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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



いよいよ大晦日。
その昔、大坂の商家では一年無事に終わり台帳が一冊づつ増えることを「大福帳が汚れて行きます」と言ったそうな。
この知識、落語から入手したまことに怪しい信憑性に欠ける情報なので、正しいかどうかはわからない。
しかし、商人たるもの大福帳が一冊一冊増えていくことはそれだけ商いが繁盛している証拠なので「汚れる」といっても良い意味には違いない。

現代のビジネスマンは大福帳なんぞは使わない。
大福帳の代わりにコンピュータのシステムが備わっていて、売り買いから経理関係まで、様々なシーンで活躍している。
伝票も手で書き入れるところはかなり少なく、キーボードで入力してプリンターで印字というのが一般的な光景だ。

しかし、今も手書きが一番だと思えるのは「ビジネスダイヤリー」。
電子手帳や小型のノートパソコンなんかを利用する人も少なくないが、私は手書きの手帳が一番使いやすいと思っている。

このビジネスダイヤリー。
つまり手帳は毎年11月ごろから発売されるが、共通しているのは値段が高いこと。
中には千円以下のリーズナブルも少しはあるものの、大多数が千円、時には二千円、三千円以上の高価なものばかりだ。

手帳の内容は日付は毎年異なるが、後はだいたい同じ。
単位の換算表がついていたり、事項の挨拶例文がついていたり、各地の市外局番リストが載っていたり、東京や大阪の地下鉄マップがついていたりする。
地図は毎年少しづつ変わるかも知れないが、他は対して変わるところはないはずで、住所、方眼紙、白紙のページに至っては毎年同じで問題ない。

だいたいが100ページから200ページの小さなサイズだが、これが1480円や1800円、2280円なんかもする。
これが私には納得いかない。

単行本は手帳のサイズと似たり寄ったりだが、ページ数が300ページほどあっても発行部数の多いものは価格が
2000円以下。
文庫本に至っては1000以下が一般的だ。
文庫本と比べて格段にページの少ない手帳が1480円。

この高い価格にいつも疑問を感じ、購入するのが遅くなってしまうのだ。

ということで、今年は先月訪問したミャンマーのヤンゴンにあるシティーマートいうスーパーマーケットでビジネスダイヤリーを購入した。
東京や大阪の地下鉄地図はもちろん付いていない。
印刷されている市外局番はもちろんヤンゴン、マンダレー、タチレイ、などのミャンマー各都市。
でも、サイズは日本のダイヤリーと余り変わらず値段はたったの850チャット。
日本円で85円。

「あなた、ホントに始末屋ね」
と言われてしまいそうだが、始末する姿勢にこそ、ビジネスの本領がある。
大坂商人は節約できるところは思いっきり節約するが、使うところは惜しまず負けずにサッパリと支払う。
これが江戸期から昭和初期までの政治に頼らない商都大阪を築きあげた。

現代大福帳のビジネスダイヤリーは高価なだけで、私はちっともフィロソフィを感じないのは大阪人の遺伝子の成せる技か。

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まず、お断りとして、例によって「本年度書籍ベストワン」と言っても「今年読んだ本のベストワン」なので、古本も含まれる。
毎年、書籍は主に通勤途中に電車の中で読むことを日課にしていたが、昨年の10月に本社勤務になってからというもの自動車通勤になってしまっため、通勤時に本を読むことができなくなってしまった。

自動車通勤は環境に優しくないばかりか楽しい読書の時間も奪ったわけで、転勤の罪は限りなく深い。

とはいえ、ほとんど週1に近かった主に首都圏を中心とする出張時に新幹線や飛行機の中で読書をすることができた。
このため最終的には昨年までの冊数には遠く及ばなかったもののマンガや雑誌を除いて50冊ほどを読了することができた。

読むのは相変わらずノンフィクションが中心だ。

小説の類いで楽しめることが少なくなってきており、これは映画の分野でもその傾向があらわれてきている。
「しょせん、作り話やんけ」
という気持ちがどうしても強くなってきている。
こうなってくると小説は何を読んでも面白くなく、とりわけSF関係やミステリなどは阿呆らしく読めない。
こういうフィクション作品は小説で読むよりマンガで読んだ方が楽しめるような気がしている。
「絵がついている方が簡単だ」
というような要は私自身のイマジネーション力の欠落で小説が楽しめないようになっているのかも知れないが、それとは別に上手い書き手が少なくなったことにも原因があるのではないかと思われて仕方がないこともある。

それが証拠に小説を読まないと言いながら今年の1月には「藤沢周平未刊行初期短編集」を喜々として買い求め、あっという間に読了している。
藤沢周平の小説ならば良いのか。
ということだ。

もともと大好きなジャンルであった時代小説に上手い書き手がとりわけいなくなったことが私を小説の世界から遠ざけた一番大きな原因なのかもわからない。

それはともかく、今年のベストワンを挙げるすれば、
「創造の狂気 ウォルト・ディズニー」
だろうか。
「だろうか」というのは今年読んだ書籍でとりわけ強烈な印象を残した作品はなかったからだ。
印象深い作品が少なくはなかったのだったが、「おおおおおおお~!!!!!」と感嘆符を五つも付けたくなるような作品はなかった。

この原因も、もしかするとイマジネーション力に加えて感動力も欠如してきているのが原因なのかもわからない。

でもなぜウォルト・ディズニーの伝記を選んだのかというと、成功者につきまとうある種の不幸を遠慮会釈なく描き出していたからだ。
おとぎの国の裏には狂気の世界が存在した。
よく言われるようなセリフだが、それを描き出すのがいかに難しいことか。
ホントのことを書くことは世界中、どこの国でも難しい。
とりわけそれが個人に関わることであればあるほど書くことができないのだ。

その狂気を描けるようになるまでディズニー本人の死から40年を必要とした。

裏を描くことの難しさにチャレンジしたその著者の精神にベストワンを贈る!
(と私が言ったところで、何の感動もありませんけど......)

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成田空港でのインタビュー風景。
「年末年始はどこで過ごされるんですか?」
「サイパンでサーフィンです。」
「ウィーンで音楽会です。」
「タイで遺跡巡りです。」
「ニューヨークで観劇です。」
「香港で食べ包囲です。」
なんてことは在りかも知れないが、
「パキスタンでテロ見物です。」
なんて旅行者はいないだろう。

年の瀬も迫ってきた今週になってパキスタンでテロルが発生。
ブット元首相が暗殺された。
犯人は「アルカイダ」の指令を受けた自爆テロとの見方が出てきたが、ここで感心するのは「アルカイダはなんて悪賢いんだ」ということと、パキスタンの人たちは「なんて素朴なんだ」ということだ。
素朴過ぎてきっと暴力を解決する方法には暴力しか思い浮かばないのだろう。
したがって感情にまかせてテロルとは関係のない人々に襲いかかったり、商店を焼き打ちしたり、略奪したりするのかもわからない。

イスラム文化に影響されている国々には「平和」というその意味からはほど遠い考え方の人々が少なくない。
マレーシアやインドネシアのような穏健なイスラム国もあるにはあるが、最近の世界情勢をテレビで見ていると、こういう大人しいイスラム国はもしかすると例外なのではないかとさえ思えてくる。
大多数の人々はもちろん暴力なんか望んでいるはずもないだろうが、かなりの数の暴徒が発生し、テロに対する復讐と称してあちらこちら無差別に襲いかかっているに違いない。

外務省の海外危険情報を確認してみたら多くの地域に「渡航しないでください」という警告が発せられている。
この外務省が発表する危険情報ほどいいかげんなものはないことは、先日ミャンマーの項でちょっとだけ書いたことがある。
危険でなくても、現地大使館員の「面倒な仕事を増やさないでくれ」という前向きな考え方により邦人の渡航を規制する傾向があると思われる。
だから実際に訪れてみると拍子抜けすることになってしまう。
むしろなんら危険情報の発せられていないアメリカ合衆国なんかを訪れて都市部の治安の悪さに「ドラマとちゃうやん」となってしまうのだ。

ただ今回のパキスタンは危険情報も本当に違いない。
パキスタンは地続きでアフガニスタンとイランに隣接しており、騒動で暴れているのがパキスタン人ではなく例えばアフガニスタンから流れてきたタリバンのメンバーなのかもわからず、さらにイランから流れてきたイスラム原理主義者かもわからないからだ。

このようなパキスタンの本当の危険性は、暴動ではなく「核の管理」。

簡単に元首相を自爆攻撃で殺害し、
簡単にそれを理由に暴動に走り、
簡単にタリバンや原理主義者が国境を越えて入国できるパキスタン。

日本のテレビや新聞はこの国が核保有国であることを忘れているのか、おめでたいことに、
「1月8日の選挙の開催が危ぶまれています」
などと言っている。
これは麻薬の密輸、国境の島の占領、軍用船の無断越境などは繰り返され誘拐されたり財産を奪われる国民が出ても、
「憲法九条を守りましょう」
などと言っている「おめでたい」人たちに似ている。
あ、そういえば見ていたのはABCニュースかANNニュースだったかもわからない。

そこで日本人ジャーナリストの皆さんに告ぐ。
年末年始はパキスタンへ。
現地の核の管理に関する取材を実施せよ。
世界の安全が脅かされているこの時期に成田や関空で「のほほ~ん旅行」に出発する「ぽよよ~んな人々」を取材しているばやいではない。

なお、「年末年始はパキスタンへ」のタイトルを読んで、
「おお~、○○さん。この年末年始はカラチにでも行きはるんか......変わった人やの~」
と思った常連読者の方々。
いくら私でも、今のパキスタンに物見遊山にはいきません。
はい。

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いよいよ暮れも押し迫ってきたので、今年見た映画の中からベストファイブを選ぼうと思ったら、今年はなんと18本しか映画を見ていないことが分かりがく然とした。

この原因は仕事が忙し過ぎたことと、勤務地が臨海工業地帯に移ったためと予想できる。
これまでの勤務地は大阪難波だったので、
「仕事の帰りにちょっと一本」
というのも簡単なのであったが、臨海工業地帯近くにあるシネコンでは私の見たくなるような映画はめったに上映されず、すっかり映画館から足が遠のいてしまったのだ。

「1年間に18本も見て遠のいたはないだろう」
とおっしゃる向きも在りかも知れないが、例年1年間に30本は見るように心がけている私としては、かなり少ない年となってしまった。
18本となるとベスト5を選ぶのは困難なので、今年はベストワンだけをあげてみたいと思う。

結論から言うと「ドリームガールズ」を選びたい。

この映画よくできていた。
ビヨンセ・ノウルズの美しさ。
ジェニファー・ハドソンの歌唱力。
エディ・マーフィのシリアスな芸達者ぶり。
どれをとってもナンバーワンだ。

この映画を見た後、シカゴへ行った。
往復の飛行機の機内ではiPodでこの映画のサントラを聞いていた。
そしてシカゴのホテルでアカデミー賞の授賞式をテレビで見ていたら地元出身のジェニファー・ハドソンが助演女優賞を獲得。
翌日、街角で売られている新聞にはジェニファーの笑顔が輝いてた。

いろんな意味で印象的な映画だったので、これを一番に選びたい。

しかし、実際一番楽しんだ映画といえば、正直この映画ではなかったような気もする。
で、何が一番楽しかったかと言えば、なんとそれは邦画だった。

「バブルへGO!」

あのバカバカしいストーリーと広末涼子のコメディアンヌぶり、そして20年前の狂ったあの時代を思い出させてくれてメチャクチャ楽しめた映画だった。
考えてみれば「ドリームガールズ」も「バブルへGO!」もDVDを買ったが、前者は一回しか見ていないのに比べて、後者は3回以上も観賞しているのだ。

映画は楽しければそれでよい。
また楽しくなければ映画じゃない。

来年は、どんな映画と出会えるんでしょうか。

(来年期待の映画)
・WALL E
・Indiana Jones 4
その他はあまり知らない。

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スタートレック・オリジナルシリーズのエピソード「宇宙の怪!怒りを食う(DAY OF THE DOVE)」は1960年代としては秀逸なエピソードだ。
物語の骨子がスタートレック定番の「謎の生命が現る」という形式のエピソードなのだが、そこに登場した生命体の種類がいかしていた。

「怒りの感情を養分に活動する生命体」

異星人といえばタコ型宇宙人のような「いかにも」というのが主力だった60年代のSF界では画期的なアイデアで、感情をエネルギーとするというコンセプトが哲学的で斬新だった。

ところで、昨今の日本にはこの「怒りを食う生命体」が寄生しているとしか思えない事象がありすぎる。

たとえば殺人事件。
ちょっとしたことがきっかけで簡単に人を殺してしまう。
通りがかりに刺される。
駅のホームから突き落とされる。
散弾銃を無差別にぶっ放す。
生き埋めにする。
子が親を殺める。
また親が子を殺める。

普通なら考えられないような残酷な事件の連続だ。

犯罪は怒りの感情が発端になることが多いという。
怒りのエネルギーに支配されるとそれを吐き出さなければ納得できないような状態になったとき、なんでもない人が殺人に走るなんてことが少なくないのだろう。

同じように怒りに支配されていると思われるのがインターネットの書き込みだ。

2チャンネルに多数見られる暴言はその代表。
怒りというより単に品がないだけといえないこともないが、ともかく吐き捨て型の書き込みだは読んでいてちっとも面白くないのが特長だ。

この手の書き込みは価格ドットコムのクチコミ欄やアマゾンドットコムの評価欄にも多く見られる。
こっちは2チャンネルと異なり理屈が添えられ、最後に吐き捨て言葉が添えられるのがお決まり。

読むと、
「なんの恨みがあるのか?理解できない」
というような首を傾げたくなる書き込みや、
「どうして上から物を見たような言い方しかできないのだろう?書いてるあんた、そんなに偉いの?」
「何を言っているのか判らない」
などという書き込みがすくなくない。

こういうクチコミや批評欄については書き込み数の極端に多い投稿者ほど大上段から物を言う傾向が強く、
「?」
は点るものの、
「参考になる」
なんてことはほとんどない。

もしかするとそういう人たちは実生活に切実な問題を抱えているのかもしれないが、ジョークも交えず怒りにだけに任せるのは、それこそ謎の生命体の思う壺というものだ。
(もし、そういう生命体が実存すればの話ですが)

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「歯形の付いた豚のからあげ」

食べかけの機内食をサーブしたJALウェイズの記事を昨日の読売新聞Web版で見つけたとき、「さもありなん」と思った人は少なくないはず。
機内食で誰かの食べ残しが供されることは、「もしかして」といつも想像しているちょっとした心配事であった。

国際線のヒコーキ旅行、といってもその実私たちの利用する貧民クラス、もといエコノミークラスの食事はトレイに乗せられ規格化された物体である。
その物体が配られる様子はまるで「○○にエサを与える朝の牧場の風景」といった観でさえある。

菜食主義者や宗教的理由から特定の食材を口にできない人たちは優先的に特別食が配られて「食べ残し」が配られる心配は一般客に比べて少ないと思われる。
一方、2種類ほどしかないエコノミークラス向け食事は眠っていたりして最初の配布作業が終わってから受け取るときは注意が必要だ。
何が供されるかわかったもんじゃないからだ。

3年ほど目にシンガポール航空を利用した時に出てきた機内食はそういう意味で危険レベル一歩手前の食事だった。

バンコクから関空に向かう機内は満席で、私の席は位置的に食事の配布が一番最後になる場所であった。
こういう場合、メニューを選べないことが多い。
シンガポール航空はサービス面ではいつもトップクラスの得点を獲得している人気エアライン。
エコノミークラスの食事であっても搭乗後すぐにメニューが書かれたレジメが配られホテルの高級料理を連想させる演出になっている。
メニューはたいてい2種類だ。
キャビンアテンダントがワゴンを押してきてサーブされるときにリクエストする。
その実、運賃が安かったりする「格安航空会社」的側面もなきしにもあらずのエアラインで、コストはぎりぎりに切り詰められているようだ。

このとき、私は一番最後の方なので料理の種類をリクエストすることをあきらめていた。
2つあるどちらかの食事が供されるだろうと待っていた私に料理が運ばれてくる気配は一向にない。

「どうしたんだろう?」

と空かした腹で待っていたら、キャビンアテンダントが食事のトレイを提げてやってきた。
「Sorry...」
ニッコリ微笑みながら私の前のテーブルに置いた食事はスペシャルメニューだった。
どうスペシャルなのかというと2つのメニューを組み合わせた「スペシャル」メニューなのであった。

「何?これ?」

という表情の私に彼女は言った。

「すみません。食事が足りなくて、申し訳ないんですけどスペシャルミールにさせていただきました(ニコッ)」。

旅の話のネタにこういうパターンは大歓迎なのだが、食べる前に誰かの食べ残しが混ざってないかチェックしたのは言うまでもない。

ともかく飛行機旅行が特別な時代でなくなったわけだから、凝った食事など出さずに「駅弁」「コンビニ弁当」「おにぎり」程度で十分だからもっと効率的で安心のできる食事を機内食にしていただきたいものだ。

それにしてもJALグループ。
日本のフラッグキャリアなんだから、仕事に誇りを持ってもっとしっかりできんものか。

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早いもので先月のミャンマー旅行から早一ヶ月か経過した。

写真のゴールデンロックへは3回目の訪問だったが、実は3回目にして初めて好天のゴールデンロックを拝むことが出来たのだ。

思い起こせば、初めてゴールデンロックのあるチャイティーヨーパゴダへ訪問したのは2004年5月だった。
期待に胸を弾ませて参拝したのだったが、雨期の始まりということもあり周囲は濃い霧に包まれていた。
時折雨も降り、麓のキンプン村からのバスも本数がほとんどなく、2時間近く待ったうえ、やっとのことでたどり着いたゴールデンロックも手で触れることの出来るような距離に近づかなければ見えないような悪天候であった。

2回目の訪問は今年の4月。
ゴールデンウィーク中のことであった。
「雨期の前に行ったら大丈夫やろ」
と予想しての訪問なのであったが、予想は見事に外れて豪雨なのであった。
上り下りのバスも凄惨で、カッパをまとっていても役に立たず、雨粒はズボンを通り越しパンツまでびしょ濡れになってしまったのだった。
肝心のゴールデンロックはあまりの土砂降りのために参拝を断念。
一日中パゴダの近くのホテルにこもって過ごすという、非常に残念な訪問になってしまったのであった。

で、先月。
今回はゴールデンロックへ立ち寄るつもりはまったくなかった。
なかったが帰国する前日の予定がまったくのフリーであったことと、ヤンゴンの天候がピーカン晴れだったことが重なり、急きょ参拝することを決断したのだった。

「3度目の正直」とはよく言ったもので3度目にして青空に黄金色に輝くゴールデンロックを目にした瞬間、言葉にできない感動を味わったのであった。

ところで、ガイドのTさんによるとミャンマーのクリスマスの風景の一つにゴールデンロック参拝があるのだという。
クリスマスイブの夜、ヤンゴンやバゴーのカップルたちはチャイティーヨーパゴダのゴールデンロックを参拝し、旭日を眺めブッダに祈るということだ。
したがってクリスマスのゴールデンロックは参拝客で超満員。

こういうある意味宗教にルーズなところも日本とミャンマーの共通点なのかもわからない。

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新聞記事の「Macのシェア倍増」「MacのシェアがSony VAIOを抜く」などの見出しにつられたわけではないが、昨日、MacOS X10.5 Leopardを買い求めた。
ヤマダ電機のポイントがかなりたまっていたので数千円で買い求めることができたのだ。
めでたし、めでたし。

もともと私は新しいOSは発売から半年ほど経過して購入することをモットーとしてる。
新しいものが出たからと言ってすぐに飛びつかないことにしているのだ。
というのも、私はデザイナーでもないくせに仕事でMacを多用していることもあり、新OSをインストールすることで仕事に利用しているソフトが使えなくなる恐れがあるからだ。

以前、MacOSが9からXに変わったときに、使用していたエプソン社製のプリンターがしばらく使えなくなるトラブルがあり大いに困惑したことがある。
また一部のソフトは新OSの登場にバージョンアップがリアルタイムでついていけない。
こういうソフトに限って頻繁に使うので、これも困ることになる。

そこで今回も、
「年が変わってから、買うことにしょ」
と思っていたのだったが、頻繁に使用するソフト(正月にもこのソフトを使って仕事をしなければならないスケジュールなのだ)がこの春にバージョンアップしてから正常に作動しないということがあり、
「もしかしたら、新OSをインストールしたら正常に動くかもわからない」
という行き当たりばったりの予想で購入したのだった。

結果は「Good!」。

新OSが発売される前にバージョンアップしたソフトが旧OSでは正常に作動せず、新OSではトラブル皆無で作動する。
まったくもって訳がわからないが、新OSを買って正解であった。

ところで新OS「Leopard」をインストールしたら、iMacがすこぶる元気になったので報告したい。

まず、Mail、Safariなどインターネット関連のソフトはもちろん、iTunes、iPhoto、iWorkなどのApple純正ソフトの起動スピードと表示速度がメチャクチャ早くなった。
また新機能の一つ、ダウンロードしたデータを自動的に整理してくれる機能でデスクトップはいつも清潔。
ごちゃごちゃしにくい。
前述のトラブルだらけのサードパーティのソフトウェアも表示速度が速くなり快適になった。

話題のタイムマシーンはやたらとHDのメモリを食うのが問題だが、なかなかユニークな機能ではある。

ということで、今回各メーカーはMacの新OSに素早く対応してくれたので私も早くより安心で快適な新OSを買うことが出来た。

なお、本OSの最大の魅力の一つ「価格がMacOSの2倍以上のWindows」が使えるという機能は当分要らない。



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「マット・キーオ身柄拘束」

AP電によると我が阪神タイガースの元選手マット・キーオが度重なる飲酒騒動のために身柄拘束されたそうだ。
なんたることであろう。

本人の便によると、いやちゃう、本人の弁によると、
「92年のキャンプ中に受けたデッドボールが原因で酒飲みになった」
ということらしいが、デッドボールでアルコール中毒になるなんて考えにくい。
そんなことが原因でアル中になるのであれば、野球選手はそこら中、アル中だらけということになる。

それにしてもキーオは「阪神冬の時代」における様々な助っ人のなかでも比較的「まとも」な選手だったように記憶する。
最悪はなんといっても、
「神のお告げ」
で帰国したグリーンウェルだったのは言うまでもないが、例えば現米国スカウト担当のトーマス・オマリーも選手としてはなかなかであったが、自らが吹き込んだCD「六甲颪」は史上最低の六甲颪でその歌唱力は大場久美子も浅田美代子もビックリと言うものであった。

かなり話がそれてしまったが、ともかくマット・キーオ。
52歳。
早くまっとうになっていただきたものだ。

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「安田弁護士に不備はない」

東京弁護士会の出した結論は社会を舐めきったものだった。

昨年、山口県光市の母子殺人事件の最高裁弁論を被告担当の安田弁護士が欠席。
審議ができなかった。
これに対して原告の本村氏が提出していた懲戒請求に対する第2東京弁護士会の回答が「お咎めなし」。

日本はここまで腐っていたのかと嘆きたくなるような結論だ。

弁護士会は知らない間に「人権派」と呼ばれる一般常識とはかけ離れた感覚の持ち主で構成されるようになった。
確かに、弁護士は被告原告の如何に関わらず依頼人に有利な条件へ運んで行くのが職務だろう。
しかし、だからといってルールを破り、モラルを無視し、礼を失するということも許されるのだろうか。
これでは先日のアジア野球で慣例ルールを破って知らぬ顔を決め込んだ韓国チームと同じではないか。

歴史上まれに見ぬ残虐犯罪を犯した元少年という大人。
それを「無実」とばかりに手段を選ばない手法で裁判をかき回す人の弁護士たち。
正義を振るえず、社会常識に則った判断も下せない弁護士会。
この国はいったいどこへ行くのか心配になってくる。

弁護士たちは一旦弁護士免許を取得できれば、よっぽどなことがない限り免許剥奪の心配がないと思い込んでいるのではないだろうか。
「ケッ、オレたちゃクビにはされないぜ」
て、ところだ。
この自信満々の構図は今話題の守屋元事務次官と山田洋行元専務宮崎某とが起こした事件に酷似している。
「おれは防衛省の重鎮で、権力者。逆らうヤツなどいやしない」
「オレは武器商人の山田洋行専務。オレの売上げを考えれば会社もクビにできないぜ」
などといった自信がまれに見ぬ汚職事件へと発展した。

「オレたちゃ弁護士。いったい誰が裁く権利を持ってるんだ。ケッ!」
という人たちの未来が明るくないことを祈るばかりだ。

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