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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



もしかすると、日本人の中でも「無能」「役立たず」「ただの高学歴」「小金持ち」という、どうしようもない連中を集めた集団が「政治家」なのかも知れない。

その中でも「幼稚」「自我失念」という要素を加えた最悪の集団が最大野党の民主党なのだろう。

その民主党の執行部が本日辞任した。
理由は2ヶ月ほど前から大騒ぎしている永田議員が持ち込んだ偽E-mail。

自民党の無能幹事長武部氏を追いつめ、小泉内閣をぶっ潰そうとした「スキャンダル暴露」のE-mailが実は偽物メールで仕掛けた側の民主党の信頼がぶっ潰された。

それでも永田議員は辞職するでもなしに、ただただ頭を下げ続け今日に至ったのだが、さすがに党内はもちろん国民世論が民主党を許さなかったのか、執行部全員の辞職でケリがついた。
いや、ケリはつていないし、これは始まりでしかない。

ともかく東大出の永田議員は試験問題の解答を覚える記憶力には優れているらしいが、機転はまったく利かない男だった。
こういう人として能力不足な輩でも試験さえ通れば東大でも京大でも入学できる現在の大学入試試験制度も、この際改めるべきだろう。

本当なら、E-mailは適当にうっちゃって、武部議員の新生銀行にまつわる疑惑を追及するステップに入れば、これほど問題は深刻にならなかった。
むしろ国会を盛り上げて、世論を盛り上げて、もともとのE-mail騒動なんて吹き飛んでいたことだろう。

シナリオも書けず、演出もできない。
こんな政治家連中、もういらない。

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税制調査会が先日発表したステートメントは「税金を上げなくちゃ、国民生活が破綻しちゃうよ」というもので、これを聞いた私はこれ以上国民から金を吸い上げて一体なにに使うのか、と怒りを覚えた。
上げた税金の使い道は何なのか?
返せないくらい作り上げた借金の返済か。
それとも借金の金利だけの返済か。
本音は公務員や特殊法人、政治家先生の懐を豊かにすることが目的か。

小泉総理大臣が就任以来声高に叫び続けた「改革」の終着点は「増税」だった。
ただし小泉首相の狡いところは自分の手を増税で汚したくないので、増税の方針だけを作っておいて後身に実行させて汚名を着せようという作戦をとっていることだ。
国民に大人気の安倍晋三氏は腹黒小泉の策謀に注意するように。

思えば江戸幕府は偉かった。
農民を除く国民から税金はびた一文取らなかった。
農民にしても一部教科書の記述や三流テレビ時代劇にあるように「幕府や藩からの圧制に苦しめられ」なんてことはなく、日夜農業技術の向上を目指し、石高を上げ、年貢の米をちゃんと納め、時にはお伊勢参りなんていう観光旅行も楽しんだ。
道路整備や護岸工事などの公共事業を実施する時は必要な分だけ地元の有力企業から寄付を募って新築改築増築工事を行っていた。

税収が米しかないので役所は慢性的な財政不足に悩まされていたが、一部の高級官僚を除き「お役人様」は給与が低く生活するのが目一杯。
「武士は食わねど高楊枝」などというが、金銭的な給与は低い一方、国と民を守っているという意識は極めて高く、空きっ腹を抱えながら勉学と武道に励み善政を敷くことによって市民からの尊敬を集めた。
こうして数百年の平和と安定をもたらした。

ところがどっこい、現在の政府お役人は正反対。

上げるつもりの消費税は福祉に使うというが、介護保険や国民保険、厚生年金、保険や年金と言う名前の税金を集めてさらに消費税を使おうという福祉行政というのはいったい何?
福祉に携わる役人の給料を面倒見ろ、ということか。
だいたい医療費も高過ぎる。
医療保険が慢性的な赤字だというが、医療の世界はどういうわけか市場原理が働いていない不思議な世界。
健康保険が赤字で病院経営も赤字なら、どうして医者や製薬会社に法外な給料や代金を払うのか。
「医術は人命にかかわるから、高いんだ」
というあなた。
列車の安全運行は人命にかかわるから、大阪から東京までは片道10万円、なんてことをJRが言ったりしたら、あなた納得できますか?
入札制度を逆手にとって、なんでもない商品を市場価格の何倍もの価格で買っているのに知らん降り。
法律の手続きさえ良ければ問題なし。
出世にも影響しないし、自治体や国は民間企業と違って「赤字」でも高い給料と一時金が保障されている。

もしかすると、このままの財政を続けていれば国民の生活が破綻するのではなくて、役人やそれに類する人たちの収入と地位が破綻するので、アイデアも出さず努力もしないであんなステートメントと方針を出したのかも知れない。

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紺碧の空が広がっている。
昨夜到着した時は暗くてホテルの全容は見えなかったが、こうして朝の陽射しを浴びたホテルの建物を眺めてみると、なるほど。
役所みたいな建物だ。
その役所みたいな建物を淡いクリーム色に塗装してホテルらしい立派なエントランスを設けている。
前庭はとても広く、自動車がたくさん入ってきても大丈夫だ。

広いホテルの前庭と表通りの間には通りに面する建物があり、それがちょうど大きな門のような景観を作り出していた。
四角い門の形がフレームの役割を果たして、通りを行き来する自動車やバイク、朝のマンダレーの通勤風景がまるで映画の1シーンのように見えるのだ。

「タクシー来てませんね」

今日一日マンダレーを観光するために雇っているタクシーがまだ来ていなかった。
タクシーは午前8時に私たちを迎えに来ることになっていたのだ。
時刻はすでに8時を過ぎており、タクシーが来ないのはおかしい
もしかすると、昨日一日中マンダレー駅で私たちの列車を待つことに嫌気がさして「へっ!もう外人観光客の道案内なんてご免だぜ、へっ!」となっているのかも知れない。

こういう時、日本でなら携帯電話を取り出して、
「どうなってんの?」
と電話を入れるところだが、ここミャンマーでは携帯電話はまだ高嶺の花。
ミャンマー国内の携帯電話サービスでは、ここマンダレーもサービスエリアになっているのだが加入料が何百ドルもするような携帯電話をガイドさんが持っているわけはなく、ましてタクシーの運転手が持っているはずもない。
したがってタクシーがやって来るまで、ただ待っていなければならないのだ。

「あ、やっと来ました」

あ~あ、また待たなければならないのか、と昨日タッコンで延々と列車が走りはじめるのを待ち続けたばかりの私はミャンマーでは待つこととに耐えることが肝心なのだ、と一種の諦観した気持ちになってところにタクシーがやって来たのだった。
ガイドのTさんが何やら運転手に軽く文句をつけると運転手は「スンマセン」の意味なのかニッと微笑んだ。
男にニッと微笑まれても、あんまし嬉しくない私である。

さて、マンダレーの朝は活気がある。
交通量も多い。
ヤンゴンと違っているのはバイクや自転車などの二輪車が多いことだった。
だからちょうどベトナムのサイゴン、とまではいかないが、二輪車が多く走っているという風景が展開されるのだ。

「ヤンゴンは自転車、ダメなんです」
「ダメ?走れないんですか?」
「ヤンゴンの街中は自転車の乗り入れが禁止されてるんですよ」
「そうなんですか」
「自転車があると通勤が便利なんですけど」

ヤンゴン市内は自動車の交通量が多いので自転車は規制されているということを初めて知ったのであった。
そうえばバイクは見かけたが自転車は目にしていない。

マンダレーは旧都名に相応しい品格を持つ街並みであった。
街は王宮跡を中心に碁盤の目状に広がっていて、それぞれの通りに名前が付いている。
関西人の私にとってはとても馴染みやすい街並みだったのだ。
さすがに住所は「○○通リ西入ル」とか「△△通り上ル」とかいう表記ではないだろうが、ともかく碁盤の目になっていると落ち着くし親しみやすいのだ。

昨夜王宮のシルエットを見た時「チェンマイに似ている」という印象を持ったが、朝見ても印象は変らなかった。
四囲には大きな堀が巡らされており、その内側の王宮はレンガ色をした高い城壁で囲まれていた。
ここには第2次世界大戦中に我が日本軍の司令部が置かれていて、本物の王宮の建物はその時に英印軍の空襲にさらされて焼けてしまったということだ。
今建つ王宮の宮殿群は近年になってから復元されたものということだった。
時間が早いのでまだ王宮は開いていなかった。

「王宮は午後に見学しましょう」
「そうしましょう」

ということで私たちは王宮とは別のところに向かったのであった。

つづく

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まるでドラマだ。

朝日新聞の秋山社長の息子が大麻所持で警視庁に逮捕された。
なんでも薬物事件で執行猶予中の身でありながら大麻を所持していたのだから、次は間違いなく実刑だ。
社会の悪を正すべき新聞社の社長の息子が悪人だった。
自分の息子、といっても38歳のオッサンだが、そのような男を育て上げた男(社長)が「ジャーナリスト宣言」しているのだから、近ごろの若手漫才師の漫才よりも笑ってしまう。

きっと長男が持っていた大麻は朝鮮製。
と想像しているのだがいかがだろう?

ニュースを知って朝日新聞のインターネット版Asahi.comをチェックしたが、事件の見出しは載っていない。
やっぱし自社の社長の身内の事件だから恥ずかしいのか、それとも「いくら社長の息子といっても公人ではない」というような、どこかのブタ似の政治家先生の考え方と同じなのかはわからない。

しかし、Asahi.comさん。
注目ニュースは姉歯建築士の女房の自殺でも、プレスリー邸の文化財登録でもなんでもなく、お宅の社長さんのニュースと違いますか。
さては、わざとTOP30から外したのではないだろうな。

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世の中どうなっているのかわからないことが多いが、とりわけがわからないのが教育の世界。

かなり前のことになるが仕事で大阪北摂のとある自治体に防災備蓄設備を納品したことがある。
納品先は市内各地区にある市立の小中学校。
多くの場合、地震や台風などの際に避難する場所に指定されているのは地域の学校ということが少なくない。
そういう事情もあってその市の防災課は少子化によって増えてきた小中学校の空き教室を、カンパンや水、人命救出のための担架や大型ハンマー、梯子などの備蓄庫に充てることを思いついた。

一般市民から見るととっても有り難い市政の1つと言えるだろう。
折しもこの計画は阪神大震災の記憶さめやらぬ神戸や大阪にはまだ数多くの仮設住宅が残っている時に実施されたので市も積極的に薦めていた。
ところが入札が終っていざ納品という段階になって問題が発生した。
いくつかの学校の教職員が妨害しているという。

「うちの学校に空き教室はありません」(不要になった机や椅子を山積みしている教室はある)
「危険だから夜中に設置してください」(百貨店じゃあるまいし、学校で夜中に工事ができるか)
「空いている教室は4階です。4階でよければお使いください」(災害が発生したら、この地区の人は学校の4階まで上らなければ救助物資をとりにいくことができない)

と文句をつけてくるのだという。
結局、あれやこれや悪戦苦闘して総ての地区に備蓄庫を設置したが、3分の1はまともにとりあってもらえなかった。
しかも、まともな学校でも対応してくださるのは校長先生。
業者の納品の鍵の開け閉めを、なんで学校の最高責任者である校長先生にさせるのか。
民間企業なら当番の平社員か、良くても課長クラスが対応する。

このかなり普通でない教育界の指針を作成しているのが中央教育審議会。
今朝の新聞によると中教審の方針として「小学生の英語教育が必要」という結論を導き出したということだ。

小学生に英語教育?
要らんでしょ。

まともに自国語さえきっちり使えない小学生に英語を教える価値はない。
もし教えたければ国の金を使わず親が個々に教えてやれば良いだろう。
外国語を教える前にまずは自国の文化、歴史、宗教、哲学をきっちりと教えて、中高大学で英語を学んでから下手な発音でも良いから、外国の相手にきっちり言いたいことを伝えられる人間を育てることが大切だ。

中教審。
もしかすると北摂の小中学校の反発教職員と同程度の頭しかない人たちの集団なのかも知れない。

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映画の製作費は年々上昇を続けているそうだ。
過去には「ブレアビッチ・プロジェクト」のような素人が金を出して作りました、というような低予算映画が大ヒットした例はあるものの、総じて巨額の収益を上げるためにはそれなりの予算が必要になるのは仕方がない。
何千万ドル、何億ドルもの映画製作費を集めるためにアメリカでは富豪投資家がまとめて出資したり、ファンドを設けて複数の人々から金を集め、利益を配分するというような方法が一般的だとも聞く。
一方、日本では最近は映画会社が金を出すのではなくスポンサーを募って広告の一種として資金を集める方法を多くの映画でとっているようだ。
その結果がエンドタイトルに出てくる多種多様な企業名で、映画は時としてワイドショーの実演販売の体をなしていることが多い。

しかし、肝心の映画そのものが利益を出すためのステップは、だいたい日米とも同じだ。

まず、劇場公開して観客から入場料金を徴収する。
そして玩具や書籍になるようなネタが映画の中にあれば、それを商品化して版権という上前をメーカーから徴収する。
次に放映権としてテレビ局に販売し、放送料を徴収する。
最後にDVD化して映画そのものを一般消費者に製品として販売し利益を徴収する。

映像コンテンツが持って行き方の違いによってかなりのビジネスになることがよく分るのだ。
USENの若社長も無意味に大金出してライブドアを買ったわけではないわけだ。

前降りが長くなったが、本年度アカデミー作品賞を受賞した「クラッシュ」は、上記のステップのうち「テレビでの放映料」を徴収することが難しい映画だ。
テレビでの放送が難しいという理由は、画面がワイドスクリーン仕様なので4:3のテレビで放送すると、両端が切れて見えにくいから難しいということではない。
技術的な問題ではないのだ。
つまり何故なのかと言うと、劇中に出てくる言葉が放送できない汚らしい言葉で占められているからだ。
F言葉はもちろんのこと、S言葉、差別言葉、性的な言葉で溢れており、これを放送しようものならきっといたるところにP音を入れなければならないはず。
したがって、ほとんどの重要なセリフにP音がかぶさり、何が何だかわからなくなってしまうからだ。

この汚い言葉の連続が実際の米国社会で人々が交わしている言葉なのかと思うと、ちょっと憂鬱になる。

人種のるつぼと言われるアメリカではこれほどまでに人種、民俗的な差別が日常的に繰り返されているのかと思うと、よその国のことながら心配になってくるのは私だけではないだろう。

ところで、全編汚い言葉と差別問題で溢れていたが、映画そのものはとても面白い作品であった。
小さなドラマがいくつも並行に同時進行し、それがいくつかの事故、つまり「クラッシュ」で因縁付けられているという、なんとも表現のしようのない世界が描かれているのだ。
やがて私たち観客は、そこに繰り広げられるいくつものドラマを、まるで天上から見つめる神の目のような視線でみつめていることに気づくのである。
ただ神と違っているのは、ドラマの中の人物たちを「こうしてやろう」「ああしてやろう」と自分で導いてやることができないことだ。

ともかく、字幕を読むのが大変なところを除くと、なかなかユニークな映画ではあった。
アカデミー作品賞受賞は納得いくクオリティの高い作品だった。

~「クラッシュ」2005年米国映画 ムービーアイ配給~

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ちょっと予告
来週4月2日~10日まで日本を留守にします。インターネットの接続がなかなか難しいところへ行きますので、この期間当ブログの更新が激減することが予想されます。
そういう時は、とりがらWeb「東南アジア膝栗毛」をお楽しみください。
ほな!
東南アジア膝栗毛

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よくよく考えてみると、こういう部屋のことをスイートルームというのかも知れない、ということを後になって気づいた。
部屋が複数あるホテルの客室をスイートルームというらしいが、この客室はベットルームと書斎部分が分かれており、バスルームも1つの部屋と化しているので明らかにスイートルームなのであった。
日頃、東横インかスーパーホテル、名も知れぬ1泊5000円程度の駅前ビジネスホテルにしか宿泊しないビンボーな私にはほぼ初めての体験なのであった。

ちなみに、スイートルームとは新婚さんなんかが宿泊する「甘い部屋」などと思い込んでいたあなた。あなたは、かつての私か。
スイートのスペルがちゃうでしょ、スペルが。

「どこへ行きましょうか?」
と朝食の席でTさんが訊いた。

正直言って情けない話だがマンダレーのどこへ行こうかなどまったく考えていなかった。
列車の旅を選んだのはマンダレーへいくことが目的で、その後マンダレーのどこを訪問するのかはまったく考えていなかったのだ。
迂闊であった。
少しだけ「地球の歩き方」を開いて考えたことはあったが、マンダレーヒルからマンダレーの街を見下ろしてみたいということ以外に、まったく考えていなかったのだった。

「ん~と、Tさんにお任せします」

ということで、ガイドのTさんに一任することにした。

「じゃ駆け足になりますが、たくさん回りましょうか」

有り難い話である。

先に私はマンダレーはタイのチェンマイに似ているということをお話したが、チェンマイを訪れた時もことチェンマイ市に関してはまったくの無目的に近い訪問であった。
唯一の目的がチェンマイを見下ろせる名刹ワット・ドイステープを訪れることだけで、マンダレーヒルにせよどうやら私は高いところから街を眺めるのが好きなようだ。
私と煙は高いところが大好き、と陰口を言わんように。
ついでながらチェンマイを訪れた時、タイのお盆でもある有名な祭りロイクラトンであったことはまったくの偶然であった。
なんでホテルの宿泊費がこの日だけ高いのか、私は到着するまで理解できなかったぐらいだ。

ということで、今回のマンダレー訪問はチェンマイ訪問時と異なりガイドのTさんという心強い相棒がいるのでチェンマイのようなことにはならないだろう。

「んじゃ、出発しましょうか」
とアメリカンブレックファーストを食べ終えた私たちは一旦それぞれの自室に戻り、観光の準備をしてホテルの玄関を出たのであった。

つづく

写真で楽しむミャンマー大冒険
東南アジア膝栗毛

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9日付けの読売新聞インターネット版によると、夏目漱石の「坊ちゃん」の舞台となった愛媛県立松山高校に通う一年生の「坊ちゃん」読了率はわずか40%だという。

「坊ちゃん」と言えば、私が学生の時は教科書にも載っており誰もが知ってて当たり前の一冊だった。
もちろんこの「近代日本文学」の代表作が、実は陽気なお笑い系青春小説であることも誰でも知っていたものである。
当時、中学生ぐらい若者の読書入門はこの夏目漱石の「坊ちゃん」か、五木寛之訳のリチャード・バック作「カモメのジョナサン」か、星新一の「ショートショート」、はたまた北杜夫の「ドクトルマンボウ・シリーズ」か司馬遼太郎の「竜馬がゆく」あたりであった。

最近、通学途中電車の中で本を読んでいる学生の姿を目にすることは少ない。
彼らの大多数はたいてい居眠りをしているか、友達と菓子パンやアイスクリームなんぞをむしゃぼりつつ意味不明の若者語で雑談を交わしているか、携帯電話でメールまたはゲームを楽しんでいるかのいずれかである。

まったくもって嘆かわしい限りである。
大の大人の私が操作方法のわからない携帯メールをパープー女子高生がいとも簡単に使用している光景を見ると腹がたつ。

とは言うものの、私も高校生くらいまでは電車のなかで読書をすることはほとんどなかった。
というよりも読書が嫌いで、
「この本を読みなさい」
なんてことを先生や両親から言われようものなら、誰がなんと言おうと絶対に読まなかったのだ。
夏休みの課題図書なんかは、当たり前のように読むことはなく、したがって読書感想文はタイトルと筋書きから受取った印象だけで、想像で書いていたのだ。

何がきっかけで現在のように読書マニアになったのか忘れてしまったが、ともかく読書はテレビ観賞や映画鑑賞と異なり脳を鍛え養うので是非若い人は(私も若いが)読書に勤しんでもらいたいもんである。

それにしても「坊ちゃん」記事は悲しかった。
誰彼に強制されるわけでもない書物・しかし自分の学校の元先生が書いた超有名な日本を代表する書物、それぐらい読んでもよろしいのではないだろうか。


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テレビや新聞で「ウイニー」がどうした、「ウイニー」でパソコンのデータが流出した、と叫んでいたので、いったい日本ハムのウインナーソーセージがどうしたのだ?と思っていたら、そういう名前のファイル交換ソフトがあるということで、感心していたところ、会社のパソコンにもロータスノーツを通じて本社から「ウイニーの使用を厳禁します」というメールが届いた。

「ウイニーの使用、厳禁ですって。○○さん、もう会社の経費でフーゾク行けませんね、ヘッヘッヘ」
とA君。
そのウイニーとちゃう、ちゅうねん!

新聞を子細に読むと会社のパソコンではなく自宅のパソコンから個人情報や会社の秘密情報が流れたことが伝えられていた。
会社のコンピュータでは多くの場合、インストールできるソフトが制限されているが、自宅のパソコンとなると好きなソフトを片っ端から入れるのが、まま普通だ。
その結果として、内蔵ハードディスクが一杯になり、「もう空きメモリがナイゾウ」などと腐ったオヤジギャグを口ずさんでいるひともいることだろう。
空きメモリがなくなり外付けの新しいハードディスクを買い求める羽目になったり、PCを買い代えることになるくらいなら、被害は少ない。
ところが会社の仕事を真面目にも持ち帰ってしまったために、片っ端から詰め込んだソフトのうちの1つ「ウイニー」を介したコンピュータウィルスのために大切な会社のデータが流出し、会社を解雇されて仕事を消失させる悲劇が発生しているのだ。

このウイニーによる悲劇の背景には、残業を認めないという会社と役所の事情がある。
サービス残業はもちろん許せることではないし、休日返上、毎日深夜まで残業というのもあまり認めてよいものではない。
これらを原因とした「カロウシ」という言葉がWebsterの英英辞典に載るくらい、できれば避けたいものである。
そこで10年ほど前から労働者団体などがワイワイわめいていたところ、へっぴり腰で責任を取りたくない役所は「カロウシ」を防止させるために規定時間以上の残業を認めなくなったのだ。
働き過ぎると行政指導が入るというわけだ。

しかしほとんどの会社員は残業なしで仕事を捌ききることはできない。
需要期になると休日返上、徹夜の毎日でもしないことには、とりわけ中小企業の労働者が満足に生活するための給与を稼ぐことはできないのだ。
でも、会社は行政指導を恐れるし、役所は責任を被せられ出世に響くと嫌なので、残業をさせない。
結局のところ終業時に会社を追い出される前に書類やデータを鞄に詰めてあとは自宅で仕事をすることになる。

で、その結果が普段音楽や映像のやり取りに使っていたウイニーで、会社のデータが流出するということになってしまうのだ。
つまり真面目な人がバカを見る。(それだけでもないことももちろんです)ということいなる。

これをウイニー哀歌と呼ばずしてなんと呼ぶ。

ちなみに私はMacユーザーなのでウイニー騒動はもちろん他人事です。

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ミャンマーのマンダレーとタイのチェンマイが似ているのは、きっと偶然ではないのだろう。
地理的にも近いし、年代的にも王都として栄えたのは同じ時期。
この2つの街を歴史的文化的に解説した旅行ガイドブックや歴史書は見た事がないが、どこかで繋がっていることは間違いない。

眠い目をこすりながらベッドから起き上がりテレビをつけるとNHKニュースが流れていた。
マンダレーでNHK。
まったく無粋だ。
最近どこへ行っても外国、というか日本人の宿泊するホテルではNHKを見ることができる。
長期滞在者ならいざ知らず私のような短期旅行者にとっては阪神タイガースの動向以外あまり興味はない。
それでもなぜかチャンネルを合わせてしまう私は悲しい。

バスルームで顔を洗って歯を磨いた。
昨夜、到着してすぐに洗っておいたサンダルはまだ完全に乾いていなかった。
部屋の中は湿気ていないが、6時間やそこらではサンダルも乾かないらしい。

「マンダレーのホテルは無愛想なところが多いんですよね」
とTさんは教えてくれていたが、私が泊まったマンダレーシティーホテルのスタッフは昨夜、私たちを暖かい笑顔で私たちを迎えてくれた。

政府の建物であったものを二年ほど前にホテルに改装したばかりということもあり、中は真新しく白い大理石の床がピカピカ光っている。
ロビーも広く、フロント横のスペースには籐のソファが置かれており落ち着いた雰囲気だ。
フロントの後ろの壁には世界主要都市の現在時間が記された時計が吊るされており、当然のことながら「TOKYO」もちゃんと2時間30分進んだ時間を指していた。

手続きは総てTさんが済ませてくれて、その間私はお大名のごとく籐の椅子に腰を掛けていたが、さすがに列車の旅に疲れていたのか居眠りをしそうになった。
「行きますよ~」
例によって幼稚園の先生の引率よろしくTさんが私に呼びかけたので、Tさんとボーイの後に続いて部屋へ向かった。
1階客室の通路を通り抜け広い階段を上がった。
階段を上りきった2階の正面の部屋の扉をボーイ君は開けてくれた。
「ここです」
とTさんとボーイ君に案内された部屋を見て私は目を疑った。
物凄く広いのだ。
ツインルームということもあり、広いのはわかるが、ゆとりをもって作られた部屋は美しく、間違いなく私の生涯で最もゴージャスな客室だったのだ。
これを1人で使うなんて、お大名ではないか。
と思ったのであった。
床はチーク材のフローリング。
テレビは日本の東横インにあるショボイ14インチとことなり22インチぐらいの大画面。
もちろん部屋一杯にベットとテレビ台が置かれているというような狭っ苦しい東京のビジネスホテルではなく、6~7人でゆっくりと歓談ができそうなスペースがあるのだ。

さらにバスルームを開けて驚いた。
大阪にある私のマンションの自室ぐらいあるのだった。
広いバスタブ。
美しい便座。
まるでTOTOかINAXのカタログに載っているようなバスルームだったのだ。

窓際には少し奥まったデスクが据えられ、仕事はもちろん作家先生が「かんずめ」になるのにピッタリの環境が整っていたのだった。

で、朝を迎えると、夜には気づかなかった白いカーテンに朝の光が差し込んで、これまたドラマに登場するようなゴージャスな雰囲気を作り出していたのだ。

嗚呼、マンダレーはなんて良いんだ!

つづく

東南アジア膝栗毛

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