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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



試合はテンポよく進んだが、両者とも点数は入らず9回を迎えた。
中日の攻撃には2安打を許したものの、無事無失点に抑え、タイガースの攻撃に移った。

打順は6番檜山の順番であったが、この日、まったく当たりのない檜山はここでベンチに下げられ、ピンチヒッター中村豊の登場となった。
「檜山、可哀そう」
というファンの声がこだまする中、中村が打席に立った。
「檜山可哀そう」の声がこだまする中ボックスに立ったものだから少々中村が気の毒ではあった。
その中村豊選球眼は悪くなかったようで、相手ピッチャの疲れから四球になった。
無死ランナー1塁。
我がタイガースに勝利の風邪が吹きはじめたかに見えた。
続く矢野が倒れた後、代打町田が敬遠された。
1アウト、ランナー1塁2塁。絶好のチャンスである。

「待ってました~! ハマちゃ~ん!」
ベンチ前で素振りを繰り返す「背番号31」浜中の姿が現れた。
大阪ドームが歓声で揺れた。
きっと大阪ドームが歓声で揺れるなど一年のうち阪神戦の数試合しか体験しないことであろう。
大阪ドーム観客28000人の期待を背負って打席に立つハマチャン。
我々の応援のボルテージも一層高まった。
しかし、いつもいつも浜中がサヨナラ打を放つとは限らないのが野球の厳しところ。
応援むなしく、結果は三振に終った。
でも次のバッターは赤星だ。
期待はまだまだ続いた。
赤星が痛烈な安打を放った。
「やったー! 満塁や!」
という、声が分からなかったのか、中村豊がボテボテ走りながらホームへ突っ込んでいくではないか。
「あほか、ボケ! 止まらんかい!」
とホームに飛び込んだは中村は悠々のアウトになったのであった。

9時過ぎに終了して明日の東京出張に余裕と考えていた私は甘かった。

試合はその後延々11時前まで続いた。
12回表、中日の攻撃が終ると、A君は言った。
「ああ、これで阪神の負けはなくなりましたやん。帰り.....。」
「帰ろっちゅうんか! おまえ」と先輩格のW君が叫んだ。
「そうやそうや。おまえホンマは阪神ファンちゃうんと違う?」とO君。
「まあ、そう言うたるなや。...帰ってもええぞ。もう遅いし。.......帰りや......帰れ........帰らんかい」と、私。
陰険な雰囲気の中、バッターボックスに4回に彼にしては珍しいホームランを放った鳥谷が立った。
場内は疲れ切っているので応援の力も入らない。
「引き分けやったら、六甲颪、歌うんかな」
といらぬ心配をしていたら、鳥谷がチョコーン!と当てたボールが、今度はレフトスタンドに飛び込んだ。

サヨナラ弾。

「自分でも、何が起こったのか、信じられません」
ヒーローインタビューに答える鳥谷。
さもあろう。
我々タイガースファンも信じられないのだ。
疲れた体にまさかの鳥谷の本塁打2本。

失礼ながら、意外な勝利に風船を膨らませるのを忘れてしまったのであった。

おしまい

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同点のまま、7回裏の攻撃を迎えた。
ジェット風船飛ばしの時間だ。

私たちは当然のことながら7回の表の早い段階からジェット風船を膨らませはじめた。
中日の攻撃など、一瞬にして終るだろうと思っていたからだ。
しかし、過去に一度、一瞬にして終るだろうと思っていた7回の表の攻撃が延々30分以上続き、逆転されてしまうという屈辱も経験したことがあるので油断は禁物だ。

「あ~~~~、こんなんあり~」
とA君が叫んだ。
一瞬、「やられたか!」と思ったが、違った。
A君は指先を上に向け、ぼやいているのだった。
私たちの座席は先述したように内野上段席最後部。私たちの後ろは壁だった。そして上はと見ると三メートル上ぐらいに天井があったのだ。
こんなことは甲子園ではありえない。
ジェット風船を垂直に飛ばすと大阪ドームの天井に当たってしまうのだ。スプリンクラーヘッドが忌々しい。いや正確にはこの天井は、上にあるVIPルームの床下に当たるのだ。
なんてことだ。
つまりA君は、
「ジェット風船、どこ向けて飛ばしたらええねん!」
という叫びを上げたのだった。
甲子園がいつも満員になるのに大阪ドームが満員にならないのは、こういう細かな点の配慮に欠けているからではないかと思った瞬間だった。やはり大阪市職員はアホなのだった。

風船を前方に向けて飛ばし、釈然としないままタイガースの攻撃を迎えた。
「えっ! うそー!、前のあの子ら、川藤応援してるやん」
数列前方を見ると左手に「川」、右手に「藤」のプレートを持って応援している中学生か高校生らしき女なの子二人組が、キャピキャピ応援しているのだった。
だいたいいつの頃から阪神の応援にこういうアイドル追っかけみたいな女の子連中が加わるようになった。
このときの彼女たちも、白い応援着に川藤のプレートを振りながら、キャッキャッしているのだ。
「みやげたもんやな。あんなに若いのに川藤の応援してるで」
「でも、川藤なんか、もう20年も前に引退しとるで」
彼女たちの横には「背番号31 KAKEFU」のユニホームを着ているオヤジが声を張り上げて応援していた。
「あ、あのオッサンが、あの子らの親かもわかれへんね。川藤、教育してんちゃうの」
などと私たちは話していた。
すると一番若手のA君が言った。
「あの~、あれ、川藤、ちゃいますよ。藤川、ちゃうんですか?」
「なに、藤川」
どいつもこいつもアホ揃いの私の課である。
確かにグラウンド側から見れば「藤川」である。
おっちゃんらを惑わすようなややこしい応援すな、と言いたい。

つづく

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この日、私たちはタイガースの先発ピッチャーは下柳だと思い込んでいた。というより、大切な首位攻防戦であるドラゴンズとの試合にしょーもないピッチャーを持ってくるとは予想していなかった。
しかし、会社を出発する前にインターネットで先発をチェックすると、しょーもない、とは云わないが安藤でああった。
正直、心配だ。

2003年10月23日の甲子園球場。
日本シリーズ第5戦でタイガース、ホークスともに同点で迎えた時にリリーフの一人として出てきたのが確か安藤だった。
「え~~~~~~~」
という場内からの戸惑いの叫びは前日だったか前々日だったかにリリーフに失敗した安藤への不信感から生じた「え~~~~~」だったのである。
この試合は劇的な金本のサヨナラホームランで決着がついたのだが、試合後のインタビューで星野監督が「え~~~~、はいかんよ。信じなきゃ」
とファンを窘めていたのが印象的だった。

で、その安藤が先発で、私たちの目の前でドラゴンズに2点も先行されてしまったのだった。

だらけた気分で迎えた4回裏の攻撃。

「その時、歴史は動いた」(NHK松平アナの口調で読んでください)

2番の鳥谷からの攻撃で始まった。
実際私たちファンは無情にも鳥谷にはなんら期待をしていなかった。
なんせ打率も内容も平々凡々。まだまだ未熟な発展途上の若手選手、という感覚は否めなかったのだ。
だから運が良ければ内野安打でも打って塁にでればめっけもん、くらいにしか考えていなかった。
要は後に控えるシーツ、金本、今岡に期待していたのだ。
ところが、ファンが惰性の応援をしていたら、チョコ~~ンと当てた鳥谷の打球がすーっとライト側外野席に飛び込んだではないか。
まさか!
球場は一気に燃え上がった。
しかし燃え上がったが、どこか中途半端なのだ。
「うぉおおおおお~!」
という感じではなく、
「えええええええ、うそ~~~!」
という信じられないが、嬉しいという表情だったのだ。
「珍しいもん、でましたやん!」
とA君が声をあげた。
「いや~、よかった。ええもん見れた。これで帰ってもええわ」
とO君。
鳥谷のホームランを見られるというのは、桂朝太郎の落語を聴けたようなものなのかもしれない。

試合は5回の裏、藤本のボテボテの当たりの間に檜山がホームインして同点になった。
しかし、同点になったということよりも、球場内には鳥谷のホームランの余韻が、まだまだ残っていたのだった。
そう、ドラマの幕は切って落とされたのだ。

つづく

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本当に阪神戦が見たいのであれば、そして本当に阪神タイガースのファンであるならば「甲子園球場」へ出かけるのが正しい。
しかし甲子園球場へは私の会社がある大阪難波からは地下鉄と阪神電車を乗り継いで早くて45分ぐらいかかるのだ。
そうなると余裕を見て1時間は考慮しなければならなくなるので会社を出発する時間は午後4過ぎとなる。
これではいくら何でも「行くところがあるから」と言って一度に6人も事務所を抜け出すことはできかねる。なんせ売り上げ全社ナンバーワン。真面目で通っているのが私の部署だ。イメージダウンは避けねばならない。もっとも、甲子園のチケットを入手できたらできたで私は会社を堂々とサボりますが。

大阪ドームへは難波からタクシーに乗れば僅か10分ほどで到着する。
途中、千日前通りで近鉄電車の地下工事をしていて渋滞し、試合開始に遅れそうになった。
この近鉄電車は大阪難波から西へ延伸し、阪神電車西大阪線と連結して神戸まで乗り入れようという企てを成し遂げるため、今黙々と工事しているのだ。
「自社の球団を売り払い、我が阪神タイガースが保有する阪神電鉄に乗り入れようなど100年早いわ。愚か者め」
などと思いつつ、大阪ドームに到着した。

会社から歩いて50歩のところにあるコンビニエンスストアで缶ビールを買い込んで入場しようとしたら、入り口ですべて開封させられた。
「待ってください! ビールが......」
と後ろから叫ぶO君。
次々とプシュっと開けられ紙コップへビールが入れられた。
「なんでこんなことするんなら」
となぜか岡山弁で文句を言ってしまったが、警備のオッサンの言い訳を訊くとセキュリティーチェックだという。
缶を投げ込むファンがいるというのか!
球場に入ってみると缶ビールの売り子がおるやないか。
缶ビールに爆弾を仕掛けてテロしようちゅうヤツでもあるというのか!
ここはヤンキースタジアムちゃうぞ。
日本じゃ、ボケ!
などと文句を言いながら、席へ向かった。

球場内は三塁側の内野席を除き満員状態。
試合はすでに始まっていた。
私が今回インターネットで購入したチケットは一塁側内野上段指定席であった。
本来ならライト側外野席を確保しなければならないのだが、いかにせんチケットが販売されていたことに気づいた時は外野席は売り切れで、辛うじて一塁側内野上段指定席が空いていたのだ。
で、場所はどこかと探していたら、見通しは良いが内野席の一番後ろ。
グラウンドを遥か下界に見下ろす、とんでもないところだった。
とんでもないが、グラウンドが野球盤に見えるような場所と思えば悪くない。
などとブツクサいっている間に、なんと中日に先制されてしまったのだった。
「え~~~~~~~~っ!」

つづく

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先週水曜日、我が課の部下を引き連れてプロ野球<阪神vs中日戦>を観戦するため大阪ドームへ行ってきた。
昨年も「野球でも見に行くか?」という気軽な気持ちで大阪ドームへ行った。そしてそれは近鉄vsダイエー戦だった。
2年続けての野球観戦。今やこれは私の課の年中行事になりつつある。
しかし、去年の観戦と、先週の観戦とはその意味が大きく異なっていたのは云うまでもない。
昨年、世間では「近鉄今期限り」というニュースが巷を賑わせ、同時に「ライブドア、買収に名乗り」などと場外でずいぶん盛り上がっていたものだ。しかしながら球場の方はといえば観客は1/3ぐらいの入りで、悲しいかなホームチームのバファローズファンよりもホークスファンのほうが多かった。
しかもこっちとしてはどちらも日頃とりわけ贔屓にしているチームではない。かといって嫌いなチームでもない複雑な心境だった。
バファローズは唯一大阪だけをホームグラウンドにしていたチームだったし、一方のホークスは福岡ダイエーといいながら、私も含め社員の多くが南海沿線に生まれ育ったために、ホークスも赤の他人でない気持ちがあった。
つまりどちらもささやかな愛着がある球団だったが、城島のホームランがこちらに向かって飛んできたときを除いて、盛り上がることはなかった。

さて、それとは打って変わって阪神戦。
状況は昨年とはまったく比べ物にならなかった。
まず、夕方、仕事は5時前に切り上げることが決定された。
なぜなら仕事よりも阪神のほうが大切だからである。
はっきり言って、これはサボりである。サボりであるが、その課の責任者たる私が音頭をとっているので社長や支社長を除きだれも文句をつけるヤツはいないのだ。
そして当日は朝から、主要得意先の担当者に「今日は5時で仕事終わりでっさかい、電話してもムダでっせ。」と断りを入れる念の入れよう。
「なんでなん?」
と訊いてきたら、
「社員研修です。大阪ドームで」
と答えることにした。
「お~、ええな、オレも行きたいわ」
という得意先にはこの先、特値対応を惜しまないであろう。
「へっ、おたくの支社長に知れたらまずいんちゃうの? なんやったら教えたろか」
と、東京の新聞社経営球団の手先(うちの支社長はええ歳こいてその球団のファンである)のようなこと
言う輩には特値対応はおろか、納期やサポート体制も悪くなることであろう。
ということで「ちょっと皆で挨拶行かなあかんところがあるから、出かけと今日はそのまま直帰するから」
と他の社員に断りを入れて出かけたのである。
しかし6人のうち2人が背中に虎マークの入ったハッピ纏いを、一人が営業鞄にメガホンを入れているのがもろ見えだったのはまずかった。
「どこへ挨拶に行くんですか」
とワザとらしく訊いてくる女子社員。
「ん、..んん阪神百貨店」
ちなみにうちの会社は阪急とは取引があるが、阪神はない。

つづく

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日本は奇跡としか表現のしようがないいくつもの幸運に恵まれ、これまでその歴史上の危機をを乗り越えてきた。
とりわけ幕末維新のドタバタは、人材、経済、世界情勢に恵まれて、他のアジアの国々のように欧米列強の植民地になることから免れることができたのだ。
政治面では島津斉彬、松平春嶽のような開明的な指導者をはじめ若く高い教養を持つ多くの活動家が現われた。また封建制度を維持しながらも経済的には現在とほとんど変わらぬ高度な資本主義システムを確立していた。
そして、ヨーロッパでの普仏戦争やアメリカ大陸における南北戦争も日本にとって植民地化を免れる大きな要因になった。

吉村昭がその最新刊「暁の旅人」で描いた初代陸軍軍医長の松本良順は、幕末維新の難しい時代、オランダ軍医ポンペに師事し、日本の医療技術を近代的な西洋医学へ導いた科学の分野に於ける人物の一人だ。

吉村昭の描く歴史時代小説は、緻密に調査した取材をもとに書き進んでいくという一種のノンフィクション趣を持っている。
このノンフィクション的な醍醐味こそが魅力的な理由の第一要素だろう。
もともと、この吉村昭は半世紀近く以前に発表した戦史小説「戦艦武蔵」で注目を集め人気作家としての地位がスタートした。
その後、多くの戦史小説を発表されたが「戦後半世紀が経過し、戦争体験者の証言も年とともに正確さを失ったり、その証言ができる人そのものが故人となるなど、証言を得ることが難しくなってきた」という理由で、十数年前から主力を時代小説に置き換えるようになってきた。
かといって時代小説においても、ノンフィクションの香りがするスタイルを捨てることはしなかった。

今回の「暁の旅人」でも、そのリアルな人物および情景描写で私たち読者を魅了してくれているのだ。

この松本良順の姿を通じて、とりわけ強烈に感じたのは、当時の日本人のどん欲な知識吸収欲だ。
奥医師は漢方医で構成されていたが、その女性的な策謀で蘭方医が追放されたあと、良順は奥医師として幕府に仕える身となる。
しかし、ちょうど長崎出島に赴任してきたオランダ医ポンペに師事することを希望し、やがて許されるところから、良順だけではなく、その周囲の人々までが大きく時代を動かせていくことになる。

専門の通事でさえ苦心する専門用語が錯綜するオランダ語での講義。
タブーを破っても実行された死体解剖。
その解剖実習に献体した罪人たちの姿。
基礎科学から学習するという始めての経験。
などなど。

社会を幸福にするための技術習得がいかに難しく、そしてその難しい命題に対する日本人の気高いチャレンジャー精神が胸に迫って来るのだ。
一般に幕末の徳川政権には良き政治家官僚がいなかったように描かれることが少なくない。
しかし、この小説には多くの優秀な官僚や政治家が登場し、新政権を誕生させた人たちだけが今日の日本を形作ったのではない、ということがこの小説から伺えることもまた興味深い。

~「暁の旅人」吉村昭著 講談社~

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ポスター、予告編、出演者のインタビュー、雑誌記事に、テレビCM。映画の広告手段は様々だ。
予算の少ない映画はホームページで紹介するかタウン情報誌の16分の1ぐらいのコマに紹介記事を載せるくらいしか方法がなかったりするが、予算が大きなシリーズ大作などになると、宣伝方法もまったく異なってくる。

その金にモノを言わせて宣伝する方法の一つに、シリーズ2作目以降が劇場公開される直前にシリーズの1作目を含む公開作品の前作をテレビで放送するという手段がある。
このような広告手段でよく目にする映画が、宮崎駿のアニメ映画だ。
この人の新作が劇場公開される直前には必ずといっていいほど、前作や前前作がテレビ放送される。
宮崎駿の場合、制作会社にテレビ局が名前を連ねていることが多いので放送により一般の関心を惹くのはお手のものだ。
もちろん最近では、宮崎アニメでなくてもシリーズ最新作がテレビ放送されることは一番ポピュラーな映画の宣伝手段になっている。
近いところでは「デインジャラスビューティ2」の公開前に「デインジャラスビューティ」がテレビ放送された。
007シリーズのロードショー前には往年の007が。
人気作家の映画化作品には、以前の映画化作品が。
という具合だ。

今夜、読売テレビ(大阪)の金曜ロードショーで「スターウォーズ・エピソード1」が放送されている。
これはシリーズ最新作の「エピソード3」が明後日の日曜日に先々行公開されることに対しての宣伝活動だと思われる。
スターウォーズくらいの超人気シリーズとなると、こんな宣伝は不要だと思うのだが、ここのところちょっと映画の売り上げが不振ぎみなので、アメリカ本社から「儲けられるときは儲けなさい」てな指示がきたのか、その他大勢の映画と同じような宣伝方法をとったのかもしれない。

で、このエピソード1.放送開始から見始めてみたが、ビックリするような出来栄えなのだ。
まず、当たり前だが画面が小さい。
今どき横長映像で放送せずにテレビサイズにトリミング。
小さなテレビでも迫力は10分の1以下に落ちている。
そして、これも当たり前だが日本語吹き替え。
公開時の日本語版がこんなのだったか知らないが、まったくもってチンケなお子様映画に凋落していた。

「A lomg time in the galaxy......」で始まるオープニングは若山弦蔵の声で「むかしむかし.....」。
タイトルが始まって画面下からテロップが出てくると、これまた若山弦蔵のナレーションでセンスのない翻訳セリフが流れ出した。

「あ、宇宙大作戦見てるのん?」
と家人が隣の部屋からフト云った。

スターウォーズの宣伝部さん。
失敗でっせ、今夜の放送。

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スカイマークエアラインズのチケットで極力避けてきた日航機材の飛行機に乗ることになった。
トラブルに巻き込まれるのでは、という不安とは逆に良いこともあり、おかげでJALの機内誌を読むことができた。

今回読んだJALの機内誌には医学博士にしてベストセラー作家の養老孟氏のエッセイが掲載されていた。
「キリスト教的考えがもたらすもの」
と題されたエッセイはもっともなことを主張しながら、その一方「やっぱり日本はダメだよね」という「知識人」によくある論調に終始していて、実に興味深い内容だった。

氏は前半で、
「「学校の神父さんから善行は人が見えない場所で行ってこそ善行です」「それじゃ悪いことを働くときと同じですね」だからボランティア活動を就職や学校の成績のポイントにするという考え方はおかしいのだ」
という論調を主張する。
日本人は自主的活動や善行をアピールするということを旨としているが、その考え方はキリスト教的考え方からすると、とても愚かなことなんだよ、とたしなめてくれているのだ。
そして後半で次のような意味合いのことを主張する。
「世界の人々は神という普遍的な存在を意識しながら成長する。キリスト教やイスラム教では神が存在し、その中から世界の動きというものが理解できるようになるのだ。普遍的なものを持たずに成長する日本人は、だからダメなんだ」
と見下してくれるのだ。

本当にこの人がベストセラー「バカの壁」を書いたのか。
そのバカの壁を読んだことがないので、内容をどうのこうのと云う資格は持ち合わせていないけど、ベストセラーになったくらいだから、きっと多くの人々に共感を呼ぶ内容が溢れているのだろう。
しかしこのJALの機内誌のエッセイでは自国の文化や宗教観も知らないで、よくもまあ抜けしゃあしゃあとこんなことが語れるものだと感心する。

キリスト教を批判する気は毛頭ないが、キリスト教を例にとって「日本はダメだ」を繰り返す文化人にはあきれ返ることが少なくない。
ともかくキリスト教を信奉する大学の偉い先生には理解できるが、家の宗教が仏さんの我々一般庶民には理解のできない「アホの壁」が存在していることは間違いない。

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「えーと、お客様の搭乗される便は日本航空の機材と乗員になります。」
「ゲッ。ホンマですか?」
と羽田のチェックインカウンターで思わず聞き返してしまった。

ここ半年ほどの間に発生した日本航空のトラブルは数えることができないほどバラエティに富んでいる。
「扉の安全装置のかけわすれ飛行」
「部品の飛行中落下」
「オイル系統のトラブルで引き返し」
「エンジン停止で引き返し」
「原因不明の客室減圧」
「着陸したら前輪タイヤがパンク脱輪」
などなど。
いつかきっと落ちるんじゃないか、とついつい思ってしまうのは私だけではないだろう。
そこで日本航空にだけは乗るまいと心に誓い、主にANAを利用していたが、迂闊にも自分の不注意から日本航空の機材に搭乗することになってしまった。

ここのところ毎週のようにどこかへ出張という勤務が続いているが、その大半は首都圏への出張だ。
大阪から東京へ行くには普通は新幹線か飛行機を選ぶことになる。
バスは疲れるし、JR東海道線で行くのは鉄道マニアじゃあるまいし現実的ではない。
だいたい以前は東京方面の出張には新幹線を利用していた。
5分から10分おきに走る通勤電車のような新幹線は便利だし、飛行機に比べて価格も安かった。
ところが大阪(伊丹・関空)と羽田の間にシャトル便が飛び始めて、特割チケットも出現し、のぞみを増発して事実上値上げしたアホJR東海の新幹線よりも安い便が出始めたのだ。
大阪市内から東京都内までの所要時間は飛行機も新幹線もほぼ同じ。
したがって出張費を浮かそうと思い飛行機を利用するのも人情というものだ。
この春、この大阪東京間の空の便にスカイマークエアラインズが参入し、便利な関空と羽田の間を安い価格で飛び始めた。
以前このブログにその搭乗機を書いたことがあるが、日に8往復のうち半数が日航とのコードシェア。
ろくにチェックも入れずに安いスカイマークのチケットを買っていたのだが、搭乗手続きをしてから乗るべき機材がJALであることを知らされたのだ。
後悔しきり。片道一万円のチケットなので変更も利かない。

この毎週発生するトラブルの原因は数年前に実施された日本エアシステムとの合併にあるという。
日航に合併されて社内での相対的な処遇が低下した旧日本エアシステム社員と日航社員との間に修復しがたい確執が発生し、会社トップを蹴落とすために故意にトラブルを頻発させているのだという噂がある。
民営鉄道を母体として発足した日本エアシステムとある意味国営企業だった日本航空が合併後、うまくいくなど、あんまり想像できる話ではない。
つまりトラブル頻発もあらかじめ予測できたこと。空飛ぶモンティパイソンなら笑って済ますこともできるのだが、ことが空飛ぶ飛行機だけに、落ちたらまったく洒落にならない。

20年前の御巣鷹山を想像しながらJALのB777-200に乗り込んだ。
座席について「ま、元国営企業だから最悪のことは無いだろう」と思い込むことに努めたが、元国営企業にJR西日本があることを思い出し陰々滅々な気持ちになったのは言うまでも無い。

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私はゴルフが好きではない。というよりも大嫌いだ。
これほど私をイライラさせるスポーツはない。というよりゴルフなんぞスポーツではない。
もしゴルフがスポーツであればハイキングもスポーツであろう。しかしハイキングをスポーツという人は少なく、ただ歩くだけの健康維持活動の一環のように言う人が多い。
一方ゴルフは棒を振り回しながらボールを追いかけるしかハイキングとの違いはないにも関わらずスポーツ扱いされているのだ。

かくいう私も仕事の都合でゴルフをプレイしなければならないことがあるが、こういう日は一日中憂鬱である。
まず朝早く起きなければならないのが気に入らない。
どういうわけか仕事で朝早起きしなければならないときに文句を言うヤツほどゴルフ好きが多いらしく、ゴルフへの早起きに文句をつけない。
そして服装やマナーに煩い。
やれジーンズはいけないとか、プレー中は大きな音をたてるなだとか、スコアが悪くても腐らずにニコニコしろだとか無理なことばかり要求するのだ。
社交性のあるスポーツで仕事には便利だという意見も気に入らない。社交性を求めるのであればダンスでも踊っとれといいたい。
そして一番気に入らないのは金がかかることだ。
プレー料金が安くなったとはいえ、プレー料金や食事代、交通費、コンペの会費などを考えると少なくとも3万円は必要で、一泊どまりなど、ひどいときは5万円以上もかかってしまうのだ。
その代償が、イライラと神経のすり減らしなのでこれに怒らないヤツはきっとロボットかバルカン星人か私の会社の経営者だろう。

自慢ではないが私は全予算7万円で海外旅行を実行してくる旅行の達人である。
7万円といってもケチイ韓国や中国ではない。
きらびやかな観光地タイのバンコクやチェンマイ、高級リゾートのフアヒンなどをまわってくるのだ。しかもこの7万円は関空とバンコクの往復航空運賃、宿泊費、飯代土産代を含めての金額だ。
ゴルフに5万円も出すくらいなら、タイのバンコクや、バンコクから自動車でカンボジアのアンコールワット見物などをしている方がよっぽど人生豊かなものだと主張したい。

先日、会社の飲み会で大手総合商社M社から出向してきているZ部長が命令口調で私にいった。
「ゴルフしなきゃだめだよ。いくら仕事ができてもゴルフができなきゃ話にならない。参加なさい。」
もともと仕事もできんくせにうちの会社へやってきて威張る、自慢する、仕事はできないオッサンと思って気にくわなかったので、酔いの勢いも手伝い噛みついてしまった。
「あんたさんみたいに、高給取りと違いまっさかい。ほっとといてくれはりますか」
となぜかワザとらしい関西弁でからむ私。
「うちの会社はお宅さんの会社みたいにアメリカの航空機メーカーから金貰ったり現役総理大臣に金わたして「これピーナッツ代金です」なんてようやらんところですから、金ないんですわ。ま、Z部長さんはM社に勤めながら怪我でもしたら大変やと、海外勤務経験のない優れたお人さんでっから関係ないことかも知れまへんけど」
と言わなくてもいいことを酔った振りして言ってしまった。

このようにゴルフは場外でもよからぬ人間関係を形成する実に社交的なスポーツだ。
だから私はゴルフが大嫌いだ。

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