今回は私の勝手な考え(いつもですが)が多分に含まれていることを、とりわけバファローズファンの方にお断りしておきたい。
色々な意見はあるだろうが1989年の日本プロ野球のヒーローはやはり近鉄バファローズの阿波野秀幸投手だったと私は思っている。
当時入団3年目。
毎年15勝以上の成績を上げ続けてきたエースはこの年、29試合に登板し19勝。
リーグ優勝に貢献した。
シーズン終了後には親会社近畿日本鉄道の看板特急アーバンライナーの広告にもビシッと決めたスーツ姿で登場し、名実ともに近鉄グループの顔となった。
ところが翌1990年、阿波野投手の成績は急降下することになる。
なんとか10勝を上げることはできたものの、前年まで2点台だった防御率が4点台に下落。以降2000年に横浜ベイスターズを引退するまで、ついに二ケタ勝利を上げることはできなかった。
阿波野投手の1990年に訪れた「突然の低迷」の原因を成績表から探ることはできない。
なぜならそれは心理的な要因で、それらは数値として記録されることは永遠になかったからだ。
阿波野投手の心理的プレッシャーになったもの。
それは剛腕ルーキーの登場であった。
そのルーキーの名前を野茂英雄といった。
マイケル・ルイス著の「マネー・ボール」はアスレチックスの元GMビリー・ビーンにスポットを当て、メジャーリーグの新しい潮流の一つを描いたノンフィクションだ。
メジャーリーグの各球団の選手の総年俸には大きな開きがある。
お金持ちの球団とそうでない球団との差は年々広がっており、本書で採上げられているアスレチックスの年俸はヤンキーズの三分の一。
その少ない予算でワールドチャンピオンを目指し、金持ちチームとシーズンを戦い抜いていかなければならないのだ。
高い年俸を出すことができるチームは必然的にメジャーを代表するようなプレーヤーの獲得が可能であることを意味し、このため一般的に金額の多寡は勝利へ結びつく直接的な要因のひとつと考えられている。
だから総年俸の大きいヤンキーズは強いということがいえるのかも知れない。
しかしヤンキーズの総年俸の三分の一のアスレチックスがここ数年好成績を収めプレーオフの常連となっていることは、どう説明すれば良いのだろうか。
この背景にあるのが本書「マネー・ボール」で描かれているフロントによる独自の選手分析である。
つまり、高年俸の打率優秀、防御率優秀な選手が、必ずしも「結果を残せる」選手ではないということに初めて注目し、埋もれた選手や他球団が欲しがらない言葉は悪いが「キズモノ」の選手を掘り起こしていくのが秘策なのだ。
「本塁打を打つのか、それとも三振するのか以外、打球がフィールド内に飛んでいき、それが安打になるかどうかは数値で読めるものではない。運である」
という意味合いの考え方や、
「記録される数値の中には、安打になったとき、守備の選手はどの位置にいたのか、どのような体勢をとっていたのかは『記録されることはない』」
というような野球の捉え方はユニークである。
確かに打球が安打になるのは、単に打者の打率が良かったからというのではなく、守る側の守備位置やコンディション、天候などが大きく影響しているはずだ。
「誰も注目しない埋もれた選手を発掘する」
「高校生をドラフト一位指名するのは投資としてナンセンスだ。発展途上の高校生は先が読めない」
という考え方もまた、保守的なプロ野球の世界では異端であり斬新な考え方であったのだ。
重要なことは、本書で扱われている内容が「ベースボールはビジネスである」という視点で描かれていることだろう。
確かにベースボールは言われるまでもなくビジネスだ。
が、ほとんどの球団が多額の債務を抱えているような劣悪な経営状態の中で高額な年俸を勝てもしない選手に支払っているというのは、たとえそれが現実だとしても野球チームはまともな企業とはいえないのだ。
だからと言って、簡単にチームを売り払っても良いものか。
そこに文化と伝統しての野球があり、簡単に片づけられない問題がある。
「勝ち数を上げるために必要な投資額」という話は、なにもプロ野球に限った話ではない。
その勝ち数を増やすために一般のビジネスシーンでは、野球での勝率や打率、本塁打本数、失策率などよりも、遥かに多くの情報を収集し分析するのが当たり前になっている。
ここで冒頭に戻るが、もし、野茂英雄というルーキーを入団させることで、エース阿波野が精神的なプレッシャーを受け、その後のチームの成績にかかわってくるということが分析されていたのであれば、球団は違った選択をしていたかもわからない。
精神的な問題。
「女房や恋人とケンカをした」
「些細な自動車事故を起こした」
「子供が風邪をひいて熱をだしている」
「ヤツには絶対に負けたくない」
という精神的要素は容易に数値に表すことができないのだ。
しかし本当のところ。そういう精神的な要素も数値や記録として残さなければ、正確なビジネス判断を誤ることになる。
「マネー・ボール」ではメジャーリーグという野球ビジネスを単なるショーではなく高度な投資ビジネスのように捉えているところがまたユニークであり、魅力的である。
株式投資は無数のデータを収集し、電算機など最新のソフトウェアを駆使して分析すれば必ず勝利をうることができる、という考え方を野球にも持ち込んでいるのだ。
サッカーはルールが紙一枚。
野球は書籍になると言われているが、野球の場合はサッカーに比べて実際はそれ以上にウンチクの溢れたスポーツなのだ。
野球の周辺に屯するプロ、アマチュア、ファン、一般人など多くの人々を株式や物理を研究するように、その世界に没入させていく恐ろしい力を秘めている。
それにしても、野球はなんて理屈が多く、かつ広がりのあるスポーツなのだろうか。
~「マネー・ボール」マイケル・ルイス著 中山宥訳 ランダムハウス講談社刊~
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