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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



早川書房刊「9月11日の英雄たち」は、NYワールドトレードセンターの2つのタワーへ、人々を救助するために果敢にも飛び込んでいった消防士や警察官たちの物語だった。

このノンフィクションの一部にも引用されている港湾警察官の二人がタワー崩壊から救助されるまでをドキュメンタリータッチで描いたのが本作である。

ベトナム戦争従軍経験のある監督のオリバー・ストーンはその出世作「プラトーン」で見せたようにリアルで力強く、汗と地の匂いがする演出を得意とする。
つまり戦場を演出する力量に秀でているのだ。
そういう意味では映画「ワールドトレードセンター」は、戦場そのものだった。

9月12日の朝、私は布団からはいずり出しテレビを点けると、タワーが崩壊する映像が映し出され背筋に寒いものが走った感覚が今も残っている。
私は夜テレビを見ないことが多いので、朝テレビのスイッチを入れて初めて重大な事件を知ったのだった。
この瞬間「戦争になる」と思ったが、同時に「これは犯罪なのであるから、戦争にしてはいけない」とも思った。
どのチャンネルも同時多発テロ事件を伝えていて、アメリカの放送局の画面隅には「War of terror」の字幕が終始映し出されていた。
やがて本当に戦争が始まってしまった。

事件の数日後にニューヨーク証券取引所が再開される時、「平常な生活をすることがテロリストに対する最大の攻撃」とジュリアーニ市長か誰かが言っていたように思う。
この映画「ワールドトレードセンター」を観賞して一番強く感じたのは、前述の言葉通り、武力に訴えることではなく日常の生活を取り戻すことこそテロに屈しない最大の戦いであると意識したことだった。

二人の港湾警察官は軍人ではない。
二人には日常の生活があり、共に暮らす家族がいる。
その二人ががれきに埋もれ、仲間が死に往く中でなんとか生き残ろうと必死で意識を保とうとする。
それを支えるのは彼らの意識の中にある家族なのだ。
物語はがれきに埋もれた二人と二人の家族、彼らの救出に当たる仲間たち、そして事件に巻き込まれた人々の姿を点描し、救出というこの事件では非常に稀なハッピーエンドを迎えることになる。

事件の背景は政治的、宗教的、民族的な問題が絡み合って複雑を極めている。
しかし本作にしろ、先々月公開された「ユナイテッド93」に於てもアメリカの描く同時多発テロ事件は冷静で、感情を顕にすることがない。
これは激情を制御しつつ理性で怒りを抑え、平常を取り戻していく方が武力に訴えるよりも遥かに勝ということを多くのアメリカ人が意識している現れなのかもしれない。

~「ワールドトレードセンター」2006年パラマウント映画配給~

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