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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



至極平凡に、2004年度中に読み漁った書籍の総決算を試みよう。
他人の読んだ本の総決算なんか読みたくない、と言う人は速やかにこのブログから離脱するように......。

今年読んだ書籍はマンガと雑誌と再読本を除きおおよそ六十冊。その六十冊からいくつかをピックアップして振り返ってみたい。
今年は元旦に雑誌「諸君!」を購入し、それにのめり込んだために、最初に読んだ書籍は一月の中旬。初代ビルマ(現ミャンマー)首相バー・モウが執筆した「ビルマの夜明け(太陽出版)」であった。
今年は早くからGW頃にミャンマーへ行こうと決めていたので、ミャンマーの知識を得るために買い求めた一冊であった。
ミャンマーの独立は一般に1948年といわれていて、現ミャンマー政府もそれを公式の独立としているが、実際のところ1944年に大日本帝国の後押しにより独立したのが最初の独立であった。このとき首相に就任したのが弁護士で独立指導者であったバー・モウであった。
バー・モウはノーベル平和賞を受賞したアウンサンスーチー女史の父君であられるアウンサン将軍の実質的な指導者であった。
ミャンマーに今も語り継がれる「三十人の志士」を生み出したのもこの人で、本書はバー・モウ氏が戦後、新潟県での亡命生活から英国軍に自首し、解放された後に著した一種の回顧録である。
現在のミャンマーでは発禁書物に指定されているようだが、なかなか興味深い記述があり、日本の戦中戦後史を研究する上では、必読の資料といえる。
とりわけ我々日本人から見て外国人であるバー・モウが客観的な視点で日本人を評価しているのが興味深い。
もっとも印象に残った一ヶ所が泰緬鉄道に関する記述だ。
泰緬鉄道は映画「戦場にかける橋」で有名な悪名高き日本軍を描いたストーリーで知られている。
ところがバーモウの記述によると、泰緬鉄道は地元住民に歓迎されたプロジェクトであり、この鉄道がインフラとしてタイからミャンマーにかけて、絶大な効果をもたらしたことがほんの数行であるが書かれていた。
これは当時、タイのカンチャナブリなどで雇用されたタイ人労働者が通常の1.5倍から2倍の賃金を受取り、地域経済に多大の潤いをもたらしたという証言と一致する。
そのほか、日本軍将校でありながらミャンマー語を巧みに扱い、ミャンマー独立軍の指導者として活躍したジョ・モウ(本名 鈴木大佐 だったと思う)がミャンマー人になりきってしまい、度々自国、つまり大日本帝国陸軍の将校とぶつかりあったエピソードなど、歴史教科書や小説では触れられない内容が一杯だ。


次に印象深かったのは「イラク便り(扶桑社)」である。
これは昨年、イラクで殉職された外務省の奥大使が同省のホームページに寄稿していたイラクの現状に関する短いレポートをまとめたものだ。
昨今、日本の官僚の出来の悪さに辟易することしきりではあるが、本書は、外務省の中はアホな外交官(例:元駐ペルーの青木大使)ばかりでないことを私たちに伝えてくれた。
しかも優秀で義侠心のある「普通の」外交官はアメリカとか欧州には勤務せず、イラクとかソマリアとか、アフガンとか、とかく危険なところへ勤務させられる、または本人が望んでいくことを知ることの出来る一冊であった。
ちなみにこの一冊と先日読了した「武士道の国から来た自衛隊」が妙にリンクしていて、読む者、つまり我々に日本国民に何やら考えさせるものが訴えられているのであった。

今年はビジネス書も読んでみた。
パコ・アンダーヒルの「なぜ人はその店で買ってしまうのか」と「なぜ人はショッピングモールが好きなのか」(どちらも早川書房)の二冊だ。
マーケティングという考え方はまだまだ私のように中小企業に勤務する者にとって身近なものとは言えない。ところが本書を読んでみて、それは明らかに間違いであることに気がついた。
中小企業であっても、商品を販売する、しかも効果的にという意味で、マーケティングの分析というものは不可欠であるということを痛感させてくれた。
とりわけ中国や韓国、インド、東南アジアの国々にが猛烈に日本を追撃してくる現在の世界市場の中で、私たちが生き残るには何をすればよいかを考えると、それはマーケティングと製造開発の二人三脚以外にないということだった。
作る、ということにおいてはコストの点で中国にはとてもかなわない。
品質、ということにおいては韓国、台湾がかなり肉薄してきている。
そこで日本が生き残る方法は高い教育水準(少々疑問もあるが)と好感の持てる性格(これも疑問があるが)を駆使して、マーケティング技術を向上させ、他社、他国が追いつけない企画開発を行うことということだ。
もともと、こういうビジネス書は知ったり顔で書かれたものや、お説教まがい、自慢まがいのものが多くて大嫌いなのだが、たまたま愛読する雑誌に紹介されたことから読み始めていくと、いわゆるデータ集めした教科書のような書物ではなく「読み物」であった点が私を夢中にさせた原因だろう。

結果的に一年で読了した六十冊のうち、ノンフィクションが全体の七割ぐらいであった。
ノンフィクションというジャンルでは沢木耕太郎のノンフィクション全集(文藝春秋社)がこの十二月に最終巻が発行されてグランドフィナーレを迎えたが、夏前に発行された「1960」というタイトルの巻がとりわけ面白かった。
この巻では高度成長期における池田勇人についてのルポルタージュ(今回初掲載)が収録されていて、非常に興味が惹かれた。
社会党稲沼書記長刺殺事件(テロルの決算)などとリンクして当時の世相や政治家の姿を現在と比較して考えると、じつに面白いものであった。

ということで、来年はどのような書物に出会えるか。
ワクワク楽しみにしている年末である。

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とりがら映画評

スピルバーグの映画にしては「地味」な作品だった。
しかし地味に見える外見とは裏腹に内容は濃く、笑いあり、涙あり、感動ありの秀作であった。

アメリカの玄関口の一つJFK空港に到着した主人公は、祖国が突然の内戦で消滅。合衆国への入国を拒否される。ドラマはここをスタート点に、空港の中で織りなす人々の姿を点描し、かつ主人公を中心に様々なエピソードを創造していくのだ。
興味深いのはアメリカ合衆国という国が、異国のものに対して、どのように応じているのかという点だ。
初め国籍が消滅した主人公をほとんどの人々が冷たくあしらう。
言葉は通じないし、通じないからこそ、主人公がどのような人であるのか想像することすら出来ない。
職業は何なんだ?
年齢は?
アメリカに来た目的は?
失礼ながら知能はどのくらいなのか?
などなど。
この冷たさの象徴が空港の警備責任者なのだが、彼はドラマの最後まで、冷たい、アメリカ政府をステレオタイプした人物として描かれている。
しかしこの責任者と一緒に彼を薄気味悪がっていた空港職員、掃除人、売店の店員たちは彼を仲間の一人、つまりファミリーとして認めていくのだ。
このあたりが、移民の国・アメリカ合衆国のアメリカたる姿になっていくのだが、この映画はそういったありきたりのストーリーには行き着かない。
主人公は自国を愛しているのだ。
警備責任者が彼を難民として受け入れようとするシーンがある。
「あなたは、自国へ戻ることが恐ろしいでしょ。」
と訊くのだ。
責任者は事前の説明で、主人公の国が内戦で混乱し、戻れば命の保障がない、だから私のする質問に「イエス」と答えれば、あなたを難民として入国させる、と言う。
そして前記の質問をするのだ。
しかし、主人公はの答えは。
「ノー」
「どうして? 怖くないのですか?」
困った責任者は再度質問する。
「怖くないです。」
「どうして?」
主人公は答える、
「私の祖国(ホーム)だからです。」
と。
このあたりの機微が、昔のアメリカ人にはなかな理解できない、または描写したがらない部分だったのではないかと思えるのだ。

いわゆる「グランドホテル・スタイル」の映画ではあるが、国際空港ロビーという面白い場所を舞台にしていることもあり、現代人である私たちには身近で飽きさせない面白さがあった。
強いて言えば、主人公の背景についての詰めが甘い感じもするが、それはそれで許せるような気もしないではない。
なぜならスピルバーグの相変わらずの巧みな映画の語り方と、芸達者なトム・ハンクスの演技が、私たち見る者の心を飽きさせることなかったからだ。
二時間十分の上映時間はあっという間に過ぎ去った。
CG溢れるアクション映画に食傷ぎみの映画ファンにはピッタリのハートフルな作品といえるだろう。

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昨日、はじめて東京のクリスマスの夜を実地に見る機会を得た。
午後、乃木坂近くのレコード会社の小さなホールで開催されたライヴイベントに参加したあと、そのまま帰るには時間が早かったこともあり、すこし周辺を歩いてみようと思った。
とりあえず、感を頼りに大きな通りに沿って歩いていると六本木へでてきた。
これが噂に聞いていた六本木という場所か。
昔はきっとここに六本だけ木が生えていて、この地名になったのだろう、などと勝手な想像をしながら歩いていた。
「六本木は外国人犯罪の中心地」などと先日買った週刊誌に書かれていたので、いったいどんなところだろうと興味津々に歩いていたのだ。

クリスマスの夕方ということもあり、六本木の交差点は通行人であふれ返っていた。

それにしても聞きしにまさるとはこのことだ。
外国人が非常に多い。黒人、白人、中国人と思われるアジア系などなど。
英語だけでなく、聞いたこともないような外国語が行き交っている。
いったいどこなんだ、ここは。と思っていたが、すぐによく似た場所があることを思い出した。
それはバッポンだとかナナといったバンコクの歓楽街とそっくりなのであった。
非黄色人種の比率といい、日本人の割合といい、街の猥雑さといい、実に良く似ていた。なるほど、六本木は外国人犯罪者の溜まり場とはよくぞいったものである。
きっとその記事を書いたライターはバンコクのバッポンで偽物のローレックスや宝石を掴まされたり、ぼったくり風俗に引っ掛かり、用心棒の黒人にどつき回された経験があるのだろう。

六本木といえば、昨年の今ごろ大阪から遊びに来ていた小学生のガキが、親の不注意から頭を回転扉に挟まれて死亡するという事故があった「六本木ヒルズ」がある。
せっかくここまで来たのだから向学心で見ないわけにはいかない。
そこで雑踏の流れに身を任せ六本木ヒルズへ向かった。
六本木ヒルズの設計者は大阪難波にある「なんばパークス」と同じだと聞いていたが、なるほどコンセプトがほとんど一緒だ。
コンセプトは同じだが規模が全然違った。
六本木ヒルズは難波パークスの十倍ぐらいありそうな巨大なショッピング&ビジネス・コンプレックスだったのだ。
この巨大なコンプレックスを埋め尽くすぐらい数えきれない人々が押し寄せているのだから東京は凄い。
東京は凄いが、この人たちは他に行くとことが無いのだろうか。行動がワンパターンである。
きっと江戸っ子ではなく、東北や九州、中四国から出てきた田舎者か、私のように関西から来たスパイたちなのだろう。

クリスマスのイルミネーションが施された六本木ヒルズからは、ライトアップされた東京タワーがよく見えた。
そこで雑踏の嫌いな私は、自爆テロでも敢行したら一発で百人以上は犠牲者が出そうな六本木ヒルズを脱出し東京タワーへ行くことにした。
東京の地理が今一つわからないし、暇だったこともあり、東京タワーまで歩くことにした。

東京の都市としての地理的魅力は坂が多いことだろう。
平坦な大阪と異なり、東京は谷あり山ありで、そこに地獄の針山のようにビルディングが建ち並んでいるので、都市景観が大阪よりモダンに見える。
先ほどの六本木ヒルズも六本木から麻布へ続く谷底へ向かって、旨く建物を配置しているのでダイナミックに見えるのだ。
東京の通天閣「東京タワー」も坂を下る途中にあることを今回初めて知った。
通天閣と東京タワーの違いは高さだけかと思っていたら、東京タワーの下にはストリップ劇場も、ポルノ映画館も串カツ屋もスマートボールも無いことを知った。
焼き芋やの軽トラックが出ていたのも通天閣とは違う。
やはり自分で来て、自分の目で確かめるのは大切だ。
東京タワーの下にはビルディングがあり、そこから展望台に昇るエレベータが設置されていた。
昨日はクリスマスということもあり、タワーの前ではR&Bのライブ演奏が行なわれ、大きなクリスマスツリーが飾られていた。
ライヴ演奏を聞く者はほとんどなく、みんなクリスマスツリーの前で記念撮影をしていた。
そもそもクリスマスになんでR&Bなのかよくわからない。しかも出演者は知らない芸人。
企画不足と言えよう。

ご多分にもれずここもクリスマスの夜、タワーの展望台から夜景で楽しもうというカップルや家族連れで長蛇の列ができていた。多分チケットを買うのに数十分、そしてエレベータに乗るのに一時間以上かかるであろう。
こうまでして高いところに上がりたいのはいったいどういう神経なのだろうか。
アホとちゃうか。
そう言えば、「煙とアホは高いところへ昇る」と昔から言ったものである。
ということを考えながら、羽田からANAに乗って高いところを飛んで大阪へ帰ってきた私であった。

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1991年。世界的に有名な自動車レース「ル・マン」に日本の自動車が初めて優勝した。
優勝したのはマツダ。
その優勝を浚ったのはこのメーカーが長い年月をかけて幾度も挑戦を繰り返してきた高性能のロータリーエンジンを搭載したマシンだった。
このマツダが優勝を浚った直後、ル・マンを主催するフランスの団体は「来年からはロータリーエンジンでの参加を不可とします」と発表した。
マツダは幾年もロータリーで参加していたのに優勝したら突然の通告である。
丁度同じ頃、日本のウィンタースポーツの選手が世界を制覇し始めていた。
その種目は「ノルディック複合」
ノルディック複合は冬のスポーツの最高峰と言われ、そのチャンピオンになることは世界のチャンピオンになることを意味していた。
ところが、このノルディック複合の優勝が常に日本人選手で占められるようになって、国際規約が書き換えられることになった。
日本人選手が得意とするジャンプ競技に使用するスキー板のサイズを身長に沿ったサイズに変えるという規定にだった。
もちろん欧米選手に比べて体格の劣る日本人選手には不利となった。
それから日本人選手の優勝は無くなった。

今日、京都市内を駆け抜ける「全国高校駅伝大会」が開催された。
女子は長崎の諫早が優勝し、男子は仙台育英が優勝した。
女子の方はテレビを見ていなかったので知らないが、男子の方は、どういうわけか「黒人」の選手の姿がよく目立った。
第一区を走り区間優勝した滋賀学園の選手もケニアからの留学生。つまり黒人。
二位も黒人だった。
なんか変だな。
これって「高校駅伝とちがうんか?」
途中の経過は見ずに、夜のニュース番組で結果を確認すると仙台育英が優勝だという。
やはり日本人だけで勝ったのだな、と思ってビデオを見ると、途中仙台育英の黒人選手が猛スパートでトップを奪ったことがわかった。
留学生はどこから来ても不思議ではないだろう。
日本に住んで高校に通うのが日本人だけということもないだろう。
しかし、アフリカからのランナーの留学生はちと、素直に納得できないものがある。
「全国高校駅伝」なんだから、皆「都道府県」の代表のはずだと思うのだが。

しかし、ここで「高校駅伝」は「日本人」だけのもの、という意見が出てこないのが我が国の良いところか。
突然「黒人は駄目」というようなルールは作ったりしない。
悔しければアフリカからの留学生に負けないように頑張ろうぜ、という気持ちが一般高校生に芽生えば、競技そのものも面白くなり、人気は衰えないだろう。
そこんところが自動車レースやウインタースポーツと異なるところだ。

そういえば、外国人を不当に差別しているスポーツがあったな。
確か「国技」とか言って特別扱いしているプロスポーツ「相撲」だ。
相撲は外国人力士がたくさんいるけれど、相撲の権利「株」を持つことの出来るのは「日本国籍を持つ者に限る」とか。
どうりで、相撲の人気が急降下しているわけだ。

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先日、地図の出版社「アルプス社」が民事再生法を申請し倒産した。もっとも民事再生法なので営業は続けている。

昨日、仕事の途中に地図を買うために梅田の旭屋書店に立ち寄った。
4階の地図売り場に上がって行ってビックリ。書棚の地図はことごとく昭文社のものばかりだったのだ。
数年前に地図の大手「わらじや」が倒産。書店から姿を消した。
アトラスという商品名で美しく見やすい地図帳を発行していたアルプス社が倒産したので、地図のメーカーは昭文社ぐらいしかなくなってしまったわけだ。
カーナビ用のデータ地図を提供しているゼンリンなどは別として出版物としての地図は、その必要性を失いつつある。
地図はインターネットで即座に引き出せるようになったし、自動車にはカーナビゲーションシステムが搭載されるようになった。
地図を見ながらドライブすることは少なくなってきているし、仕事でも地図は会社のカラープリンターで必要な部分だけ出力すれば良いのだから一冊数千円もするような地図帳を買わなくなるのも自然な成り行きといえる。

そんな市場の事情を考慮して、ある出版社が普通の地図では売れない判断したのか、江戸時代、明治時代、現代と重ね合わせて見ることのできる大江戸東京地図を売り出した。
これが良く売れているという。

地図というのは実用に供する使い方と、見て楽しむという使い方があると思う。
大江戸東京地図は後者の使用方法に重点を置いて成功した地図帳なのだ。
私も地図を見るのが子供の頃から大好きだった。
小学校低学年の頃から、書店を訪れるたびに親に地図を買ってもらうことをよくねだったものだ。
大阪の地図、近畿の地図、日本地図。
そして平凡社の百科事典の付録としてついていた世界地図。
それぞれ眺めながら地形に沿って走る鉄道や道路、トンネルや橋、河川の経路などをチェックしてどんな形式が広がっているのか想像するのがとても楽しかったのだ。
この地図狂いは中学生の時に、とあるSFテレビシリーズの虜になったため、空の世界まで広がり星図集めまで及んだ。

海外へ行くと地図の良いものが少ない。
これは地図が軍事的な意味を持つからかも知れないが、日本人ほど地図に執着する文化がないからではないかとも思うのだ。
伊能忠敬の地図はともかく、江戸時代から「観光用の地図」が数多く存在する我が国は、DNAの中に地図を欲する要素があるのかも知れない。
現代の旅行ガイドブックも「Lonely Planet」と「地球の歩き方」を比べると、明らかに後者の方が地図が多い。

ソフトバンクが支援してアルプス社の再生事業が着手されることが報じられていた。ソフトバンクなんて会社はきっと、書籍としての地図ではなくインターネットサービスへの利用を考えての支援だろう。
地図マニアとしては、なんだか寂しい限りではある。


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分かり切ったことを、わざと口を歪めながらユックリとネチネチと相手に説明することを大阪では「アホの子にゆうように言う」という。
ゆう、というのは大阪弁で言うという意味だ。
少々差別的な響きもなくはないが相手をバカにした言い方を意味して、あまり良い表現ではない。

大阪市城東区。蒲生桜小橋のバス停前に小さな公園がある。
もともと国鉄の貨物船が京橋の駅から曲線を描いて国道一号線と交差していた地点にあたる。
この国鉄線路跡の公園は最近改修されたばかりと見えてとても美しい。綺麗なタイルが敷きつめられ、植樹も良く考えてレイアウトされており、寒い季節でなければボンヤリと時間を潰すには良い場所のような気がする。
この公園の中央にこれまた綺麗な石を敷きつめて作った人工の小川と池がある。
今日、ここを通りがかって変な看板が、この池の前に設置されているのが目に留まった。
「かおをつけたり、のんだりしないでください」
と、書かれていた。
綺麗に整備された人工の池とはいえ、水には落ち葉やゴミクズが浮かんでおり、とても人が飲めるような代物ではない。
ひょっとして、この警告看板は鳩か雀に向けられて設置されているものかと考えたくなった。まさか役所もバカではないだろうから、鳩や雀のために看板を作るはずはない。これはきっと人間に向けて作られているのだ。しかもバカは役所ではなく役所が一般市民をバカにしている看板でもあったのだ。
その証拠に看板の文字が全て「かな」で書かれていた。
役所は一般市民は「顔」や「飲んだり」という漢字が読めないのだろうと考えているのだろう。もしかすると子供向けのために「かな」で書いているのかもわからないが、「かな」を読めるくらいの幼児なら、この池の水が飲めないことぐらい判断がつくだろう。
子供の親に向けてのメッセージならなおさら失礼だ。
この看板はこのあたりの大人は漢字が読めず、なおかつ飲める水と泥水の区別もつかない「サルのような脳みそ」だと役所は判断しているということになる。
もし大人が相手なら「幼児が池に落ちたり、水を誤って飲んだりしないように注意してください」と書くのが筋ではないだろうか。

こういうのを「アホの子にゆうように言う」というのだ。
つまり役所は正しく、こういう「親切な看板」をアホな市民に「税金を使って」教えていやっているという図式が成立する。
どうすれば役人は自分たちのすべきことがわかるのだろう。
「あ~の~ね~。ぜ~き~んはね~、....。」と耳元でゆっくりと我々は役人に言い聞かせなければならないのかも知れない。

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とりがら映画評

古い話になるが、今から二十年昔に公開された「スターウォーズ ジェダイの逆襲」の見せ場はスピーダーバイクのチェイスシーンだった。
森の中を高速で駆け抜けるバイクの迫力は、それまでどの映画にもなかった斬新なものだった。
この森の中の撮影は、ステディカムという特殊な衝撃緩衝装置に載せたカメラを人が担ぎ、森の中を歩いて撮影した画像に、おもちゃのバイクを合成したものだった。
それから歳月が流れ、今やその程度の映像であればコンピュータを駆使すれば中学生でも作れるようになった。

映画が誕生した頃も、そして現在も、名作映画に備わる不変の条件がある。
それは「見せ方」が巧みで、作り手の「語り」が旨いということだ。

Mr.インクレディブルはそういう見せ方が旨く語りがしっかりしている映画だった。
ピクサー社のアニメーションは見る者の心の琴線に触れる作品作りが実に巧みだといえる。このあたりが下品なギャグで心から笑うことの出来ないドリームワークスの作品とは明らかに異なっているところだ。
今回の映画はこれまでのお子様路線から離れていて、それだけピクサーにとっては冒険だったかも知れない。しかしエンタテイメントの中に、ちょこっとホロリとさせるところが、いつもの通り心憎いのだ。
後半のアクションシーンでMr.の長男ダッシュがその名のごとく猛烈なスピードでジャングルを走り回るシーンはかつてのスターウォーズの一シーンを彷彿させるものだったが、見せ方が格段に向上していて、しかも見ていて笑っているうちに感動さえ感じるものだったのだ。
この感動がピクサー作品が持つ一連の暖かさ、人気の秘密だと思う。
トイストーリー2でカウガールがなぜ捨てられたのかということを歌で語るシーン、モンスターズインクで怪獣サリーが少女ブーと別れるシーン、ファインディングニモで父マリーンが怒鳴り散らして追いやってしまったドリーを探すシーン。
どれもこれも忘れることのできない名場面ばかりだ。

こういうシーンは中学生や単なるパソコンマニアでは作ることの出来ないものだ。
映像製作がついついテクノロジーに頼り過ぎになる今日、「Mr.インクレディブル」はCGでも人の心に暖かいものを注げるのだ、ということをまたもや証明してくれた、ということができよう。

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今を遡る二十六年前、私は初めてアメリカ大陸の大地を踏んだ。
初めての海外旅行はアメリカのロサンゼルスだった。
今ではありきたりの場所ではあるが、まだまだ昭和時代だし、ガキであった私には、何もかも新鮮で今はなきパンナムのジャンボ機でロス国際空港に到着した私のテンションは上昇するばかりであったことを記憶している。

今では考えられないが、このとき一番訪れたい場所がパラマウント映画にある某SFテレビシリーズのスタジオとディズニーランドだった。
テレビシリーズのスタジオへの訪問の夢は叶えられなかったが誰でも訪れることの出来るディズニーランドへは行くことが出来た。
東京ディズニーランドもまだない時代、アナハイムのディズニーランドはエキスポランドか宝塚ファミリーランド程度しか知らない私には新鮮そのもの、驚きの連続だった。
これまた今では考えられないが、私はここでお土産を買った。
ミッキーマウスの帽子、キーホルダーやステッカーなどなど。今日、TDLを訪れるミーちゃんハーちゃんが喜びいそんで買いあさるようなアイテムを、私も買っていたのだった。
このなかで、私はミッキーマウスのTシャツが欲しくてビニール袋に入れられた様々なデザインのTシャツを物色したが、このとき一番問題になったのがサイズだった。
当時すでに学校のクラスでもかなり大柄であった私は普段LLサイズやLLLサイズの衣類を買っていた。
このときも私は大きなサイズを買わなければならぬと思い、XLサイズのTシャツを買い求めたのだった。
帰国後、袋を開封してこのTシャツを着てみると、あまりのサイズの違いにビックリしたのだった。
Tシャツを着た私は小錦の服を纏ったオール阪神のような感じになってしまったのであった。

現在、日本で売られている衣料品のほとんどが、どういうわけか私の体にフィットしない。
スーパーマーケットや郊外型衣料品店舗で販売されている衣料品はことごとく着ることができないのだ。
まず、私がでかいこともあるが、首回りのサイズが小さ過ぎる。私の首回りは太る前から一般人よりも二三センチ大きい。それに腕の長さがまったく足りない。裄丈は驚くなかれ一般サイズよりも五六センチも長い。まるでテナガザルだ、
ということで、いつもチンチクリンかだぶだぶのシャツを着ていたが十年ほど前に一つの革命が訪れた。
LLビーンというアメリカのアウトドア系の通販ショップが大阪と神戸に店を出した。
兼ねてからLLビーンは品質がイイヨ、とボストン出身のアメリカ人の友人に聞いていたものだから、少々高いのを承知で買ってみた。
すると裄丈、首回り、などサイズが私のからだにピッタリとフィットするのだ。しかもサイズはLで十分なので、デザインが限定されることもない。
日本人が知らぬ間に欧米人のような体形になってきていることに、初めて気付いた瞬間だった。

で、衣料品の生産者は未だにこの日本人の体形変化に気付いていないのか、今もなおスーパーなどの廉価で購入できる衣料品は、私にはない。
シャツやパンツがすり切れるたびにLLビーンやカベラスといった海外通販に頼る日々が続く。

なんとかなりませんかね? アパレル関係の総帥閣下。
ほんま、高こついてかないませんわ。

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とりがら書評

本書の帯の部分に「石原慎太郎東京都知事推薦」と書かれていたが、これでは生ぬるい。「文部省推薦・小中高校生必読の書」とすべきである。

のっけから過激な評価と思うなかれ。本書は現在イラクのサマーワで展開している自衛隊のイラク復興援助活動について書かれている。
多くは自衛隊員からの取材をもとに、新聞や雑誌では読むことの出来ない、冷静で公平な目で見た自衛隊の素顔、そして現地の実情が描かれている。
読み進むうちに読者は自衛官の努力に涙し、感動し、このような軍隊を持つ国民として、日本人の私たちは誇りを持つようになるだろう。

たとえば「自衛隊が監督する工事現場のイラク人労働者だけが、夕方五時になっても働いているし、必要があれば残業もいとわない」とアメリカ、イギリスを始め他国の軍隊から驚愕の目で見られているというくだりがある。
日本以外の国の軍隊が監督する現場では、地元イラク人労働者は午後三時か四時にでもなれば早々に仕事を終業し、家路に着く。にもかかわらず、どうして日本の自衛隊のもとで働くイラク人だけがまじめなのか、各国が不思議がっているというのだ。
理由は、どの国も請け負った仕事は現地イラク人に丸投げで監督するのみ。それはあたかも刑務所の囚人を監視する刑務官のようにさえ見える。
ところが自衛隊は隊員がイラク人労働者に混じって一緒に作業をする。
一緒に汗を流し、一緒に食事をする。
この日本流のやり方が、現地の人々に感銘を与え、「日本人がやるのであれば、我々もやらねば」というイスラムの、いや人間としての義侠心が働いて、他国の管理下では起こりえないことが起こっているというのだ。
この話を聞いて、今年の夏、ミャンマーへ行ったとき現地の人から聞いた次の話を思い出した。
日本企業はミャンマーにもたくさん進出してきている。
最近の傾向として、同じアジアの国でも日本と同じ、いや時としてそれ以上の勢いで進出してきている国に韓国や中国がある。
でも現地のミャンマー人は日本企業で働くことを一番に希望するらしい。というのも、労働環境がまったく違うというのだ。
その最も大きな違いが管理職の態度だという。
例えば勢いのよい韓国企業や中国企業の現地法人では、本国から派遣されてきている工場長や、現地法人社長などの管理職は、従業員と絶対に食事をしない。部屋も区切られている。使用人と雇用者の地位の上下の区別をはっきりとする。
管理職は威張るのだ。
一方日本企業では、日本から派遣されてきた現地法人の責任者や技術者は、現地ミャンマー人と同じ場所で同じ昼食をとり、時として夕食まで一緒だというのだ。
日本人は寂しがりやが多いからかも知れないが、それだけでは理由にならないものがある。
役職のけじめはきっちりとつけるが、身分の差などは気にしない。トイレさえも綺麗に保ち、時に自分で掃除をする。
畢竟、ミャンマー人と日本人の間には一体感が生まれるが、他国はそうならない。
今回の自衛隊の活動は、まさしく日本企業が過去数十年に蓄積し、自然に身についてきた「日本流」のやりかたを実践し、成功していることを本書は物語っていた。

このほかに紹介されている「ユーフラテス川の鯉のぼり」や「自衛隊に協力しようデモ」など、新聞テレビが伝えない、また伝えたがらないエピソードでいっぱいだ。

本書を読んで、「もしかすると、戦中のほんの短期間を除いて、日本の軍隊はなにもおかしなことはしていないのではないか」と思えてきた。「日本流」が帝国主義や植民地主義、キリスト文明優位時代に「都合が悪い」ものだけだったのではないかと。

読んでいくうちになんだか日本人としての誇りがよみがえってくる、そんな一冊であった。


「武士道の国から来た自衛隊」~産経新聞社 発行~

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ここ数ヶ月、週刊誌の誌面に「NHK」が載らないことはない。
紅白歌合戦のプロデューサーの協会費私物化に端を発した今回の騒ぎは、NHK海老沢会長の見苦しいまでの権力欲と相まって、悲惨な様相を呈している。
受信料不払い運動は一説によると十五万件に上っているという。

そもそもこのNHKほど不透明な組織はない。
国の機関のようであり、そうでない。
受信料にしても視聴者にその料金を強制的に払わせる効力もない。
にも関わらず「皆様の公共放送」などと宣って、世界最大規模のブロードキャスティングとして君臨してきた。
NHKの予算は国会の承認を得なければ成立しない仕組みになっているらしいが、使い方に関してはチェックする機能がない。だからこそ今回のような事件が発生したのだろう。

実のところNHKの不透明さは今回に始まったわけではない。
たとえばつい先年開局したばかりの新大阪放送局。この大阪放送局の建築工事、設備工事、備品の納入から放送機器の購入まで、なにを基準に選定しているのかさっぱりわからないのだ。
NHKの業者選定は入札に似た形式をとって発注しているが、このNHKの方式は業者に「プレゼンテーション」を実施させ「内容」と「金額」を合わせて検討した結果、業者選定をしているという非常に曖昧なやり方なのだ。
しかも、なぜその業者を選定したのか公表もしなければ、落選した業者が「どうしてですか」と質問しても「答える義務はない」と突っぱねる。
なんかあるんじゃないか。受注業者との間に。
と、思わざるを得ないのだ。
そう言えば、放送機器など、古くからNHKといえばソニーと池上通信の二つだけ。ここ十年ほどに松下電器が参入してきているが、このあたりもなんだか変だ。
確かに世界のほとんどの放送機器はソニー、池上、松下だけど、この図式を作り出したのはもしかするとNHKかも知れない。

民間放送局ならいざ知らず、ウソでも「公共」と宣って「国民の受信料」で運営しているのだから、もっと透明感溢れる「国民の側の権力」であってほしいものだ。
いっそのことNHKは今後、受信料は廃止して、見たい人だけが料金を払うCSの1チャンネルにしてはどうだろうか?

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