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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



サブタイトル「登校拒否と出社拒否と入院の関係」

「学校でいじめられる」
「嫌な先生の出した宿題をまだやっていない」
「理科の授業で嫌いな蛙の解剖がある」
「体育の授業がマラソンだ」
「給食が不味い」
などが原因で子供が学校に行かないことを登校拒否という。

「会社でいじめられる」
「嫌いな上司に指示された困難極める仕事をまだ片づけられていない」
「会計監査で嫌いな役員のために粉飾させられた帳簿の内容で責任をとらされそうだ」
「タンザニアへの転勤を示唆された」
「女子社員が醜女だ」
「風俗でアルバイトしていて、真っ暗闇でよく分らなかったが、ことが済んで店の照明が明るくなったら客が自分の課長だった」
などが原因で大人が会社へ行かないことを出社拒否という。

上記の場合、多くは個人的な問題で大事に発展する可能性はほとんどない。
もし自分がタンザニアに行かなかったら、他の誰かが行かされるだけで問題はないのだ。

ところが、これが国会議員になるとどうしようもない。
たいていは本人の問題なのであるが、解決できないもんだから、どいうわけかすぐ「入院」するのだ。

誰のことを言ってるかって?
当然、民主党のバカボン永田議員に決まっているじゃないか。

「どうしたの一郎ちゃん?学校に行く時間ですよ」
「ママ~、今日は蛙の解剖があるから入院したい」
なんて言うことが通用すると思っているの!

「あなた。出勤の時間よ」
「びわ子、タンザニアに行きたくないから入院したい」
なんてことも通用すると思っているのか!

「...課長、今日から会社休みます」
「東海林君、あのことは内緒だ。黙っているから忘れろ...いいな」
「でも休みます。顔合わせられないから入院します」
「入院.............まさか、キミ、淋病?」
なんてことがホントに起こると思っているのか!

でも、偽のメールをろくすっぱ確認もせずに「あんた、何してるのか分ってんのか」と言った本人が何してんのか分らなかったようでは情けない。
メールに疑問が出てきた時点できっちりと筋を通して謝罪し議員を辞めるとか、相手に対して男らしく仁義をきれば、これほどの問題にならなかった。
にもかかわらず永田議員は筋を通すかわりに「入院」した。

永田議員を辞めさせる辞めさせないと民主党内で退院した後の記者会見が終っても、まだゴタゴタ言ってるが、こんなガキ以下の男を政治家にした国民そのものに、入院する必要があるのではないかと思われるのだが、いかがだろう。

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タージィを出発したダゴンマン列車は快調に走りはじめた。

タージィへ到着するまでの長旅ですっかり疲れ切っていた私たちも、無事に元の列車に戻ることができて一安心。
しかも戻ってきた車両が個室車両だっただけに気分はすっかり落ち着いてしまい何とも言えないホノボノとした雰囲気が漂っていた。
窓は左右とも開けっ広げ。
窓からは心地よい風が車内へ吹き込んでくる。

シャン族の男性に代わって私たちと一緒になったデイビット夫妻は東京からの旅行者だった。
夫妻と表現しても私よりずっと若いカップルで、どちらかというと新婚さんのようであった。
旦那さんのデイビットさんは英国人で日本人の奥さんとはなかなか熱々である。
どこで、どのように知りあったのか、ついに旅の最後まで聞かず仕舞いだったが、近ごろ流行りの英会話教室の講師と生徒の関係ではなさそうだ。
デイビットさんは東京でカルトマガジン(と私は勝手に想像した)のライターをしているという。
カルトと言っても色々あるが、デイビットさんはオカルト系の映画や雑誌のライターなのだという。

もちろん記事は英語で執筆しているのだろう。
というのもデイビットさんの日本語はお世辞にもまだそんなに上手くない。
プロの物書きをしているとすれば英語で書いているとしか想像できないのだ。

「そこに住んでいるから」という理由でその国の言葉が上手く話せるとは限らない。
私にも外国人の友人が数人いるが、そのうちのオーストラリア人の友人は嫁さん日本人、本人も長期に渡って日本に住んでいるにも関わらず、今一つ日本語が上手くない。
上手くないからかどうか分らないが、私と話す時は英語になる。
英語の方がきっと意思を伝えやすいのだろう。

大学時代の友人の一人も旦那が外国人だ。
こちらはデイビットさんと同じ英国人だが、日本語が上手い。
ただしその日本語は訛っており関西弁だ。
久しく会っていないが某経済系の一流通信社の東京支社に勤めながら関西弁で仕事をしている彼、クルーソー君(仮名)の姿はきっと社内でも目立っているに違いない。

ちなみに「訛り」についてクルーソー君にはエピソードがある。

10年ほど前に彼を交えて忘年会をする機会があった。
その時、誰が言い出したか当時ロサンゼルスに住んでいた私たちの先輩(このブログにも時々登場)に偽の電話セールスをしようということになった。
その模様をビデオで撮影し、音声を録音して後で笑おうという趣向だったのだ。
何を売リつけようとしたかは本題からずれるのでここには書かない。
で、誰が電話をするかということになり「一番英語が巧い」はずの彼が偽セールスマンに選ばれた。
しかし、私はそれは不自然で先輩に「変だと」感づかれるのではないかと訴えたのだ。
「クルーソーが電話をしたら、すぐ『変や』ってわかるんちゃう」
「なんで?」
「だってクルーソーの英語『イギリス訛り』があるんやもん」
と言った途端、彼は色を成し、
「ちがうよ!アメリカ人が訛ってるんやん。僕の英語、イギリスの英語訛ってへんよ」
と言い返してきたのだ。
「あんた、日本語も変やで」と言いたかったが、確かにイギリス人からみるとアメリカ人の英語が訛っているのであってイギリス人の英語は訛っていないはず。
オリジナルがその派生品に凌駕されることはよくあることだ。
英語と米語の違いという、その言語学上のサンプルが目の前にあることに大きな驚きを感じていた私であった。

以上、余談。

ともかくマニアックな雑誌のライターをしているというデイビットさんとその奥さんも交えて、マンダレーへ向けてのラストランは、めちゃくちゃ疲れてはいたものの、またまた楽しいものになったのであった。

つづく

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ここひと月ほど栃木県の宇都宮へ連続して数回出張に出かける機会を得た。

「宇都宮へ行くんやったら餃子、買うて来てくださいよ」
と会社のW君に頼まれた。
「宇都宮って、餃子、有名なん?」
宇都宮といえば随分と昔、アルバイトで大阪から自動車に乗って日帰りで行ったことがあるだけだった。
おおよそ8時間をかけて大阪から宇都宮への夜道を走り、朝から仕事をした後、夕方大阪へ向かって帰ったので、宇都宮がどこにあるかは忘れていたし、何が名物なのかというのはまったく知らなかった。

2回目の出張の時にホテルの近くにあったラーメン屋で名物の餃子を食べてみた。
「名物」というだけに、どんな味がするのだろうと興味津々にタレを浸けて食べてみたら、熱くて舌を火傷した。
焼き立てホヤホヤで中身がメチャクチャ熱かったのだ。
慌ててビールを口に含んだがヒリヒリ感はなかなか収まらず「注意書きぐらいしとんかい!PL法で訴えるぞ」と心の中で呟いていた。

で、肝心の味は「やっぱり餃子は餃子」であった。
いくら店の手作り餃子であっても、やはり餃子なのであって、何か特殊な味覚を期待していたら裏切られるということになってしまう。
「名物に.......なし」とはよく聞くセリフだが、幸いにもそのセオリーには当てはまらず、とびきり熱いことは除いて美味しくいただけたのだった。
ただ、同じ餃子でも個人的には大阪の北新地にある某餃子屋さん(小汚い小さな店であるが、小さなサイズの餃子はメチャクチャ美味い)の方が私の好みではあった。

先週末、JR宇都宮駅の東口で取引先が迎えに来てくれるのを待っていると妙なものがあるのに気がついた。
ゲゲの鬼太郎に登場する妖怪「塗り壁」みたいなオブジェで、いったいなんだろう?と後ろにある立て看板の説明書きを読んでみると「餃子像」と書かれている。

なんでも宇都宮は餃子店数が全国で一番多く、その市のシンボルでもある餃子をモニュメントにしたのがこの塗り壁だということだった。
よくよくみてみると確かに塗り壁のような1枚岩ではなく餃子のような形をしている。
餃子にうっすらと人型が浮かび上がり足が生えているというようなデザインなのだ。
で、説明書をもっと詳しく読んでみると、
「餃子の皮で包まれたビーナスをイメージしています」
ということだ。
「餃子の皮で包まれたビーナス?」
なんとなくフェティッシュな表現だ。
もしかすると作者は餃子の皮フェチなのかもしれない。
「餃子萌え~!」
というコンセプトなのか。

「変な像。でも、おもしろい」
と思ってさらによく観察してみると、餃子像の台座部分に幾枚かの硬貨が。

ここ宇都宮では餃子像は信仰の対象にもなっているようだ。

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ここのところ仕事に休日が無く、疲れているので短いコラムを。

「創作料理」はどうしてマズイ。

道頓堀の旧劇場後に入っている某飲食店へ接待で訪れた。
店は内装にこだわりがあり、ついでに従業員の服装にもこだわりがあり、つまり「オシャレ」であった。
金属をモチーフにした内装は近未来的でクールで、自然派の私にはあまり好ましいデザインではないが、カッコいい。
従業員の衣装も黒で固めており、金属質の内装にマッチしている。
黒のシャツに黒のパンツ、黒のネクタイに黒の靴。

女性従業員は美しいし、男性従業員はキムタク風の確固良さ(ちなみに私はキムタクをカッコいい、などと感じたことは、まったくない)。
コンセプトは申し分ないのだが、ただ1つこの店には欠点があった。

料理が不味い。

創作料理をコンセプトにしている店の多くは、中身より見かけ、味より雰囲気というところが、どうも少なくない。

「当店は、創作料理が得意です」
というは、「ちゃんとした料理は作れません」と、同義なのではないかと思われてならないのだ。

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遠くで汽笛が聞こえた。
どうやらダゴンマン列車が近づいてきているようだ。

さっきまで乗っていた各駅列車が出発してすぐに汽笛が聞こえてきたので、シャン族の男性の情報は正しかった。
あのまま各駅列車に乗り続け次の駅でダゴンマン列車に抜かれる、なんてことが発生していたら私は猛り狂っていたかも知れない。

やがてダゴンマン列車が姿を現した。
懐かしいぞ、ダゴンマン列車。
列車はホームへ入線してくる手間で再び汽笛を鳴らして人が歩くようなゆっくりとしたスピードで私たちのいるホームへ滑り込んできた。
宿屋のオヤジさんが見送ってくれている中、私たちは自分たちのもともとの車両がある後部へ向かって歩き出した。
ところが列車が停車すると大きな問題があることがわかった。

ダゴンマン列車は特急列車ということもあり、さらに豪華列車ということもあるのか、さっきまで乗っていた各駅列車よりも車両編成が長かったのだ。
したがって、後ろの方に連結されている数両の客車がホームに届かないという現象が発生したのだった。

ローカルな話題で恐縮だが、日本でも編成の長い列車の一部がホームにかからず「後ろ一両のドアは開きません。ご注意ください」なんてことがままある。
大阪の梅田と姫路を結んでいる阪神電車の直通特急も相互乗り入れの山陽電鉄のいくつかの駅では一部の車両がホームにかからずドアが開かないし、確か昔、阪急電車の京都線でも西院だったか四条大宮の駅で車両の一部がホームにかからずドアが開かなかったように記憶する。
いずれの場合も乗降客はホームにかかった車両まで移動して乗り降りすることになる。

ところがダゴンマン列車の私たちの車両には他の車両に移動するための連絡通路がない。
このことは随分前に記述した。
私たちの車両は一種の個室になっていてその車両の扉からしか乗降できないのだ。

私たちの車両は「一等車」ということになっており、最後尾の方に連結されているためにホームにかからなかった。
普通であれば、ここでホームを降りてぞろぞろと歩いて行けば良いのだが、どうしてこうも私たちは運に見放されているのだろうか。
ホームから一旦降りると、そこは昨夜の集中豪雨のために冠水しており大きな池になっているのだった。
つまり自分の車両に戻るにはこの池をザブザブと歩いて行かなければならない。
「え~、うっそ~!」
と石山さんは叫んだが、嘘ではない。
現実である。
私たちの車両の扉まではホームから約10メートル。
こっちは大きなトラベルバックを持っているしどうすべしか悩んでいると、懐かしい顔が現れた。
よれよれの制服。
濃い顔つき。
すっかりお馴染のダゴンマン列車の車掌のオッサンである。
オッサンは笑顔でTさんになにか一言二言声を掛けるとまず私のトラベルバックを担いで水のなかをじゃぶじゃぶと歩いて行った。
身軽になった私もとりあえず扉へ向かおうと、水面から僅かに露出した配管などの上を歩いたり飛んだりしていたが「ここで足を滑らせて落ちては話にならん」と思い、意を決して水の中へジャブと降りて歩くことにした。
冠水した水の深さは20センチ位であった。
深さは大したことはないのだが、汚いのだ。
ものすごく汚い。
水の色はレールのオイルや、その他考るのも恐ろしい色々なものが混ざり合い、まるでドブなのである。
そのドブから早く脱出しようと小走りで扉に向かい列車に乗った。
私は裸足にサンダルだったので、そのままトイレに向かい水で足を洗い流し、なんとか格好がついた。
ドブは汚かったが、これで一安心した。
私はこの列車で出発した昨日の午前中、ナーガ洞窟パゴダで犬のウ○コを素足で踏んだ経験が役に立ったのかもしれない。
尤も、そんなことは役に立ってもちっとも嬉しくないことは言うまでもない。

外で大きな笑い声が起こった。
なんだろう?
そう言えば自分のことばかり気にしていていたのでTさんや石山さんなどほかの人のことを忘れていた。
大丈夫かTさん。
と思いドアの方へ向かおうとしたら、そこへ石山さんが悲惨な表情で乗ってきた。
「恥ずかしい~!」
と彼女は顔を真っ赤にしている。
「どうしたんですか?」
続いてTさんが笑いながら乗ってきた。

聞くところによると冠水したドブ色の水に躊躇していた石山さんを見かねたミャンマー人の男性がいきなり抱きかかえ、列車に乗せてくれたのだという。
「あの外国人たちはどうするんだろう?」
と心配そうに眺めていた地元ミャンマーの群衆から大笑いと拍手が起こった。
石山さんもビックリしたらしいが、突然の出来事で為すままに任せてしまったのだ。
「クソ!ベストショットを撮り損ねた!」
と石山さんの恥ずかしさなど露知らず、無情な私はそう思った。
足を洗うことを優先してしまったために、この「ダゴンマン列車の旅」の中で最も面白い瞬間を見逃したばかりか、カメラに収めるチャンスも逃したのだった。

続いてデイビット夫妻も私たちの車両に乗り込んできた。
シャン族の男性はアホな日本人に付きあい切れないのか前の車両に乗ったらしく、それが彼との短い旅の道連れの終わりになった。

私とTさん、そして石山さんは自分の席に戻り、デイビット夫妻はシャン族の男性が座っていたところに落ち着いた。

再び遠くで汽笛が聞こえると、列車は静かに動き始めた。
目指せマンダレー。
時刻はやがて午後5時になろうとしていた。

つづく

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私が中学生の頃、米国の人口は確か日本の倍、2億5千万人だと教わった。
その米国の人口が今年の8月には3億に達するのだという。

わずか38年間で1億人の人口増加を見たという。
その一番の原因は死亡率よりも若干多い出生率と「移民受け入れ政策」だという。

日本がついに人口減少に転じたのとは反対に、お隣の同盟国は順調に人口を増やし続け、世界ナンバーワンの超大国の地位を保っている。
ただ移民を受け入れることが人口増加の鍵であるためにいくつかの問題が生じているというのだ。

1920年代の米国は人口のほとんどを白人と黒人で構成されていた。
それが1960年代に入るとヒスパニック系が急速に増えはじめ、いまやアジア系、アラブ系、その他いろいろ交じり合い、かつての白人中心国家から文字通り他人種国家へと変貌しつつある。
ヒスパニック系大統領の誕生も時間の問題だという。

で、このように他人種多民族国家になって一番深刻なのは「同化」の問題だという。

「以前に英語を『国語』にしようと選挙をやったんじゃが、メキシコ系なんかの反対があってのう。法律が成立せんかったんじゃ」
と日系二世の私の伯父が岡山弁で教えてくれたことがあった。
このように正式な国語もないような国である米国で、国民に米国民族意識を持たせるのは並大抵ではないだろう。
だから白人黒人はもちろんのことキリスト教以外を信仰する他民族の国民をどのように「同化」するのかが国家根幹の問題なのだそうだ。

そこで私はハタと気づいた。
国民の「同化」問題が最重要だから、それが国外に飛び出して、よその国まで「同化」してしまおうというのは当然のなりゆきだといえるだろう。
戦争で打ち負かした異文化日本を同化して、ベトナムを同化しようしたら失敗し、南米中米の同化も失敗、中東も同化を試みているが先行きはかなり暗い。

「我々は米国合衆国だ。お前たちを同化する。抵抗しても無意味だ」

う~ん。
やっぱし、なんとなく米国に正義の匂いがしないのが分ったような気がする。


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不眠症といってもまったく眠れないわけではない。
私が今ちょこっと苦しんでいる不眠症は、一度目覚めてしまうと続けて眠ることができないという不眠症なのだ。

これは体内時計の異常が原因しているのかも知れないが、何時に寝ても午前3時30分ごろか午前4時頃に目が覚めて、もう一度眠ろうとしてもまったく眠れない。
布団に潜り込み「寝よ」と努力しても眠気が兆してくることはほとんどない。
これは今開催中のトリノオリンピックをテレビで観賞するために起きているわけではない。
テレビに関係なく現れるここ数週間の症状なのだ。

原因ははっきりしている。
仕事だ。
年が改まってから仕事が猛烈に忙しい。
なぜ忙しくなったのか、自分でもよくわからないが、ともかく忙しい。
毎日しなければならないことが多く、しかもそれぞれのワークに締め切りに似たものがあるため、ストレスが加えられている。
朝、ふと目覚めると、
「あ、今日はあれをせんといかんかったんや」
とか、
「あのお客さんにアポイントとっていたな」
といった仕事の記憶が呼び起こされ、急激に目が冴えてしまうのだ。

正直言って、私がこんなに神経質だったとは私自身驚いている。

で、午後11時に寝たとしても午前1時に寝たとしても前述の時間に目が覚めるので寝不足になる。
この寝不足のために発生する現象を列挙すると、

・このブログの文章、話題、構成がボロボロになる。
・短気になる。
・イライラする。
・自己中心的になる。
・断酒できない。
・暴言を吐く。
・胃が痛む。
・プラットホームで電車を待っていると、飛び込みたくなる。

ということで、ストレスを発散するために代休届けを出し、来月タイかミャンマーへ行こうと思っているのだが、仕事を休むための段取りを考えると、またまたイライラして眠れなくなるので悪循環だ。

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物心がついた頃から大好きなテレビシリーズに「サンダーバード」がある。
サンダーバードは昭和40年代で子供にでも理解できる出色の出来栄えのSF番組だった。
その最大の魅力は危機に陥った人々を救い出すために登場する数々のテクノロジー。
サンダーバード1号から5号までのレギュラー装備は当たり前。
ジェットモグラや大型の牽引機。
空中に浮ぶスクーターなど当時としては「凄い」と思える最先端科学の結晶だった。

数ある装備のうちでも最も魅力的だったのは、やはりサンダーバード2号だろう。

色々な装置や機器を積み込んで、災害ポイントに着陸しコンテナを下ろしていくシーンは同番組のハイライトの1つでである。
ずんぐりむっくりとした形状の機体は決して恰好良いデザインではなかったが、なんせ一番活躍するメカなので親に買ってもらうプラモデルの大半は「サンダーバード2号」だった。

実は、このサンダーバード2号は日本製だった、らしい。
しかも2号だけでなく、1号や5号など他の装備も総て日本製だったというのだ。
というのも国際救助隊創立者のジェフ・トレーシーさんは、ブレインズの設計した各種装備を「三菱重工」に一括発注したからだという。

先週末の経済紙「産経ビジネスi」によると今年三菱重工は入社を希望する新卒予定者向けに会社案内用ビデオを東北新社とタイアップして製作したのだという。
そのタイアップして製作したビデオが「サンダーバードは三菱重工が作りました」という内容らしい。
1960年代に放送されたテレビシリーズのいろんなシーンを繋ぎ合わせて新しい三菱重工のためのドラマを作った。
三菱重工が手がけている宇宙航空技術や各種プラント、大型機械、船舶などの多くの事業をサンダーバードの各種装備を通じて紹介する内容なのだ。

同社を希望する学生は毎年1万人以上。
ここのところの製造業の復活で入社を希望する学生の数は増加傾向にあるという。
そこにサンダーバードの知名度向上を目指したいテレビ番組配給会社の東北新社と意見が合致。
このほどのビデオ誕生に到ったそうだ。

新卒だけでなく現社員にも「見て見たい」という人が少なくないらしく大好評。
実のところ、私は三菱の社員でも関係者でもなんでもないが是非見てみたいと思っている者の一人だ。

数年前、前田建設がマジンガーZの基地を見積もりしホームページに公開して話題になった。

いっそのこと、他の有名企業もSFやアニメを題材に会社PRを試みてはいかがだろう。
ホンダやトヨタにナイト2000。
ボーイングやエアバスにウルトラホーク1号。
ロッテやグリコに、海底少年マリンの水中で息のできるガム。
などなど。

どれもこれも日本製で、若い技術者を育てよう。

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旧ソ連時代、ロシアとその周辺諸国は宗教を実質的に禁止していた。
中国は現在も共産主義を崇拝し宗教活動を弾圧している。
共産主義は宗教否定を信念の1つにしているのだ。

ここ数週間、共産主義者が宗教を害毒視していた理由が朧げながら理解できるような気がしてきた。

共産主義の誕生した欧州は、もともとキリスト教、ユダヤ教という二大宗教とその分派が強い権力を握っていた。
権力を握った組織が何をするかというとヤクザの縄張争いよろしく、勢力争いを起こすことになる。
「私はカソリックの○○派だから、私の娘と結婚したければ改宗しなさい」とか、
「神を信ずる者こそ救われる。神を讚えよ」とか、
「キリストの教えをうけている者以外は非文明人だ」
などという理論が飛び出してくるのだ。

これに14~15世紀に始まった大航海時代と18世紀から始まった帝国主義が相まって、その勢力争いはますますエスカレートしていった。
欧州各国が植民地にした地域の多くがイスラム教を信じる地域で、この宗教も先の2つの宗教に負けず劣らず「神を信ぜよ。神を信じないものは人ではない」との論理をかざしているものだから話はややこしくなった。
どれもお互い自分たちの神こそ真の神だから習慣、風俗、文化、教育、食生活、異性間交渉などが異なると「ヤツは異端者。罰せ、捉えろ、改宗させろ、さもなくば殺せ」ということになる。

その結果、18世紀末から20世紀の中ごろにかけてキリスト教徒でもユダヤ教徒でも、さらにイスラム教徒でもないアジアの民と南北アメリカの先住民が大勢殺された。
ただ殺されたのではない。
「彼らの言う正義」の名の下に殺されたのだ。

この「神」を信奉すると、まともな神経を持っていると「変だな」と思うことも平気で行ってしまうのが人間で、とりわけ欧州では神に仕える教会や王室などが絶対的な権力と特権と富を占有していたので、そういうことの許せない共産主義者からは「宗教禁止」が叫ばれた。
尤も、近代共産主義の理論的背景を作り出したマルクスという経済学者も「家族無し」「友達無し」「自分こそ世界の中心」という人物であったことが知られており、そういう変人が創作したファンタジーが共産主義の正体であったというのも、これまた事実だ。

ところで宗教の目的は人々の幸せにあることは間違いない。
前記3つの宗教は幸せになるために「神」を信じ敬うわけだが、もしその神が自分の信奉するものと少しでも違うと相手は異端者となり敵となる。
その結果「神の名の下に」戦争やテロルが始まり多くの人が「不幸」になる。
この宗教パラドクスはイスラエル問題やアフガニスタン、イラク、イラン問題として現在も実在する。

そしてこの度、イスラムの創始者モハマドのパロディマンガで世界中のイスラム教徒が逆上し、多くの人々を死に到らしめている。
「たかがマンガで」というのが日本人の考え方だが、世界は「たかがマンガ」で済まされないことも多いのだ。
これをつかまえて「日本人は宗教がないから、わからないのだ。」としったか顔で言う日本人がたまにいるが、はっきり言おう。
その考えは間違えている。
マンガごときで人が取り返しのつかない不幸になるのなら、宗教は要らない。

共産主義者の気持ちが朧げながら理解できたような気持ちがするのは、そんなわけがある。

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この世の中に不味い飲みもの数あれど、冷えていない炭酸飲料ほど不味いものもない。
タージィ駅の売店で買った「冷えていないファンタ」は私の喉の渇きを癒すどころかその逆で、飲んだ直後から喉の渇く代物だったのだ。
それはまるで水で溶かさずにストローで啜った昔懐かしい粉ソーダとたいして変わらないことが分った。
ファンタそのものはタイからの輸入品なのだ、バッタもんでも偽もんでもなかったのだが、本物ファンタでも冷えていなければ清涼飲料水としてはどうしようもないものだった。
つまり「何が『清涼』やねん」と毒つきたくなるようなものだった。
ともかく冷蔵庫や氷の入ったケースなどは無さそうなので冷たいものを望んでも容易に手に入りそうにない。
諦めるより他なかったのだ。

列車を下りた私たちはTさんを中心に石山さん、デイビット夫妻、シャン族の男性、そして私で一塊になってダゴンマン列車が到着するのを待つことにした。

「どこから来たの?」
さっきまで乗っていた各駅停車の列車が駅を離れて見えなくなると、ミャンマー人にしては恰幅のよい初老のオヤジさんがにこやかに私たちに話しかけて来た。
もちろんミャンマー語で話しかけてきたので、Tさんの通訳により、その内容がわかるのだが。
タージィぐらいの駅になると外国人のグループがプラットホームで列車を待っていることも決して珍しいことではないのだろうが、一人英国人が混ざっているとはいえ日本人のグループ(Tさんも日本人に見えなくはない)が田舎町の駅で列車を待っているのは、やはり珍しいのかもしれない。
駅で列車を待っている人たちや、その他幾人かの現地の人たちから好奇の目に曝されているように感じられた。
ただミャンマーはたびたびここに書いてきたように陽気な民族性を持っているため、好奇の目で見られているからといってこちらも決して不快にならないところがいい。

私たちに話しかけて来たオヤジさんも人の良さそうな表情で私たちに語りかけてくれる。
「今日はどこへ泊まるんだ」
だとか、
「インレー湖へ行くのか」
とか、
「ダゴンマン列車はすぐ来るよ。何?そんなことがあったの?ここの鉄道はいつもこうだからね」
とか言っているらしい。
「もしかして、オヤジさんは駅長さんですか?」
と私は訊いた。
恰幅がいいし、堂々としているし、駅全体を仕切っているような物言いなので、私はてっきり鉄道関係者でしかも駅長さんかなんかなんだろうと思ったのだ。
「...........いいえ。駅前でホテルをやってるんですって」
とTさんが通訳してくれた。
なんだ、宿のオヤジではないか。
「どうだい。今夜うちへ泊まらないかい、ハッハッハ」
驚いた。世界中どこにでもいるのだ。
ローカルな駅前で宿屋や食堂、売店などを経営している暇なオヤジが、まるで駅員のごとく振る舞っているという光景は日本でも田舎で時々目にすることがあるが、ここミャンマーも同じなのだ。
聞くところによるとオヤジさんの宿は外国人を宿泊させても良いという許可をとっているゲストハウスなのだそうだ。
タージィがインレー湖へ向かう観光客の乗換駅になっているので、ここで一泊という外国人も少なくないのだろう。
オヤジさんは私たちがマンダレーへ向かう途中であることを承知で「うちへ泊まらないかい」と言ってきたのは、見え見えの冗談のようだ。
実に陽気な仕切りたがりのオヤジさんだった。

つづく

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