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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



いよいよ平成17年ともおさらばだ。
また会うことは二度とない。
当たり前だが。
ともかく本年最後のとりがらブログ。
今年見た映画や書籍をランク付けしておいてみたい。

で、勝手に決めました「とりがらベストテン!」にするとちょっと多いので「ベストファイブ!」
まずは映画から。

今年の最大の話題作といえばスターウォーズ・エピソード3だった。
このシリーズ。回を重ねるほどストーリーが複雑になってしまい、ある意味オタク向けメロドラマの感があったのも否めない。
否めないが特撮やアクションはさすがに第1級。
私もアクションを見たさに二回も映画館に足を運ぶという近ごろでは珍しい行動にでた。
ただ二回見たからといって今年度のベストワンかというとそうではない。
私が今年見た映画43本(劇場29本、ビデオ14本)のベストファイブは以下の通り。

1位 フェーンチャン
2位 アイランド
3位 Ray
4位 月のひつじ
5位 男たちの大和

書籍もマンガと雑誌を除くと50冊ほど読了した。
ここ数年つづいていた沢木耕太郎のノンフェクション全集がついに完結。各巻末尾に収録されていたナインメモリーもなかなか良かった。
沢木耕太郎といえば新刊「凍」も読みごたえがあった。
この人の作品はどのような題材でも、丁寧な取材と分りやすい文体でどんどん惹き込まれて行く強力な魅力がある。
次回作も期待するところだ。
最もユニークに感じたのは「問題な日本語」という日本語ブーム(なぜか国語ブームといわない)に乗っかって出版された一冊で「ご注文は以上でよかったでしょうか」とか「こちらきつねうどんになります」といった、どうも気になって仕方がない街角の言葉を拾い上げ、分かりやすい言葉とマンガで学術的に分析しているところが面白い。
先日この本の続編が出版されたがまだ読んでいないので年明け後に是非喚んでみたいと思っている。
で、今年読んだ書籍58冊(初読49冊、再読9冊)のベストファイブは以下の通り。

1位 大仏破壊
2位 アマゾンドットコムの光と影
3位 七歳の捕虜
4位 サマワの一番暑い日
5位 県庁の星

ホントは他にも面白い映画や書籍があり、甲乙つけにくいのが本心ではあるが、ともかく当とりがら・ブログとして年末の締めくくりも必要かな、と勝手に思って厳選した次第であります。

ということで、本年はホントにこの硬派か軟派か真面目なのか不真面目なのかよくわからない「とりがら時事放談」にお付き合いくださいまして、おおきに!(堀内孝雄風に読むこと)
来年もよろしくお願いします。

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先週から中国人スパイに恐喝されて自殺した外交官の話題が秘かに注目を集めている。
「秘かに」というのは、本来大きなニュースになるべき事件にもかかわらず、連日の大雪やJR羽越本線での特急列車脱線転覆事故などの社会面でのビッグニュースに注目が集まってしまい、すこしく霞んでしまっているというのが現状だからだ。
しかも今回は「中国人のスパイ」が「日本人外交官」を自殺に追い込んだので、日頃中国の利益のために骨身を惜しまず働いている日本のマスコミ各社のお気に召さなかったことも原因といえるだろう。

「国を売るわけにはいかない」と自死の道を選んだ40代の外交官は女性問題に関する弱みを握られ、それを口実に中国人工作員から尖閣諸島などに関するに日本の情報を提供するように脅されたのだという。
その外交官の役職は上海総領事。
まるで映画かスパイ小説の世界のような話だが真実だから恐ろしい。
死という哀しい選択をした外交官だが、中国人の愛人に好きなだけスパイ行為をさせていた橋本龍太郎元首相なんかと比べると立派ということができるだろう。

ウィーン条約に反する行為と日本政府が正式に遺憾の意を表明したら、「我が国にケチをつける不逞な日本」と昨日中国が正式に反論した。

実は今の日本にはスパイやテロリストを防止したり処分したりできる法律がないそうだ。

今朝の産経新聞朝刊によるとパキスタンのイスラム原理主義者たちが日本に支部を開設する行動をしていたことをトップで報じた。
パキスタンでも非合法化されたシパヘサハバという過激組織が上陸しアジトを構築していたというのだからただ事ではない。

「日本でイスラム教徒が活動してもすぐわかります。なぜなら、外国人は目立つから」

と、私も会う人ごとに言っていたが、どうも安心してはいられないようだ。
中国のスパイの話は中国本土のことだったが、よくよく考えてみると中国人や朝鮮人は日本で反政府テロ活動をやっていてもわからない。
外国人だけど見かけが日本人と良く似ているので全然目立たないから。

もしかすると日本列島は危ない人で一杯になっているかもわからない。


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鉄橋が洪水で流されたとなると開通するのはいつになるかわからない。
マンダレーまではここからバスに乗り換えるか、それともタクシーをチャーターしなければならないだろう。
しかしここはきっと田舎だろうからタクシーがあるかどうかわからないし、バスも通っているかどうか定かではない。
そしてたとえバスが走ってたとしても一日に数本、いや数日に1本しかないかもわからないし、ましてそれがマンダレーまで走っているバスかどうかも分らないのだ。

それよりもだいたいここは何処なんだ?

私は発車の見込みのない列車を降りてTさんの向かった駅舎の方に歩いて行ってみることにした。

列車の扉を開けて外を見た。
昨夜来ポツンと灯っていた裸電球の場所は、すぐ近くの民家だろうか納屋だろうかそれとも鉄道関係の建物なのか、とても判断に苦しむニッパヤシ作りの平屋の家の灯だった。
もうすでに多くの人たちが列車の周りを行き来している。
彼らは列車の客なのか、それとも地元の人たちなのか、服装が似たりよったりなのでこれまた判断に苦しむ。
でも、ミャンマーの田舎の朝もいいもんだ。
ステップを降りて大地を踏みしめた。
天気は曇天。
でも雨の降る気配はない。
そして気温は暑くも寒くも湿気もなく、心地よい。
深呼吸をしながら大きく背伸びをしてみたら空気が驚くほど美味しく爽やかだった。

私の乗っている車両は最後尾のほうだったので駅舎へは進行方向に向かって随分と前に歩かなければならないようだ。
駅舎の前が少しく盛り上がっているので、プラットホームはとても短く普段このような特急列車の止まるような駅ではないにちがいない。
歩きながら外から列車を見ると、私たちのが乗っている最後尾の数両を除いて、あとはリクライニングの座席になっていた。
うつろな表情で外を眺めている乗客の姿がチラホラと見られる。

中央部前寄りには食堂車が連結されていた。
食堂車の3分の1ぐらいのスペースが厨房であとは客席になっていた。
通路を挟んで両側に白いクロスがかけられたテーブルがおしゃれに並んでいる。
厨房の扉から中を少し覗いてみると客席と違いお世辞にもあまり綺麗とはいえなかった。が、ふと見ると珍しくそして懐かしいものがあった。
なんとこの食堂車は「かんてき」を使っているではないか。
関西では七輪のことを「かんてき」というのだが、これで炭を熾して煮物や焼き物を作っているらしい。
タウングーを出発直後に食べた焼きそばもこの「かんてき」で調理してくれたのだろう。
この厨房の火気は炭火だけらしくガスコンロも電気コンロも装備されていないようだった。

地面が盛り上げられプラットホームと思しきところまできると駅名表示の看板があった。
「TATKON」
タッコン駅。
どこ?..................ここ。

ミャンマーの地理は大きな街の位置ぐらいは知っていても中核都市から小さい街は名前は聞いてもそれがどこであるのか分るはずもない。
だから今自分の立っているここ「タッコン」がどこなのかはまったくわからないのだ。
昨夜の午前2時過ぎからずっと停車しているということはヤンゴンとマンダレーの中間地点なのだろうか。
それとももっとマンダレーに近い位置なのか。
いろいろと想像をしてみてはしたものの、まったくわからなかった。

駅舎には大勢の人が集まっていた。
これから列車で出かけようと集まってきた出勤の乗客なのか、それとも列車の乗客を目当てに集まってきている物売りたちなのかはわからない。
みんな列車がやって来ないので、ただ呆然と待ち続けているようなのだ。
私はTさんの姿を探したが見当たらない。
きっと鉄道の職員とこれからどうするのか談判しているところかもしれない。

駅舎の改札口から向こう側を見ると、街並みが見えた。
大きな建物はないが人通りは結構ある。
立ち往生した列車を放っておいて、このまま街の中を散策してみたいという衝動に駆られた。
しかし私が迷子になったらTさんが困ってしまう。私はちょっとぐらい迷子になっても平気なので構わないがTさんに迷惑がかかるのはあまりよくない。
散策はよしておくことにした。

先頭の機関車まで歩いてみた。
機関車はエンジンを止めてしまっており発車する気配はまったくない。
そして機関士は運転席で気だるそうに椅子にもたれていた。

つづく

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久々に痛快な映画を見た。
題名は「ディック&ジェーン」
大手企業の財務部長に就任した途端に会社が倒産。財産一式を失ってしまい、職を探せど見つからず、ついに強盗稼業に手を染めてしまうが...という作品だ。
主演はジム・キャリーなのでシリアスドラマでは決してない。
主人公たちの置かれる立場は非常にシビアで厳しいけれど、コメディなのだ。

細かなカット割りとテンポよい音楽。
そしてかなり練られたに違いないストーリーが、観客を休みなく「笑わせ」「ハラハラさせ」そして「な~~~るほど」と納得させる仕掛けたっぷりの娯楽ドラマなのだ。
終盤の主人公たちをだまして一人会社の資産を持ち逃げした社長を追いつめるところは「こういうのってネタ切れと違うの?」という観客の予測を見事に裏切るオチ付きで、見事としかいいようがないのだ。

「キングコング」や「sayuri」「Mr.&Mrs.スミス」「男たちの大和」など、大作揃いの年末年始の映画の中でどちらかというと宣伝もたいして行なわれていない地味な作品だが、実に面白いのだ。
上映時間も1時間30分と短くて気軽に楽しむにはちょうど良い。

見ていて悩んだり、考えさせられることない、観賞後の爽やかさを求めるのであれば、この映画はもちろん正月映画のおすすめの筆頭と言えるだろう。

~「ディック&ジェーン 復讐は最高」2005年作 コロンビア・ソニー・ピクチャーズ~

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「戦場のローレライ」「亡国のイージス」といわゆる戦争物話題作に裏切られ続けていたので、この一連の戦争映画の最後を飾る「男たちの大和」を観賞するときはまったく期待しないまま映画館へ足を運んだ。
ところが前二作で受けた失望感を払拭するような素晴らしい内容で、全編涙なくして見ることのできない傑作だった。

この映画が最近の映画と明らかに異なるところはその第二次大戦への解釈の取り方だろう。
これまでの多くの映画は戦後の革新教育に影響を受けた「反戦」にスポットライトを当て過ぎたために、当時の人々がなぜ戦ったのかというその本質を無視しつづけていた。
いや、無視ではなくねじ曲げてきたということもできるだろう。
だから戦中時代を知る年配の人たちからは違和感があると言われ続け、戦争を知らない世代にとっても父母や祖父母の話と学校で教わることや映画やテレビで描かれていることがかなり異なることに多かれ少なかれ感じていたのだ。

「男たちの大和」は広告のキャッチにあるように「恋人のため」「母のため」「そして家族親友のため」に戦うことが「国のため」であるという気概で戦場へ出撃していった男たちを描いている。
これまでの「国のため」に戦うというのは「悪だ」という考え方から一線を画しているのだ。

どうしてこれまでこの映画のような描き方ができなかったかというと、それは情報を遮断し歪曲していたことに因を発する。
東京裁判判事の一人インドのパール判事は昭和23年に「私はここ数年戦前戦中に日本が世界で何をしてきたのか、それを心血を注いで調べてきた。その結果、裁判におけるような非難を日本が浴びる謂われはまったくないことがわかる。にも関わらず、当の日本人自らが自分たちを悪人に仕立て、戦前戦中の偉業に対する事実に覆いをし、子供たちにまったく教えていないというのは嘆かわしい限りだ(要約)」と述べている。

戦後進駐してきたアメリカ軍についての日本人の一般的感想として「アメリカ兵は優しかった」という言葉が広がったと言われている。しかしこれも真実を包み隠すレトリックではないかと考えられる。
戦中アメリカ軍は日本を無差別爆撃し東京大阪名古屋などの大都市は爆弾と焼夷弾で焼き尽くし、広島と長崎には原子爆弾を投下した。
もちろんこれは無差別大量殺戮を狙った国際法違反行為であり、東京裁判がもし公平であったのであればアメリカからも極刑を申し渡さられるべき人間が出たはずだ。
しかしこれは現在の価値観での考え方。
当時は違った。

キリスト教徒ではない異教徒でアジア人の日本人などどうでもよいという考えが欧米にはあった。
もし欧米との戦いに敗れたらアジアの国がどうなるのかという運命は当時の世界地図を見れば明らかだ。
実際に戦後アメリカ兵は大ぴらには悪事は働かなかったが、無数の婦女暴行事件があったことも事実だし、ソ連軍が大陸で日本人に犯した行為を思い起こせばもはや説明はまったくいらない。

「枕崎に家族がいて。沖縄とは目と鼻の先なんです。だから、母を守りたいんです。」
という映画の中のセリフはまさしく当時の日本の若者の大多数の考え方だろう。
守るために死を賭して戦った自分が生き残り、守りたいと思った恋人や家族が敵空襲で亡くなるという残酷さが悔しく哀しい。
「広島で待っている」
という少女のセリフが広島の未来を知っている観客の胸を突き刺してくる。
そしてその同じように未来を知らない少年は死を覚悟して大和に乗艦し出陣する。

この映画を見ていると場所は東シナ海ではないがミャンマー・ヤンゴンの戦没者墓地を訪問したときのことを思い出す。
そこの記帳簿に記されていた参拝者の言葉を思い出し、胸が一杯になってくるのだ。
「皆さんのおかげで今の日本の繁栄があります」
と。

~「男たちの大和」平成17年作 東映映画~

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先のASEANプラス3カ国会議の席上で「靖国神社に参拝したことを理由に会見を見送るのはおかしい」と小泉首相が名指しで中国を批判してから平穏な状態が続いている。
何が平穏かというと中国と韓国という二大反日国家の人たちが私たちの国に文句をつけるのをぴたりと休止しているということだ。
もっとも、中国は相次ぐ化学工場の事故や経済的な不正事件などでそれどころではなく、韓国も嘘つき事件が噴出してそれどころではないのだろう。
このウソやまやかし、恫喝、詐欺、殺人といったことがとても得意なヤクザのような二つの国(実際に親分子分の関係にある、としか見えない部分があるのが面白い)も、真実を知っている東南アジアの国々の前でめったに文句を言わない日本が怒りをぶちまけたのだから口をつぐんで当然だ。

この二国が得意のスキルを駆使して行ってきたキャンペーンに「日本は残酷だ」「日本は謝罪しないし、誠意もまったく足りない」というものがある。
本当ならばキャンペーンに反論しなければならない日本のマスコミがこの術に乗っかって「自分たちは悪い国です。侵略、略奪、人身売買、強姦、殺人、なんでもやって謝ろうともいたしません。」と記事にした。
これが戦後60年間も続いたものだから、一部の国民はウソをホントと思うようになった。
その代表が南京大虐殺。
「南京大虐殺があったと証明できる証拠は何もない」と原稿に書いたら「相応しくないから「あった」と書き直さなければ出版できません」という憲法無視の出版社も登場した。

で、これと比べて日本と一緒に戦ったドイツはホロコーストに謝罪して、日本とは比べ物にもならない金額を被害者に拠出して戦後補償を行っているらしい。
「ドイツを見習え」意見が声高に叫ばれた。
今も叫んでいる人がいる。
しかし、ホントにドイツはそんなに偉いのか。
そして日本はドイツと同罪なのか。
今の日本人にそこんところを論理的に説明できる人は数少ない。

この「日本はナチスと同罪か」はそういう「ドイツは立派」という論争は明らかな幻であることを論破している良書だ。
著者は扶桑社「新しい歴史教科書」の中心的役割を果たしている電通大名誉教授の西尾幹二氏。

冒頭、前書きを読んだ読者はまず意外な事実に呆気を取られるだろう。
「未だドイツはいかなる国家とも講和条約を結んでいない」
日本人にとって意外なのは、日本が一部を除く旧連合国に対して終戦後わずか数年をしてサンフランシスコ講和条約という国際条約を結ぶことによって過去を完全に清算していることに対して、ドイツという国家は未だ旧敵対国家とまったく講和条約を結んでいないという事実だ。
しかも、日本が国を挙げて「戦争責任を取るべし」と尽してきたことに対して、ドイツは「ホロコースト」も「侵略戦争」もすべて「ナチス(という一つの政党)のやったこと」だから「ドイツ国民は関係ない」ということを正式に述べているのだ。

よくよく考えてみると前大戦中、日本は三国軍事同盟でドイツ、イタリアと同盟を結んでいたが一緒に軍事行動を取ったことはまったくなかった。(情報交換はあった)
ドイツが実施した身障者と病人の殲滅や、ユダヤ人やジプシーといった民族殲滅というような戦争とはまったく関係のない「犯罪」を日本はまったく犯していない。
つまり日本とナチスドイツを比べるというのは一見的を得たような論争のように見られるが、きっちりと調べてみるとまったくお話にならない論争ということに気づかされるのだ。

戦後日本はミャンマーと賠償責任を結び国交を回復したのを皮切りに1974年にベトナム民主共和国(北ベトナム)と国交を回復するまでほとんど全ての国と条約を結び、大戦に対する精算と責任を果たしてきたのだ。
中国、韓国についてもまったく同じで、今さら彼らが日本にケチをつけてくる理由はまったくない。今の彼らの言動と公道は私たちの理由ではなく彼らの事情によるところというのが事実なのだ。
それに乗っかり自国を非難するマスコミや一部政党、市民団体はいったい何を考えているのだろうか。

本書は日本とドイツの先の大戦に対する位置づけをきっちりと論じている数少ない一冊と言えるだろう。

~「日本はナチスと同罪か 異なる悲劇 日本とドイツ」西尾幹二著 ワック刊~

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辺りが明るくなりはじめた頃、やっとのこと眠気が兆してきた。
「ドンドンドンドン!」
一瞬うつらうつらしたところを誰かが窓を強く叩いた。
どうせ物売りかなんかだろう。
タウングーの駅の物売りたちを思い出して無視することにした。こっちとしてはやっとこさ眠気が兆してきたところなのだ。
「ドンドンドンドン!」
また叩く。
しかも何か叫んでいる。
眠い目をして身体を起こし外を見ると車掌のオッサンが何か叫びながら窓を叩いているのだ。
私は窓を開けた。
オッサンは私向かって大声で話しはじめた。しかもかなり深刻な表情をしてまくし立てているのだ。
しかし車掌のオッサン。申し訳ないがいくら真剣に語りかけてくれても私にはあなたの言っていることがまったくわからない。
できれば日本語か英語で話していただきたい。100歩ゆずってタイ語で話していただきたい。
こっちは不勉強な旅行者なのでミャンマー語はまったく理解できないのだ。

「TさんTさん、車掌さんが何か言ってますよ」
と私はTさんを揺り起こし、車掌のオッサンが私たちに何を言わんとしようとしているのか訊いてもらおうと思った。
Tさんが話しかけるとオッサンも言葉の通じる人が現れて安心したのかTさんになにやら盛んに話している。
Tさんも何やらオッサンに話をしているがさっぱり分らない。
ボンヤリと2人の会話を聞いているうちに、隣のベットで眠っていた石山さんとシャンの男性が起きてきた。
「どうしたんですか?」
と石山さん。
「車掌さんが何か言ってるんですけど.........」
そこまで言いかけると、車掌との話を終えたTさんが、私たちの方を振り返り恐るべきことを告げたのだった。
しかも顔色一つ変えずに。

「この先の鉄橋が雨で流されたみたいですね」

列車はすれ違いのために待機しているのではなかった。
もちろんマンダレーに近づいて時間調整のために停車しているのでもなかった。
理由はただ一つ「前方の鉄橋が洪水で流された」からだった。
雨期末期のミャンマーは度々洪水に見舞わられる。
雨期は6月に始まり10月に終るが今は9月下旬。雨期末期といってもまったく問題ない季節であろう。
問題があるのは予想外のトラブルが発生したということであった。
「うそ~!」
と石山さんは驚愕の声を上げたがウソではなかった、これは現実であった。
「どうなるんでうかね」
とTさんに訊いた。
「さあ、どうなるんでしょう」
とTさんも途方に暮れている様子だった。
「ちょっと駅まで行ってきます」
と言ってTさんは列車から降りて駅舎に向かって歩いて行ったのだった。
車内に目を戻すと石山さんが呆然としている。
シャンの男性と目が合ったが、彼はニッコリ笑って往年の人気アイドルピンクレディーのUFO(古る)の出だしの振付のような格好に手を合わせ、手の先どおしをグット下にVの字に折って私たちに鉄橋流失の現状を復唱してくれた。
つまり「ここで鉄橋が折れッちゃっているよ」ということを陽気に笑顔で教えてくれたのだった。

それにして私たちはこれからどうなるのだろうか。
私はまだいい。
なんせガイドのTさんがいるから。
しかし石山さんは一応一人旅だ。マンダレーへ着くと彼女のガイドが待ってくれているそうだが、列車の中にはガイドがいない。
とても心配そうだ。

いつ動き出すのかわからない列車の中。私は波乱のミャンマー滞在三日目の朝を迎えていたのだった。

つづく

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生まれて初めてクラシックバレエを鑑賞した。
どうせ見るのであれば「本物が良い」ということで、ロシアのレニングラード国立バレエ演ずる「くるみ割り人形」を観てきたのだ。

場所は東京国際フォーラムAホール。
観たのはこの年末年始、日本全国をツアーする同バレエ団の初日午前の公演だった。

なんでもレニングラード国立バレエ団が年末年始に日本公演を行うことは恒例となっているそうで、こんな世界的に有名なバレエ団がクリスマスシーズンの大切な時期に海外公演を行っても地元サンクトペテルブルグのファンは文句を言わないのだろうか、と私は不思議に思った。
ともあれ、西欧東欧に関わらずクラシック音楽文化の衰退は目を覆いたい悲惨さと聞いており、それを下支えしているのがヨーロッパ文明ありがたや主義の日本人客ということらしい。
従って、ヨーロッパの一番端。人によると「あんなとこはヨーロッパじゃねえよ」というようなロシアも似たような状況なのだろう。

この日の演目は「くるみ割り人形」。
クリスマスの定番演目だそうである。なんせ私はバレエに関する知識がほとんどなく、もし「一番有名なバレエダンサーは誰?」と質問されたら「ジーン・ケリー」「フレッド・アステア」「レスリー・キャノン」というマヌケな回答をしたしまうだろうくらい無知でなのだ。
つまりなにも知らないのだ。
しかし「くるみ割り人形」は知っている。
なんといっても私はクラシック音楽というとチャイコフスキーの楽曲がとても大好きなのだ。
なかでも「1812年」や「交響曲5番の4楽章」「ピアノ協奏曲第一番」などがダイナミックで一番好みとするところだが、聴いたことしかないバレエ音楽も大好きで、中でも「くるみ割り人形」は最もポップでとっつきやすかったことからお気に入り音楽の一つだったのだ。

バレエといえば女子供または日本家屋に住んでいるのに金ピカのロマノフ王朝様式の西洋家具のなかで暮らしている趣味の悪いキショイ人たちの観るものだ、という固定観念を持っていたが、それは改めなければならないことがわかった。
意外だったのは観客には私のようなオッサンが多く、しかも金持ち風でも西欧かぶれ風でもない、例えるならこの前日に観賞した谷村有美のライヴにやって来ても不思議ではない「ちょっと危ない」層の観客がいたことだ。
ともかく巨大なAホールがほぼ満席になっている中バレエは始まったのだった。

結果から述べると、バレエは素晴らしい芸術だということだった。
やはり本物を見たのが良かったのかも知れない。
これでもう日本人だけで演ずるバレエは生理的に見られないかも知れない。
日本人だけで演ずるバレエは例えるなら、外国人だけで演ずる歌舞伎を見るようなもので、もっといえば日本人ばかりで演じるブロードウェイミュージカルもどきの劇団四季を見るようなものになってしまうだろう。
そう、本物を見たからには、もう偽物、コピーを見るわけには行かないと思ったのだった。

で、私の好きなブロードウェイ・ミュージカルとバレエの違いも今回はっきりした。
バレエダンサーには「ブタ」がいないというのが、ブロードウェイのダンサーとの明らかな違いだった。
バレエダンサーは男女ともスマートで筋肉質だが、ブロードウェイミュージカルには森公美子のように太った黒人のオバハンや、葉巻を加えた太った下品な白人が出て来たりするが、バレエでは「ブタ」では物理的に躍れないことがわかった。
なぜディズニーのファンタジアで「カバのバレリーナ」が出て来たのが面白いのかも、やっと理解することができた。
そして、バレエにはセリフがないことも初めて知った。
従って、ブロードウェイミュージカルのように字幕スーパーはないし、しょうもないギャグもないのだ。
そしてそして、バレエというのは「躍」ではなく「舞」であることも初めて感覚的に知ることができた。
微妙な決めポーズや仕草、動きやリズムの取り方が、どことなく日本舞踊や歌舞伎の「見得」などに相通じるものがあることを理解したのだった。

「花のワルツ」で女性のバレエダンサー(主役でないバレリーナ)が一人コケたことを除けば、素人目に見てほぼ完璧な内容であった。

なお、東京国際フォーラムAホールはバレエやクラシックミュージックを演ずるところとしては相応しくないと思う。あの半分ぐらい、つまり谷村有美がクリコンを公演したかつしかシンフォニーヒルズや大阪のザ・シンフォニーフォール程度の大きさがやはり一番良いのではないか、と思ったのであった。

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谷村有美のクリスマスコンサートへ行ってきた。
「谷村有美って誰やねん」
というあなた。
インターネットで調べるように。

ここ16~7年、私がずーっと谷村有美のファンであることは、近しい友人でさえ知らないことだ。
尤も私の友人に谷村有美を知っているような洒落たヤツはおらんやろう、というのが私の渋~い想像ではあるが。
ともかく一昨年は行きそびれたクリスマスコンサートも昨年に続いて二年連続観賞することができた。
ただ会場が東京ということあり、大阪からの交通費をいかに捻出するのかが問題だ。
とりわけ今年は予算が無かったので最初はJRの昼間高速バスとドリーム号を併用して往復13000円で済まそうと思っていた。しかしせっかく自腹で東京まで行くのだからにして他のライブもひっくるめて行こうということで1泊2日。新幹線で行くことにしたのだ。
結果的にこれは正解であった。
折からの豪雪のためバスなんぞを予約していたらひどい目に遭ったに違いない。また安さだけを求めて飛行機の早割りチケットを購入していたら欠航になっていたかもわからず、新幹線というのは意外に自然災害に強いという認識を新たにしたのだった。
ちなみに新幹線はひかり早割り切符を購入。東京~大阪が片道12000円であった。
とはいえ、雪のため新幹線も東京駅到着は定刻よりも35分遅れであった。
ただ時間に十分な余裕をとっていたので開場時間には十分に間に合ったのだ。

それにしても谷村有美のクリスマスコンサートは凄かった。
何が凄いかというと、ほとんど音楽忘年会といってもいいような雰囲気なのであった。
もともと谷村有美のライブというのは若いころから他のJ-POPアーティストとは異なる部分があったような気がするが、3年前当人が有名企業のCEO氏と結婚してからいよいよその雰囲気はアットホーム化し、ある種、知らない人には入り込めないのではないか、と言えるようなカルトチックな世界になりつつある。

ファンの年齢層も私と似たり寄ったりの人を中心にしているため、非常に高い。
でも女性ファンも4分の1から3分の1ほどを占めているのでむさ苦しくはない。しかし、中間管理職世代のそれなりの光景が展開されるのだ。
例えば、昔はありえなかった光景としてスーツ姿のファンが目立つことだ。
中には開演前にホールの椅子に腰掛けて日経新聞を半分に折りたたみ真剣に読んでいるヤツがいる。谷村のクリコンは通勤電車っかちゅうねん。
そしてシステム手帳を広げて仕事をしているヤツがいる。
私も含めていささか髪の毛が寂しくなっているヤツが数多く見かけられるし、親子連れで来ているヤツまでいるのだ。
谷村有美のコンサートはマジレンジャーショーちゃうぞ。
ともかく年齢が高く、アットホームなのだ。
どおりでここ数年ピアノだけとかピアノとあとギター、コーラスだけとかといったアコースティックなコンサートが多い理由がわかった。
昔のように激しいライブをすると死人がでる可能性があることに、演者本人が気づいているからではないだろうか。

で、肝心の中身はというと、できれば次回はジャズの名門大阪ブルーノートで演ってもらいたいと思うような「洒落た」内容であった。
ただ、舞台の谷村本人が歌っている途中で歌詞を忘れてやり直した歌が3曲あり、齢40を前にして惚けはじめたのではないかファンに心配させる一コマがあった。
そして新曲は今年生まれた自分の子どもに歌っているという「お風呂の歌」と「おむつの歌」そして普通の歌の計3曲であったが、「お風呂の歌」が一番感動的であったのは、時間の流れと生活の変化のなせるワザか。

ともかく、DVDの撮影をしていたので、雪で行けなかった人は来年発売されるのを楽しみに待つように.......って、このブログを読んでいる人に谷村ファンがいるかどうかは疑問だが。

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再びうつらうつらとして「何時なんだ」と時計を見ると、午前3時30分。
列車はまだ止まっている。
「同じところで止まっているのかな」
と思って身体を起こし窓から外を眺めると、裸電球がぽつんと灯っているのが見えた。
「同じ場所だな」

向かいの座席ではTさんがさっきと同じ姿勢で眠っている。通路を挟んだ隣ではベットに組み換えた座席で石川さんが気持ち良さそうに眠っている。
その上の寝台でもシャンの男性が静かに寝息をたてていた。

「きっとこの辺りは単線で、特急といえども対向列車が来るのを、かなりの時間待たなければならないんだ」
私は今見た裸電球の灯を思い描きながら、天井を眺めつつ考えていた。
「たぶん列車はマンダレーまで3時間か4時間ぐらいのところまで進んできていて、今時間調整をしているんだろう」と。

時々私は仕事で鳥取県の米子市へ出かけることがある。
大阪から米子へ行くには高速バスが便利で安価なので、ほとんどの場合それを利用することにしている。しかし積雪のある冬の間や交通渋滞が予想される連休などはバスだと時間が予定通りにならないことが多いのでJRを利用することに決めている。
大阪からJRで米子へ行くには、まず新幹線で岡山まで出て、そこから在来線のL特急「やくも」に乗り換えて日本海側を目指して移動することになるのだ。
「やくも」の走る路線「伯備線」は倉敷から新見を経て米子に至る山岳路線だ。
景色はいいのが特徴だが映画「寅さんシリーズ」で前田吟演じる博の出身地として知られる備中高梁以北は単線になっている。
だからほとんどの岡山からの普通列車は高梁までの運転で、これ以北は1時間に1本程度の運転になるのだ。
一方特急「やくも」は前述の高速バスと熾烈なシェア争いをしているため、普通列車と同じように1時間に1本走り、停車駅も少ない。
ところが単線の哀しみというもので、主要な駅にしか停車しないくせに時たま駅でもない山の中で対向列車を待つために10分から20分ぐらい停車することがあるのだ。
ということで特急列車も対向列車を待つために停車することは日本でもあるのだから同じようにミャンマーにあっても不思議はない。

まだ深夜なので目を閉じ眠ろうとしたが眠れない。
あのガッタンガッタンと揺れる列車では眠れるのに、どうして静かな停車している車内で眠れないのだろうか。などと考えていると益々眠れなくなってきたのだった。
度々腕時計を見るのだが10分か15分づつしか時間が経過しない。
ラジオでも聴きたいところだ。オールナイト・ミャンマーでも放送していたら面白いのに、などと下らないことを考えていたがなかなか時間が過ぎ去らない。
それにしても列車が走り出す気配がまったくないので「なんだか変だな」と感じていたが、ミャンマーではこれが普通なのかも知れないと思っていた。

午前4時半を過ぎた頃、またまた窓から外を眺めてみた。
相変わらず暗がりにポツンと裸電球が一つ灯っている。
しかし、よくよく目を凝らしてみると人の影がちらちらと見えてくるようになった。
プラットホームは無いもののどうやらここは駅で、列車の横を朝の早い住民が行き来しているらしいことがわかった。
「どうしました?」
むっくりとTさんが眠そうな目をこすりながら起き上がってきた。
「あ、起こしちゃいましたか」
「いいえ、よく眠れなくて......」
やはりTさんも眠れなかったようだ。

列車の窓ガラスはちょっと汚れていて外が見えにくいので隣の2人に迷惑がかからないように窓を開けた。
窓から首を出し前の方を見てみるとやっぱり駅だ。
物売りらしき人たちが歩いているし、頭に水瓶を乗っけて列車の窓をのぞき込んでいる女の物売りもいる。
というより物売りは女ばかりだ。
「どこなんでしょう」
「さ~」
ガイド歴約2年のTさんも列車でマンダレーへ向かうのはこれが初めてだというので、皆目わからないらしい。

ぼんやりしていると、窓の下に托鉢のお坊さんがやってきた。
「お坊さんですよ。Tさん」
これは何か食べ物を捧げて徳を積まねば、と思い食べ物を探したがお坊さんに供養するようなものが見つからない。
まさかカッパえびせんを渡すわけにもいかないだろう。
ミャンマーのお坊さんは日本のクソ坊主と異なり托鉢で金品は受取らないので逆の意味で困ったもんである。
「これでも失礼ではないでしょうか」
私は2人で食べようとTさんが買ってくれていたカステラのようなケーキをとり出した。
「良いんじゃないですか、でも....」
Tさんは2つの同じケーキを慎重に比較して、
「こちらの方がいいと思います」
と梱包袋に痛みが少なく、割れている部分も少ないほうのケーキを指さした。
私はケーキをお坊さんの托鉢のお鉢に入れて手を合わせた。

普段まったく神仏への信仰心など持ち合わせていない私も、ミャンマーへ来るといつの間にか敬虔な仏教徒に変身してしまっていたのだった。
ただ「托鉢にケーキって、どんなん?」という違和感は否めなかったが。

つづく

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