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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



「調査してみなければ、消費税をアップして不景気になるかどうかわからないじゃないか」

自民党のセンセイの言葉だそうで、きっとこの人は消費税をアップさせて不景気になっても「そりゃサブプライムローン問題のせいだろう」てなことで片づけるに決まってる。

当とりがら時事放談におきましては「消費税は日本の歴史および習慣に馴染まない」ということで、税率以前に税制そのものを否定しております。
ケインズの論理が必ずしも正しくなかったことが証明されている現在、支出を減らし、無意味な税金制度を廃止することこそ、景気だけでなく国民みんなのため。

将来のために冷静に考えてみたいもんです。
はい。

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ドタバタコメディかと思って見に行ったら、かなり真面目なコメディだった。

映画「近距離恋愛」を見てきた。
世の中「インディー・ジョーンズ」や「マジック・アワー」や「崖の上のポニョ」だとか話題作品で目白押しになると、どうしても私の大好きな中小作品は上映されにくくなってしまう。
あちらこちらにシネコンが林立しても、上映内容はほぼ同じ。
系列が違っても似たり寄ったりのメニューなので映画ファンを満足させることはちと難しいのが現在の映画館事情だ。

この映画もそんな大作話題作に圧されて一館上映。
しかも小さなシネコンでの上映だったが、客の入りは悪くは無かった。

ムービーウォーカーのサイトで確認したときは説明をよく読んでいなかったのでテッキリ「好きな人の結婚を阻止しようとあの手この手を繰り出すドジな男のドタバタ喜劇」という予想を持ってでかけてしまった。
が、この映画、いわゆる一般的なラブ・コメディなのであった。

ラブ・コメディといえば私はニール・サイモンの作品が大好きで、ちょいと古いが「裸足で散歩」や「グッバイガール」などは、秀逸すぎる作品だと思っている。
とりわけ「グッバイガール」で展開されたリチャード・ドレイファスとマーシャ・メイスンの掛け合いは忘れがたい。(ドレイファスはこの作品でアカデミー主演男優賞受賞)

それらと比べると「近距離恋愛」は平均的なラブ・コメディだったといえる。
それはそれでよかったのだが、ドタバタを期待していた私にはちょっとばかし物足りなさを感じさせる筋書きだった。
欲を言えば、もう少し捻りが欲しかった映画だったのだ。

~「近距離恋愛 Made of Honor」コロンビア映画 2008年作~

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夏。

この季節の特徴は、暑いこと。
「そんなこと言われんでもわかっているわい!」

というあなたも、関西の阪神・阪急・JR・大阪市営地下鉄の冷房が快適かどうかはあまり比較したことが無いはず。

私もない。

私は普段良く利用する鉄道は阪神・阪急・JR・大阪地下鉄に京急・京成・都営地下鉄だ。
このうち、関東の鉄道は首都圏にありながらつい20年前までは関西の鉄道と比べると恐ろしく冷房化率が低かったように思うので(間違っているかもしれないけれども)割愛し、タイのバンコクよりくそ暑い夏の関西で営業している関西の鉄道について考えたい。

結論から言って、冷房の効いている順序は以下のようになる。

JR(普通車)>JR(弱冷車)=阪神・阪急(普通車)>阪神・阪急(弱冷車)>大阪市営地下鉄

となる。

上記に加えて大阪市営地下鉄はターミナル駅に停車中は冷房を切っており、正直言って駅のホームに立っているほうが涼しい。
これは市営のみが自治体という政府の一種が経営していることもあり「省エネ」に熱心なためなのかもわからない。
しかも「地下」という地の利を生かし、太陽光線が直接当たらないので、
「停車時間は短いし、直射日光は当たらんので、少々暑くても文句いわんやろ」
と単に手を抜いているのかわからない。

不思議なことに、上記の冷房の効き具合は各鉄道会社が京阪神の移動に要する時間に比例している。
つまり冷房の良く効いているJRはスピーディ。
そこそこ冷房の阪急と阪神はエコノミー。
地下鉄は、関係なし。
というわけだ。

ちなみに大阪~神戸の移動時間は下記のようになる。

JR新快速>JR快速>阪急特急>阪神特急=JR各停>阪急急行>阪急各停>阪神急行>阪神各停
(以上、私の主観による)

ともかく、案外、電車の冷房の効き具合は鉄道会社の規模によるのかもしれない。

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キリスト教、仏教、イスラム教。
中学生の時、これらを世界三大宗教と習ったが、このうちイスラム教だけがわけわからなかった。
なぜなら、身近にイスラム教徒の友達がいなかったからだった。

キリスト教の友達は何人かいた。
小学校4年生の時の友達のS君は家の近所のカトリック教会に通うキリスト教の信者さんだった。
小学校3年生の時からの友達のN君は家は仏さんだったが、大学浪人のときにモルモン教に入信し、驚いたとにK大入学後九州地方にミッションに出かけた。
中学校の時の友達I君のお父さんの実家はお寺で、お爺さんは住職だった。

で、私の家は高野山真言宗。

でもイスラム教徒の親類縁者や友人だけは一人もいなかった。
したがってイスラムの風習はちっともしらなかったし、唯一のイスラム情報入手先が映画や雑誌、カール・マイの冒険小説あたりであったために、ほとんど空想の世界で終始した。

そのイスラム教の「生」に接したのは15年ほど前に初めてシンガポールへ行った時だった。
たまたま金曜日の礼拝と重なって、住宅地の中にあるモスクから大音響で流される祈りの声に度肝を抜かれた。
初めて感じる異国情緒。
イスラム教の礼拝風景は私に旅情を感じさせ、やがて訪れるテロの時代に持ってしまったゆがんだイスラムのイメージとはほど遠い平和な印象を受けたのであった。

そのイスラムが今、熱い。
イスラム教の国家は赤道付近にあることが多く、本当に暑いのだが、経済的にもすごく熱くなってきている。

「もう、ドバイの空港を降りて車で街の中心まで走っていると日本製の建機だらけですよ。中古よりも新品。もう日本でビジネスやってられませんわ」
と言ったのは、数年前に得意先の懇親会で出会った某建機商社の常務さん。

オイルマネーを資本にイスラム文化圏の発言力が急激に増している。
ところが私も含め多くの日本人はイスラムについてはとんと知らないことが多い。
そんな人にぴったりの入門書が、
「イスラム 繁栄の弧のゆくえ」
だ。

日本経済新聞に連載されていた記事をまとめたもので、簡単で読みやすい。
とりわけイスラム金融についての記述が多く、興味をそそられるところだ。
考えてみれば、日本の金融制度は明治維新の開国時もたまたま西欧とほとんど同じシステムで違和感はなかった。
ところがイスラムとなれば話は異なり、特に宗教の絡む経済なんてのはこれまでなかった考え方だ。

これをきっかけにイスラム文化について、それも実用的なものについてもっと知りたいと思ったのであった。

~「イスラム 繁栄の弧のゆくえ」日本経済新聞社編 日経ビジネス人文庫~



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暗いニュースばかりが報道され、
「この国はいったいどうなってしまうんだろう」
と不安を感じてしまったら、藤沢周平の小説を読むといい。

藤沢周平の時代小説には日本人のアイデンティティがたっぷりと詰まっていて、読みやすい詩的な文章と相まって、心の琴線に触れるものが少なくない。
短編集「夜の橋」にはそういった人情の機微を巧みに表現した名篇が詰まっている。

この短編集は数多くの藤沢作品の中でも私が最もお気に入りとするところのひとつである。
市井物あり。
武家物あり。
辛く厳しい内容のものもあるが、多くは爽快な気分にさせる物語が収録されている。
これらの作品を繰り返し読むごとに、新しい発見をし、そしてまた新しい人の心を感ずることができるのだ。

作品を読む時の自分の年齢で、作品を読んで受け取る感覚が異なるのが、これまた藤沢作品の楽しみにのひとつだ。
主人公が隠居の年齢である時。
また主人公が若侍である時。
そしてまた主人公が乏しく孤独な存在である場合。
など。
心理描写の奥深い作品だけに、読む時に感じる自分の心の動きさえ楽しく感じることの出来る作品が多い。

とりわけお気に入りなのが「泣くな、けい」という作品だ。
どのような筋書きなのかは実際に読んでいただきたいところだが、話の語り方、盛り上げ方、そして武士の世界の責任のとりかたの美しさ、男女のありかたに、きっと心を打たれることになるだろう。

藤沢作品は殆ど読了してしまったが、繰り返し再読することも、また楽しい。
そんな気分にさせる作品集だった。

~「夜の橋」藤沢周平著 中公文庫~


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先日とあるIT関連会社の社長さんと居酒屋で話をしてたら、

「地上波テレビは貧困層向けなんですよ。」

と話すのでビックリした。

「ほら、地上波のテレビじゃレクサスのコマーシャルやってないでしょう」
「そういえばそうですね。」
「そのかわりに、消費者金融やパチンコ屋なんかのコマーシャルが増えている」
「確かに」
「レクサス買ったりマンション買ったりする社会層の人に消費者金融だとか、パチンコ屋なんて関係ないですよね」

まさに目から鱗。
恥ずかしながら、最近テレビを殆ど見なくなっていたので、そういう傾向のあることに気付かなかった。

高級車はレクサスだけではなくベンツやBMWなどの輸入車についてもコマーシャルはほとんど見かけない。
海外旅行のCMなんて皆無だし、高級家電製品のCMも一部の大型テレビを除いては目にすることはほとんどない。

地上波テレビはその商業価値を失いかけているのかもわからない。

昨年、石油ストーブのリコールを呼びかけた松下電器。
この期間、テレビコマーシャルではリコールのお知らせのみを流し続けたということだったが、売上げに対する影響はまったくゼロ。
テレビコマーシャルがすでに製品拡販の重要な伝達ツールではなくなっていることを証明した。

私は高所得者じゃないけれどテレビは地上波よりもケーブルテレビでCS番組を見ることが多い。
新製品の情報は新聞や雑誌広告を通じて詳細はインターネットで入手する。
動画にかんしてもYouTubeのようなサイトにアクセスするとテレビでは見られに「見たい映像」を気軽に見ることができるのだ。

間もなくアナルグ放送が終了し地上波はデジタルになる。
テレビ局は多額の投資をして、政府は国民に高い受像機を買わせようと相務めている。
でもその実情は視聴者の地上波テレビ離れを加速させ、マスメディアの市場に劇的な変化をもたらせていることを、案外ほとんどの人は気付いていないのが実情のようだ。

地上波テレビは貧困層向け。
これって事実なのかもわからない。



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私の会社が入っている同じビルの2階に大手電機メーカーH社直系の関連会社が入っている。

この会社、電機メーカーだけに省エネに対する考え方はホーページなどを見るとトップレベルに位置させている。
自社で生産しているエアコン、冷蔵庫などの家電製品は言うに及ばず東京大阪間を結ぶ高速鉄道用の車両部品、各種発電プラント、原子力関連設備など、ほとんどの製品に省エネがうたわれている。

でも、ここの社員さんの多くは2階の事務所へ行くのにエレベーターを使う人が少なくない。
上るのに使うのは大目に見ても、2階から降りるのにもエレベーターを使う。
ここの会議室は4階にあるようで、ここへも2階からエレベーターを使って登り、そして降りる人が多い。

ビルのエレベーターもこの会社の製品なので、もしかすると「自社製品を利用すること」とという愛社精神でたった1フロアの移動にエレベーターを使っているのかも知れないが、省エネスピリットに反しているのじゃないだろか。

H社さんの言行不一致に提案する。
「Inspire the sprits of saving energy」
にキャッチを変えて気を引き締めてはいかがだろう。

怪しげな「日米・文化交流会」の専務に金を渡してる場合じゃないと思うのだが。

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無差別殺人が止まらない。

岡山駅での突き落とし。
土浦と秋葉原での無差別刺殺。
そして八王子での書店員無差別殺害。

共通するのは犯人の犯行理由が「誰でも良かった」ということ。
身勝手な理由ここに極まれりといった感がある。

これはもしかすると日本人のアイデンティティが破壊され始めているのかも分からない。
つまり、
「可哀想」
「恥ずかしい」
「卑怯を許さない」
「正直であること」
「責任をもつこと」
という基本的な心の崩壊だ。

例えば、
殺人者は「私の不満に誰も耳を貸してくれなかった」というような子供のような言い訳で人を殺す。
公務員は裏金作りにまい進し、発覚しても責任をとらない。
社会保険制度は崩壊し、その原因を生み出した不逞な職員を解雇することも躊躇する。
教育の中枢は「オレが」の世界で汚職まみれ。
加害者が未成年者であれば凶悪事件も闇に葬り、知的障害なら無罪放免。代わりに責任をとらされる保護者も医者も存在しない。
環境保護団体という名のカルト集団は盗みを働いてもマスコミから擁護される。
子供をゲンコツで叱ると「暴力行為」で逮捕さえされてしまう。

これを助長しているのがテレビ・新聞の力だ。

テレビのバラエティ番組では低俗なネタで他人をコケ下ろす。
教養番組は検証もしない「科学的データ」を捏造する。
ニュース番組は偏向し、愛国心を主張すると危険人物に祭り上げられる。
ドキュメンタリーはウソもホントに見せようとする。
韓国・中国は絶対善で、日本は絶対悪だと主張する。
死刑囚を処刑したら殺人鬼呼ばわりする。

どれもこれもメチャクチャだ。

一昨日発生した八王子の事件で福田首相は「原因、背景の徹底捜査を」と命じたらしいが、原因はこういう政治家の責任感の欠如した態度や生活にもあることを忘れている。

責任者出てこい!
と、この期に及んでも誰も叫ばないのが一番異常に思えて仕方がない。

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最近、大阪でも京都でも東京でも、街中には外国人観光客や外国人ビジネスマンが溢れている。
こんなことついぞなかったと思うのだが、時代の流れか円高でも、エアラインの追加燃料チャージがボッタクリであろうが、私たちの国を訪れる外国人の数は減らないようだ。

私が初めて国内で外国人を目撃したのは大阪万博の会場でであった。
とりわけ印象に残っていたのはカナダの森林警備隊のオニイサンで、馬に跨がったりりしい姿が小学校一年生のガキであった私にはかっこよく、頼もしく思えたのであった。

あの頃は万博会場で外国人を見かけることはあっても、大阪の街中で外国人の姿を見かけるのはまれであったように記憶する。
ところが35年ほど経過した現在、外国人の姿は決して珍しいものではなくなってしまった。

例えば、大阪ではUSJや通天閣、大坂城にヨドバシカメラ、ビッグカメラ、などの買い物袋や土産物を両手に抱えた台湾、韓国、中国からの団体旅行客を見かけない日はない。
これに国籍不明の白人の皆さんやレゲエっぽい黒人のオニイサン方を加えると半端ではないのだ。

さらに観光のメッカである京都ともなると、大阪が問題にならないほどの外国人観光客がウロウロしているのだ。
これがつい130年ほど前であれば、確実に「天誅!攘夷!」でクビチョンパであった首都京都。
どいつもこいつも命の保証はしかねるというような街だったことを思えば隔世の感がある。
一世紀もあれば国なんてものの価値観は180度難度でも変わることもあり得るのだという実例で面白い。

ところで日本を訪れる彼女、あるいは彼達の日本に対する魅力とは何なのだろう。
私たちの国がそんなにエンタテーメントに富んでいるとはとても思えない。
国際的に通じる文化といえば、アニメ、フィギュア、寿司、芸者に阪神タイガースといったところだろう。
(最近、甲子園でも外人の姿が増えてきた。先日など甲子園へ訪れるとハッピにメガホン、はちまき姿という典型的なトラキチファッションに身を包んだ白人少女軍団を目撃した)
USJを訪問して歓喜するアメリカ人というのも考えられないし、竹島問題でイチャモンを付けてくるプライドがやたら高い韓国人が大ぴらに「日本はオモロイ」と認めるとも思えない。

中華料理といえば王将のポパイ定食しか知らない大学生が巣くう京都の学生街で学ぶ外人さんの姿が少なくないことも驚きだ。

ということで、外人さんが一杯。
犯罪が増えなきゃ良いんだけど、などと勝手に「外人イコールちょっとアブナイ人びと」と結びつける私もいかがなものかと思う今日この頃なのであった。



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ASEANがミャンマーに対して「スーチーさんを解放せよ」との決議を出したのだという。
フィリピンなんかは、
「ミャンマーがいるようなASEANで地域統合の条約にサインなんかできないや」
と屁理屈をくっつけて批准をしなかったというが、こういうのを「目くそ鼻くそ」というのかもわからない。

ASEANを構成している国家で純粋に欧米式民主国家の国などどこにもなく、視線をすべてのアジアに広げても日本を含めて西欧式民主国家は存在しない。
したがってASEANがEU式地域統合をしようとしてもそれは無理というものだ。

例えば軍事政権。
マスメディアはミャンマーの軍事政権ばかりを非難するけれども、東南アジア諸国の場合「軍事政権もどき」がほとんどなので、ミャンマーの細かいところに突っ込みを入れると、自分の首を絞めることになってしまう。
非常につらいところだ。

インドネシアは軍政だし、ベトナムは共産党一党独裁の軍政だし、タイは先日まで軍政が復活していたことは記憶に新しい。

どの国も「軍隊」の首に鎖をつけた有力者が政権を握るというルールがある。

つまり何が言いたいかというと、
「ミャンマーはASEAN諸国の問題を集約した鏡そのもの」
ということだ。

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