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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



アメリカンフットボールのラフプレー事件からの日本大学トップの対応を見ていると、テレビドラマを見ているような錯覚に陥る。
学長、事務局長、人事部長。
これらを取り巻く幹部職員の目の動き。
態度。
卑屈な雰囲気。

どうして後も前世紀の独裁組織のような雰囲気が漂っているのだろうか。

今、日本の大学の多くは生き残りを掛けて真剣な運営を行っている。
少子化が猛スピードで進み、大学進学人口が減ってきている。
受験生の埋め合わせに海外からの留学生の獲得に奔走している大学もあるが、やはりレベルを下げる原因にもなるため容易に手出しができない大学も少なくない。
考え巡らせて至る結果が、だいたいが「どのように大学の魅力を高校生に伝えるのか」というポイントだ。

うちの大学はインターンシップが充実している。
うちの大学は図書館の運営に特徴がある。
うちの大学は海外留学を推奨している。
うちの大学はアクティブラーニングに優れた指導員がいる。
うちの大学には著名な教員が数多く要る。
うちの大学は研究費が潤沢にある。

などだ。

ここへいくと日本大学はまるっきり反対と言えるのかもしれない。

日本大学は一部管理部門の独裁である。
日本大学は学生を守らない。
日本大学は広報が下手くそだ。
日本大学はでかいだけである。

などなど。

著名で大きな大学だけに経営は困っていないのか。
大昔の権力ドラマを見ているようでシーラカンス的大学といえなくもない。

なお、12万人もいるという学生諸君は何をしているのだろうか。
大学の主体は学生と研究者だ。
「こんな経営陣はいらん!出て行け!」
とやるような活動的な学生が一人も出てこないのが、一番就職に影響しそうに思うのだが。
いかがか。

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昨日、NHKのラジオのニュースを聞いていると、
「今日、堺地方裁判所でNHKの受信料をお支払いいただいていない方へのご請求に関して、NHKが支払い請求をしてから2週間以内に契約が成立し、支払いの義務が成立するとの判決がでました」
という内容が伝えられていた。
要は、
「四の五の言わずに受信料を払え!」
という、まあ押し込み強盗みたいなNHKの主張を認める判決だった。

世の東西を問わずに「ニコニコ笑顔の営業マン」に真っ当の商売は少ない。
銀行。
サラ金。
ぼったくりバー。
賭場。
ヤクザ屋さん。
などが実にそれに当たる。

朝のさわやかな時間。
ニコニコ顔で天気予報や世界のニュースを伝える高学歴の美人アナウンサーやイケメン記者が「おはようございます」とテレビカメラに向かって挨拶をするNHKもそういう類であることがはっきりした判決で、司法がそれを認めたところは「日本は大丈夫か」という疑問が生じるのも致し方がないのであった。

ぶっちゃけ話をすると私はNHKの受信料は払っているが払っていない。
どういうことかというと、長男である私は実家の両親が視聴しているケーブルテレビではケーブルTV経由で受信料を払っている。
でも現住所の妻や娘のいる自宅では払っていない。
だからダブルスタンダードなのだ。

これには理由があって、自宅にはテレビがない。
今どきそういう家はめずらしくないのかもしれないが、少なくとも地上波やBSを受信できるテレビは我が家にはないのである。
ではどうやってテレビを見ているのかというと、原則テレビは見ておらず、ビデオやニュースといったものはすべてPC、もとい我が家の場合はiMacで見ているのだ。
ニュースはネットでチェックしても十分だし、海外のニュースはCNNやBBCならネットで動画を見ることもできる。
Nikkeiニュースなんかもありがたいところだ。
さらに地上波のテレビ番組に面白いものは殆ど無いので、メインはYoutube。
見たいジャンルの映像を検索して見るほうがよほど面白いのだ。

問題は無くはない。
年頃の高校生の娘は小さな頃から自宅ではテレビを殆ど見ないものだから、見たいときは近所の家内の実家でおじいちゃん、おばあちゃんと一緒にテレビを見ている。
ちなみにここもケーブルテレビ経由で受信料を払っている。
だから見る番組が小学生の時も、中学生の時も「NHK歌謡コンサート」であったり、テレビ大阪の「演歌の花道」であったりするわけで、学校の友だちと嵐を始めとするジャニーズの話題についていけない、AKBはなんなのか、という状態になっていることで、少々気の毒ではあるのだ。
ただメリットもないこともない。
自宅にいるときは読書が最も楽しい娯楽の一つであることから、同じ年頃の友達と比べても読書量が著しく多く、作文の技術もなかなかであったりするのだ。

ということで、テレビの必要のない時代のNHKが裁判所を使って焦る気持ちも分からなくはないが、ああいう報道をされると、
「やっぱりNHKは沖縄の2つの新聞社と同じで、消えてなくなればいいのに」
と思ってしまい、NHKを見ない理由にもなっていくのであった。

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「シリアにいくのは自由でしょ。パスポートを取り上げるなんて報道の自由を侵害している」

と憤ってらっしゃる方は杉本祐一氏。
自称フリーカメラマン。
職業、民宿経営者。

どういうわけかデジタルカメラが世の中を出回り始めてからフリーカメラマンが増えたような気がしてならない。

「私、プロのカメラマンなんです」

という若い女性にあったことがあるけれども、その華奢な体とドデカイ一眼レフとの釣り合いが全くとれていないことに加えて、写している写真も「○○カフェ」や「ビストロ○○」なんてオシャレな名前を付けられた街中の食堂のメニュー用写真だったりする。
だいたい高級レストランならメニューに料理の写真は載せないだろう。
それをキャノンのフルサイズやブローニーサイズのとびきり高級カメラなんかで撮影してどうするんだ、という気がしてならない。
きっとホンモノのプロカメラマンが機材を安く買うために誠心誠意の協力をしているのだろう。

そんな世の中だから民宿のオヤジでもフリーの戦場カメラマンができるわけで、今どきのシリアに行きたがる輩を政府が強制的に止めるのも無理からぬわけだ。

「自分になにかあっても全部自分で責任を撮ります」

と格好のいいことを言ってイスラム国へ行った人が結局は、命乞いをして政府を困らせて、日本人全員をテロの標的にするきっかけを作ってしまった。
そんなことを考えると、なぜテロリストの前で切腹して果てなかったのか、と思ってしまうのは私だけではないだろう。
フリージャーナリストの身勝手が、いくらなんでも褒められたものではないのだ。

自由の中に責任がある。
だからなんでもかんでも自由ではない。
例えば「満員の映画館で『火事だ!』と叫ぶ自由はだれにもない」ということは言論の自由でよく言われることだ。

杉本祐一氏が「報道の自由を規制された」と主張するのは趣味の素人ジャーナリストであるからに他ならないのだ。


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「話せば分かる」
と反乱兵に言って聞かせようとして殺されたのは犬養毅。
世に云う「五・一五事件」だ。

頭に血の上った「丸キ」の人には話しても通じないという典型的なしょう

で、「話せば分かる」
と言ってイスラム過激派組織イスラム国に拘束されたのが気の毒な日本人の二人のうちの後藤さん。
立派と言えば立派かもしれないが、そんな日本式人情話が通じる相手であれば、奴隷制を復活させたり、人身売買をしたり、極度の女性蔑視をするはずがない。
だから、「話せば分かる」戦法は一見平和主義で解決できそうな気がするのだが、現実はそんなに甘くはない。

ちなみに憲法第九条は「話せば分かる」が国際問題解決の最大手段として前提に存在するが、これを頑なに守ろうとしている人たちは、今回の事件をどう見ているのだろうか。



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海上保安庁の巡視艇に中国漁船が追突。
政府民主党が何故か公開を渋っていた海保のビデオ画像が海保隊員によって非許可にネット上にアップされ波紋を呼んでいる事件。
石原東京都知事、安倍元総理などが「海保隊員は無罪。問題があるのは民主党仙谷」と主張していることに私も賛成だ。

海保隊員が主張するように、このような形でも公開しなければ公の目に触れることは無かったのに違いない。
菅直人や仙谷や率いる民主党は何を意図してか自国が不利になるように仕向けているとしか思えない節がある。
それを国民はずーっと感じ取っていたのだが、今回の事件でそれが顕になってしまったというわけだ。

だからといって、この映像を流したのは法的には違法。
処分されても仕方が無いのだが、「国益」ということを考えると、海保隊員の行った行動は正義であり、映像を隠匿しようとした民主党は悪ということができる。

「悪法も法なり」
しかし........。

という理論がここで登場するわけで、今回のこの自体をどのように処理するのか。
政府や警察の対応が注目される。

私は、こういう海上保安庁の隊員が要ることに、なぜか安心を覚えるのだが、他の人はどうなのだろうか。


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この一週間、交通網の安全に関わる大きなニュースが二件続いた。

ひとつはANA機への管制ミスで、もうひとつはJR西日本の速度超過。
どちらもひとつ間違えれば重大な事故につながった大きなミスだが、どちらも最新鋭の自動装置が働いて危機を回避。
乗客は誰もケガはしなかったし、気づきもしなかった。

鉄道や航空機、バスなどを利用するにはどうしてもリスクが付きまとう。
普段はほとんど意識することはないが、この世に完璧なものがない限り移動中に事故に遭遇してしまう可能性はゼロではない。

それでも、航空機や鉄道は事故が殆ど無い一方、一度事故が発生してしまうと被害が大きく悲惨なだけにとりわけ神経質になるのも頷けるというものだ。

今回のANA機への管制ミスは管制官の単純ミスであった。
JRのほうは運転手の考え事に端を発する単純ミスであった。
ところが、飛行機は当時視界ゼロで管制官の誘導のみが頼りの中、地上までの高度がわずか500メートルになったというのだから、尋常ではない。
500メートルというと東京スカイツリーよりも低い高度だ。
一方JRは制限時速60kmのところを時速67kmで走っていたというので、大した速度超過ではないだろうが、場所があの福知山線脱線事故のまさにその場所だったために大騒ぎになった。

ところで、新聞報道では、どちらも危機的状況の内容だけを伝え、一方的に読者の不安を煽るような記事ばかりを流しているが、それでいいのだろうか。
どちらの事件も自動装置が作動して事故を回避。
自動制御技術の信頼性を取り上げる新聞記事は皆無で、ただただ「危ない危ない」を繰り返すばかり。
自動制御技術はどこまでが安心で、どこからが不安なのか、記述している新聞も皆無だ。

「高度差〇〇◯メートルで、こういうケースは危険です」
とか、
「ATCは急に速度制限をかけるのではなく、段階的に制御するから安全ですよ」
とか、何か具体的で科学的に伝えてられないものか。

新聞報道は感情ではなく、論理と知性で記事を書いていただきたいものだ。


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ネット版ー読売新聞の記事

読売新聞によると文化庁が高松塚古墳の壁画の劣化の原因を発表した。

「劣化原因として、石室内の温・湿度上昇で発生したカビ対策の不備、修復などに使った薬剤の影響、文化庁のずさんな管理体制といった複合的な要因」

とのことだが、どう考えても「文化庁のずさんな管理体制」だけが「原因」で、カビ発生や湿度上昇は杜撰な管理の「結果」の一つで、劣化が「最終結果」ではないかと思うのだが、いかがだろう?

みんなで責任の無責任がここにある。
嗚呼。
なんてこった!

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子供の学校でインフルエンザが流行し、ついに先週学年閉鎖と相成った。

「バンザーイ、休みや~!」

と、喜ぶのは元気な証拠。
神様仏様に感謝感謝。

先週の日経で医薬品業界がこの不況の中、業績を伸ばして「この冬のボーナスもアップ」なんてことが報道されていた。
これってもしかするとインフルエンザ様々なんだろうか。

ある医療品商社がこの春、関西を震源地にしたインフルエンザ騒動で一日に一億円ものマスクを売り上げたという話を耳にして、「これはこれは」と思ったものだ。

つまりインフルエンザで儲けを企てているヤツがいる。
という陳ねた考えだ。

日ごとに大きくなってくるインフルエンザ報道は医薬品業者とマスコミが結託した大掛かりな販売キャンペーンではないのかと勘ぐりたくもなってくる。

インフルエンザが市場を動かす。
こんなこと、自分が子供の頃にはなかったように思えるのだが。
気のせいか。

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「国土交通省はハイブリッド車や電気自動車などエンジン音のしない自動車は危険なので、低速で走行中はエンジン音に相当する『人工音』を発生させるよう義務づける対策案を提出した」

プリウスやインサイト、i-MiEVといったハイブリッド車や電気自動車は低速走行時の音が小さすぎて危ないのだという。
自動車が来ているかどうか分からないから事故になる、という発想だ。
彼らいわく、電気自動車に乗ったら、
「ぶ~~んぶ~~ん」
と音立てよ。
これではまるで幼児の玩具。

車のエンジン音が無くなって静かになると多くのメリットがある。

例えば住宅街の騒音が減る。
幹線道路沿いは言うに及ばず、夜間はほとんど物音のしない住宅地はちょっとしたノイズが気にかかることがある。
自動車がゆっくり走っていたり、エンジンを動かしたまま一時停車していても問題になることがある。
自動車騒音に敏感なところでは大歓迎のはずだ。
アイドリング時も静かだと「停止時はエンジンのスイッチを切ってください」なんていうコンビニやファミレスのカンバンも不要になる。
ビジネスの幅が広がる可能性さえある。
静かだから車内での会話も快適だ。
カーステレオの音もエンジンノイズなしで聞ける。
全ての車が電気自動車になると「音発生器」が無ければ暴走族の爆音に悩まされることもない。

静かだから歩行者にとって危ないんじゃない?
という反論もあろう。
そういう人にはさらにひとつ反論したい。
「んじゃ、自転車もきっと危ないね。」
と。

自転車で街中を走っていて、もしも歩行者が前方を歩いていたり、危険が予測されたら「チャリンチャリン」とベルを鳴らす。
自動車なら「ブー!」とか「ファーン!」とかクラクションを鳴らす。
2つの違いは音の大小。そして音のデザインの違い。
自転車のチャリンはビックリしないが、自動車のファーンには驚くことが少なくない。
結局、静かな自動車には静かなベルのようなお洒落な警告音。
四六時中ダミーエンジン音を鳴らせ、というような無粋な法律案は学生時代まともな遊びもしたことのない東大、京大、阪大あたりを卒業した役人ならではの発想だと思われる。

そういえば国交相のアイデアの取りまとめは東京大学の某教授。

本郷通りが静かになったら化学の世界でもノーベル賞受賞者ぐらいだせるようになるかもしれませんぞ、東大さん。まずは街の音デザインを考えてみてはいかがかな。

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ともかくシャレにならない。

なにがシャレにならないかというとラスベガスで開かれているスタートレックコンベンションがシャレにならないというのではない。

人気アイドル酒井法子の覚せい剤逃亡事件のことがシャレにならないのだ。

山梨県は恐らくオウム真理教以来の大騒ぎになっているに違いなく、お盆休みも手伝って、
「アイドルを探せ!」
てな具合に、趣味で酒井法子探しをしているものもいるに違いない。

それにしても暴力団のメンバーが家族にいるタレントを政府もよく裁判員制度のPRビデオに使っていたものだ。
「アイドルは清潔だ。う○こさえしないものだ。」
などという空想が担当者の頭の中に生きていたのかも知れない。
まったくもってアホだった。

皇宮警察の警察官を採用するときには一族郎党が調査対象になるということを耳にしたことがあるが、政府広報のビデオやパンフに登場させるタレントにも同様の措置を図らねばならない、となぜ気づかなかったのか。

同じタレントやシンガーの槙原某や清水某あたりをPRタレントに起用していたほうが前科もあることだし、男だし、アイドルではないのでう○こもするだろうし、「あ、あのタレントやったら、やっぱりね」とダメージも小さかったに違いない。

が、そこはアイドル。
ダメージは小さくない。

ともあれ、高校野球の入場行進曲にも使われた歌を歌ったような酒井法子が自分のマンションでホンマモンの夢冒険をしていたことが世間に与えたショックが大きい。

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