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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



ミャンマーの旅で、クーラーが故障することほど厄介なことはない。
日本人にとってミャンマーは明らかな「南方」であるわけで、クーラーがないと暑くなる、という事実に変わりはない。

「ほんと、ランプが消えてますね」

さっきまで動いていたクーラーの室内機の緑色のLEDランプは消えていた。
リモコンを手に取り、スイッチを入れてみるがぴくりとも動かない。
間違いない。故障だ。
昨年、ホテルの部屋のエアコンが故障したときは部屋を移ればそれで済んだが、今回はそういうわけには行かない。
全室埋まっているはずで、移れる部屋もないし、移るには列車が停車しなければならない。

「次の停車駅はどこですか?」
と訊いてみた。
マンダレーまでの停車駅も確認せずに乗り込んだ列車だったが、こうなると次の駅がどこなのか、そしていつ停車するのか大いに気になる。
「次の駅はタウングーというところで、午後9時45分の予定のようですね」
とTさん。
ヤンゴン出発から次の停車駅まで6時間30分も停車しないというわけだ。

乗降扉を上がったすぐのところに左右それぞれ扉があり、片方がトイレであることは前述したとおりだ。
そしてもう片側がエアコンの室外機の置いてある機械室になっている。
機械室であるにも関わらず鍵がかかっていなかったので、機械室に入って室外機をチェックしてみた。
これは動いているようだ。
つまり室内機だけが故障して室外機は動いているという、なんともやりきれない状態であることがわかった。
試しに室外機のブレーカーを一度オフにして、暫くそのままにして再びオンにしてみたが、室外機が動き出すだけで室内のクーラーが復活する様子はなかった。

「諦めるか」
と心の中で呟いて席に戻った。

幸いなことに時間の経過とともに気温や湿度が上昇してくることはなかった。
出発前に降った雨が幸いしたのか、それとも雨期の終り近くのこの地方の気候がそうなのか、車内は快適な状態が続いていた。
しかし、出発時の雨は決して私たちに快適さという幸福をもたらしただけではなかった。
不幸をもたらしたのであった。
「雨漏りしてますよ」
と誰かが言った。
天井を見ると、小さな亀裂が入っていて、そこから雨水が漏れてきているのだ。
なんと、今度は雨漏りである。
まあ、これだけ数多くの「アトラクション」が用意されているとは、怒る以前に感心してしまうくらいだ。
「わ~、上のベッドが濡れてますよ」
私の座席の上にあるベッドが漏水でビショビショに濡れていたのだ。
ここは今夜Tさんが寝る予定の場所だったが、これではどうしようもない。
タオルやハンカチ、ビニールなどを敷いてみたものの、ベッドに染み込んだ水が浮かび上がってくることは止めようもなかった。
「ん~~~、仕方ないですね。でも寝れますよ。」
とTさんは強気にもそう言ったが、そういうわけにもいかないだろう。
ベッドの巾はとても狭い。
映画に出てくるドイツUボートの下士官用ベッドぐらいしかないのだ。
部分的にせよその半分ぐらいが水に湿気っているのだから、安心して身体を横たえられるところなどほとんど残っていないと言っていい。
「まあ、夜までまだまだあるし、なんとかなるだろう」
と、思い込むことにした。

つづく

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発売後、1ヶ月で30万部を売り尽くしたマンガ「嫌韓流」(晋遊社刊)は、どういう理由かほとんどメディアに採上げられることがなかった。
書籍が売れないといわれる現代に於いて30万部という数字は決して小さいものではない。
実際のところ、インターネットを使った口コミによって多くの人々広まった「嫌韓流」を、どうしてメディアは採上げなかったのか。
その理由を探れば探るほど、現代日本の捻じれた世相が浮かび上がってくるのだ。

本書は同和問題や仁侠の世界など、数々のタブーに正面から挑んできた出版社「宝島社」が、「マンガ嫌韓流」が社会にもたらしたものと、その社会そのものの背景を、マンガ嫌韓流にも登場したジャーナリストや学者の言葉を引用し、徹底検証を試みたユニークな一冊だ。

ホントのところ、表紙に派手に書かれていた「マンガ嫌韓流の真実 韓国/半島タブーの超入門」という見出しほどのインパクトは内容にはなかった。
日韓併合の歴史的な事情についても、
創氏改名の事実についても、
朝日新聞の誤報から始まった従軍慰安婦の問題にしても、
おおむね多くの日本人や在日の韓国朝鮮人たちにとって既知の事実でしかなかった。
ただ、これらの「当たり前の内容」がこれまでの日本に於いてはおおっぴらに議論することができなかったこと。それこそが異常であり、そういう異常さの中で発生した日本人のうっ屈した不満がこの「マンガ嫌韓流」で表現されたのにすぎないのだ。

主要メディアが「マンガ嫌韓流」のベストセラーを黙殺したのは、単なる言論封鎖という事情だけではない。
現在多くのメディア(とりわけ国営放送NHK)は「韓流」というキーワードをビジネスとしている。
ドラマ「冬のソナタ」に始まった韓国ドラマのブームは意外な大きさで、メディアのビジネスに影響を与えたのだ。
関連のCD,DVDが売り出され、主演俳優の写真集や関連書籍が販売部数を伸ばしている。
韓国映画の封切り本数は従来の想像を超えている。
しかし実際のところ韓流に流されているのは一部の熱狂的な中高年の女性ファンと、それにつき合わされているその伴侶ぐらいなのだ。

過去50年。半島タブーを醸成し、正当な言論を封殺してきたマスメディアが、こんどは金目につられて情報を封鎖している。
いったいこの国の言論機関はどうなっているのだ、というのが真相だ。

面白いことに、この宝島社も韓流関連本を出版している。
ある意味「マンガ嫌韓流の真実」も韓流本といえるかも知れない。
いずれにせよ、マンガと解説本の本書を合わせて読むと、捻じれた日韓関係よりも強く捻じれている日本のメディアの姿が見えてくるのだ。

~「マンガ嫌韓流の真実 <韓国・半島タブーの超入門>」宝島社刊~

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今世間は姉歯さんの話題で持ち切りだ。

見るからにカツラ姿の一級建築士「姉歯」氏がデータを改ざんして設計した建物が首都圏を中心に20棟以上あることが発覚し、世間が今大騒ぎしている。
その多くの建物は震度5程度の地震で倒壊する可能性があるといい、なかには何もしなくても倒壊するかもしれないという、朝礼に参加した貧血気味の小学生のような建物があるそうだ。
これではどこかの国のデパート崩壊事故を非難できない。
大部分はマンションなので、知らずに購入した人は気の毒だ。
ローンを抱え、引っ越し先もままならず、怒りをぶつける術が無い。
またいくつかのビジネスホテルも問題建築だというので、知らずに宿泊したことのある人は地震が来なくて良かったと胸をなで下ろしているところだろう。

建築物は役所の建築指導課に必要書類を提出して認可を受けなければ工事に入ることが出来ない。
当然のことながら構造計算書は、そのなかでも最も重要な書類の一つで、今回その書類が偽造されたのがわからなかったということが、一番問題だということができるだろう。
きっと担当の役人は書類を受け取り、パラパラと捲って、施主名と設計事務所名、建築会社名を確認してハンコをついただけに違いない。

こういうのを一般に「盲判」と言う。

ウチ会社の総務担当者はいつも小難しいことを言うのだが、私の出した経費明細書に文句をつけたことがまったくない。
それがたとえ「○○商店」とか「○○商事」と書かれたキャバクラの領収書であったとしても文句をつけられたことがないのだ。
これも「盲判」のご利益だと考えられる。
しかし、役所の盲判はいただけない。
極端に言うと、役所というところは「ハンコをつく」のが仕事なのだから盲判はいかにもまずい。
我々市民は国や自治体に高い税金を支払って、その道のスペシャリスト役人として雇っているはず。
そういう選ばれしお役人様が捺したハンコが「盲判」とは信じたくない。

「阪神大震災で建物が崩壊したことで、誰かが建築会社や役所に文句をつけましたか。ウチはちゃんとした設計事務所と建築会社と思ってマンションを造らせて販売しているんです。ウチに責任はありません」
と欠陥マンションの販売会社ヒューザーの社長が昨日の朝、フジテレビの時事番組で吼えていた。
この社長の態度と言動には「役所がハンコをついた建物だから、役所が責任持ちなさい」というニュアンスがプンプンしていた。実に不快な言い訳だった。

私は一番悪いのは姉歯建築士と建築会社だと思っているが、販売会社もグルだと思う。
でも、この事件でちゃんとしなくちゃいけないことは、ハンコをついた役所の「担当役人」にも懲戒解雇や諭旨免職などの処分を下してもらわなければ納得できないということだ。
責任逃れの得意なお役人様似は逃げられて、アホな犯罪者のツケを自分たちのお金「税金」で悖ほど、バカらしいことはない。

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アニメーションで、楽しい列車の旅を表現する手法に、列車の車両を右へ左へピョンピョンとバンドさせるテクニックがある。
NHKの「みんなのうた」のようなファンタジー系か、幼児の教育番組などの挿入映像でたまに見かけるような気がするが、汽車がリズミカルに煙を吐き出しながら走るイラストとペアになっているのが普通のようだ。
ルンルン♪、ルンルン♪....。
ホンワホンワ、ホンワホンワ....。
と音楽に合わせてリズミカルに走るのである。

それにしても本当にこの「ホンワホンワ」としながら走る列車に、ここミャンマーで乗車することになるとは思わなかった。
しかし、そのホンワホンワも、アニメーションで観るから「楽しげ」であるのだが、現実に「ホンワホンワ」する列車など、乗り心地が悪いだけで、乗物酔をする乗客にとってはとんでもない鉄道ということになる。
幸いにも私はかつて高波に翻弄される瀬戸内海のフェリーに乗ってもまったく酔わなかったぐらい乗物酔をしない性質なので、このミャンマーのダゴンマン列車の揺れ程度にはまったく影響を受けることはなかった。

列車がゆっくりとヤンゴン駅を滑り出した直後から、車両はゆっくりと左右に大きく揺れはじめた。
これは車両が壊れているからでも、出発後すぐマグニチュード8.0の阪神大震災のような地震が襲ってきたわけでもない。
ミャンマー国鉄の線路は予算と技術力の欠如から保線というメンテナンスがほとんどなされておらず、極めて劣悪な状態にある。
線路の継ぎ目は妙に広がっているし、枕木からレールそのものが浮き上がり、枕木に固定している犬釘が浮き上がっている場所も少なくない。
直線の線路は不規則なサインカーブを描き、ガタガタである。
線路巾も日本のJRと同じイギリス植民地仕様の狭軌なので、ますます揺れやすい。
日本の鉄道は、その世界一の技術力で揺れにくい列車を走らせているのだ。

であるからにして、走り始めのスローな速度で走っているときは船が大波に揺られてユラユラするような揺れであったのだが、スピードを増すにつれて、「ホンワホンワ」な揺れになり、左右はおろか、上下、前後に「ホンワホンワ」「ガッチャンガッチャン」と激しく揺れ出したのだ。

「横揺れはわからないでもないが、鉄道車両の想像を絶するあの縦揺れを経験するために、一度ぐらい列車の旅をしてみるのもいいかもしれない」
と唯一のミャンマーガイドブックである地球の歩き方にも記されている。
「どうせ、大げさなこと書いとるんやろ」
と思っていたが、とんでもない。
文章では表現できないような強烈な揺れが延々と続くのだった。

「あ、トイレの電球が切れてますね」
先ほどは気づかなかったが、トイレの電球が切れているらしい。
明るいうちは換気、明かり取り兼用の小窓から光が入ってくるからいいものの、夜になったらどうすればいいのか。
列車はすでに走りはじめているので客室乗務員にランプ切れの苦情を連絡する術は無い。
扉を開けて、手摺りをよじ登り、天井を這って行くしかない(クドイ)。
こんな車両なのにインターホンもない。
通じる携帯電話も持っていないので、連絡のしようがない。

「懐中電灯がありますよ」
とTさんは言った。
私も懐中電灯を持ってきてはいるが、懐中電灯を手に持ちトイレに入るのは難しい。
ただでさえ「ホンワホンワ」している車両なのだ。
満足に歩くことさえままならないのに、懐中電灯を持ってトイレに入り、安全に用を足すのは至難の業だ。
運良く腰掛けられたとしても、誤って懐中電灯を便器の中に落とす可能性もある。
シャンの男性は慣れているのか、私たちの話している内容が理解できないのか平然としている。
Tさんも困っているようだ。
当然、私にも不安がある。
石山さんはもっと不安の様相だ。
そこで良いことを思いついた。
私の携帯電話のネックストラップを外して、電話の代わりに懐中電灯をつければ、首に電灯を吊り下げて目的を達成することができる。
なんてグッドアイデアなんだ。

なんとなく面白い旅になってきた。
嬉々としてネックストラップに懐中電灯をぶら下げた。
電球切れは不安もあるがなんとなく「クーラーを取り付けて電気の使いすぎで停電した昔の我が家」を思い出し、なんとなく嬉しくなってきたのだ。
しかし、なんでミャンマーの豪華夜行列車「ダゴンマン列車」で、こんなことをしなければならなかったのだろう。
不思議なことに、この時はちっとも疑問に思わなかったのである。

と、電灯の件が一段落し、安心して一息ついたら私の前に座って視線を私の頭越しに後ろの壁に向けていたTさんが言った。
「......あ...れ.........クーラーが止まっちゃいましたね」

つづく

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カード社会と言われ出してすでに久しい。
かくいう私も複数のカードを所持しており、紛失しないようにするのが大変になってきた。

所持しているクレジットカードも銀行系のカードが3種類。
そのほか映画館のクレジット機能付き会員カードが1種類、全日空のクレジット機能付きマイレージカード、ガソリン給油用コスモ・ザ・カード、クレジット機能付きTSUTAYAの会員カード、ダイエーのOMCカード、なんばシティのショッピングカード、スポーツクラブ・エクザスの会員カードなどなど。
これらは紛失すると大変な目に遭うカードだ。

どうしてこんなにカードがあるのかというと銀行系のカード以外は「これに入ると年会費が要りません」とか「常時5~10%でお買い求めいただけます」といった特典につられて作ったカードなのだ。
だから維持費はまったくかからず便利なのだが、目的に合わせて持ち変える必要があり、すこぶる面倒なのである。
そして実際は無駄遣いしないように、注意しなければならない。

カードの類いは、もちろんこれらだけで終らない。
クレジット機能付きカード以外に映画館の会員カードを2種類、新星堂、タワーレコード、HMVのスタンプカードを各1枚、クイックマッサージ店の会員カードを1種類、TSUTAYA以外のレンタルビデオ店のカードが2種類、ラーメン屋のスタンプカードを1種類、スーパー銭湯の割引カード、バンコクのCDショップのスタンプカードを1枚、ヤマダ電機とビックカメラとミドリ電機、ヨドバシカメラにソフマップのポイントカードを所持している。
さらにNTTのテレホンカード、タイLENSOのテレホンカード、スルッと関西カード、Jスルーカード、クオカードなども所持しているので、正直、財布に入っている枚数は紙幣の枚数より多いくらいである。

そしてそして、作っただけで使いもしていない日本航空とユナイテッド航空のマイレージカードに、その存在価値の分らないJTBの旅カード、献血登録者証カード、旭屋書店のメンバーカードなどなど。
驚くほどの種類と枚数だ。

その昔、関西テレビの「わいわいワイド」のメンバーカードや、少年ジャンプ連載の「トイレット博士」のマタンキカードなど、小学生だった私が欲しくて仕方のなかったカードは手に入れることができなかったのに、大人になってから、ほんとは持ちたくないカードが増殖してとても困っている。

先日、新聞の一面に「ピタパ」の広告が掲載されていた。
「ピタパ」正確には「PiTaPa」というカードは、関西圏の私鉄や地下鉄、バスなどで利用できる無線ICカードなのだ。
すでに首都圏のSuica、JR西日本のIcocaが出回っているが、新たにこの1枚が加わることになった。
幸いなことにPiTaPaとIcocaは相互利用が可能だそうで、Piataを持てば、Jスルーカードとスルッと関西カードは必要なくなる。
またSuicaとIcocaも互換性があるので、どのカードが一番便利なのか悩ましいところだ。
しかし、紛失したらひどい目に遭うカードがまた新たに加わることになるので、個人的にはあまり歓迎したくない。

誰か、たった一枚でなんでもOKのカードを作ってくれないだろうか?

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先日、得意先のS社長と中国ビジネスについて雑談をしていた。

最近の企業は大手中小に限らず、中国へ進出するのが当たり前のようになっていて、「どいつもこいつも損しているのか儲かっているのか、ちっとも話さん」とS社長はぼやいていた。
日経新聞も中国政府をはばかって悪い噂は流さない。
ただ1ドル120円ぐらいまで円安が進んでくると、こと製造業に関しては中国でのうま味はなくなってきて、国内で作ったほうが得というのは共通の認識らしい。
というのも、中国という国は民度が低く、少しでも手抜きをしてチェックを怠ると、どのような商品が製造されて送られてくるのかわかったものではないからだそうだ。
彼らは金さえ貰えれば、自分たちの作るものが「不良品」でも構わないのだ。
労働の対価は商品の質に関わりなく「動いた」ことに払われるものと心得ているというのだから恐れ入る。
だから、いくら賃金が安かろうが、人手が余ってようが、きっちり管理する為に日本から出張って管理しないひどい目にあう。
この管理費用がバカにならないのだという。
だから1ドル120円ぐらいになると、国内生産の方が手間がかからず経費も安くつくので、中国からサヨナラする企業が徐々に増えてきているということらしい。

また、逆に中国へ「売る」という仕事も油断ができない。
中国というのは法律はあってないがごときなので、商品を納めても代金を貰うまでが一苦労。
何かと理由をつけて支払わないケースが無数にあるのだという。
そこで顧客に影響力のある共産党幹部や土地の有力者などに便宜を図り、袖の下も使って支払わせると、その有力者が顧客とグルであったりするので大変だ。
日本や欧米、それに中国を除く東南アジアやインドのほとんどは法治国家なので書面で交した契約は実行される。ところが中国は(時に韓国も)人治国家なので、権力のある人の気まぐれで契約が実行されなくても問題がない。

ちょっと違うが、チャン・イーモウ監督の映画「あの子を探して」のワンシーン。
主人公の少女が自分が教師を務めるクラスの生徒を集めて、勝手にレンガ工場で作業をした。そしてそこの経営者に「働いたから金を払え」という場面がある。
乏しい村の生活を描いた映画だから、見ているうちに「お金が貰えなくて可哀想」と同情しかけて、すぐに我に返って「ちょっと待て」と考える。
中国人は勝手に働いて「金をくれ」というのが普通なのか?
ここでも民度の違いを見せつけられた。

で、件のS社長はこのとき中国のアグレッシブな軍事行動に対する憤りについて語っていた。
「商売は商売。しやけど、あいつら国際ルールは守らんといかんで。もし、あいつら勝手なこと言うて日本へ攻めてきたら、自衛隊で勝てるんかいな。心配や」
そこで憂国の社長に私の考えをアドバイス。
「まあ、中国人が攻めてきたら『おまえら、一人当たり1万円やるから、日本に味方せい』て言うたら、国より金や食い気の中国人。民度が民度だけに、武力を使わんでも、勝てますよ」
「・・・・ほんまやな」
と、納得の様子。

昨日、フジサンケイ・ビジネスアイに恐ろしい記事が載っていた。
「進む改善。人民解放軍の食事」
と題する記事だった。
なんでも、不味いことで有名だった人民解放軍の食事が5カ年計画で改善し、美味な食事へと変化を遂げようとしているらしい。
これは私の「1万円ばらまき戦術」を突き崩す、意外な戦力強化に違いない。

中国の宇宙技術報道よりも、食事内容改善のほうが、よっぽど日本に対する恐ろしい軍事行動だと思ったのだった。

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最近の名子役というと、すぐに思い浮かぶのが「宇宙戦争」に出演していたダコタ・ファニング。
「アイアムサム」で観客に涙に溢れさせた演技力には大人も脱帽。
多くの映画賞を受賞した。
その後「アップタウン・ガールズ」や前述のスピルバーグ作品で存在感を出している。

そのダコタ・ファニングを見る度に、思い出すのがテイタム・オニール。
一時期、テニスプレーヤーのジョン・マッケンローと結婚していたオニールも、最近見かけないな、と思っていたらテレビシリーズ「セックス・アンド・ザ・シティ」に出演していて健在のようだ。

映画「ペーパームーン」はそのテイタム・オニールが若干9歳にしてアカデミー助演女優賞を獲得した作品で、この最年少記録は現在もなお破られていない。
つまりダコタ・ファニングをもってしてもテイタム・オニールの絶妙な演技にはかなわない、ということが言えるのかも知れない。

しかし、ある意味、ファニングとオニールの差には、出演作における運不運が関係していることも否めない。
「ペーパームーン」という映画が、史上最年少のアカデミー女優を生み出した映画だと記憶されていること以上に、映画としての完成度がとても高い作品であるということもまた人々の記憶に残っているからだ。
監督のピーター・ボクダノビッチは映画を「活動写真」として語ることのできる数少ない演出家の一人だ。
「ペーパームーン」の3年後に再びオニールを起用して撮影した「ニッケルオデオン」。そして西部劇の巨匠ジョン・フォードへのインタービューに挑んだ著作など、ピーター・ボクダノビッチは優れた映画の語り部なのだ。
そういう語り部演出家の作品の中でも「ペーパームーン」は古き良き活動写真の香りを漂わせながら、観客を物語の中へ引き込んでいく、心憎いカラクリがいくつも仕掛けられている名作なのだ。
全編白黒フィルムで撮影されたコントラストのくっきりしたノスタルジックな絵作りもその一つであるし、物語の中で展開される「だまし」のテクニックもその一つだろう。
そして最も強烈で、スパイスの効いている仕掛けが名子役テイタム・オニールの演技だったというわけだ。

この映画でのオニールの演技は現代のファニングのそれに比較すると、とても素人じみて見える部分が少なくない。
やはり子役は子役だと思わせるところが残っているのだ。
ところが、役回りの性格も原因しているのだが、この映画の中でオニールはうそ泣きはするがファニングのように泣き叫ぶことはない。
そして大人じみた表情を見せない代わりに、いやらしいくらいに小面憎い「表情の変化」を見せるのだ。
その演技の一つ一つが観客の心をくすぐり「泣かす」のではなく、「笑わせる」ものだから、客はますます映画の世界に嵌まって行くという、という仕掛けになっている。

なぜ、この1973年製作の古い映画を取り上げたかというと、つい最近、1枚1500円のDVDになって発売されたので、買って見てしまったからなのだ。
この秋、あまり面白そうな映画が公開されていないようなので、「ペーパームーン」でも買って見てみてはいかが?というお薦めなのだった。

なお、とりたてて言う必要はないが、私はテイタム・オニールと同い年である。

~「ペーパームーン」1973年 パラマウント映画~

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「晩ご飯はどうしますか」
とガイドのTさんが訊いた。
確かに、ダゴンマン列車で部屋の割り振りのほかに気にかかっていたのは夕ご飯のことであった。
日本の豪華寝台列車ならば、これまた豪華な和食弁当やフランス料理を注文できるようになっている。
聞くところによると、大阪発札幌行きのトワイライトエキスプレスでは北陸本線を走る車窓から日本海に沈みゆく夕日を眺めつつ食事が堪能できるのだという。
ここ、ミャンマーのダゴンマン列車ではどうなのだろうか。

客車が他の車両から独立しているということもあり、もしかすると途中の駅で1時間ぐらいの停車時間があり、そこの食堂で食べることができるのだろうか。
それとも切符には食事は含まれていないので、なにかしらの弁当を持参せねばならないのだろうか。
出発前にお菓子は買い求めたものの、食事になるものは未だ買っていなかった。
車内には自販機はない。
まさか、明日の朝、マンダレーへ着くまでの14時間という長時間、飲まず食わずで過ごせと言うのではないだろうな。
「焼きそばか焼き飯か頼みます?」
「え、食事、注文できるんですか?」
「できますよ。後で持ってきてくれますから」
まさか、頼んだ焼き飯とかカレーだとかをボーイがお盆に乗っけて屋根によじ登り、匍匐前進してきて、手摺りを伝って降りてきて、私たちの部屋をノックして、
「お客さん、ハアハアハア、や、焼き飯お持ちしました。では、帰ります、やっ!」
と、命を賭けてやって来てくれるのだろうか。
「持って来てくれるんですか?」
「食堂車で作って次の停車駅で持ってきてくれるんです」
「ほー」
やはり次の駅に停車したときに持ってきてくれるようだ。
当たり前だが、少し残念であった。
「んじゃ、焼きそばお願いします」

Tさんも同じものを注文した。
石山さんとシャンの男性は、用意がよくすでに駅で弁当を買って持参してきていた。

窓から外を眺めると、猛烈なスコールが降りはじめていた。
「去年もこんな雨が降りましたよね」
とTさん。
「そうでしたね」
と私。
昨年、初めてミャンマーへやって来たとき、ヤンゴンの環状線に乗ってみたくてTさんに案内してもらってここヤンゴン中央駅までやって来ていたのだ。
ところが待てど暮らせどまったく列車がやって来ない。
1時間ほど待っていたのだが、諦めて帰ったことがあった。
列車がやって来なかった原因は、前日の夕方に降った物凄いスコールのためだった。
そのスコールは凄まじく、一瞬にしてヤンゴン市内が水深30~50cmくらい冠水してしまったのだ。
降りはじめたとき、私はTさんと暑さしのぎの休憩のためJドーナッツというミスタードーナッツのようなファーストフード店で、コーヒーを啜りながら、これまたフレンチクルーラーにそっくりなドーナッツを食べていた。
店を出たときは降りはじめてほんの数分しか経っておらず、そこから数ブロック離れたインターネットカフェへ移動する間に、雨水は見る見るうちにあふれ出し、カフェへ着いたころは、私のひざ下まで、水嵩が上がってきていたのだった。
「凄いですね。これって大丈夫なんですか?」
と、その洪水を目の当たりにした私は驚いてTさんに訊いた。
「大丈夫ですよ。掃除、ちゃんとしてないから排水溝が詰まって水はけが悪いんですよね」
これくらいの冠水騒ぎは雨期なら珍しくないらしく、すぐに市の清掃担当者がやってきて水を掃き流してしまうとのことだった。
ヤンゴン市内の洪水はものの数時間で引いてしまったものの、翌日になっても鉄道が走る郊外には、まだ列車が走れないような冠水個所が残っていたのだ。
あれから1年。
皮肉なことに、雨がマンダレーへ向かう私を見送ってくれていたのだった。

雨に煙るヤンゴン駅のプラットホームを見つめていると、ゆっくりと列車が動きはじめた。
扉は手動だし、動力のついていない客車だから音もなく動き出したのだ。
それにしても発車のベルも鐘の音もまったくなく発車したような感じだった。
腕時計を見ると午後3時15分ちょうど。
ダゴンマン列車は旅行社の案内の通り、ダイヤ通りマンダレーへ向けて出発したのであった。

つづく

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10年少し前、中学校の同窓会の席で大阪府職員になっていた友人Tが言った。
「最近忙しくてや~、テレビ、全然見えへんねん(大阪弁で「見られない」の意)。テレビに出てるTRFちゅうのおるやろ? オレ、あれって「トリフ」って読むんか、言うて、入庁したてのヤツに笑われたわ」
思わず「トト、トリフの大爆笑♪」というフレーズが浮んだが、こちらも仕事が忙しく、テレビを見る機会が少なくなっていたので、状態はTとあまり変らなかった。
ついでながら、わたしもTRFとはその時、なんのことやらサッパリ分らなかったのだ。

その後、Tは結婚し、口の廻りお菓子ベタベタの洟垂れ娘も生まれたので、少しはテレビを見るようになったかと思う。
しかし、私の方はというと、普通のテレビをほとんど見なくなってしまい話題について行けないことが増えてしまった。
見る番組はニュースか一部のドキュメンタリー。ヴァラエティショーは「なんでも鑑定団」と「探偵!ナイトスクープ」ぐらいしか見なくなったのだ。
一方、ケーブルテレビのドラマ「スピンシティ」やディスカバリーch「パワーゾーン」、ヒストリーch「バイオグラフィ」などはよく見てるのだが、この辺の番組は会社や宴会の席で話題に登ることはほとんどない。

先日、会社の仲間と近所の中華屋で昼食をとっていると、店のテレビで「笑っていいとも」が放送されていた。
テレホンショッキングのコーナーは今話題のお笑い芸人が出てきたということで、会場内は大歓声。
一緒に食べていた会社の連中も「おお!」と言いながら画面をみつめていた。
「誰?これ」
という私の質問に、同僚のMさんは言った。
「これ知らん、ていうことはよっぽどテレビ見てないんやな」
登場してきたのはレイザーラモンHGというゲイをネタにした芸人だった。
最近話題の人気急上昇中の若手芸人の一人だという。
「フォー!」
と登場後すぐに叫んでいた。
最近雑誌や新聞の小ネタ欄で「フォー!」と書かれていることが多かったので、私はてっきりベトナムうどんが流行しているのかと思っていたのだが、これでやっと疑問は氷解したのだった。
なるほど「フォー!」はベトナムのフォーではなく、こいつの叫び声だったのか。

それにしても「.....」な芸人だ。
ヴィレッジピープルよろしく一時代前のゲイファッションに身を包み、お昼の番組だというのに自著の書籍をパンツの股間に挟むところは、トルコで非難を浴びた江頭某と変らない。
しゃべりも際立った冴えはないし、特別な芸もないらしい。
それとも「ゲイ」であることが「芸」なのか。

「どこが面白いん?」
ラーメンを啜りながら訊いた私に、みんなの目が点になった。

これもテレビを見ないことへの弊害と言っていいのやら。もしかすと、「フォー!」の前後と併せて見たら面白いのかも知れない、と思ったが、未だ見たことはない。

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インターネット・チケット販売のイープラスでチケットを購入した。
12月22日にかつしかシンフォニーヒルズで公演される谷村有美のライヴのチケットを購入したのだ。

谷村有美は数少ない私のお気に入りのシンガーソングライターで、かれこれ15年ちょっとファンを務めている。
むかしはFM802で彼女のレギュラー番組が放送されていたこともあり、関西でのライヴも少なくなく、十二分に堪能させていただいたものだ。
ところがアップルコンピュータ・ジャパン社長、原田永幸氏(現日本マクドナルドCEO)と結婚してから、家庭生活が忙しいのか東京以外でのライヴがとんと開かれなくなってしまったのだ。

昨年、昔のライヴ映像が収録されたDVDが発売されたのでそれを購入したところ、乃木坂にあるソニースタジオでのスペシャル・ライヴのチケットが当選した。
ちょうど錦糸町で公演予定のクリスマスコンサートが前日にあるということなので、慌ててそのチケットを購入し、翌週上京したのだった。
ところがチケット購入が公演日直前だったためか、2階席の後ろから2列目という場所であったため、ステージがよく見えなかった。
せっかく特割1の安物航空券で飛んできたのに、これでは台無しだ、と思った。
なんとなく心の中で淡い後悔をしつつ翌日ソニースタジオのスペシャルライヴへ行った。
すると、なんと客は私を含めてわずか100名ほどで、谷村有美が弾くピアノを取り囲んだアットホームなライヴだったのだ。
間近で聴いた谷村有美のミニグランドピアノ1台だけの弾き語りライヴは前夜のコンサートよりも遥かに素晴らしく、仕事でもないのにわざわざ上京してきた甲斐があったものだ、と初めて思った。
会社の経費で上京していたら、もっと良かったのにと思ったであろう。
「さすが、谷村有美のピアノは相変わらず上手い。しかし、歌が少し下手になったのではないだろうか」
などとと思いながら、ミニライヴとはいいながら1時間以上も楽しんだのだった。

ということで、今年はスタジオライヴはないものの、クリスマスコンサートはあるということで、少しでも良い席を確保したいと思いイープラスの「プレオーダー」システムでチケットを申し込んだのだ。

このプレオーダーシステムは発売日に注文が殺到しそうな公演に対して、事前に枚数限定してイープラスの会員がチケットを申し込めるシステムだ。
これはこれまでにも何回か利用したことがあった。
しかし枚数に限りがあるため当然抽選となるわけだが、私は運が悪いのかいつも抽選から漏れていたのだ。
2001年のアリスの復活コンサートでも外れたし、三谷幸喜のいくつかの舞台もことごとく外れてしまった。
今年は先月のプロ野球日本シリーズを申し込もうとしたが、こちらは混雑のためにアクセスすることすらできず、買い求めることはできなかった。(結果的に購入できなくて良かった......涙)
そこで、谷村ライヴも外れるのを覚悟で申し込んだところ、ついていたのか初当選。
チケットをゲットした。
「チケットの発送は一週間ほどでお届けとなります」
と返信メールに書いてあったので、待っていたがなかなか届かない。
3週間ほど経過した先週末にチケットが届いた。
封筒の封を切って座席位置を確かめると、なんと2階席。

プレオーダーと座席の良否についての相関関係はまったくないことがわかった。
初当選に喜びながら、座席の位置に落胆し、プレオーダーは覚悟して申し込まなければならないものであることを学んだのであった。

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