政治、経済、映画、寄席、旅に風俗、なんでもありの個人的オピニオン・サイト
とりがら時事放談『コラム新喜劇』



しばらくエントリーしておりませんでした「とりがら時事放談」近々再開します。

「最近更新されておりませんが、どうしたんですか?」
という問い合わせも頂戴しており、この愚ブログを結構大勢の方々にご覧いただいていることに感謝しています。

今しばらく、お待ちくださいませませませ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




オバマ大統領がノーベル平和賞を授賞した。
もしかするとジョージ・ブッシュ・Jrへの当てつけかもしれない。

オバマ大統領がいかにも平和に見えるのは「核兵器廃絶」を叫んでいるのも一因かも知れないが前大統領との比較の落差にあるのも手伝っているだろう。
なんといってもアメリカの大統領が核廃絶を叫ぶのは、下心あってのことだと私は考えている。
つまり本心から核の危険性を訴えていることではないと思っているのだ。

もし、核兵器が人類存続にとって危険なものであるというのならスミソニアン博物館にエノラ・ゲイを展示することも無いだろうし、アメリカ合衆国は世界で初めて人類に対して核兵器を使用した国であるなどと「誇る」こともないだろう。

核兵器の廃絶。
それは核兵器のメンテナンス、管理維持に金がかかるのでできれば(途上国がその地域の紛争に)使っても問題のでない通常兵器をもっと造りたいといったのが本音のような気がしなてならない。
なんていっても通常兵器は日本の平和産業が電球を作って売るようなもんで、切れれば作ってまた売れるわけだし、兵器ビジネスのテーブルには他のビジネスではことごとく苦汁を舐めさせられた日本が出てくる心配もない。

この私の考えは捻くれているのだろうか。

それにしてもノーベル賞。
どうも内容が偏りすぎてはいないか、と気になって仕方がない。
むしろイグ・ノーベル賞のほうがよっぽど高貴なような気がする。
そういうのも、私が捻くれ者だからだろうか。

今回のオバマ大統領の授賞といい、ずっと前の金大中の授賞といい、アウン・サン・スー・チーの授賞といい、佐藤栄作の授賞といい、どうもノーベル平和賞は政治的アピールが強すぎるような気がするのだ。

ノーベル平和賞。
ノーベル平和ショーというほうがしっくりするのが不思議である。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




家電量販店を散策していたり、雑誌を手に取りペラペラとページをめくっているとデジタルカメラに「プロ向け」なんてポップが付けられて売られているのをよく目にする。

この「プロ向け」の定義って、いったい何なんだ。

その昔、家庭用ビデオデッキに「ベータプロ」なんて機種があって、私も学生時代にアルバイトで貯めたお金で1台購入した。
芸術学部で映像を専攻していたので、自分でビデオ編集するには2台のビデオデッキをつないでダビングを繰り返すしかなかった。
1980年代。
ノンリニア編集できるパソコンなど存在しなかったのだ。

「プロ」とは言いながら、その実、価格はプロダクションや放送局が使用するものとは随分と異なり、内容は当然ながらかなり劣っていた。
それでもプロというぐらいだから、コマごとの編集ができたり、他の家庭用機種よりは耐久性があったことは間違いない。
この耐久性あたりがプロを標榜した理由だろう。
ちなみにベータプロのデッキは20年以上経った今も元気に動いている。

で、デジカメの「プロ仕様」とはいったいなんぞや。
と考えてみると、私は正直分からない。
確かにレンズの歪みや明るさ、画素数や色再現性など、プロにとって大切な要素はあるに違いない。
でも、デジカメの性能は「プロ」「アマチュア」の差を訴えるほど大差はないような気がするのだ。
要はプロでもどういうジャンルで使用するのか、というのが重要で、「プロ仕様」を謳うのであれば例えば「ファンション系の撮影にはこのカメラ」「建築系の写真にはこのカメラ」「報道系にはこのカメラ」という風に、ちゃんと説明してくれたら価値があるというもの。

学生時代。
世界的にも有名なカメラマンの先生が、私たち学生が使うような安価なカメラでパシャリとやったら、びっくりするような写真を撮った。
ということがあった。
つまり写真にしろ動画にしろ映像はカメラの性能に頼るのではなくて、撮影者の腕に大きく左右されるのだ。

ということで、量販店や雑誌の表示「プロ仕様」。

「ワシはプロや」
と標榜しているカメラマニアのおじさん向けた「これ、よろしおまっせ。買うてや」というメッセージなのかも知れない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




産経新聞のweb版の報道によるとスタートレックで著名なカーク船長役のウィリアム・シャトナーがミスター加藤役のジョージ・武井に噛みついたそうだ。
理由は、
「結婚式に詠んでもらえなかったから」

ハミゴにされた恨みをYouTubeでネチネチと語っているのだという。

正直オカマの結婚式に参列したかったのか、と私は言いたい。
オカマに囲まれて嬉しいのか?
確かに米国では有名人であるジョージ武井の同性の結婚式。話題を呼んでいたので芸能記者も大勢やってきていたことだろう。
それほど、シャトナーの最近は仕事がなかったのかも知れない。
YouTubeに証言ビデオが流されているところが、いかにも「生活に困っている」という感じがする。

それにしても、大統領選挙と同時に「オカマの結婚の権利を否定する」住民投票があったとは、このニュースを読んで初めて知った。
ジョージ武井も変なヤツだが、米国そのものもかなり変な国だ。
私もできれば「オカマの同姓同士の結婚」には、
「気色悪い」
を理由に権利を否定する方に投票をしたいところだが、ロス市民ではないので投票できないのは残念だ。

「あいつ(ジョージ武井)は変なヤツだと思っていた」

オカマを変なヤツと思っていたシャトナーもきっと同じ考えだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




恵比寿にある東京都立写真美術館で開催中の「ヴィジョンズ・オブ・アメリカ第二部」を観賞してきた。

アメリカが世界史に輝きを放ち出した頃、偶然にも写真の技術が誕生し、その「輝けるアメリカの歴史」が白と黒を基調にしたイメージとして印画紙に焼き付けられることになった。
輝ける歴史は、イメージという形で残り、そして様々な光を放っていた。

ある時は成長する経済の象徴である摩天楼のように、黄金色をした輝きであり、
またある時は子供も働かなければならない移民の乏しい生活を感じさせる薄暗い光であり、
さらに、またあるときはヨーロッパにもいないような巨額の富を得た成功者の自信に満ちた輝きであり、
そしてまたある時は、自分の意思に反して大西洋を強制的に連行され売り買いされたアフリカ系移民のスラムの光の無い世界であったりするのだ。

今回の第二部では、偶然にも人類史上最初の株価暴落となった「大恐慌時代」が含まれており、興味をそそられた。
しかしそれ以上に、ひとつの時代的なイベントとしてフォトジャーナリズムの誕生にスポットが当てられていた。

ユージン・スミスやロバート・キャパ、マーガレット・ホワイトなどに代表される報道写真の世界が開花した時代で、その報道写真がアメリカという国の金看板であることを考えると、写真のアメリカの輝きは決して偶然ではないと思えてくる。
ある意味、アメリカを拠点を置いたカメラマン達が世界中に飛び出し、レンズを通して彼らの価値観を焼き付けて行った時代でもあるのだ。

前回の第一部より写真は洗練され、被写体もお馴染の人物や風景が数多く登場する。
写真が最も生き生きとしていた時代の一枚一枚が、興味深く、そして人の汗と地の匂いを感じさせるのだった。

~「ビジョンズ・オブ・アメリカ 第二部 1918~1961」東京都立写真美術館 10月19日まで~



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いつの頃からハローウィンが日本でもポピュラーになってきた。
ショッピング街ではハローウィンの飾り付けが盛んで、グッズも沢山売られている。

あの映画「E.T」が公開された時は映画の中のハローウィンはまだまだ知られておらず、
「なんじゃい?あの仮装行列は、時代祭の一種?」
とクエッションマークを灯していた人もいただろう。

ハローウィンが日本で有名になったのはアメリカに留学していた青年がハローウィンの仮装で他人の家を訪問しようとしたら「フリーズ!」と言われ「プリーズ!」と勘違いして撃ち殺された事件に違いない。
当時は「聞き取りが悪いのどうの」「他人の家に近づくなんて」と殺された青年を非難する声が沢山聞かれたが、「なんで普通の人がショットガンなんか持っているの?アメリカって変じゃない?」と当たり前の疑問を呈する人は意外に少なかった。
ともかく、ハローウィンのお祭りが招いた悲劇だった。

だからかどうか知らないが、
「アメリカの文化を入れちゃいかん!」
とばかりに吼え立てているのはプーチン率いるロシアだそうで、「ロシア正教ではハーロウィンは祝いません」とばかりに国家をあげて仮装したがる老若男女を取り締まっているそうだ。

さすが侵略国家。
他国の文化に侵略されるのは、そのプライドが許さないのかもわからない。

さて、私はといえばハローウィンで思い出すのが「カボチャ大王」。
スヌーピーとチャーリー・ブラウンで有名な漫画「ピーナッツ」のライナスが信じて止まない架空のキャラクターだ。

日頃は毛布を抱きしめて指をくわえているライナスだが、その弁舌は論理的。
ピーナッツのキャラクターの中でもその雄弁さはぴか一だ。
学校の生徒会長の選挙戦でもライナスの論理性は学生の注目を浴びて当確寸前。
しかし最後の候補者演説会で「カボチャ大王」を語り始めてしまったために、あえなく落選。

そのユニークなエピソードをテレビで見て以来、私は「カボチャ大王」を見てみたいという欲求にかられている。

ハローウィン。
私にとってのハローウィンは「カボチャ大王」なのだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




夢の話で恐縮だが、なぜか昨夜の夢にゼンジー北京が登場した。
本人の手品も楽しめたのだが、どういうわけか、私は「ゼンジー北京」と書かれたTシャツを着ていたのだ。

「そのTシャツどうしたん?」

とおなじ「長屋」に住んでいる見知らぬ人に羨ましがられていると、乗る筈であったヒコーキが出発した。

というなんかよくわからない夢なのであった。

北京オリンピックが閉会したが、なんともやりきれない出来損ないのオリンピックだった。
今日の産経新聞朝刊によると、閉会式の観客はなんと、
「動員された公務員のエキストラ」
であったらしい。
あまりの暑さに外国人記者や関係者は大勢が退席しているにも関わらず誰一人として席を立つ者を見かけなかったというのだ。

「インターネットを自由にして、集会をしている人たちを監獄にいれないだけで、ロンドンオリンピックは北京の品位を上回る」

こういうふざけたオリンピックの後でゼンジー北京の夢を見るのも、なんか納得できるというものだ。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




20年以上使い続けてきたセイコーの腕時計が故障をした。
日付が変わらなくなってしまったのだ。

まだまだひよっこ社会人であった頃に大枚70000円をはたいて購入した腕時計がついに故障してしまった。
20年以上も前の腕時計なので完全なるメイドインジャパン。
すっかり気に入って世界各国あちらこちらへ行くのにいつも連れて歩いていた。
ところが故障。
暫く腕時計のない生活をしていたのだが、どうも不便なので去年の暮れに期限切れ目前マイルで慌てて交換したANAの腕時計をしてみようと箱から取り出した。

いかにも「メイドインチャイナ」な腕時計はその図体も腕時計にしてはメタボすぎ、今どきの時計にしては厚みが1cmはあるのであないかと思えるような製品なのだ。
この「不細工な時計」を持つことに至った理由はもちろん「ANA」の刻印があったから選んだのであって、ここにもし「PCB」とか「HIV」などというロゴが入っていたら(それはそれでオモロイが)交換することはなかったであろう。

そのANAのロゴ以外は不細工な時計をはめようとしたら問題が発生した。
付属のベルトでは私の腕の周囲に長さが足りないのであった。
長さが足りない。

こういう中途半端なセレクションはやめていただきたい。
ベルトを交換しない限りなんの役にも立たない。
ポケットに入れて持ち運ぶわけにもいかない。
それであただの懐中時計になってしまうのだ。
もしベルトを交換するにしても、こういう企業物の腕時計はベルトも不細工とはいえデザインの一部。
それにベルト代のほうが時計より高価な場合も考えられるので結局、ANAの腕時計は箱に戻し使わないことに決めた。

一方修理に出していたセイコーの腕時計は修理不能の様相が強くなってきており、新しい腕時計の購入を考えなければならない事態に陥っている。
小遣い無いのに。

ということで、次回のマイル交換は日帰り強行旅行でも航空券の交換でいきたいと思うのであった。

だれか、このANA腕時計要りませんか?





コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「あなた、あなた。ちょっと来て」
「なんだよ、暑いのに」
と団扇で煽ぎつつ外に出ると、嫁さんが自動車のタイヤを指さし、
「ね、タイヤ(熱帯夜)」

というくだらな~い洒落で笑ってしまったのは、いしいひさいちの4コマ漫画なのであった。

それにしても暑い。
どうして毎年毎年6月が終わると暑くなるのか、自然現象とは言いながら腹が立つ時がある。
東南アジアに好んで出かける私も、大阪のこの暑さは半端ではないと思っている。

私が訪れたことのある東南アジアで一番クソ暑い都市はバンコクだと思っているのだが、大阪の夏はそのバンコクよりクソ暑いと思う。
しかも不快感も強いと思う。
シンガポールも暑かったが、ここは湿度が多少マシな感じがするし、ヤンゴンも蒸し暑いが、じど~~~~~とした感じはやはり大阪よりましなのであった。
ベトナムのサイゴンなどは朝夕心地よく、日中のクソ暑さを我慢すれば殆ど問題のない気候なのであった。

ということで、これから10月の初めまで暑く蒸し暑い日々が続く。

ビールは美味い。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




旅に出たい.........。

めずらしいことに、今年になってから一度も旅に出ていない。
出る時間がない、というのが真相だが、それでも一歩も旅に出ないのはストレスの原因になる。

もちろん、出張には毎週のように出かけていて、北は仙台からミナミは難波まで.....という冗談はさておき、南は福岡まで、ウロウロしていることは間違いない。
それでも仕事の旅はつまらない。
自由に出歩き回るわけにも行かず、訪ねたいところへも足を向けるのは容易ではない。

ま、東京へ頻繁に出かけるようになったので都内の地理に明るくなってきたのがささやかな収穫と言えなくはない。

ということで、旅に憧れ関空へ行ってきた。

展望台は灼熱地獄。
そんななか、多くのヒコーキマニア達がご自慢のカメラでパシャパシャやってたので、私もパシャ、とやったのがこの一枚。
香港経由のムンバイ行きだろうか。

エア・インディア。

機内食はカレーかな。

と、旅は夢をもたらしてくれるのでした。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ