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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



仕事の打合せで早朝から京都へ行ってきた。
で、仕事より夢中になったのが木屋町界隈に咲き乱れていた桜の撮影。

「ちょっと、せっかく京都まで来たことやし。デジカメで1枚撮っとこ」

とカバンからコンパクトデジカメをとり出してシャッターを押したのがことの始まり。
気がついたら15分ほどの間に60枚以上写していた。

それにしても、京都に桜。
今の季節しか写すことができないのだけれども、桜の撮影は難しい。

見た目、実物は奇麗なのだが、それを写真に「写し込む」ことの難しいこと。
高瀬川の川面に揺れる桜の花びらを映しとるのはさらに難しくほとんど不可能。

京の桜。
心のフィルターで眺めるのがもっとも美しいのかも分からない。

な~んちゃって。

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関西大手私鉄の中でも南海電車は軍を抜いてサービスが、良くない。

関西の大手私鉄で営業距離の1番短いのが阪神電鉄だそうで、確かに神戸と大阪を結ぶ一路線がその全てだといっても過言ではない。
多くの電車は7両以下の短い編成で走っており、各駅停車に至ってはほとんど4両編成。
大都市大阪と神戸を結ぶ鉄道にしてはいささか寂しい限りだ。
で、大阪と神戸の間を移動する人が少ないのかというとそうではなく、同じ神戸から大阪を走るJRは8両から12両編成の電車が走っており、阪急も8両だとか10両だとかで走っている。

ここまで書いているとなんとなく「鉄」のブログのようだが、そうではない。

阪神電車はJRやはんきゅうにと比べると確かに格落かも知れないが、今や阪神電鉄は阪急グループ。
そしてさらにさらに、ここは親会社に阪神タイガースという野球チームを頂いているので、これひとつだけでJRや阪急の優位性をいとも簡単に覆せる魅力があるというものだ。

それに引き換え私の地元を走る南海電鉄はしょぼい会社だ。

南海電鉄は現存する私鉄の中では最も長い社歴を誇っており、かの伊藤博文も夏目漱石も乗車したことがあるという鉄道なのだ。
鉄道科学館で販売されている鉄道唱歌の本の中では、大阪と和歌山間はJR阪和線ではなく、南海本線が歌われているくらい由緒ある鉄道なのだ。

しかし、この会社が公共交通機関としてショボイことを知る人は少ない。

以前ここにも書いたことがあるのだが、南海電鉄の駅でエスカレーターやエレベーターを設置している駅はかなり少ない。
例えば堺市内には15ほどの駅が存在するがエスカレーターの存在する駅は3つだけ。
のこりの駅はお年寄りであろうが身障者だろうが歩いて階段を上り下りしなければならないのだ。

このように駅の施設が不備だらけの会社でありながら、十数年前の話になるがその企業トップはロータリアンなのであった。
個人と会社は違うかも知れないが、それがロータリアンの精神であれば、そんなものは無用の長物だ。

ところで、この南海電鉄に最近新たな欠点が加わった。
非接触ICカードを使える改札機が3分の1も設置されていないのだ。

最近の鉄道はJRならICOCAやSuica、私鉄地下鉄ならPiTaPaやPASMOが一般的で、改札口もそれに対応しているのが普通である。
南海電鉄も駅や車内で自社のカード「ミナPiTaPa」を積極的にPRすることを努めているが、このPiTaPaを使える改札機がメチャクチャ少ないのだ。
南海電鉄の起点駅である難波駅でさえ非接触ICカードの使える自動改札は数えるほど。
郊外の駅となると1台あるかないかといったところ。
従ってカード利用者はラッシュ時に読み取り機能が装備されている改札口をくぐるために、あっちにウロウロ、こっちにウロウロしなければならない。

新しい自動改札機を導入する資金がないのか、あるのか、よくわからないが、状況を見る限り「PiTaPa買ってください」という状況ではないと思う。

一方、世界で初めて自動改札機を導入した阪急電鉄。
先日、その世界で初めて自動改札機を設置したという北千里駅を利用したら、全部の改札機がPiTaPa対応になっていた。
考えてみると、阪急はだいたいエスカレーターやエレベータが付いてて、南海のように苦労しながら階段を上り下りしなければならない駅はあまり見かけない。

映画会社や百貨店、プロ野球チームなどを有する阪急電鉄も大企業連合の「ケチ会社」として知られているが、顧客に対してはケチではないようだ。

伝統溢れる南海電鉄。
難波の再開発するお金があるくらいだったら自動改札機ぐらい買ったらいかが?



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仕事で大阪大学吹田キャンパスを訪れと、桜の花がチラホラと。

あと数日で満開になるとこと言ったところだが、よくよく考えてみると学校は春休み。
ほとんどの学生は自分の大学が桜の花で彩られるところを目にすることなく過ごすわけで、人知れずひっそりと咲き、そして散っていく桜の様に日本人の美意識を感じるのであります。

ところで、桜がバラ科の花であることを私、ちっとも知りませんでした。

工学部の入り口に植えられていたソメイヨシノには「ソメイヨシノ バラ科」という札が吊り下げられているのを発見し、
「おお!桜はバラ科なのか」
とビックリした次第。

花びらや樹の形はちっとも似ていないのにバラ科に分類されているとは。
奇麗な花にはトゲがあるは『バラの花』のことだと思っていたのだったけれども、桜にはトゲは見当たらず。

パッと咲いて、パッと散る。
桜の花の潔さが、精神的なトゲなのかも分からないと思った、今日この頃でございます。

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茨城県土浦市で無差別殺人を犯した24歳の男。
岡山駅で会社員を線路に突き落とし殺害した18歳の男。
家族5人を襲って無理心中を図った42歳の男。

どれもこれも大阪教育大学付属池田小学校で8人の児童を殺傷した宅間守と酷似する人な犯罪者どもだ。

驚いたことに、新聞を読んでいるとこれら犯罪者に同情を寄せるような記事が目立つことだ。

たとえば、岡山駅で県庁職員の男性を突き落として殺害した少年については次のように同情する。
「少年は子供の時に阪神淡路大震災に遭遇し、小学校時代から中学にかけてイジメに遭遇し、そのためか家から片道1時間30分もかかる高校へ進学した。家の経済状態が悪いため大学進学を断念し、就職活動をしていたが採用してくれる会社は見つからず、事件の前日は父親同伴で大阪のハローワークに行っていた」
だから、不幸なのだと。

私は日本人は世界にもまれに見ぬ真面目で優しい、かつ優秀な民族だと思っている。
犯罪発生率は先進国でも最低レベル。
識字率は100%で大学進学率も低くない。
産業科学力と経済力は世界のトップ級で、他国に金を借りて踏み倒したことも皆無だ。

ところが、ここ最近この性格を悪用する人たちや、誤用する人たちが出現している。

優しさと厳しさは表裏一体。
優しさは厳しさがあってこそ存在できる。
だから悪事を働いた者に対して優しさを行使する必要は、時と場合により寛容してはならないものになる。

無差別殺人の犯人たちに優しさは不要だ。
その犯人の背景がいかに不幸であれ、それを理由に許すことの出来ない犯罪もある。
世間で暮らすほとんどの人びとは何かしらの不幸を抱え生きている。
不幸は殺人を犯す理由にならない。

宅間守な男たち。
こういう者たちに同情を寄せるメディアの記事はいったいどういう連中が書いているのか。
是非ともその面見てみたいものがある。

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昨年春にヤンゴンを訪れた時、たまたまスーチー女史の自宅前を自動車で通過した。
デモが発生する前のことで周囲は平和そのもの。
家の前には検問所が設けられ、警備を任されている数人の兵士が立っているだけ。
新聞やテレビが伝える物々しさはまったくなく、スーチー女史を監禁しているのか、それともスーチー女史を暴漢から守っているのか分からないような警備だった。

で、ビックリしたのはそこから少し走ったところに新しいアメリカ合衆国大使館が建設されていたことで、
「スーチーさんの家の近所に、アメリカ大使館。これって嫌がらせみたいじゃないか」
と私は思った。

元駐ミャンマー大使の山口洋一氏によると、かつてスーチー女史はアメリカのオルブライト国務長官と毎朝電話で会談。
オバハン同士の密約を話しながらアメリカの指示でスーチー女史は活動していたのだという。

「まさか?」
と思った私もミャンマーへ実際に行ってみて、
「あの噂も、もしかするとホントなのかもわからない」
と思うようになり、ついにスーチーさんの近所にアメリカ大使館が引っ越してくることになるのをこの目で確認するにおよび、
「あの情報もガセではなくて、ホントだったのかもわからない」
としみじみと感じたものだった。

高山正之が週刊新潮に連載しているコラムを集めたのが新潮社刊「スーチー女史は善人か」。
「サダムフセインは偉かった」に続コラム集。

私が初めてミャンマーを訪れたときにインド・ムガール帝国最後の皇帝の墓を訪れた。
「地球の歩き方」にも載っていない。
日経BPのガイドブックにも載っていない。
しかし、このアジア近代史にとってとっても興味のある皇帝の墓が、ミャンマーのヤンゴンにあることを私が知っていたのは高山正之の著書を読んでいたからだった。
一般的なメディアがこんなにも大切な歴史スポットを教えないのに対して、イギリス植民地経営の非道を具体的に伝える高山正之のコラムはかなりなショックを受けるぐらい印象的な内容だった。

実際に日本のメディアはホントのことを伝えない。
日経、読売、朝日、毎日。
どの新聞を読んでみても掲載記事はほとんど同じ。
記者クラブなんてヨイヨイお達者クラブなんかで仕事をしているから、記事の内容が似るのも仕方がない。
まして、日本の記者はサラリーマン。
気軽な身分と来たもんだ。

ということで、メジャー紙唯一のはぐれ者、産経出身の高山正之。
一癖も二癖もあったと記者だったと思えるそのコラムは、私たちの頭の中を奇麗にスカッとさせてくれるのが、魅力的だ。

~「スーチー女史は善人か」高山正之著 新潮社刊~

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飛行機大好きなのに私はついに国産旅客機YS-11に乗ることはなかった。
しかしMRJに乗ってみたい。

先日MBS毎日放送ラジオを聴いていると、誰だったかパーソナリティーのオッサンが、
「タイへ行った時にローカルエアラインでYS-11に乗ったんです。座席の裏を見たら救命胴衣に『東亜国内航空』って書いてあってメチャクチャ感動しましたわ」
と言っていた。

YS-11は東海道新幹線初代0系列車と同じ実験装置で風洞実験を受けたことが知られていて、年齢は40歳以上。
飛行機としては高齢の部類に入るこの機が現在もなお海外では現役であることを考えると日本の航空機技術は決して低くないということを証明しているといえるだろう。(自衛隊では今も現役)
いや、証明しているどころか今や日本の航空機用部品製造技術が無ければB787もA380も生み出されることはなかった。
そうなると、
「どうして部品ばかりで肝心のヒコーキを作らないの?」
という疑問が起こるのも無理はない。

その疑問に答えるのが三菱重工が満を持して投入する純国産ジェット旅客機MRJ。

杉山勝彦著「よみがえれ!国産ジェット」はそのMRJ誕生に迫った現在の日本における製造業としての航空機産業をレポートした迫真の、そしてガンバレニッポン感が一杯のドキュメンタリーだ。

本書にはワクワク感と驚きが一杯詰まっていた。

本書を読むまでまったく気がつかなかったのだが、MRJ三菱リージョナルジェットは日本史上初の民間企業の民間企業による民間エアラインのためのプロジェクトなのだ。
そういえばYS-11も国主導の旅客機事業であったし、試験機だけ作ってボツになったSTOL飛鳥も国家プロジェクトであった。
役人というのは税金を使って自分の夢を叶えるのが商売のようで(ま、こういうのは商売といわず道楽と言います。普通は)、それを商業ベースに乗っけて国家を富ませようなどという発想は浮かんでこなかったようだ。
そういう意味でMRJは画期的な航空機といえるもので、商業ベースに乗せるために三菱グループはその総力を挙げてマーケティングからセールスからメンテサービスまで乗り出すことになるだろう。

そしてもう一つ、本書を読むまで気がつかなかったのは戦前の日本の航空機開発技術は世界最高峰であったということだった。
考えてみればゼロ戦の登場は画期的で、連合国がその性能を上回る航空機を作るのに数年を要したという事実も今の日本人は私も含めて忘れている。
問題は我が日本がゼロ戦にあぐらを組んで新しい戦闘機を生み出せなかったことに尽きるわけで、それを別にすれば日本には優秀な航空機を生み出す遺伝子が備わっているとも言えるのだ。
そういえば現在の旅客機には当然のように装備されているフラップは艦載機ゼロ戦のために日本が開発した技術だったと記憶する。

アルミより軽く鉄よりも強い炭素繊維技術。
B747やA380の何百回の離着陸にも耐えるゴムタイヤ。
トイレに厨房(ギャレー)。
コックピットの液晶モニタ。
機内エンタテイメントシステム。
立体縫製の座席。

知らない間に機内装備のどれもこれもが日本製になっていた。
これで旅客機そのものが無いのはおかしすぎる、というわけなのだ。

様々なサプライズが存在したが、本書の中で一番印象に残ったのは、東大本郷キャンパスで開かれたセミナーで熱く語った老人の話だった。
「国家を上げて支援をしてくれないと売れないんですよ」と涙ながらに語ったYS-11のセールス担当だったという老人の言葉がグッときた。
ということで、日本人航空ファンとして老人の目が黒いうちにMRJがYS-11のリベンジを果たせる日が来ることを信じたい。
すでに空飛ぶシビック「ホンダジェット」がクリーンヒットを放っていますけどね。

~「よみがえれ!国産ジェット」杉山勝彦著 洋泉社刊~

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NHKの番組を見ていたら「イラク戦争からまる五年」なんて報道をしていて、あたかも今月は「イラク戦争記念月」みたいな趣だ。

イラク戦争。
未だにブッシュジュニア君は「イラク戦争は正義だい!」なんて宣っているが、イラク戦争は明らかな失敗であった。
未だに終結を見ないのがその証拠で、戦死した米軍将兵の総数もかのベトナム戦争に迫ったいるというわけだ。
ただベトナム戦争と違うのは、米軍も戦った相手がベトナムの場合は優秀な民族独立主義者だったことに対して、イラクの場合はイスラム教を狂信的に信仰し働くことが大嫌いな烏合の衆であったことが特徴的だ。
つまりベトナムには国家観があってそれを実現するために闘ったが、イラクには国家観などまるでなし。

そのNHKの番組によるとイラク戦争では日本も軍隊(自衛隊)を送り込み平和維持活動に努めたが、その効力は何もないということらしい。
「その後、何もしてくれないのでフォルターも詰まったままで使うしかないんすよ」
と我が自衛隊がサマワに建設した浄水設備にケチをつけている管理人の話を写していた。

映像を見ると、建屋の外壁には落書き。
フィルターはゴミで根詰まりをお越し機能せず。
痩せて不健康そうな管理人が、
「だれも面倒を見てくれない」
と嘆いていた。
で、NHKはこの映像をもって自衛隊が撤収後、日本は何もしてません的な締めくくりに持ち込んでいった。

これって、かなりヘンだとは思わないか?

日本人の感覚からすると一度作ってもらった設備は自分たちで大切に維持しようとする。
フォルターが詰まれば、「誰かがフィルターを交換してくれるのを待つ」のではなく「誰かに頼んでフィルターを交換してもらうか、自分たちでなんとかする」というのが常識だ。

自分たちでなんとかしようとするのは、なにも日本だけに限った話ではない。
東南アジアの発展途上国にはJICAや日本財団などによって井戸や発電機などが設置されているところが無数にある。
そういう設備が設置された村々ではそれらを大切に利用して生活に活かしている。
時には自分たちで竹などを使い井戸から各戸へ配管工事さえしているところさえある。

それに引き換えイラクの態度。

イラク戦争の失敗は、サダムでしか統治できなかった甘っちょろいイラク人気質を見抜けなかったところにあるのではないだろうか。



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「大阪は好きやで。毎度、おおきに~!」

朝青龍の優勝挨拶に場内ドッチラケ。
こういうのを「KY」と言うのだろう。

朝青龍は何か勘違いしているのではないか?
確かに現状の相撲界では強い関取かも知れない。
しかし、それは相対的に強いだけであって、テレビを通じて観戦する取り組みにはかつての横綱、大関たちが見せてくれたような凄みもなければテクニックもない。
ただ単に相手が弱いだけなのではないか、と思わなくもないのだ。

実際、今の日本人の若者に「関取になりたい」と言って子供の頃からトレーニングに励んでる者がどれくらいいるだろうか?
殺人事件を引き起こすような古い体質の相撲界に我先に入ろうとする人材がどれほどいるのか、はなはだ疑問である。
当然、相撲界にトライする人材は少なくなり質的にも劣化する。
ここで途上国出身の外国人が活躍する場が生まれてくるのだ。

朝青龍も様々な問題を引き起こし、彼にとって一番必要なのは「真面目にすること」。
メジャーリーガーに紳士たる要素が求められるように相撲の横綱にもその地位にふさわしい品位というものが必要だ。
「まいどおおきに~!」
なんて挨拶はふざけているとしか思えない。
こういう悪ふざけに付き合うほど大阪人は酔狂ではない。
「どうもありがとうございました」
と普通に言ってこそ「よく頑張ったね」と言ってもらえて讃えられる。

KY横綱朝青龍。
モンゴルに帰って銭勘定でもしているほうがお似合いだ。

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大谷石の採掘跡は戦争中、軍需工場に当てられていたようで、もしかすると朝日新聞あたりが取り上げたことがあるかもわからない。
「戦争の傷跡」
なんて具合に書いて、でっち上げの物語を追加したりして読者の想像力を逞しくさせている可能性がある。

採掘跡の一部には「軍需工場跡」の案内板が掲げられていて、ここがかつて中島航空機の製造工場で戦闘機「疾風」を作っていたことが記されていた。

現在でも栃木県には中島航空機、もとい現在の富士重工業の基幹工場があり、疾風ならぬドリームライナーボーイングB787やB777、エアバスA380などの航空機部品を製作している。

地下に眠る大洞穴が大空を飛び回る航空機の遺伝子を有していたのだ。

なお、上の写真は6年ほど前に購入したソニーCyber-shotで撮影した写真。
なんといってもこのカメラ、画素数130万画素、露出自動、ピント合わせ自動のバカちょんカメラ(←差別用語)。
画像のお粗末さはお赦しください。



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出張で宇都宮に立ち寄った。

宇都宮といえば餃子の街として知られているが、中国製毒入り餃子事件でさぞかし被害を受けていることだろうと思いきや、「国産餃子」ということで盛況とのこと。
餃子事件も餃子の街宇都宮の広告になった程度だったようだ。

ところで、私は今回までちっとも知らなかったのだが、宇都宮は石の街でもあったようだ。

旧東京帝国ホテルにも使われた大谷石。
その大谷石の産地がここ宇都宮だとは今回の出張までちっとも知らなかった。

「巨大な石切り場あとがあるんですよ、行きます?」

という得意先のオファーに甘えて行ってきたのが大谷記念館なる大石窟の大谷石の博物館。
ここは江戸時代から現代までとりも取ったり大谷石の採掘跡の大空間を一般に公開しているところで、写真はその入り口部分を中からみたところ。
実際、壮大で冷ややかで、日本とは思えない、まるでインディ・ジョーンズの舞台になりそうなところだった。

宇都宮出張。
今回はちょっとした観光旅行がおまけだった。


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