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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



地球の歩き方にも書かれているように、ホッパ山は仏教遺跡の街バガンと一つセットにされた観光地だ。
ただし、そのロケーションがバガンから若干離れていることから、訪れるのには別料金が必要になる。
私のようにガイドさんを伴っていないと、ホッパ山へ行くにはかなりの困難を覚悟しなければならないようなことがガイドブックには書かれているのだ。

「バスは一日二往復しかありません」
「しかもオフシーズンには走っていません」
「ピックアップトラックをチャーターしなさい」
「ホテルにタクシーをアレンジメントしてもらいなさい」
などなど。

不便な場所に位置するのだ。
私自身、今回の旅でホッパ山を訪れるべきかどうか悩んでいた。
だから事前に「ホッパ山を訪れます」とは宣言しておらず、昨日、バガンへ向かう船の中でTさんと雑談を交わしている間に、やっとこ行くことに決めた場所なのであった。
石山さんは私たちが誘うまでコースに含んでもいなかった場所だ。
とはいえ、ホッパ山が魅力の乏しい観光地だ、ということは決してなく、ガイドブックに掲載されている白黒の写真から判断してもなかなかユニークな場所であることは間違いない。

「次にここバガンを訪れるのは、いつになることやらわからない」
私の脳裏をふとそんな感覚が過ったのだった。
ただ、「ここを次に訪れるのは、いつになることかわからない」と思いながらも、結局何度も何度も訪問することは私には珍しくはない。
ここミャンマーでさえ、初めて訪れた時は「次に訪れるのはいつになることやらわからない」と思い、他の国では雇ったことのないガイドさんをお願いし「一度しかない訪問(とこの時は思った)」を有意義なものにしようとした。
ところが。実際は一年半後に再びミャンマーを訪れ、今こうして同じガイドのTさんを相棒に旅行を楽しんでいる。
(実際にはこのミャンマー大冒険の半年後、3度目のミャンマーを訪問を実現し、さらに年内に4度目の旅行を計画しているのだ)
だがホッパ山も、度々訪れるようになるかもしれないが、そうならないかも分らない。だから追加費用を支払って訪れることに決めたのだった。

バガンからホッパ山に続く道は、舗装はされていたものの、もちろん路面は穴ぼこやひび割れだらけのデコボコで時々干上がった川を通過する時は橋もなにもないので、おびただしい砂煙を上げながらタクシーは走ることになった。
それでも道路の両側は緑に溢れ、空は蒼く晴れ上がっているし、遠くにはパゴダの仏塔が臨まれるような、とても清々しい景色が広がっていた。

「ここは土がむき出しだったんです」
とTさんの説明。

バガンが観光地化されるに伴って、荒れ地であったこのエリアに政府は植林を奨励し、今その努力が実りつつあるというわけだ。
とりわけ我が日本の献身は少なくないという。

沿道には日の丸とミャンマーの国旗があしらわれた立て看板が見受けられ、植林に協力した大手日本企業やNGOの名前が記されている。
私はふとタイのバンコクの地下鉄を思い出した。
開通したばかりのタイの地下鉄の主要駅には日の丸とタイ国旗があしらわれたプレートがはめ込まれ、これまたタイ語、日本語、英語で、「この地下鉄は日本からの政府援助金で建設されました」と示されているのだ。
これこそまさに友好国。
ミャンマーもタイと同じように我が日本にとってはかけがえのない友好国なのであった。

「げっ、韓国の旗もあるぞ」

そう。
マネしごんぼでお馴染の韓国も、最近は中国の腰巾着よろしくミャンマーへの進出が盛んであるらしい。
そこで「日本へ対抗意識むき出しに」同じことしているのだという。
しかし、ミャンマー人は親日的だが、韓流の嵐吹き荒れるここミャンマーでも南北朝鮮人は「あまり好きではない」か「嫌い」のどちらかというのだからお気の毒なことである。
いつぞやの「ラングーン爆弾事件」が影響しているのか、それとも「進出韓国企業の労働条件の悪評判」が影響しているのかわからない。
分らないが、一般人の国際社会は平等に評価するものだと、つくづく感じるのだった。

やがて坂道が増えてきて、山らしきものも見えてきた。
でもホッパ山はまだ見えない。

小さな村の三差路にさしかかった。
道には標識もなければ、簡単な道知るべさえない。
もしガイドさんなしでここへ来たら、きっとどっちへ曲がれば良いのかさえ分らなかったであろう。
ここで進路を右にとると、道の傾斜はますます険しくなった。
道幅も狭い。
両側に緑の木々が接近してくる。
その時であった。
遥か前方、道が山なりになった峠の向こうの木の間から、ガイドブックの写真とまったく同じホッパ山の頂きが見えてきたのだ。

「止めて下さ~い!」

私はTさんを通じてタクシーの運転手にここで停車するようにお願いした。
ドアを開け、急ぎ足で外へ出てみると、ホッパ山の全景が見て取れたのであった。

「わ~、すっご~い!」

と石山さんも感嘆の声をあげる。

ホッパ山に向けてデジカメのシャッタを切る私の脳裏に、ある有名な映画の音楽が流れてきたのであった。
その映画とは、いささか古いのを承知で述べると、ジョン・ウィリアムスが作曲した若き日のスピルバーグの名作「未知との遭遇」の音楽なのであった。
なぜその音楽が浮んだかというと、ホッパ山は「未知との遭遇」の舞台になった米国ワイオミング州のデビルズタワーそっくりだったからだ。

つづく

東南アジア大作戦

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