌われるその曲が日本人の製作によるものとはとても思えず、なんとかしてドーナツ盤を手に入れたいとがんばってみたものの、そこは中学生。
見つけ方が分からない。
やがて高校に上がってすぐにCMソンググラフティなるアルバムを見つけて感激したのだが、ゴダイゴを知ることと日立マクセルが重なって、
「日立マクセルってセンスのええ会社やな」
とその後暫く親に買ってもらうカセットテープは日立マクセルを選ぶことになった。

その日立マクセルのテープを使って録音したのがサンテレビ放送されていた「世界の料理ショー」や「ザ・ゴングショー」といったアメリカのバラエティ番組。
まだまだビデオなんてなかった時代。
一般家庭の購入できるビデオデッキβマックスが発売されたのがこの2~3年後。
テレビはテープに「録音」するものだった。

このテープのうち今も残っているのが「世界の料理ショー」の1話。
ホスト役のグラハム・カーの声を浦野光がやっているシリーズで今となっては貴重品。
カセットテープの黄色い下地に「maxel」のロゴを見るたびに浦野光の、
「おーい、スティーブ。水が出ないぞ」
という声を思い出すのだ。

この日立マクセル。
長い間、私は日立だから東京の会社だと思っていた。
ところがある日、この会社が大阪の会社であることを知った。
多くの大阪の大手企業が本社を東京に移しているのに、今もこの会社は大阪の茨木市が本社。
地元贔屓も手伝って大阪人の私は今も時々、この会社の製品を買っている。

もちろん時代の流れで買うのはカセットテープではなくてDVD-RやCD-Rなんだけどね。

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来月(11月)でマンガの神様・手塚治虫生誕80年を迎えるのだという。
80年。
意外に短い、と思った。

手塚治虫がもし生きていれば80歳になっていたわけで、手塚マンガの新作が読めなくなって二十年だと考えると、いかに若くして亡くなってしまったのか、というのがよくわかる生誕80周年だ。
もし胃ガンなどにかからず、またはその胃ガンが治癒してさえいれば「グリンコ」や「ルードリッヒ・B」は結末まで読むことが出来ていたであろうし、大人が読むに足りる様々な新作を残してくれていたことは間違いないだろう。
(あ、但し「グリンコ」は連載が続いてたとしても、連載が終わる前に掲載誌の朝日ジャーナルが廃刊になっていた可能性が大いにあり。よって、生きていても中半端終了だったかもしれない。)

親の証言によると二、三歳のころに近所のオバチャンから頂いた鉄腕アトムの乗った玩具のパトカーがテレビ以外での私が初めての手塚作品との接触だったのだという。
このアトムのパトカー。
私の記憶にはちっとも残っておらず、写真さえ存在していないので、もはや最も身近に感じた最初の手塚作品とは言えないのではないかと思っている。

で、最初に手塚治虫のマンガに触れたのは小学5年生頃のことであった。
当時私にとってのマンガといえば、とりいかずよしの「トイレット博士」であり、永井豪の「オモライくん」だった。
いずれも下ネタ大流行のスカトロ・マンガだったが、他の大勢の子供がそうであるように、私もその手の低俗なギャグが大好きなガキなのであった。
そのような程度の低いガキの中で同じクラスのH君はノートの隅にめちゃくちゃ上手い鉛筆さばきで手塚治虫のブラックジャックやヒゲ親父、ヒョウタン継ぎなどを描いていた。

「なに?それ?」

と訊ねるクソガキども私たちに、
「これ、おれ、メチャクチャ好きなマンガやねん。かっこええぞ」
とマントを翻すブラックジャックを見せつけられたのであった。

それから間もなく、私は少年チャンピオンに連載されていたブラックジャックを読むことになった。
衝撃的だった。
筋がきっちりと通ったドラマチックなエピソードは私が持っていたマンガの価値観をガラッと変えてしまった。
そう、もう「マタンキ!」などと言っている場合ではなかったのだ。

以来私は手塚マンガのファンとなり、作者が亡くなった今もお気に入りの作品を読み返しては楽しんでいる。

なお、私の最もお気に入り手塚作品は幕末を扱った「陽だまりの樹」。
未来もののSF作品でもないし、ファンタジー系でもない、したがって魔法使いもロボットも登場しない地味な時代劇作品なのだが、ドラマに人間らしい暖かみと厳しさがあり、その日本的な感覚が私は大好きなのだ。

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緒形拳が亡くなった。

緒形拳といえば思い出すのはNHK大河ドラマの「黄金の日々」。
太閤記(放送時私は幼児だったので知りませんけど)と同じ配役で高橋幸治が織田信長役、緒形拳が豊臣秀吉役だった。

様々なドラマで様々な役者が豊臣秀吉を演じているが緒形拳ほど秀吉ぴったりの役者はいなかったように思う。

森繁久弥や西田敏行、竹中直人。

どの役者も普通に上手く個性的で面白いのだが、たったひとつ緒形拳にあって他の役者にはなかった秀吉役の個性があった。
それは「凄み」。

木下藤吉郎、羽柴秀吉、豊臣秀吉、太閤秀吉と秀吉が出世の階段を上るごとに、その個性を巧み使い分ける。
身分に応じた人間の良さ、怖さ、醜さを演じきったのは緒形拳だけだという感じがしてならない。
藤吉郎と呼ばれていた下級侍時代の人なつっこさ、羽柴秀吉と呼ばれた中間管理職的なその姿、そして太閤と呼ばれた社会の頂点に立ち、権力を手中に冷めた時の冷酷さをテレビの小さな画面の中で強烈に感じさせくれたのが緒方秀吉なのであった。

また一人、演技派の俳優さんがいなくなって寂しい限りだが、私にとって一番寂しいのは緒形拳の年老いた秀吉役を見てみたかった欲求が適わなかったということかもしれない。

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大阪府和泉市といえば堺市なのか岸和田市なのかわからない中途半端な大阪南部のレジデンシャルエリアだ。
この和泉市の特徴はそこそこ面積が大きいにも関わらず大阪湾に面していないことで、工業地帯がない。
したがって税収が......少ない。

その税収の少ない和泉市が数年前に巨費を投じて建設したのが泉北高速鉄道和泉中央駅前にある和泉シティプラザだ。

ちょっとした中ホールやコンベンションスペース、市立の図書館などが整備されており、なかなかのもの。
しかし他府県や隣町から来た人びとにとっては、この場所も泉北ニュータウンの1画に位置するために「あ、堺市の施設ね」と勘違いされ、将来は大阪府堺市和泉区になるのかもわからない。

そんなこんなを書いていると和泉市の市民の皆さんに叱られそうなので、やめにするが、そんな和泉市がこんな素敵なイベントを開いているとは知らなかった。

和泉の国 Jazz Street

私の会社に勤めるTくんがメンバーのビッグバンドも出演するとあって、いざ行かん!
昨日の日曜日にカメラを持って出かけたのだった。
しかし、音楽のイベントなのでよくよく考えてみるとカメラよりもビデオカメラやデンスケ(古い)のような録音機を持って行く方が正しかった、と後で気付いたがすでに遅かった。
でも彼のバンドをはじめ、数々のジャズバンド(中にはとてもジャズと言えないグループもあるにはあったが)を楽しむことが出来たのであった。

しかも無料で。

Tくんの所属するバンドは30年以上も歴史を持つバンドだそうだが、なかなかなもんであった。
数年前に公開され大ヒットした「スウィング・ガールズ」のバンド何ぞ話にならないくらい陽気にスウィングしていたのであった。
他バンドのコピーが多いのが気にかかったが、きっと普通にはオリジナル曲何ぞも持っているのだろう。

演奏された曲の中でも私は「オースティン・パワーズのテーマ」が大好きで、誰か客が踊っていないかと確認したのだが、私も含めて客のノリはあまり良くなく「サイケデリック」に無茶をしているヤツは一人もいなかった。

ともかく、毎年春に開催しているFM COCOLO主催のビッグリバージャズフェスタよりは、良かったような気がする。

駐車場も安かったし。

なお、和泉市では毎年10月に「和泉商工フェスタ」という手作り祭りが池上曽根遺跡で繰り広げられているが、こっちはJazzStreetほどおしゃれではない。

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緊急情報。

月亭可朝、ストーカー行為で逮捕。

笑わせてくれます。
米朝一門のつらよごしですな。
ハハハ

以上です。

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「三遊亭楽太郎が6代目円楽を襲名」

なるニュースが流れているのを発見し、

「ん? 円楽さん、いつ死んだんや?」

と頭にいっぱいクエッションマークが灯った。
が、よくよく記事を読んでみると現在の5代目円楽は落語界から完全に引退するのだという。

私は大阪生まれの大阪育ち、したがって完全なる大阪人であるために江戸落語に親しみは湧かず、落語といえば上方落語。
「3代目」と呼べば春団治のことを指し、「6代目」といえば松鶴のことを指すと思っていた。
もちろん落語好きでも「真打ち制度」なんて関係なく、面白くて上手であればそれでいいと思っているのだ。

江戸落語に唯一親しく接したのは読売テレビの「笑点」だけだった。
「だけだった」といっても笑点の力は小さくなく、偉大なるマンネリといわれる笑点の「つまらない」ギャクを面白いと思い、かつては毎週のように見てしまっていたのが、私の江戸大衆芸への接点なのであった。

笑点といえば三波伸介、桂歌丸、三遊亭小円遊、雷門ケン坊などが印象にのこっているが、そのなかでも円楽は「星の王子様」のキャッチとともに幼い私の心に深く刻まれた。

つまりわたしにとって円楽は江戸落語を代表する噺家なのであった。

ここ数年は舌も回らなくなってしまい寄席の舞台からの引退は致し方ないにしろ、変な表現だが「まだ生きているのに」弟子が師匠の名前を襲名することにちょっとばかし寂しさと痛々しさを感じるのであった。



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新聞のエンターテイメント欄を読んでいると、映画「スターウォーズ」が日本で公開されてから今月の1日で30年を迎えたのだという。

30年。

私は30年前、中学時代の友人6人で(当時私は高校1年生)大阪梅田のシネラマOS劇場で公開初日、第1回目上映のスターウォーズを見た。
座席は前から8列目のA席でシネラマの大画面の中を縦横無尽に飛び回るXウィングやYウィング戦闘機や帝国側のタイファイターに興奮したのを今も昨日のことのように記憶している。

スターウォーズは公開されるまで、中学生・高校生であった私には謎に包まれた映画だった。

「スターウォーズって、宇宙大作戦(スタートレック)の親戚か?」
と、深夜に放送されるスタートレック(オリジナルシリーズ)を欠かさず見ていた私は、そんな風にも想像した。

アメリカでの公開は1年前。
想像を絶する大ヒットで最初に目にした写真はロサンゼルスにあるチャイニーズシアターに押し寄せた観客の行列写真だった。
色んな雑誌に「こんな映画」「あんな映画」と紹介されるも想像つかず、77年夏に一足先に発売されたサントラ盤のLPレコードで初めてその中身の一部に触れることができた。
フルオーケストラで演奏されていたサントラは学校の授業で聴かされるクラシックの演奏とは印象が違い、ダイナミックでポップ感じが私の心をワクワクときめかせた。
気がつけば嫌いだったはずのクラシック音楽を好んで聴くきっかけになった。

78年のお正月に公開されたスピルバーグの「未知との遭遇」でさらに期待が高まった。
「未知との遭遇」が上映される前に初めてスターウォーズの予告編が流され、デススターを攻撃するオモチャの戦闘機群の目もくらむような特撮に目を見張った。

スターウォーズの公開日が決まり、私は友人連中に声をかけ、当時大阪では最も豪華な劇場の一つ「シネラマ梅田OS劇場」で指定券を買い求めた。
当時でもOS劇場は全席指定だった。

「おれ、コーヒーの見ながら見るわ」
と言ったN君は、映画が終わるまでコーヒー缶を握りしめたままだった。
「剣を抜くシーンの音にビックリしたな」
と言ったのはW君。ケノービがルークに剣を見せるシーンの音響の凄さにみんなビビビビと来てたとこだった。
そしてなによりも、オープニングの戦艦が大使のシャトルを追いかけるシーンに話題が集中。
映画館ではなくロックコンサートを出たガキどものはしゃぎ、という感があったかもわからない。

ところで、スターウォーズの公開は7月1日だそうだが、私は6月末に見たように記憶する。
先行ロードショーの公開を私たちは見たのかもしれない。

スターウォーズ。
あの時感じた新鮮さは今も忘れない。

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