遠くで汽笛が聞こえた。
どうやらダゴンマン列車が近づいてきているようだ。
さっきまで乗っていた各駅列車が出発してすぐに汽笛が聞こえてきたので、シャン族の男性の情報は正しかった。
あのまま各駅列車に乗り続け次の駅でダゴンマン列車に抜かれる、なんてことが発生していたら私は猛り狂っていたかも知れない。
やがてダゴンマン列車が姿を現した。
懐かしいぞ、ダゴンマン列車。
列車はホームへ入線してくる手間で再び汽笛を鳴らして人が歩くようなゆっくりとしたスピードで私たちのいるホームへ滑り込んできた。
宿屋のオヤジさんが見送ってくれている中、私たちは自分たちのもともとの車両がある後部へ向かって歩き出した。
ところが列車が停車すると大きな問題があることがわかった。
ダゴンマン列車は特急列車ということもあり、さらに豪華列車ということもあるのか、さっきまで乗っていた各駅列車よりも車両編成が長かったのだ。
したがって、後ろの方に連結されている数両の客車がホームに届かないという現象が発生したのだった。
ローカルな話題で恐縮だが、日本でも編成の長い列車の一部がホームにかからず「後ろ一両のドアは開きません。ご注意ください」なんてことがままある。
大阪の梅田と姫路を結んでいる阪神電車の直通特急も相互乗り入れの山陽電鉄のいくつかの駅では一部の車両がホームにかからずドアが開かないし、確か昔、阪急電車の京都線でも西院だったか四条大宮の駅で車両の一部がホームにかからずドアが開かなかったように記憶する。
いずれの場合も乗降客はホームにかかった車両まで移動して乗り降りすることになる。
ところがダゴンマン列車の私たちの車両には他の車両に移動するための連絡通路がない。
このことは随分前に記述した。
私たちの車両は一種の個室になっていてその車両の扉からしか乗降できないのだ。
私たちの車両は「一等車」ということになっており、最後尾の方に連結されているためにホームにかからなかった。
普通であれば、ここでホームを降りてぞろぞろと歩いて行けば良いのだが、どうしてこうも私たちは運に見放されているのだろうか。
ホームから一旦降りると、そこは昨夜の集中豪雨のために冠水しており大きな池になっているのだった。
つまり自分の車両に戻るにはこの池をザブザブと歩いて行かなければならない。
「え~、うっそ~!」
と石山さんは叫んだが、嘘ではない。
現実である。
私たちの車両の扉まではホームから約10メートル。
こっちは大きなトラベルバックを持っているしどうすべしか悩んでいると、懐かしい顔が現れた。
よれよれの制服。
濃い顔つき。
すっかりお馴染のダゴンマン列車の車掌のオッサンである。
オッサンは笑顔でTさんになにか一言二言声を掛けるとまず私のトラベルバックを担いで水のなかをじゃぶじゃぶと歩いて行った。
身軽になった私もとりあえず扉へ向かおうと、水面から僅かに露出した配管などの上を歩いたり飛んだりしていたが「ここで足を滑らせて落ちては話にならん」と思い、意を決して水の中へジャブと降りて歩くことにした。
冠水した水の深さは20センチ位であった。
深さは大したことはないのだが、汚いのだ。
ものすごく汚い。
水の色はレールのオイルや、その他考るのも恐ろしい色々なものが混ざり合い、まるでドブなのである。
そのドブから早く脱出しようと小走りで扉に向かい列車に乗った。
私は裸足にサンダルだったので、そのままトイレに向かい水で足を洗い流し、なんとか格好がついた。
ドブは汚かったが、これで一安心した。
私はこの列車で出発した昨日の午前中、ナーガ洞窟パゴダで犬のウ○コを素足で踏んだ経験が役に立ったのかもしれない。
尤も、そんなことは役に立ってもちっとも嬉しくないことは言うまでもない。
外で大きな笑い声が起こった。
なんだろう?
そう言えば自分のことばかり気にしていていたのでTさんや石山さんなどほかの人のことを忘れていた。
大丈夫かTさん。
と思いドアの方へ向かおうとしたら、そこへ石山さんが悲惨な表情で乗ってきた。
「恥ずかしい~!」
と彼女は顔を真っ赤にしている。
「どうしたんですか?」
続いてTさんが笑いながら乗ってきた。
聞くところによると冠水したドブ色の水に躊躇していた石山さんを見かねたミャンマー人の男性がいきなり抱きかかえ、列車に乗せてくれたのだという。
「あの外国人たちはどうするんだろう?」
と心配そうに眺めていた地元ミャンマーの群衆から大笑いと拍手が起こった。
石山さんもビックリしたらしいが、突然の出来事で為すままに任せてしまったのだ。
「クソ!ベストショットを撮り損ねた!」
と石山さんの恥ずかしさなど露知らず、無情な私はそう思った。
足を洗うことを優先してしまったために、この「ダゴンマン列車の旅」の中で最も面白い瞬間を見逃したばかりか、カメラに収めるチャンスも逃したのだった。
続いてデイビット夫妻も私たちの車両に乗り込んできた。
シャン族の男性はアホな日本人に付きあい切れないのか前の車両に乗ったらしく、それが彼との短い旅の道連れの終わりになった。
私とTさん、そして石山さんは自分の席に戻り、デイビット夫妻はシャン族の男性が座っていたところに落ち着いた。
再び遠くで汽笛が聞こえると、列車は静かに動き始めた。
目指せマンダレー。
時刻はやがて午後5時になろうとしていた。
つづく
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