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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



ちょっとひと足お先にGW.
ということで、今現在、私は関西空港の国際線出発ロビーで、このブログを書いている。
関空の国際線ロビーは無線LAN接続が無料なのだ。
非常にありがたい話である。
で、26日の昼便だと混んだり価格が高かったりするだろうと踏んで購入した深夜便のチケット。
結果的にチェックインに約一時間半。
セキュリティチェックに10分。
出国手続きはスムースではあったものの、国際線ロビーへたどり着くまで電車を降りてから2時間近くもかかってしまった。

つまり関空は夜中なのに結構混んでいるのだ。
もちろん深夜便そのものが少ないのでチェックインロビーは混んでいるように見えないのだが、当該航空会社のカウンター前には100メートルぐらいの行列ができている。
これはこれで、本当に疲れるのだ。
GWを利用して旧家に出かけようとしているのに、のっけから疲れるような労働を強いられる、まるで週始めの私の会社のようだ。

さらに、チェックインが終わってから小銭を両替しようと思ったら、両替コーナーは23時で終了。
明日の朝6時まで待たなければならない。
いったい、こういうので先進国の国際空港なのか大いに疑問ではある。

ともかくあとちょっとで搭乗開始。
どうやって眠るのか。
それが今夜の私の課題である。

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当ブログ、読者の皆さんへ。

大好評(かな?)のバンコクのトランプ詐欺とミャンマー大冒険Part2の両旅行記を連載中ですが、ちょっと早いGWの休暇をとたっため、一週間ばかり当ブログはお休みです。
その間はバックナンバー(過去に書いたブログ)か、東南アジア大作戦(リンクに貼ってます)をお楽しみ下さい。

旅行中に書き込めるチャンスがあれば、書き込みます。
またタイ方面へご旅行予定の読者の皆さん。
宝石詐欺やトランプ詐欺にはご注意ください。

と、いうことで行ってきます!

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ジョジョのオヤジはディーラーと組んでポーカーに勝つ方法を説明しはじめた。
カードさばきだけはポール・ニューマンのオヤジはポール・ニューマンと同じように何度も同じカードを見せたり、きったり、配ったりして、ロバート・レッドフォードな私の目を丸くさせた。

「いいかい。わかった?」
「凄いですね。凄いテクニックです」

と正直に私は感嘆の声を上げた。
感動の声をあげる私に満足したのか、オヤジの話しは次のステップへと進行した。

「実は、この近くにブルネイのお金持ちが住んでいるんだ。そのお金持ちをここに呼ぶから、一緒にゲームをやってそいつから金をしこたま巻き上げないか」

ブルネイ。
正式にはブルネイ・ダサッラーム国。
天然ガスが豊富なイスラム王国として知られており、位置はシンガポールから東へ飛行機で1時間ちょっとのところ、ボルネオ島の北半分にある。
ちなみに南半分はインドネシアだ。

ブルネイは一般の日本人にはあまり馴染がない名前の国であるにもかかわらず日本との関係は非常に深い。
その繋がりは戦前日本の植民地であったことにも起因するが、ここの天然ガスのほとんどを東京ガスや大阪ガスが買い上げており、私たちが自宅で使用している都市ガスの多くはここブルネイで産出するものなのだ。
また、ブルネイは東南アジア諸国で唯一貿易を円建てで行っている国としても知られ、1997年のアジア通貨危機の時に、この国だけはなんの影響も受けなかったことが有名でもある。

そういう天然資源に恵まれたブルネイ。
そのブルネイのお金持ちが、カード捌きだけがポール・ニューマンのこのオッサンの話によれば、ここの近所に住んでいるのだと言う。
しかもそのブルネイ人は性格劣悪でみんなの嫌われ者だとも言う。
おまけに先ほど聞いたようにカード捌きだけがポール・ニューマンのこのオッサンの女房は入院中で金も要るのだという。
ということで、
「イカサマ賭博に協力してくれ」
という趣向らしい。

でも、ここまで来ると私も確信を持てたのであった。
「ブルネイ」
は、イカサマトランプ詐欺話で登場する代表的な名称であるばかりか、「ブルネイのお金持ちを騙すため」と称して無知な日本人をギャンブル地獄にはめ込んで、
「約束と違うやん」
とディーラーのオッサンに文句を言うと、
「すまない。手違いがあったんだ」
とか、
「何を言いやがんだ。今さら」
と凄まれたりすることも有名な詐欺の手口なのでった。

むし取られる金額はだいたい50万円(一般的なカードご利用限度額)ぐらいだそうだが、この金額は大学卒業ホワイトカラーの初任給が12万円、高卒初任給が3万円くらいのこの国にとってはとてつもなく大きなものなのである。
もちろん50万円といえば日本人にとっても決して小さな金額ではない。
正直、40インチ以上のプラズマテレビを購入することのできる金額なのだ。

「手伝ってくれるか?」
とオッサンはニッコリ笑って私の気持ちを促した。
「必ず勝たせる」
とも言った。
しかしロバート・レッドフォードな私としては、このシチュエーションではカード捌きだけはポールニューマンのオッサンに加担するわけにはいかなかった。
なぜなら、オッサンがターゲットにしているカモはブルネイのお金持ちではなく、私だからであった。
したがって、答えは一つ。

「イヤです。協力できません」
というものだけだった。

オッサンは失望を顕にした。
昼飯も食わせた。
ディーラーの手口も教えた。
金持ちのブルネイ人がいるということも話した。
なのに、なんで話に乗ってこないんだ?
「どうして?勝たせるって言っているでしょう」
「はい。でも、できません」
「なぜ?」

私はオッサンに断る理由を提示しなければならなくなった。
正直、遊びの会話ではないので困った。
困ったが、私の口からは次のようなセリフが自動的に発せられたのであった。

「私のファミリーには家訓があり、その中にギャンブルをやってはいけませんよ。絶対に。というのがあるんです」

自分でもどうして「家訓」なんて言葉が出て来たのか信じられなかった。
第一、「家訓」なんて英単語を教わった覚えもないのに、「家訓で禁じられています」なんて自然にでてきたのは、いったいどういう力が働いたのだろうか。

ともかくオッサンは目を丸くして驚いた。
オッサンもどうきり出していいのか分らなかったのであろう。

つづく


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昼食の準備が整いみんなテーブルについて食事が始まった。
有り難いことに、料理は一品やそこらではなく何点かが大きな皿に盛られた結構なご馳走なのであった。
味も悪くない。
タイ料理だが余り辛くないし、私の苦手な食材も含まれていない。
お手伝いさんのオバハンはなかなかな料理人だ。

この美味いご馳走を頂きながらジョジョの従姉リンダを間近に見ると、やはり彼女はかなりの美人なのであった。
今考えても、彼女が詐欺団の一員であったとは思えない。

「美人だから悪人ではない」
という方程式と、
「ブスであるから悪人である」
という方程式は成り立たないことぐらいは知っている。
それは一種の偏見であって、論理的な判断ではない。
分っているが、どうしても美人と悪人が結びつかないのが現実だ、というよりも男心だ。

しかし、映画やテレビではだいたい悪役は醜女が演じることになっており、正義の味方には美女が多いことからも、この「美人贔屓」の傾向は何も私だけに限った問題でもないようだ。

ちなみに病床で寝たきりの「少女」なんてのも映画やテレビでは美人が多い。
これも寝たきりの少女が醜女なら視聴者の同情が集まりにくいからだと思われる。
少女が美人だと、
「あんなに美人なのに........かわいそう」
と言う具合になるのだが、もしブスだったりすると、
「あんなブスだから........死んじゃえ」
となってしまう。
ホント、こういうものには人間が持つ残酷な習性が良く表れているのだ。

ところで、この傾向は今に始まったことではなく昔から存在した現象のようだ。
というのも、
「眠りの森の美女」
なんておとぎ話は存在するが、
「眠りの森の醜女」
なんて話しは存在せず、同時に成立もしないのである。
「眠れる森の醜女」は単なる「森の化け物」以外の何ものでもない。

ということで、リンダの存在に思わず油断しそうになってしまった私だったが、その油断しようという私の心を目覚ましてくれたのはジョジョのオヤジの飽くことなきギャンブルへの誘いであった。

オヤジは食事中もしきりにギャンブルについてのウンチクを披露した。
「ギャンブルはなかなか勝てないのを知っている?」
なんてことを聞いてくるのだ。
当たり前である。
そうさいさい客が勝ち続けたら胴元のほうはすぐ破産する。
ギャンブルも商売である限り客は完勝できないようになっている。

オヤジが言うにはなんでも、ギャンブルで勝ちを納めるためにはディーラーとの親密な関係が必要らしい。
でもそれってイカサマじゃないのか。
ディーラーと仲良くやるギャンブルなんてものはインチキ以外のなにものでもない。
さすがの私もここまで来ると「こりゃ、インチキ賭博に巻き込まれているのかも知れんな」と思うようになってきた。

食事が終ってオヤジが個人的にカードの切り方を教えるからというので、怖いもの見たさのついでに、ベテランディーラーのカードさばきを見せていただくことにした。
虎穴に入らずんば虎児を得ず。
なんて諺が思い浮かんだが、この場合は明らかにそれとは異なり、どちらかというと虎児も得られんのに虎穴に入る、なんて状態としか言いようはなかった。

「二階で説明するよ。二階の方がゆっくりできるし」
なんてジョジョに言われて、若干の不安を抱えながら私はジョジョのオヤジと二階へ上がった。

二階の窓際の明るい部屋で、小さなテーブルを挟んで私と向かい合ったオヤジは一組のトランプを取り出して見事なカードさばきを披露しはじめたのだった。
それはまるで映画「スティング」(1975年作)でポール・ニューマンがロバート・レッドフォードの前で見せた巧みなカードさばきを彷彿させるテクニックだった。
そのうち、葉巻を加えながら、
「フォージャック」
なんて言うんじゃないかと思えるような雰囲気であったが、いくらテクニックがポール・ニューマンであっても、実際はシアヌーク国王を俗物化して梅干しにしたようなオッサンである。
そのカードさばきを見つめるロバート・レッドフォードの方は分らないではないが、オッサンはオッサンなのであった。

つづく

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10年ほど前、大阪に住んでいたオーストラリアンの友人と交わした会話。

「どこ行くん?」
「これから本町にある領事館へ行かないとダメなんだ」
「なんで?パスポート切れたん?」
「違うよ」
「ビザの更新?」
「それも違う」
「なんか、悪いことして呼び出しか?.......おまえやったらあり得そうやけど」
「ハハハ............失礼なことを言うな。」
「んじゃ、なんや?」
「選挙なんだ」
「選挙?....選挙と領事館と関係あるの?」
「選挙行かないと罰金払うことになるんだよ。うちの国は」

オーストラリアでは国政選挙の投票に行かなければ日本円にして約1万円相当の罰金を払わなければならないのだという。
私にとっての驚きは、国政選挙への投票が義務化されていることはもちろんのこと、海外に住む国民も最寄りの大使館や領事館へ出向いて投票しなければならないことで、この瞬間、民主主義の重みをひしひしと感じたのだった。

それに引き換え、我が日本。
選挙なんてなんのその。
テレビも最近では得票率は盛んに報道するが、投票率は報道しなくなった。
これはきっと何者からかの圧力がかかっているのか、もしくは「そんなことどうでも良い」と思っているのかのどちらかだろう。

率直に言って投票率が80%以下の選挙なんか無効である。
投票率40%や50%台なんて論外で、投票に行かない有権者は全員その理由を400字詰め原稿用紙5枚程度にまとめて提出させるべきかとも思ってしまう。

投票率が低いと様々な弊害が発生する。
その最たるものは一部の集団に国政を乗っ取られるという心配だ。
悪いことに、この心配はすでに現実化している。
自民党がカルト集団公明党と手を結んでいるのが実例だ。

政教分離も民主主義も吹き飛ばす。
めちゃくちゃ政治を生み出す原因。

「無関心」

だから言いたい、こんな選挙に誰がした。

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私が大学を卒業した頃、ソニーのウォークマンのCMで、ヘッドフォンを耳に当て直立不動の姿勢で流れているであろう音楽に陶酔している「ニホンザル」の姿が話題になったことがある。
なんでもこのサルは「反省猿」で一世を風靡した猿回しのサルなのだそうだが(先日死去)、ウォークマンに聞きほれる人間じみたサルの哲学的な表情は忘れられないものがあった。

この映像を思い出すたびに、ことCMではiPodもウォークマンの敵ではないと思うのだが、時代は流れた。

ところで、猿に限らず動物を擬人化して楽しむというのは、鳥獣戯画の時代から人間不変のエンタテイメントでもある。
ウォーパールーパーにしろ、エリマキトカゲにしろ、クリオネにしろ、ナメ猫にしろ、その姿には自然不自然の違いはあるものの、擬人化された面白さがある。
動物も人間と同じ地球上の生物なので、共通点を見いだすのはたやすいが、人間は彼らのその「人間に似た」仕草や、行動を楽しんでしまうという、妙な性格を持っているのだ。

例えば。犬が人間のマネをしていることを人間は「ハハハハ」なんて笑って見ることができるが、人間が犬の物まねをしたところで犬は「ワンワンワン」と喜ばないのだ。

ということで、なんのことを言いたいのかというと、ここミャンマーのヤンゴン動物園には、人間に極めてよく似た仕草をしている熊がいたことを私は言いたいのだ。

熊というのは不思議な動物で、四つ足で歩いているかと思うと、シャケなどを捕まえて食べる時は二本の前足を手のように使って器用にむしゃむしゃとがぶり付くのだ。
その姿ははるか太古から金太郎さんのおとぎ話にもあるように、またアイヌの彫り物などにも見られるように人々に愛されてきている。

私が目撃し、衝撃を受け、しばし見とれてしまったヤンゴン動物園の熊は、金太郎さんの家来の熊さんビックリの擬人化されつくしたリアルな熊さんなのであった。
その姿があまりにリアルであったため、私は
「もしかして、人、入ってんのかいな」
と、
「動物園」
という落語を思い出したぐらいだった。

とはいえ、熊さんがシャケを捕まえて前足を器用に使ってシャケの薫製作りを実演販売したり、デカイ熊と小さな熊と園長さんが出て来て、滝口順平と名古屋弁の南利明がセリフをあてていたわけではない。(古くて分かりにくいネタであるが、分る人は分るであろう)
そんなハンナ・バーバラのアニメーションではない。

ヤンゴン動物園のクマは、熊舎にある二メートル角ぐらいの浴槽に浸かり、気持ち良さそうに入浴していたのだった。
「なに?そんなのどこが面白いの?」
とおっしゃるアナタ。
アナタには是非ともヤンゴン動物園を訪れていただきたいと思うのである。(バンコク経由でタイ航空の格安航空券が往復?60000くらいからあります=とりがらご案内)

「ウァー、見て見て」
と叫んだのは、そう、Tさんなのであった。
「なんですか」
とTさんの指さした方向を見て、私はひっくり返りそうになった。
熊が浴槽に浸かり、顔を洗ったり、持って入っている棒を持って温度を調節するかのように、かき回したりしているのだ。
しかも肩までしっかりと浸かってあたり眺める姿は、まさに「オヤジ」そのものなのだ。
浴槽に浸かっているだけの熊ならば珍しくないが、顔を洗うとは。
それに顔を洗ってはため息をつき、後ろのカベにもたれかかり、
「う~~~」
と唸っているところも、銭湯につかりに来た仕事帰りの大工の棟梁てな感じなのだ。

浴槽を独り占めしているこの熊はこの熊舎のリーダーらしく、棟梁という喚び方にいささかの間違いもないように思えた。

カバと戯れ、象と遊び、そして「ひょっとして、着ぐるみ?」と思えそうな熊を観察できたことに、私は200パーセント満足していた。
さすが開園100周年のヤンゴン動物園なのであった。

つづく



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「従姉だよ」
とジョジョは言った。

なかなかな美人はジョジョの従姉で名前をリンダと言った。
一瞬頭の中で山本リンダが浮んだのは私がオッサンであることを暗に示していると言えなくはないが、リンダといっても、
「リンダ、困っちゃう~」
という、あのイライラさせる雰囲気ではなく落ち着いた感じの本当の美人なのであった。

リンダは食卓に着くと、なにやらインゲン豆のようなものの皮をチマチマと剥きはじめた。
彼女はとても詐欺団の一味とは思えないので、私はすこしばかり安心感を取り戻していた。

しかし、その安心感も長続きはしなかった。
ジョジョのオヤジさんとやらと話しはじめると、「詐欺団」とは思わないまでも、いったいこの人たちは何者なんだという思いに駆られはじめたのであった。

「すいませんね。女房が、つまりジョジョの母親が今入院中で、あまりおもてなしができなくて」
とジョジョのオヤジさんは話しはじめた。
「実は私はカジノのディーラーをやってましてね。あなた、タイの国境近くのマレーシアやカンボジアにはカジノがあることをご存知ですか?」
「いいえ」
「私は去年までマレーシアのカジノで働いていたんですが、今は国境に近いカンボジアのカジノで働いているんです」
「........そんなところにカジノがあるんですか?」
「そうです」
「知らなかった」
「知っている人も多いんですが、知らない人は知りません。」
当たり前やがな、と思いながら話を聞き続けた。
「若い頃マカオでカジノについて学びましてね。リンダは今、香港に住んでいるんです」
と、少しばかり話題をリンダに向けた。

リンダはインゲン豆のようなものの皮を剥きながら、
「そうなの。でも母さんが入院したでしょう。だから今、一時帰国しているのよ。」
ということらしい。
いかにも、尤もなセリフなのであった。
一方、ジョジョはと言えば、一人がけの木製椅子に座って微笑みながら自分のオヤジさんが私に話す姿を見つめている。

それにしても妙だ。
カンボジアのタイ国境近くにカジノなんてあるのだろうか。
だいたい、カンボジアのタイ国境近くといえば、つい数年前までポルポト派として有名な紅いクメールの残党が出没していて、危なくて一人で旅行もできないところであったはずだ。
地雷は埋まっているし、毛沢東主義者はいるし、てな場所なのである。
今でこそ、2泊3日の自動車で行くアンコールワットツアーなんていうのが、バンコク在住日本人向けに販売されていたりするのだが、今でも状況によっては国境が封鎖され飛行機でないと訪問できないような場所のはずだ。

「カンボジア人はバカね」
とコソッと言ったのは私のタイ語の先生であった。
もちろん彼はタイ人である。
タイとカンボジアは決して仲は良くないのだ。
タイ人はもともと中国雲南省から流れてきた民族で八世紀から十世紀にはカンボジア人の使用人をつとめていた。
ところがタイ人のほうが優秀だったのか、やがて十一世紀あたりから使用人たるタイ人がこの地域を統治するようになって現在に至っている。

ちょっと話しがそれてしまったが、国境辺りにはまだ難民キャンプなんかもあったりして便利な場所ではないだろう。
難民キャンプの隣にカジノがあるなんて想像できない。

そんな私の疑問など、どこ吹く風。
ジョジョのオヤジさんの話はますますエスカレートしていくのであった。

つづく

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「私もペコちゃんポコちゃんの大好きな世代なんですよ」
と不二家のミルキーを配りながら、いけしゃあしゃあと笑顔で述べたのはテレビタレントのみのもんた。

さすが度重なる談合処分で有名な神奈川県の水道メーター業者社長だけのことはある。

反社会的な行動は、本業のほうで経験済み。
一民間企業の不祥事につけ込んで「ねつ造報道」もなんのその、といったところか。

ところで、みのもんたが何故にこうもテレビの司会者として登場するのかよく分らない。
とりわけ私のような関西人には摩訶不思議な現象なのだ。

やしきたかじんのように毒舌が得意だが、笑えない。
浜村純のように軽快な話術ができるわけでもない。
キダタロウのように、なにか特殊な技術(作曲など)があって、なおかつ愉快な存在でもない。
角淳一のように放送局の「えらいさん」でもない。
ヒロ寺原のような爽やかさもない。

考えてみれば見るほど、このキャラのどこが良くてテレビに出ているのか分らない存在だ。

善人かといえばそうではなく、談合を繰り返し国民に迷惑をかけ続けるような会社の社長であるわけだし、その談合事件を一度たりとも謝罪したことはまったくない。
「私は単なる名義上の社長です」
なんて嘯く御仁だ。
正義漢ぶって「正論に似たこと」をテレビでわめくが、MBSの近藤光史ほどの筋も通っていない。

「東京やから、出演しつづけるんですかね」
と若い知人はぽつりと言った。
それはいかにも東京の芸人さんに失礼だ。

しかし、ペコポコちゃんが大好きだと宣いながら、ねつ造報道疑惑をウヤムヤにしようとする、その悪巧み。
まるで詐欺師、チンピラ、恐喝屋の仲間と同じじゃないか。

似非人気タレントみのもんた。
不二家健全化を目指すようにテレビ放送健全化を目指すなら、こんな反社会的タレントは放逐するのが妥当だと民放連は考えないのか。

「好きなんです」なんて言われたペコちゃんポコちゃんも、きっとそう思っているに違いない。

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ジョジョが「オヤジだよ」と紹介した男は気さくで大らかな感じのオッサンだった。
しかし今考えてみると、このオッサンこそがトランプ詐欺団の首謀者だったんじゃないかと思われる。
なぜなら、このオッサンの一言一句を中心にジョジョをはじめ一味のメンバーが忠実に動いていたからだった。

忠実に動いていたと言っても、それはヤクザの親分の言いつけを守る子分というよりも、演出家の指示に従って予定された演技をこなす役者たちとの関係に似ていた。
オヤジは浅利慶太(劇団四季の創立者であり、石原都知事の友達で有名な個性濃い有名人)と似ていなくもなかったのだ。
そう、まさにこの家の中は一つの舞台。
私というカモを騙すために準備された舞台装置だったのだ。

だがこの時の私は未だ、この家の中でやがて繰り広げられるであろう「詐欺の舞台」というよりも「吉本新喜劇の舞台」と呼べそうな奇々怪々な世界が展開されることに、ほとんど気付いていなかった。
気付くはずがない。
私はジョジョの言うことを、まだまだ話し半分とは言いながら信じていたのだ。

「どちらからいらっしゃいました」

とジョジョのオヤジさんはソファーに腰掛けながら親しげに話しかけてきた。

「日本からです」
「日本?東京ですか」
「いいえ。大阪です」
「お仕事でこちらへ」
「ええ、まあ」

本当は遊びなのであったが、私は「仕事ですか、遊びですか」と訊かれると、ここバンコクでは曖昧に答えることが習慣になっているのだった。
というのも、有名観光地であろうが、繁華街であろうが、飲み屋であろうが、「旅行者」と「居住者」との扱いが、バンコクでは異なることに気付いていたからだ。
それはどちらで答えれば良い、というような問題ではない。
時と場合によって「旅行者」のほうが有利であることがあり、また「居住者」であるほうが有利であることもある。

コツは「イチゲンさん」を装った方が良い場合は旅行者を名乗り、ここバンコクに自分を保護してくれている、たとえば「会社」や「学校」といった社会要素が存在しているのだ、とほのめかしたりしたほうが良い場合は居住者を装うのだ。

たとえば、買い物をする場合は居住者を装う方が得策だ。
居住者だということを暗に示すことにより、異常に高値で売りつけられたり、まがい物を攫まされたりする心配が少なくなるし、ちゃんとした店ではリピーターと見込んで旅行者より丁寧な扱いをされる場合が多い。
一方、屋台やナイトバザールで店主と会話ゲームを楽しみたいと思った場合は、旅行者であることを主張した方が面白いことが多い。
これは居住者の場合と反対で、現地の事情をなにも知らない者との扱いを受け、相手がふっかけてくるところや、お土産物として大量に売りつけようとしているところなどをゲーム感覚で楽しめることに加え、フーゾク関係の呼び込みなんかとあれやこれや値段の交渉を試みたうえ「高いよ」と言って断るまでの、冷やかしとしての楽しさを味わうこともできるのだ。

私は以前、観光ナイトバザールで名高い「パッポン」で暇つぶしに屋台を冷やかして歩いているうちに、習ったばかりのタイ語を使いたくなり、思わず、
「高いよ。もっと安くして。」
とタイ語で言ったところ、
「あなたタイ語できる。ダメね」
と相手にされなくなった経験がある。
ともかく観光地では観光客であることを主張しなければ楽しめないということを経験した貴重な体験であった。

以上、余談。

ジョジョのオヤジさんとの会話の中で、あえて曖昧に答えたのは妙な雰囲気が漂っていたことと、昨日、ジョジョにも「私はこれから学校へ行くところだ」と説明していたことにもよる。
「学校へ行く格好をしてる者」が短期の旅行者である確率は、低い。

しかし、ジョジョは私を観光客のカモと踏んで招いているわけだから、油断は大敵だった。
でも私は油断していた。

「あら、いらっしゃい」
と、新たに奥から現れて登場人物に加わったのは、さらなる油断の原因になりそうな、結構美人の20代後半と思える女性だった。

つづく

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この国、つまり米国では個人が銃を所持することは憲法に定められている権利ということで、これを是正しようとか、これに規制をかけようとかといった論議は生まれては打ち消され、また生まれては打ち消されるという堂々巡りが繰り返されている。

ヴァージニア工科大学で発生した韓国人留学生による大学襲撃事件は、再びこの国の銃社会という異常な側面を露呈させた。

しかし、今回の犯人が米国人にとって外国人の韓国人であったことから銃規制に関わる運動は活性化しないのではないか、とも思われるのだ。
むしろ外国人による犯罪であるからこそ、一般市民の銃によって武装しなければならない、などという議論が沸き起こる危険性すら存在する。
米国は自らを守るためなら手段を選ばないという性格を有するからだ。

例えば、今回の事件は、とらえようによれば、米国内で航空機を乗っ取りWTCビルへ突っ込んだイスラム原理主義者と同類だと受け取られる。

犯人の韓国人留学生は航空機の代わりに拳銃を入手して、WTCビルの代わりに自分が通う大学を攻撃した、ということになるからだ。
しかも、攻撃の動機も個人的なもの。
イスラム原理主義者は自己の信条に合致しないアメリカ合衆国という存在に対する攻撃であり、韓国人留学生は極めて個人的な理由により、気に入らない大学の関係者への無差別攻撃であった。
一部で報道されているように韓国人留学生は大学の学生や関係者を一列に並ばせ、一人づつ処刑していったというのだから、まさにテロルの形式ということができるだろう。

韓国にとっても今回の事件はショックであったはずだ。
米国ではアジア人は日本人を筆頭に優秀な人種であることが暗に認められているが、実際のところ日本人以外の例えば中国人や韓国人という米国にとって政治的、経済的、軍事的に敵性要素の強い国の出身者についてはビザ発給の規制をかけているという話も耳にする。
実際、先日私が訪問したシカゴでも「中国人などの入国は様々な理由を付けて規制されているんです」との説明がコンベンションの関係者が語っていた。

この事件を契機に銃規制を実施するのであれば理解できるが、そういうことにはならないだろう。
むしろアジアからの人の流れを規制する運動が起こりかねない危険性がある。

我が国のように銃規制を徹底的に行っている国でも、昨夜のような事件(長崎市長銃殺事件)が発生する。

銃規制阻止のためにヴァージニアの事件で報復攻撃を受けるのは一体誰か?
米国の今後が注目される。

なお、昨日付けの読売新聞夕刊の「銃器犯罪被害、日本では減少傾向」という記事は笑わせる。


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