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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



現在、仕事でシカゴに来ています。
台湾新幹線の体験記はご好評を頂戴し、恐縮しています。

ところで、日曜日の朝に到着して以来、ずっと行です。
正直なところ仕事よりも3月1日のカブス対ジャイアンツのオープン戦の方が重要なんですが、中止になりそうです。
3日に東京へ帰ります。

ではでは!

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台湾新幹線に乗ってきた「おのぼりさん」の私は、当然のことながら台北にある世界一背の高い高層ビルにお登りさんしてきたのだった。
写真は台湾総督府前から写した超高層ビル「台北101」。
夜景を見ようと夜、展望フロアまで上がり、景色を堪能。
しかし、雲が展望フロアより下にあったので怖かった。



※お知らせ
今日から仕事で旅に出ます。「とりがら時事放談」の連載は一週間ほど休むかも知れません。
その間はバックナンバー(過去に書いた戯れ文)をお楽しみ下さい。

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世界にはかつてのドイツやベトナムのように分断国家というものがあった。
そして現在もなお、南北朝鮮や中東のパレスチナなども一種の分断国家ということができるだろう。
隣の国、中国もある意味分断国家で、一般的にそれはメインランド・チャイナ(中華人民共和国)とタイペイ・チャイナ(中華民国)に分れて(この場合自主的にという意味だが)いると言われている。

しかし、実際に初めて台湾を訪問してみて、分断されているのは中国ではないことがはっきりした。
分断されているのは日本なのであった。

私はよく日本を取り巻く国々を家族やご近所つきあいに例えて考えることがある。
例えば、タイやミャンマー、ベトナムなどの東南アジアの仏教国は日本の従兄。
マレーシアやインドネシア、フィリピン、インドなどの宗教が異なるアジアの国々は日本の遠い親戚。
アメリカや豪州、ヨーロッパの国々は日本の親友かつ悪友。
すぐ近くの中国と韓国は、近所に住む迷惑な人たち。関わりたくないがご近所なのでつきあわざるを得ない存在。例えば奈良の騒音おばさんのような存在がこの2カ国。

ところで、台湾はといえば、一般的には中国の一部とされているので上記の部類にいれると思う人が多いかも知れないが、多くのエッセイや歴史書を読むだけで、ここが中国ではないことがはっきりするのだ。
で、それは何かと問われれば、台湾は日本にとっては世界で唯一「兄弟」の国であると感じることだ。

たった3泊4日の台湾旅行では短すぎるのはもちろん分っている。
それでも台北市内を地下鉄やバスでうろついたり、新幹線に乗ってみて気がつくのは、その台湾の雰囲気が日本に瓜二つだということに新鮮さと驚きを感じた。
つまり街並みが似ているだけではなく、人々の雰囲気が実に日本人に似ているのだ。

困った時のリアクション。
助けてくれる時の親切さ。
声の大きさ。
歩くスピード。
(沖縄と共通する)のんびりかげん。
などなど

実際は文化がかなり異なり、日本人の価値観が通じないことも多いとも聞くが、私の感じた台湾は、まさしくこれまで読み漁ってきた書物の中の台湾のイメージとピッタリ符合したのだった。

もしかすると李登輝前総統や戦前世代の蔡焜燦氏などの著作、謝雅梅氏をはじめとする最近出版されている台湾と日本人のかかわりについて書かれた書物を読みすぎているのかも知れないが、そういう既存の知識を持っていなくても、つまり仮に私がこの国に対する知識がまったくないまま訪れていたとしても、感じたことは同じだったと断言できると私は思っている。

台湾新幹線の開通は李登輝さんが総統に就任して以来続いてきた中華民国ではなく日本統治時代を踏襲し、かつ台湾オリジナルの社会や政治体制を整えてきた歴史的改革の締めくくりの1つと言えるのかも知れない。
台湾新幹線が開通したのに合わせるように「中華」と名のついていた公営企業が「台湾」と名前を変えたことが今週初めに報道されていた。
台北駅前を歩いている時に目の前を通過した「台湾独立」を叫ぶ街宣車を思いだした。
台湾は国際社会において徐々に「独立国」としても姿勢を整えつつあるのだろう。

ところで、これまで日本は台湾を二度見捨てている。
一度目はサンフランシスコ講和条約を締結する時で、日本は国際社会に復帰するため台湾を抛棄している。(ちなみに中華民国や中華人民共和国にくれてやる、なんてことは一言も約束していない)
二度目は中華人民共和国と国交を結んだ時で、この時は中華民国との国交を一方的に断交している。
そして今、台湾が「国」として独立を宣言しようとしている。
大陸が武力をチラつかせ恫喝してき、そして同盟関係であるはずの米国が足かせを嵌めようとする。

兄弟国家「台湾」が窮地に陥った時、日本はいったいどすべきか。
三度目を犯すべきでないことは明らかなのだ。

台湾新幹線への乗車のひとときは、台湾という日本によく似た国家への愛着を確固としたものにしたのだった。

※本編と異なり、少々かたい内容でした。

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最近、なんとなく気に入っている「候補者シリーズ」に新顔の登場だ。
(映画「候補者ビル・マッケイ(R・レッドフォード主演)」のタイトルパクリです)

来る東京都知事選挙に建築家の黒川紀章が立候補するのだという。

人間、惚けたくはないものだ。

どんな優秀な人でも、年齢を重ねるとボケてくることがあるが、黒川紀章(72歳)というような「国内」では高名な建築家先生も、そういう人の一人であるということが今回判明した。

なんでも都知事選のスローガンは、
「金持ち主義を変える」
ということらしいが、黒川紀章その人がすでに金持ちではないのかと、私は言いたい。
だいたいこの人は強欲な建築家として知られており、噂によると図面に1本線を入れるだけで何千万円、何億円という設計料と称する名前使用料を徴収し、ガッポガッポと稼いでいるのだという。
そういうアニメの一休さんに登場する桔梗屋さんもビックリするような商売人が、
「金持ち主義を変える」
なんて言っても説得力も何もない。

それに、
「首都機能を移転すると、都心に議員宿舎なみの低所得者向け住宅ができる」
などともおっしゃっているようだが、これはその低所得者用住宅を自ら受注設計するという意味なのか。
なにが何だかわからない。
もしそういう意図があるのなら、それはそれでボケているとは言い難く、相変わらずの桔梗屋さん根性が機能しているとも考えられる。

もっとも、ロシアのことをソ連と言ったり、投票日はパリで迎えるなんて言ってみたり、とてもまともな候補者と思えないことが辛いところだ。

「私は石原知事の友人だが....彼に花道を与えたい」
とも、記者会見で語った。
花道ということは、今回の花道演出は劇団四季の浅利慶太(この人も石原知事の友人)に総指揮を依頼するといったところだろうか。


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いよいよ板橋へ戻る列車が到着する時間が迫ってきた。
私は改札口をくぐりエスカレーターに乗ってコンコースを経由しプラットホームへ降り立った。

その時、腹が鳴った。
やはり昼飯を食いっぱぐれた影響が体に表れている。
胃袋は正直なのであった。

「板橋に戻ったら地下鉄に乗って西門駅で降りよう。
西門は板橋から約15分。
台北の渋谷といわれるところで、大きな繁華街だ。
きっと美味しくてオシャレで、安いレストランがあるに違いない。」

と、台北に戻ってからのことを考えている時に、トンネルの奥深くから地響きが聞えてきた。
板橋行きの新幹線が近づいてきたのだ。
ヘッドライトを点灯させ、警笛音はさせずにインバーターの減速音を轟かせながら台湾高鉄700T系が桃園駅上りホームに滑り込んでくる。
ボディ下部を彩るオレンジ色が美しい。
雨で車体が濡れているためだろうか、ボディの白い部分もオレンジ色になっているのように見える。
いや、見えるのではなく、その通りボディの白い部分もなにやら汚れて薄いオレンジ色になっているのであった。

なんでじゃ?

列車が停車して扉が開いて乗り込もうとした時に、ボディがオレンジ色に染まっている原因がわかった。
なんと、車体全体が薄く赤土色の泥に覆われていて、扉のフチの部分には走行中に生じたと思われる泥の塊が5ミリから10ミリぐらいの巾で付着していたのだ。
その泥の塊に触れて服が汚れないように注意しながら乗り込むと、車内はやはりポツリポツリと空きのある中途半端な満席状態なのであった。
ここにもフランス製座席予約システムのいい加減さが示されていたのだった。

帰りも私の座席はC席なのだったが、やはり往きと同じようにA席、B席は空席で、私は窓際のA席に移って、板橋までの短い時間、窓外の景色を楽しむことにしたのだった。

それにしても疑問が残る。
どうして新品の新幹線の車体が、こうも赤土で汚れているのだろうか。
台湾の雨には赤土が混ざっているのだろうか。
そんなアホなことはあり得ない。
もしかするとトンネルを通過している時にトンネルの天井から赤土の混じった湧水がドドドド、と降りそそぎ、新幹線の車体を汚しているのかもわからない。
でも、それはそれで少々恐ろしいことだ。
数年前、山陽新幹線でトンネルの一部が崩落し、破片が走行中のこだま号の屋根にぶつかり損傷した事故があった。
あのときマスコミは大騒ぎをして、ビビったJR西日本も全トンネルを緊急点検した。
しばらく新幹線より飛行機のほうが安全かも分らない、と思わせた事故だった。

台湾の新幹線が新品の車両にも関わらず薄い赤土で汚れているのは、トンネルの天井が崩れてきている兆しなのではないか、とも思えてしまい気持ちのいいものではなかった。

色々考えてみたが、新幹線の汚れは結局、台湾旅行の疑問として残ってしまった。
帰国してから「おしえてgoo」で質問してみようかとも思ったのだが、それも面倒くさいので止めにした。

桃園国際空港を遠目に、加速していく新幹線の中から静かに景色を眺めていたら、またまた腹がグーと鳴った。
ぱっと視線を前の席に移し、窓際のハンガーを見ると、そこにはビニール袋に入れられた弁当箱が吊るされていた。
幕の内弁当のような弁当箱なのだ。
ジャケットでもジャンバーでもなく弁当箱を吊り下げているところに台湾を感じたが、よくよく考えてみると、まるで温泉地へ向かうJR在来線の特急列車「サンダーバード(大阪~富山)」のような光景なのであった。

「弁当.........どこで売ってるんやろ...........」

私は呟いた。

それにしてもいくつかの疑問は残り、腹は減ったものの、待ち時間も含めて往復たった1時間少しの台湾高鉄の旅だったが、想像以上に楽しい鉄道の旅であったのは間違いない。
次は絶対に高雄まで利用してみようと、私は堅く心に誓ったのであった。



台湾高速鉄路(台湾新幹線)のホームページはこちらへ。
座席予約ができるみたいです。


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バス停に停車していたのは桃園空港行きのバスであった。

新幹線の中から桃園国際空港が手に取るように見えていたのだったが、やっぱりここ台湾高鉄桃園駅からも桃園空港へアクセスする空港バスが運行されていたのだ。

いったいどれくらい本数があるのだろうと時刻表を見ていると、バス会社の案内のお兄さんが話しかけて来た。
もちろん台湾語で話しかけてきたため私にはサッパリ分らない。
英語でとりあえず、
「私は台湾語が分りません。空港までの所要時間を教えてくれませんか?」
と訊いてみた。
このバス会社のお兄さんは板橋駅で新幹線の切符の購入を手伝ってくれた女の子とは違って英語に怯むこともなく、
「だいたい30分ぐらいですよ」
と気さくに英語で応じてくれた。
台湾の人は日本語が話せようが話せまいが、非常に親切な人が多い。
彼もまた、英語でバスがだいたい30分おきに出発していて、所要時間も30分で、なんてことを丁寧に教えてくれたのであった。
最後に名刺サイズの時刻表を渡してくれたのだった。

明日、私は早朝の便で日本へ帰るのだが、帰りにもう一度新幹線を利用するという手もあるな、と考えた。しかし残念ながら新幹線も、そして桃園駅からのバスも始発が7時台なので、8時30分発の関西空港行には間に合わない。
新幹線で帰る日本、というオシャレな方法は諦めなければならなかった。

それにしても、台湾のバスは便利で利用しやすかった。

私はしばしば訪れるタイのバンコクでもよく路線バスを利用する。
タクシーより断然安いのが魅力的なのだが、いかんせん目的地にたどり着けないことがままあるという欠点もあるのだ。
私はタイ伊勢丹にある紀伊国屋書店バンコク店で購入した「バンコク・バス路線マップ」(もちろん日本語)という大変便利な地図帳を使っていつもバスを利用している。
バスマップには各方面へのバスのナンバーと経路が記されていて、私のような住民でないものにも分かりやすくなっている。
ところが、路線図に書かれている番号のバスに乗車しても、目的地にたどり着けないことが少なくなく、たどり着いたとしても目的の場所を通りすぎてから気づいたりして、むせ返るような暑さの中、とぼとぼと歩いて引きかえすことがあるのだ。

これは行き先表示の文字が読めないことに原因の1つがある。
というよりも原因のほとんどがそれなのだ。

ご存知のようにタイではタミル語にそのルーツを持つと言われるタイ文字が使われ、非常に難しい。
この非常に難しいタイ文字を私は一度習ったことがあるものの、不勉強も手伝って未だに非常に読みにくく、じっくり考えなければ簡単な単語でも読むことができないのだ。
そこで、路線番号の表示のみを頼りにバスを拾って乗り込むのだが、途中までしかいかないバスやエアコン付きとそうでないバスなどを間違え、目的地にたどり着けないことがある。

その点、台湾のバスは行き先が日本人の私にとって分りやすい漢字で書かれている。
しかもバス停に取り付けられている路線図もちゃんと漢字で書かれていて、読めるのだ。
おまけにバスの車内にも次の停留所が漢字で示されており、間違えることもなく、目的地でちゃんと下車することもできる。
ワンマンバスのシステムも日本と同じなのだ。

ただ漢字が正漢字。つまり難しい方の漢字なので、時々読む時に悩むことがあったのだが、それでもパープー中国の簡体字と異なり、しっかり判読することができ、非常に便利なのであった。
たぶん、日本人が迷わず間違えずに路線バスを利用できる外国は、台湾だけではないか、と思ったのだ。

つづく

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(前回のお断り同様、電気系統が故障したデジカメでの撮影です。RGBのBが飛んでます。ご了承ください)


700T系新幹線のイラストがあしらわれた1個1200円のマグカップを大切にバッグにしまうと時間は板橋へ戻る列車の出発まであと15分になっていた。

板橋から桃園までの往復運賃が130台湾ドル。
一方、マグカップが1個300台湾ドルだという矛盾は何なんだ。
と、いじいじと考えながら、残り少なくなった桃園駅での滞在時間を有効に生かすため、私は駅の外がどうなっていのか見て回ることにした。
果たして駅の周辺は見渡す限りの造成地なのか、はたまた駅の建物に隠れて、何か目新しいものはないだろうか。
少しく探索してみることにしたのだった。

私はガラス張りのドアを押し開け、外に出た。
空はどんよりと曇り、霧雨が降り続けていた。
傘をさすほどではないが、寒い。

私はこの季節(1月)の台湾が寒いとは実のところ想像していなかった。
というのも、頭の中では台湾は「南国」であり、東南アジアの国々のように年中蒸し暑いと勝手に思い込んでいたのだ。

そんな先入観を持ち合わせていた日本人は私一人ではなかったことを一昨日、関空から桃園空港に降り立った時、偶然知ることになった。

飛行機を降りてボーディングブリッジを歩いている時、いかにも関西からやって来たという派手派手ファッションの二人連れの20代前半とおぼしき女の子が半袖のブラウスをひらつかせながら交わしている会話が耳に届いてきた。

「ちょっとぉ~。見てや」
と彼女たちはガラス越しに飛行機の下で機械の操作をしている作業者を指さした。
「ジャンバー着てるやん!」
「うっそ~」
「寒いン、ちゃうん? 外」
「マジで?」
「コート、関空に預けてきてしもたやン」
「ほんまや~。こんなんやったら、持ってくるんやった!」
「預け賃、もったいな~」

二人はウィンドブレーカーを着ている作業者たちをみてビックリしていたのだった。
私もビックリした。
外が寒そうなのはもちろんのこと、私の認識が、このいかにも(パープー)な女の子たちと同程度であったこともビックリしたのであった。
このように、ことの好悪は別として迂闊であったのは私だけではなかったというわけだ。

よくよく考えてみると台湾は沖縄県与那国島のすぐ隣。
距離にして80kmほどしか離れておらず、天気が良ければ当たり前のように双方から双方の島が見渡せるのであった。
つまり日本とはホントにホント隣り合わせの国(というよりも半世紀前まで日本だった)なので、東南アジアと同じなんてことは絶対になかったのだ。
日本本土と異なりマラリアの媒介地であるそうだが、そういう熱帯性病原がある土地であったとしても1月は日本と同じ冬なのであった。

桃園駅ビルから外に出ると寒いのも当然。
私は霧雨に濡れながら、とぼとぼと歩いてみた。

駅の周りはやはりバス停以外は造成地で、面白みもなんにもなかったのだった。

つづく

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公開初日の1回目の上映で残念ながら劇場内は3分の1の入り。
つまりガラガラ。
土曜の朝一番なので仕方がないといえば仕方がない。
「洋画人気に翳り」なんてニュースを耳にしてるから、若干寂しさなんかも感じたものの、CMと予告編に引き続き本編の映画が始まった途端、そんな陰気な気持ちは吹き飛んでしまった。

終演後、3分の1しか客がいなかったにも関わらず、シネマグッズを販売する売店のCDコーナーには数人が群がり、サントラCDを買い求めていた。
私も猛烈に買いたかったのだが映画館で買うと定価になるので、そこは我慢して帰宅してからインターネットショッピングで購入した。

それほど映画「ドリームガールズ」はノリノリで迫力満点、ストーリーの骨格も、役者の演技も光っているR&Bミュージカルの傑作なのであった。

冒頭から始まるライブオーディションのシーンですでに観客の目は画面に釘付け。
上映開始後5分もしたら、その世界にどっぷりと嵌り込み、映画を観ているというよりも上質の舞台を観賞しているような気分にさせられるのだ。
1曲1曲が魅力で溢れ、物語のキーとなる楽曲が終ると映画であることを忘れてしまい、思わずスタンディングオベーションを捧げようと立ち上がってしまいそうになるほど迫力があるのだった。

魅力は音楽ばかりではない。

レイ・チャールズの伝記映画でアカデミー賞を受賞したジェイミー・フォックスはもちろんのこと、主演のビヨンゼ・ノウルズの美しさに魅了され、新人ジェニファー・ハドソンのずば抜けた歌唱力と演技力に感動し、ベテラン喜劇俳優エディ・マーフィの渋い演技力に意外性を感じ、そこらじゅう一杯に出演者達の魅力が輝いている映画なのだ。
ちなみにハドソンとエディは来週発表のアカデミー賞男女助演賞にそれぞれノミネートされている。

真直ぐにいかない人生の何かをも感じさせてくれる。
そんな奥深さを備えつつ、本格的な楽曲で感動し楽しませてくれる本作はこの春一番の作品だ。

~「ドリームガールズ」2006年 パラマウント映画&ドリームワークス~

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「大量破壊兵器があるので調査させよ」

と調査団が土足で踏み込んだイラクには大量破壊兵器は存在せず、

「どこに隠してるんだよ。ナメンナヨ」

と武力に訴えて是が非にでも兵器を掘り返そうと爆撃を始めて大統領を捕まえてみたが、結局化学兵器も核兵器も出てこなかった。
で、赤っ恥をかかされた腹いせに、村人の何百人か殺した事件を盾にとり、

「あんたは人道に反した罪を犯した。よって、あんたは死刑である」

と昨年末に首を括られたのがサダム・フセインで、首を括らせたのがアメリカ合衆国。
軍事行動を伴う方法で村人を虐殺したと言う理由でその時の政権首脳が死刑になるのなら、「ソンミ村大虐殺」(1968年3月 ベルナム)を起こした時のジョンソン大統領も当然死刑になるべき存在だろう。
でもフセインは死刑になったが、ジョンソンは死刑にもならず1973年まで存命し、実行犯の米軍将校も軍事法廷で無罪になったから、世の中どうなっているのか分らない。

この「調査団」というものがいかに役立たずで用無しで能無しか、ということを実証した20世紀最初の実例がリットン調査団だった。

リットン調査団と耳にして、あまり売れていないお笑いコンビを思い出したあなた。あなたはテレビの見過ぎだ。
リットン調査団とは、そんな付属高校よりもレベルが劣ると(関西では周知の)言われる桃山学院大学出身のお笑いコンビのことではなく、歴史教科書に登場することでも有名な満州事変を調査するために国際連盟から編成された調査団の名称だ。

お笑い芸人のコンビ名に使われるほど知名度高きリットン調査団。
しかしその存在は歴史教科書にも記されている通り、彼らがまとめた調査書が日本の国際連盟脱退という事態を招き、やがて第2次世界大戦、三国同盟、大東亜戦争、敗戦と悪夢の歴史につながっていくことになる原因の1つと思われている。

でも、本書の前書きにも記されている通り、日本人のほとんど全てが「リットン調査団」の名称は知っていても、その調査団がまとめた報告書についてはほとんど知らないというのが実情ではないだろうか。
もちろん私も知らなかった。

本書はそのリットン調査団報告書の全文を邦訳した戦後始めての書籍である。

リットン調査団報告書は日本の悪口ばかりが記されているのではないかと想像していたのだが、そこにはかなり多くの日本の主張も取り入れられていたのだった。
そして日本と支那、双方の意見をできるだけ客観的な目で捉えようとしていることに、少しく驚きを新たにしたのだ。
惜しむらくは、リットン卿をはじめとする調査団の白人先生諸兄が東アジアの文化や歴史、情勢にもっと精通していただけていたら報告書提出後の歴史は変わっていたかも知れないということだ。
そして日本側全権代表であった松岡洋右外相がもうちょっと勉強をしておれば国際連盟脱退など宣言しなかったかもわかない。

そういう気持ちを抱かせてくれるたのは、やはり今回リットン報告書を読むことのできる機会を得られたことに他ならない。(本書は和文と英文の双方を収録)

でも、本書の一番恐ろしく凄みのある要素はこの1930年代初めの日本と支那の関係に今現在の日中関係を彷彿させる部分が少なくないところだと言えるだろう。

~「全文 リットン報告書」渡部昇一解説 ビジネス社刊~

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〔お詫び:写真の色がオカシイのは、桃園駅についてすぐにデジカメの調子がおかしくなったためです。RGBのBが飛んでいる映像です。)

モスバーガーの店頭には日本のモスバーガーとまったく同じようにイーゼルに書かれているメニューが立て掛けられていた。
しかし私はそのイーゼルに書かれているメニューを読む前に、店内に溢れる人々を見て怯んでしまったのであった。
桃園駅にある唯一の飲食店であるモスバーガー。
当然のことながら、物凄く混雑しているのであった。
空席になっているテーブルは1つもない。
もし仮に、バーガーを注文してもテイクアウトして食べるしかないのだ。

モスバーガーはマクドナルドと違って注文をとってから作りはじめるので、商品を受取るまでの時間が長い。
その長い待ち時間の間、この混雑した店内で待つことは、私にとって、とても煩わしいことなのであった。
雑踏と行列は大の苦手なのだ。

ということでモスバーガーを諦め今度はパンでも買おうとセブンイレブンの方へ歩いて行った。

台湾到着後、台北の街中を歩いていてすぐに気づいたのは台湾のコンビニは日本のコンビニとほぼ同じで、というよりもまったく同じなのであった。
しかも驚いたことに「関東煮」まで売られているので驚いてしまったのだ。
ここで注意していただきたいのは「おでん」ではなく「関東煮」が売られていることだ。
私は台湾が関西であるとは知らなかった。
私の生まれ育った大阪や京都などの関西圏では「おでん」のことを一般的に「関東煮」と呼ぶ。
これは「関東煮」は薄味が基本の関西の食生活とは若干かけ離れた料理なので、このような名前が付いてるのではと勝手に想像しているのだが、ともかく関東煮なのだ。
最近になってこそ、阪神タイガースの実力上昇に相反するような関西経済界の影響力低下のため「おでん」という言葉が進出してきているが、私がガキであった昭和40年代後半ぐらいまで関東煮一辺倒なのであった。
その「関東煮」が台湾にある。
物凄く不思議なのであった。
もしかすると、これは初期の台湾総督に西日本出身者が多かったことに原因があるんじゃないかと、勝手に想像したりしたのだが、真意のほどはわからない。
で、余談が長くなったが、台湾のコンビニに「関東煮」の幟が上がり、店内に入ると強烈な煮物の匂いがするのに暫し愕然としたのだった。

コンビニではないが、このほか台湾には「弁当屋」がたくさんあり、それも日本とまったく同じスタイルの弁当が売られているのにも驚いた。
さらにさらに、今川焼きや大阪お好み焼なるものまでオリジナルスタイルそのままに、まったく同じ名前で当たり前のように売られていた。
やはり台湾は中国の一部ではない、と痛烈に感じること少なくなかったのであった。

ということで、私は桃園駅のセブンイレブンで関東煮はともかく弁当かパンぐらいは買えるだろうと思ったのだった。
ところが、セブンイレブンに行ってみると、弁当やパンよりも別のものに目が釘付けになった。
それは店頭でかなりの場所を占領していた台湾新幹線、つまり台湾高鉄開業記念グッズの品々なのであった。

入り口付近には小さなショーケースが置かれていて、その中に日本製と思われるNゲージの台湾新幹線700T系の鉄道模型が展示されていた。
実はこの模型を一番欲しいと思ったのであったが、冷静に考えてみると「何が悲しくて台湾まで来て日本製の模型を買わなければならないか、それに高額だし」ということで諦めたのだった。
その他、700T系車両をあしらったマグネットプレートや携帯ストラップ、Tシャツ、マグカップなどなどが並べられ、我々お上りさんの興味を引こうと待ちかまえていたのだった。

当然のことながら私も乗車記念に何か買いたいなと思って、大勢の客と一緒にそれら高鉄グッズを色々と物色。
その結果、マグカップを1個購入することに決めた。
ところが、私は値段を見てビックリしてしまった。
なんとマグカップ1個が300台湾ドルなのであった。
間違えてもらっては困る、300円ではなく300台湾ドル。
つまり1200円もするマグカップなのであった。
いまだかつて1個1200円もするマグカップなど私は買ったことがない。
日本人の私にとってもえらくバカ高なマグカップが台湾の人々が買うものかどうか大きな疑問なのだったが、この際、記念品なのでビックリしながらも買い求めることに決めたのであった。

つづく

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