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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



物凄い映画だ。
まず、パンフレットが一冊千円もするのだ。
私の記憶する限り、一冊千円のパンフレットはほとんど初めてではないかと思われる。
A4横サイズのパンフレットは他の映画のパンフレットの倍はあるので、その厚みを考慮すると一ページ当たりのコストパフォーマンスはスターウォーズ・エピソード3などと比べると良いのかも知れない。

どうしてこんなに厚いのかとページを捲ってみると、なんとシナリオが掲載されているではないか。
シナリオだけを別に発売しても、映画を見た後ではとても観客に買っていただけないのではと予想した配給会社は偉い。
だからシナリオもついでに掲載してパンフレットを普通よりも高い価格で売りつけようとしたのだろう。
その判断は正しい、と言わなければならない。
なにしろ、物凄い駄作なのだから。(赤影よりはマシです)

鳴り物入りで公開された「亡国のイージス」を観賞して、とても後悔した、というしょーもないシャレをいっている場合ではないが、ともかく中途半端に期待外れだったのだ。
映像は確かに目を見張るものがあった。
この撮影に全面協力した海上自衛隊、航空自衛隊の実物の護衛艦や戦闘機が登場してくるのだから、愛国者の私としては胸ワクワク。
とりわけ世界三大海軍に列する我が海上自衛隊の装備は素晴らしく、まるで雑誌「丸」のグラビアページを眺めているような感覚なのであった。(実際の私はそこまでミリタリーオタクではない)
しかし、肝心の映画といえば、物語が不自然であり演出は拙劣で盛り上がりに欠けるものだった。
一番悲しいのは一人一人の役者が精力的に熱演しているにも関わらず、映画の語り方が下手くそなためにすべてが台無しになっていることだった。

阪本順治という人の作品を鑑賞するのは今回が初めてだったが、他の作品は出来はどうなのだろうか。
パンフレットによると「日本映画の実力派」だそうだが、この程度が実力派なのだったら、日本映画は潰れて無くなってしまった方がマシであろう。
監督というのは出演者の魅力を引き出し、映像の魅力を引き出し、音楽の魅力を引き出して、観客にその世界を堪能してもらわなければ、その存在に意味はない。

また、原作を読んでいないので原作者を酷評するのは控えたいが、これも映画のおもしろなさの一因かもしれない。
この春に公開された「ローレライ」と同じ作者ということで、さもありなんである。
本人はドキュメンタリー調に仕上げているつもりかも知れないが、ウソが多すぎて楽しめないのが本作も共通している。
たまたま今、中国の報道プロパガンダに関する本を読んでいて、「中共の報道は、若干の真実を入れて残りをウソで固める。そうすると何が本当であるのかが分らなくなる」というような趣旨のことが書かれていたのを目にしたが、本作は「若干のウソを入れているために、残りの本当もウソに見えて馬鹿馬鹿しくなる」という作品だった。

なぜ「某国」という言い方を「北朝鮮」だとか「支那」だとか言わないのか。
なぜ「自分の息子が殺害されたという理由」だけで優秀な自衛官が簡単に「国を裏切る」のか。
なぜ「某国(北朝鮮)の苦しみ」を主張して「日本は滅びるべきだ」となってしまうのか。
そしてなぜ、人の人生も、家族も、社会の苦悩も、説明するだけでドラマとして描かないのだ。

私の声を聴け!
監督と原作者よ。
出演者とスタッフに土下座しろ! 役者はプロだが、あんたたちは素人だ。
速やかに、ショービジネスの世界から、去れ!

ともかく、なにが一番印象に残ったかといえば、本編上映前のロン・ハワード監督の最新作「シンデレラマン」の予告編が印象に残った。

~「亡国のイージス」2005年作 日本ヘラルド映画、松竹映画、電通、産経新聞社など~

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英会話を習いはじめてかなりの年月が経つ。
その「かなりの年月」の割に自覚するほど上達していないところをみると、きっとスクールや講師の質に問題があるのだろう。
と責任を他人に押し付けたいところだが、ほんとのところ自宅学習など努力をまったくしていない私に原因があるのは言うまでもない。
なんせ出された簡単な宿題でも「仕事が忙しくてやってません」と言い訳する有り様なのだ。
これではまるで「宿題やりましたけど、やった宿題のノート忘れました(?嘉門達夫)」というアホガキ小学生と同じなので、あまり考えないように努めている。
それはともかく、今週、大阪市内にある英会話カフェなる「英会話スクール」へ行ってみた。
もちろん私が通っているレギュラーなスクールとは別物だ。

この日、たまたま仕事が終ってから飲み会の約束があり、待ち合わせの時刻まで三時間近くを潰さねばならなかったので、何年か前にインターネットで見つけて興味を持ち続けていた英会話カフェへ行ってみようと思ったのだった。

「スクールで習う必要などありません」といのがこのカフェのキャッチフレーズのようだったが、正直がっかりした。
どうがっかりしたかというと、
1.一つの大きな部屋で複数グループがバカでかい声で話すので、良く聞き取れないし、騒々しい。なんせ日本語さえ聞き取れない。
2.レベルが初級、中級、上級の三つ程度しかなく、試しに中級グループに入ったら時制の基本がわかっとらんようなオバハンと一緒にレッスンを受けるはめになった。
3.だからといって上級グループへ行ってみると、なれ合い同士が集団を形成していて、トピックが内輪ネタに終始してまったく面白くない。
4.おまけに「自分は英会話の上手なエリートなんだ」と勘違いしている抜け作が数人存在した。
5.講師の質はNOVAほど悪くないが、私の通っている英会話スクールには遠く及ばない。
などなど。

フリーでたくさん話せるのかな、と思っていたが、実際には人数が多くて話す機会はあまりなかった。
まさか隣に座った日本人に英語で話しかけるわけにはいかないし、それになんとなく不自然だ。
日本人同士で英語で会話している奇特な人がいたが、用法や単語が間違っていても講師は訂正しないから、まったく正常に上達しないのではなかろうか。

ま、時間潰しにはちょうど良いか、と思ってカフェからの去り際に初級者グループに耳を傾けてみると、30才ぐらいのオタク風のお兄さんが、
「ローング!ローング!ハーリー!ハーリー!」
と叫んでいた。
どうやら高速道路を走って何処かに行ってきた話をしているらしいが............これでは土人だ。

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学生鞄に「キティーちゃん」や「ばつまる」といったサンリオのキャラクター人形。はたまたクマやウサギに正体不明のマスコットをぶら下げる。
バンコクの街角や電車、バスの中で見かけるタイの女子高生のファッションだ。

初めてタイへ行った時、学生の姿が日本とあまりに似ているので驚いた。
男子生徒は白のカッターシャツに黒または紺の長ズボン。女生徒は白のブラウスかセーラー服に黒または紺のプリーツスカート。
年中暑い国なので冬服はないが、日本の夏服にそっくり同じなのだ。
どうしてこうも同じなのか、調べたことがないので分らない。

他の国はどうだろうと思い浮かぶだけ考えてみた。
ロサンゼルスに住む日系米国人の親類の近所にある高校の前を通ったことがある。ここはアホ校なのか、それともこれが一般的なのかはわからなかったが、皆私服で喧しく、おまけに柄が悪かった。
「け、あいつらヤンキーみたいやんけ」
と思って歩きながらよくよく考えてみると、彼らは本物のヤンキーであることに気がついた。
ベトナムでは男子学生は日本やタイと同じだった。でも女学生は清楚な白いアオザイで、「あ、ベトナムって........ええやん」
となってしまうし、マレーシアでは回教徒のスカーフに独特な清楚感があり、これもまたなかなかよろしい。

ところが、タイはなぜか日本と一緒。
訪タイするごとに観察すると、アクセサリーまで一緒なのにも気がついた。

先日、高架鉄道スカイトレインの車内で、一心にコミックを読みふけっている女子大生が乗っていた。
どうやら和製コミックのタイ語訳本らしい。
日本のコミックはタイではとても人気があり、ほとんどの有名コミックがタイ語に訳され出版されている。
だからこれまでバス停や車内で小学生や中学生が読んでる姿は度々目にしていた。
ところが、こんどは大学生というような結構な大人がコミックを読んでいる。
これまた日本と同じ風景なのだ。

さらにBTS車内に目を凝らしてみれば、キャラクターの描かれたショッピングバックやルーズリーフのノートブックなどを手にした大人の女の子たちが大勢いることに気がついた。

「日本人の女の子は幼児性が残っているのよ。私たちなら、ミッキーマウスの描かれた鞄なんて恥ずかしくて持てないわ。子供じゃあるまいし」
と、かつてアメリカ人の飲み友達が言っていたのを思い出す。

これまで日本人の幼児性は日本人だけのものと思っていたが、違ったようだ。
タイでのこの子供趣味な傾向は日本からの文化的輸入品なのか、それとも独自のものなのか。
わからないのが、これまた楽しい。

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アスベスト被害が世間の注目を集めている。
兵庫県尼崎のクボタとヤンマーの工場で従業員数十人と多くの周辺住民がアスベストのために死んでいた。このことが判明してから、出るわ出るわ。
あっちでアスベスト死者、こっちの建物にアスベストが混入、と大騒ぎ。

私自身もアスベストには関心がある。
なぜなら、大学を卒業した後、四年間務めた建築設備の会社でアスベストを浴びるように吸い込んでいたのではないかという疑いがあるからだ。
このとき仕事柄、天井裏に潜り込むことが多かった。
この天井裏がくせ者で、天井裏の鉄骨むき出しの部分には、アスベストらしき保温材が大量に使われていた。
ごそごそはいずり回るうちの、どうしてもヘルメットや工具類でそのアスベストらしきものと擦れてしまい、飛び散った粉塵を少なからず吸い込むことになってしまうのだ。
時として、作業服がチクチクしていたのはアスベストのせいではなかったのか、と気が気ではない。

おまけに私が担当した建築現場は有名な建物が多い。
大阪、神戸、京都にある何軒かの一流ホテルなんかはよく知っている。
神戸の港のよく見える「あの高級ホテル」の天井裏も、京都の御所に近い「あの高級ホテル」の天井裏も、大阪のお城の見える「あの高級ホテル」の天井裏も、アスベストの防火被覆で一杯だと思うのだが、誰も何一つ言わないのがとっても不思議だ。
もしかすると天井裏の空気に混じって空調機械や開口部分から、アスベストの粉塵がパラパラと飛び散っているかも知れないことは、極秘にされているというのだろうか。それとも客や従業員が発病したころは、「ケッ、ワシャその頃には関係ないからな、ヘッ!」ということなのか、よくわからない。
ともかく問題は、四年間そんなところで働いた私自身の健康に問題はないのかが、重要なのだ。

で、このアスベスト。
欧米では40年も前に「毒性が強いから禁止します」とされたものを、私たちの呑気な国ではつい10年ほど前まで「限定的(報道によると)」に使っていたというのだから、面白い。
「どうして、すぐに禁止しなかったのか」
の問いに対して、
「すぐに禁止すると業界に影響が出るからだ」
というのが大方の意見だ。
アホかこいつら。
だいたいこれって「薬害エイズ」と一緒じゃないのか。
HIV入り血液製剤を輸入して金もうけに勤しんでいた人が昔いた。
「すぐに使用中止にしたら、会社の業績に影響がでるから」
という勝手な理由で自分の地位を利用して死の血液製剤を使用し続けさせたヤツがいた。
そいつらは厚生省の役人と帝京大学の阿部教授とミドリ十字という会社だった。
この薬害エイズの問題に対して厚生省の役人はほっかむりを決め込んで、ミドリ十字は倒産して、阿部教授はあの世へ行って、逃げ散ったが、今回のアスベストに対しても、関係者は同じ方法をとるのだろうか?

今度も役人が関わっているみたいだから、きっと同じ方法をとるのだろう。
しかし、笑っている場合ではないな。

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いつかヨーロッパを旅してみたいという欲求がある
それもドイツへ行ってみたいという欲求だ。
しかしミュンヘンのオクトーバーフェスタへ行って色んなビールをたらふく飲んでみたい、という欲求ではない。
そういう夢は確かに否定できないが、私が言いたいのは鉄道を使って旅してみたいという欲求だ。

本書はそういう希望の一片をささやかながらも叶えてくれる鉄道紀行だった。

で、なぜ私がドイツの鉄道旅行に憧れるかというと、日独同盟や第三帝国に憧れている、というようなことではなく、子供の頃からドイツの鉄道模型に親しんできたという原因がある。
メルクリン社。
世界でもっともな会社歴を持つドイツの鉄道模型会社。
ドイツの人なら知らない人はいないと言われているくらいの老舗だ。
(尤も、ドイツの人ならだれでもと言うのはウソで、先日紹介したスティーブは知らなかった)
孫子の代まで楽しめる頑丈で長持ちの鉄道模型として有名で、私はこのメルクリン社の鉄道模型をささやかながらコレクションしている。

実は本書を買ったのはゲッピンゲンにあるメルクリン博物館が数ページに渡り紹介されていたのがきっかけだった。
ドイツを旅したらこの博物館には立ち寄りたいと考えていたのだが、メルクリンのカタログ以外、この博物館を紹介した文章にであったことがなかったので、書店で本書を見つけたときはとても嬉しかった。

肝心の中身は鉄道紀行の正攻法で「鉄道ファンなら楽しめる」内容になっており、それなりに読む価値はあるだろう。
しかし鉄道を紹介しながら紙面の関係からかドイツの各町々の歴史や人情を紹介することに関しては力量不足の感は拭えなかった。
そして外国のシステムを紹介する人の共通した傾向が本書にも少しばかり見られて辟易とした。
どういう傾向かというと「どこかの国では、こんなことはできないだろう」調の他国を称賛、自国を貶す、という昔のマンガの「ザーマスおばさん」のような部分が見られたことだ。
この手の文章はえてして偏った考えで書かれているケースが多く、この著者の場合は一ヶ所で自分の指摘の間違いを詫びている部分があったので、まだましというところか。

とはいうものの、カラーの美しいイラストや、ICE 登場前のドイツの鉄道を走るICの風景を描写しているところは、十二分に楽しめる。
あまり難しく考えず、「鉄チャン」になれば楽しめる。
そんな一冊だといえるだろう。
それにしても「DB」マークを付けたローカル列車に乗ってドイツの田舎を旅したいものだ。

~「ドイツ=鉄道旅物語」光文社刊 野田隆著 横溝英一作画~

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吉本新喜劇の人気役者、岡八郎が亡くなった。
享年67歳。

私が小中学生であったころの吉本新喜劇といえば花紀京、原哲男、船場太郎、山田スミ子、中山美穂、浜祐二、谷しげる、平三平、淀川五郎、桑原和男といった賑やかな面々が舞台を所狭しと暴れ回っていた。
その中でも、とりわけ人気のあったのが「おく目の八ちゃん」こと岡八郎であったように記憶する。
目にビールの瓶を当てて栓を抜くギャグや、「ガオー」と怪獣のような声を出して泣くところ、尻を掻いて「クッサー」というギャグなどは、今となっては何が面白かったのか説明することはできないけれど、子供であった私を大いに笑わせてくれたものだった。

確か20年ほど前だったある日から、吉本新喜劇のテレビ中継の画面から岡八郎の姿を見かけなくなってしまった。
その後すぐ、古い役者は無理やり引退させられ、新しい若い俳優にバトンタッチしたのだということを何かの雑誌で目にすることになった。
吉本興業としてはマンネリしているにも関わらず自分たちの芸に固執する「ベテラン芸人」をリストラして、ビジネスとしての笑いを継続しようとする戦略であったようだ。

その後の岡八郎の人生は苦難の連続であったことを知る人は多い。
不幸が連続して彼を襲い、ついには病魔が岡八郎の芸人としての言葉を奪うに到った。
セリフが思い出せず、また覚えられず、そのことに本人が苦悩する毎日が続いたという。

一昨年、弟子のオール巨人阪神や岡けんたゆうたが音頭をとって開催された難波グランド花月での復活公演が最後の舞台となった。
是非その舞台を見に行きたいと思っていたが、仕事の段取りがつかず見逃した。
「きっと、また公演はあるだろう」
と思った私は、これで一生その舞台を見逃したことになる。
悔しくはないが、なんとなく寂しいのだ。

またひとり、大阪の喜劇役者が旅立った。
さらば、岡八郎。

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その昔、家庭用ビデオカメラなんてものが出現する前に、私たち素人が動く映像を撮影しようと思ったら「8ミリフィルム」ぐらいしか使えるメディアはなかった。
まして特撮物を撮影しようと思ったら、合成なんてできないから、糸吊り、逆回し、多重露出を駆使してそれらしく作るしかなかった。
それでも、それらしく作ることができたら気持ちのいいもので、思わず誰かに見せたくなる。
「凄いね」
「どうやって撮ったの?」
などと言われると嬉しくなり、それが快感となって映画少年の道をひた走ることになるのだ。

スティーブン・スピルバーグの新作「宇宙戦争」は、そんな作り手側である映画少年の心を満足させるための映画ではなかったのかと思うと、それなりに納得できるものがある。
そんな映画だった。
事前にインターネットで評価を調べてみたところ星一つや星二つの意見が大勢占め、とても星五つは獲得できそうに見られない。
同じ題材の「インディペンデンス・デイ」よりも評価が低い。
誰でもスピルバーグの名前を聞くとその作品に期待をしてしまうが、今回、胸を弾ませて映画館に足を運んだファンはきっとがっかりしたことだろう。

ストーリーは50年前の「宇宙戦争」とほぼ一緒。
HGウェルズ原作の古典的SFを踏襲しているがために、21世紀の私たちから見ると矛盾だらけ。
ラストも一緒なので「なんでそんなに安易なん?」とどっちらけてしまうのだ。
ラジオドラマを聴いてパニックになったことのある人(もしご長寿で生きていれば)でも「いまどき?」という内容だったに違いない。

それでも全編に渡る特撮シーンは必見に値する。
リアルな戦闘シーン。
丘を越えて迫り来る異星人の巨大ロボット。
燃え盛る街並み。
レーザー光線(古い表現)で焼き殺される人々。
吹っ飛ぶビルディングや高速道路。
どこからどこまでCGで、どこからどこまでが模型なのか分らない。
とりわけ自動車に乗って主人公たちが逃げる長回しのシーンは、どうやって撮影したのやらさっぱりわからないくらい凄いのだ。

つまり、この映画。特撮シーンを見せるための映画だったのではなかろうか。
物語は誰でも知っている宇宙戦争。
だから物語はどうでもよろしい。
主演俳優もどうでもよろしい。
リアルでダイナミックな特撮映画を作りたかった。

スピルバーグという名の映画少年の遊び感覚のSF映画と思えば、見る方のこっちも楽しめてくる。
ワイドスクリーンの最新デジタル映像に立体音響を8ミリ映画と同じ感覚で使ったスピルバーグに脱帽。
ああ、なんて羨ましいんだ。

~「宇宙戦争」パラマウント映画・ドリームワークス配給 2005年作~

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経済紙サンケイビジネスIの本日版にインターネットサーベイの会社が調査した「好きな海外アニメキャラは?」というアンケートの結果が載っていた。
それによると男は20、30、40代ともにトムとジェリーが一位を獲得しているのに対し、女はミッキー・マウスであった。
もっともな結果であろう。
この二つは男女の二位以内に入っているキャラクターなので、それだけ知名度が高いということもできるのだが、意外だったのが30代、40代の男女とも「チキチキマシン猛レース」のケンケンを支持しているのには驚いた。
たしかにこのキャラクターはメジャーではないかも知れないが、私たち30~40代の世代には強烈なインパクトを残していることは間違いない。
なお、私はチキチキマシンのケンケンよりも、刑事ボロンゴのケンケンの方が好きなのだが。

で、そのほか、このサーベイではポパイやバットマン、シンプソンズなども含まれていたが、男女、すべての世代の調査結果を見ていて、ちょっと変な疑念が沸いてきた。
「この調査、もしかしてヤラセか?」
という疑念なのだ。
というのも、日本人を対象に調査した結果であれば、絶対に登場しなければならないキャラクターが抜け落ちているのだ。
それは「ピーナッツ」のキャラクター達だ。

スヌーピー?
リストに無いぞ。
チャーリー・ブラウン?
リストに無いぞ。
ライナス?
ルーシー?
ウッドストック?
そんなのいないぞ。

フリントストーンやぞうのババール、スポンジボブなんてキャラがリストアップされているのに、あの愛すべき、誰もが知っている、USJに行くと会うこともできる、そんなシュルツのキャラクターがいないのだ。

この調査。やり直した方が良くないかな?

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父親の出身地が岡山県という関係から、幼い頃、春夏秋冬の節目ごとにその岡山にある父の実家を訪れた。
父の村は倉敷市という全国的に知名度のある街に隣接している村なのであるが、大阪で生まれ育った私にしてみれば当時はとてつもない田舎に思えたのである。
「村は江戸時代、天領じゃったんじゃ」
と親戚のオッサンに自慢たらしく聞かされても、
「ふーん、そうなん?」
程度にしか思わなかったものだ。
昭和40年代後半に徳川幕府のご威光を説かれても、なんの有り難みもないのであるからにして当然といえば当然なのだ。
なんせ村の中の公共交通機関といえば中鉄バスというローカルバス会社が運営する路線バスがあるだけで、それも1時間か2時間に1本という割合で、不便なことこのうえない。
数分に1本の割合で走っているのが当たり前の都会の電車が常識であった幼い私としては、はっきりいって「こんな不便なところ行きたくない」というのが正直なところだった。

歳月は流れこの不便な村も吉備路の中心に位置していて今ではちょっとした観光地になっているが、未だ鉄道は通っておらず、一番近い駅までは中鉄バスで行かなければならない。
この一番近い駅というのがJR吉備線という、単線非電化のローカル線なのだが、驚くなかれ時代の流れはすごいもので、なんと1時間に2本も走っているのだ。
しかもラッシュ時になると3本にもなるのだから信じられない。
もっとも運営しているのがJR西日本だけに無理をしてダイヤを組んでいるのではないかと心配になるのだが(悪い冗談)なかなかの発展である。
これも観光地の効果なのか、それとも単に人口が増えたからだけなのか、地元出身の橋本龍太郎の金にものをいわせた権力の効果なのかわからないが、すごいことなのだ。

ところで、吉備線の名称から思い浮かんでくるのが岡山の名物「きびだんご」。
岡山を訪れる観光客や帰省客の土産の代表がこの「きびだんご」であるといっても過言ではあるまい。
マスカットや白桃の方が遥かに美味しいことがわかっているものの、値段も遥かに高価なことから、仕方なく「きびだんご」を選んでいるということもできないことはない。
この「きびだんご」、実はどれが本物のきびだんごであるのか、私は未だ知らないのだ。
岡山県に本籍を置きながら「本物のきびだんご」を知らないとはこれいかに、と思われるかも知れないが、仕方がない。
なんせきびだんごには無数に種類が存在するからなのだ。
駅の売店で売られているポニョポニョした丸い形のきびだんごや、後楽園の茶店で売られているきびだんご、一般の和菓子屋で売られているきびだんごに、天満屋などのスーパーで売られているきびだんごなど、様々なのだ。
だからどれが本当の「元祖」きびだんごなのかわからない。
せめて桃太郎のお婆さんがレシピでも残してくれていたら、わかろうというものを。

絵本の中の「きびだんご」。
現物を一度目にして一口頂戴したいものである。


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最近はすっかり若いシンガーによるJ-POPのCDなど買わなくなってしまっていたのだが、コカコーラのCMにつられてついつい買ってしまったのが「Bennie k」という女性二人組のマキシシングル。
アップテンポなR&Bのリズムがなかなか日本人離れしているうえに、宇多田某のように単にあちゃらのR&Bの真似事ではないようで、
「ええやんか」
と思って買い求めたのだ。

それにしても「最近の歌は、何を言うとるのか、わからんの~」
と一頃の爺のようなセリフを呟いてしまうのは私だけではないだろう。
このBennie Kの歌も日本語と英語交じりの歌詞がアップテンポで語られるために、何を言っているのかオジサンの私にはさっぱり理解することができなかったのだ。
しかし、リズムが良くてノリがいい。
歌詞などもしかするとどうでも言い存在なのかも知れない。
そういう意味では、随分昔のシブがき隊の「寿司食いねえ」と対して変わらないわけだが、リズムやメロディの構成がこちらの方が遥かに進化しており完成度は高いと思う。

シングルCDなど買うのは久しぶりだったので、その価格に少々驚くことしきりだった。
1枚1200円はちと高いのではないだろうか。
1200円といえば洋盤では一部のアルバムなら1枚買うことのできる価格だ。
そして私の好きなT-POP(タイのポップス)ならアルバム3枚ぐらいは買える価格なのだ。
なぜ、こうも高いのか理解できないものがある。
それだけ音楽の製作には金がかかるのかも知れないが、CDそのものの原価などプレス用原盤の製作費を含めても1枚数十円のはずで、それを百倍以上の価格で売ろうとするのだからネット配信が流行ったり、レンタルするだけで購入しないものが増えるのも仕方なかろう。と、レコード会社に言いたい。

マキシシングルはサイズがCDであってもシングルなので3曲しか入っていないところが辛い。
このCDは3曲とも違う曲なのでいいのだが、ものによれば4曲入っていて、そのうち2曲がカラオケなんてケースが少なくないのだ。

で、残り2曲の感想だが、残り2曲はラップと普通の歌が合わさった今風の曲が収録されており、これにはかなり失望した。
私は音楽はほとんど全てが好きなのだが演歌とラップだけは大嫌いなのだ。
とりわけ日本人の歌うラップミュージックというのは、外国人が演じる歌舞伎以上の違和感があり、似合わない黒人ファッションで人さし指突き立てて歌う、ヘタッピ和製ラッパーを見るにつけ「恥ずかしくないのか、おまえら」という気持ちになってくるのだ。
このBENNY Kのラップっぽい音楽もえてして同じで、単調なリズムと言い回しは門徒のババアどもが葬式で唱えるご詠歌にしか聞こえないのだ。

ということで、このCD。1曲に1200円払った勘定になってしまうが、ま、聴きながらコークを飲むと「さらにスカッとさわやか」しそうだから、それだけの価値はありそうだ。
と、思い込むしかなさそうだ。

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