新幹線の扉が開くまで、プラットホームで記念写真を写している人々を観察することにした。
なんといっても初めての新幹線。
胸がときめかないはずはない。
私が初めて新幹線に乗車したのは昭和43年のことであった。
当時、幼稚園児であった私は大阪から愛知県の豊橋市へ出張に出かける勤め人であった父に連れられ、初めて新幹線に乗車したのであった。
なんせ40年近く前のことなので詳細は覚えていないのだが、めちゃくちゃ喜んでいたことは覚えている。
なんといっても世界最高速の時速210kmで走る新幹線「こだま号」に乗車したのだから自慢しない幼児はオカシイ。(ひかり号でなかったのが残念である)
新幹線から眺める景色は何故か傾いていたことが印象に残っている。
きっとカーブを走行する窓から眺めた景色が幼児だった私の頭脳に焼き付いたのであろう。
しかし、そんな傾いた景色よりも決定的な私の新幹線記憶となったのは「カレーライス」であった。
いつの頃からか新幹線からは食堂車が姿を消した。
それも仕方がない。
東京から大阪までたったの2時間半。
しかも、5~10分おきに走っているにも関わらず、常に通勤列車並の混雑なので食堂車なんぞを連結していると非効率的でJRの収益にも影響するであろう。
しかし、国鉄時代の当時。
たといこだま号というような12両編成の各駅停車であっても食堂車が連結されていたのだ。
豊橋での所用を終えた父は帰りの新幹線でカレーライスを買ってくれたのであった。
それまで、列車で食べる食べ物といえば大阪駅か岡山駅で買う駅弁か、姫路駅で買うそばぐらいしか知らなかった私にはカルチャーショックなのであった。
東海道新幹線で食べるカレーライス。
今となれば周囲にばらまかれたカレーライスの匂いは迷惑ではなかったのかと心配されるのだが、当時はそんなことは関係ない。
新幹線で食べるカレーライスがめちゃくちゃ美味い!、と私の頭脳に焼き付けられたのであった。
「ボク、新幹線でカレー、食べたんやで」
と周囲に自慢したのは言うまでもない。
したがって、ただのオッサンと成り果てた今日でもなお、カレーライスを食べるたびに0系新幹線こだま号に乗った想い出が蘇るのだ。
ここ台湾新幹線には、今日の日本の新幹線と同じように食堂車は連結されていない。
台北から高雄まで、鈍行でも2時間で走ってしまうのだから当然といえば当然だ。
しかし、こうしてプラットホームで記念撮影に勤しんでいる親子連れを目にすると、JRのコマーシャルではないが、写真に納まる小さな子供たちの心には、
「高鉄に乗るからね♪(のぞみに乗るからね、の替え歌)」
と焼き付けられ、楽しい想い出として一生忘れることはないのであろう、と思うのであった。
つづく
なんといっても初めての新幹線。
胸がときめかないはずはない。
私が初めて新幹線に乗車したのは昭和43年のことであった。
当時、幼稚園児であった私は大阪から愛知県の豊橋市へ出張に出かける勤め人であった父に連れられ、初めて新幹線に乗車したのであった。
なんせ40年近く前のことなので詳細は覚えていないのだが、めちゃくちゃ喜んでいたことは覚えている。
なんといっても世界最高速の時速210kmで走る新幹線「こだま号」に乗車したのだから自慢しない幼児はオカシイ。(ひかり号でなかったのが残念である)
新幹線から眺める景色は何故か傾いていたことが印象に残っている。
きっとカーブを走行する窓から眺めた景色が幼児だった私の頭脳に焼き付いたのであろう。
しかし、そんな傾いた景色よりも決定的な私の新幹線記憶となったのは「カレーライス」であった。
いつの頃からか新幹線からは食堂車が姿を消した。
それも仕方がない。
東京から大阪までたったの2時間半。
しかも、5~10分おきに走っているにも関わらず、常に通勤列車並の混雑なので食堂車なんぞを連結していると非効率的でJRの収益にも影響するであろう。
しかし、国鉄時代の当時。
たといこだま号というような12両編成の各駅停車であっても食堂車が連結されていたのだ。
豊橋での所用を終えた父は帰りの新幹線でカレーライスを買ってくれたのであった。
それまで、列車で食べる食べ物といえば大阪駅か岡山駅で買う駅弁か、姫路駅で買うそばぐらいしか知らなかった私にはカルチャーショックなのであった。
東海道新幹線で食べるカレーライス。
今となれば周囲にばらまかれたカレーライスの匂いは迷惑ではなかったのかと心配されるのだが、当時はそんなことは関係ない。
新幹線で食べるカレーライスがめちゃくちゃ美味い!、と私の頭脳に焼き付けられたのであった。
「ボク、新幹線でカレー、食べたんやで」
と周囲に自慢したのは言うまでもない。
したがって、ただのオッサンと成り果てた今日でもなお、カレーライスを食べるたびに0系新幹線こだま号に乗った想い出が蘇るのだ。
ここ台湾新幹線には、今日の日本の新幹線と同じように食堂車は連結されていない。
台北から高雄まで、鈍行でも2時間で走ってしまうのだから当然といえば当然だ。
しかし、こうしてプラットホームで記念撮影に勤しんでいる親子連れを目にすると、JRのコマーシャルではないが、写真に納まる小さな子供たちの心には、
「高鉄に乗るからね♪(のぞみに乗るからね、の替え歌)」
と焼き付けられ、楽しい想い出として一生忘れることはないのであろう、と思うのであった。
つづく