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とりがら時事放談『コラム新喜劇』



シェサンドーパゴダの急な階段を上りながら、周辺を見渡した。
物凄い数の観光客だ。
すでに夕日を眺めるのに良い場所はほとんど白人観光客たちに押さえられてしまっている。
まずい。
せっかくここまでやって来たのに、ダイナミックな夕景を眺められないとなると問題だ。
ベストポジションで眺められなかったという後悔の念は、きっと取り返しが付かないものになってしまうだろう。
それは私にトラウマとして残り、やがて、
「PTSDですね」
なんて言われかねない。
なんといっても、精神科医は科学で実証不可能なことを材料に患者の不安をあおり立て、銭儲けに励む人種である。
バガンの夕日を見れなかった私を捕まえて己が商売の材料にするとも考えられなくはないのだ。

ともかく、それほどまでにパゴダの上は人で混雑をしていた。
その激しい競争率を勝ち抜いて石山さんはベストポジションの位置に腰を掛けていたのだった。
「こんにちは。良い場所ですね。」
「こんにちは」
と気軽に会話を交わしたが、彼女の座っている場所を見て、私は足がすくんでしまった。
というのも、石山さんが腰を掛けているのはパゴダの石段の上。
しかもそれは下の段までの高さが5メートルはあるんじゃないかと思われるような高さなのだ。

マンダレーヒル訪問の時にも話したかも知れないが、自慢ではないが、私は高所恐怖症である。
高いところは飛行機に乗ること以外、苦手としている。
子供の頃はジャングルジム登ったのはいいが、登ってから下を見ると異常に高く感ぜられ、泣いて大人に助けてもらったことがある。
今も高いところはダメだ。

パゴダのような仏教遺跡は下から見ると大した高さではないと感じる。
ところが実際に登ってみると随分と高さのある建造物で、おまけに階段の傾斜が45度以上あるので「登るのは良いけれど、降りるのは恐怖だ」というスキージャンプの札幌大倉山ジャンプ台をスタート地点から眺めたような状態になるのだ。
で、そんな私にとって恐ろしい高さのところへ、他の外国人と同じように足をブラブラさせてニコニコ座っている石山さんにビックリしてしまったのであった。
「落ちたらどうするんや」
と思わず叫びそうになったが、
「...あ、意気地なし」
と嘲笑されても癪なので私は無理をして笑みを作っていたのであった。

でも、本当に落ちたらどうなるのだろう。
ここバガンにはちゃんとした病院はあるのだろうか?
一番近い街は空港のあるニャンウーであるが、ヤンゴンにさえ「満足な病院はない」と地球の歩き方に書かれているミャンマーのこと。
重傷を負ったりしたら、ニャンウーではダメで少なくともマンダレーまで移動。
もっとひどければ飛行機をチャーターしバンコクやシンガポールの病院に運び込まなければならないに違いない。

そんなネガティブなことばかり考えても仕方がない。
私はビクビクしながらパゴダの棟のまわりで、夕日をバッチリ眺められそうな場所を探し始めたのであった。
一方、Tさんは慣れたもので、すでに客たる私を放っておいて石山さんと女同士、楽しそうに談笑しているのであった。

人は多いがパゴダも大きい。
場所の確保に心配をしたものの、自分の気に入った場所を探すのにさして時間を要さなかった。
私の見つけた場所からは夕日の沈む西の方向がパノラマ状に見渡せた。
シェサンドーパゴダの周囲は緑に囲まれ、その緑の中から無数の仏塔が頭をのぞかせている。
そしてその遥か彼方には大河エヤワディの流れがキラキラと輝き、さらにその向こうにはヤカイン山脈の稜線が浮かび上がっていた。
もちろん、その稜線をクッキリと浮かび上がらせていたのは、今まさに沈みゆく太陽の橙色の輝きであった。
その山の稜線の頂きでは一つのパゴダが黄金色の輝きを放っていた。

「あそこにはお釈迦様の歯がお祀りされているんですよ」
とTさん。
思えばミャンマーは釈尊の故郷からさほど遠く離れているわけではない。
少なくとも日本と比べると、物凄く近い。
あちこちにお釈迦様ゆかりのお寺があり、そのお寺にはお釈迦様の遺骨や歯などが祀られている。
いくら「○○仏教界だ、えっへん!」などと日本のクソ坊主どもが金に物言わせて威張っても、葬式屋の戯言、空元気にしか聞えないのは、こういう部分にも原因があるに違いない。
私のそういった考え方はタイやミャンマーを旅をするようになってから、より顕著になっている。

あのパゴダの輝きの向こう側に太陽が沈んでいく姿はまるで、後光に照らされたお釈迦様が、私に何かを語りかけてくれているのではないか、という錯覚すら受けてしまうぐらい神秘的だ。
ま、西遊記の一場面が白昼夢となって私のイメージを操作しているのかも分らないが。

西の空が深紅に染まり、視線を徐々に東に移せば、見事なグラデーション。
東の空にはチラホラと星たちが瞬きはじめている。
少し歩いて位置を変えて西の方向を振り返ると、石段に座った若い白人の男がカメラのレンズを交換しているところだった。
そのシルエットがなかなか渋い。

「カシャッ」

夕日をバックに彼のシルエットをデジカメに納めた。
「私、この写真大好きですよ」
後にTさんが褒めてくれた、バガンの夕景写真。
その写真は私にとってもタッコンで撮影した子供たちの写真に次いで好きな一葉となったのであった。

つづく

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今週、バンコクの新しい空港がオープンした。
「スワンナプーム空港」
相変わらずタイの地名は覚えにくい。

バンコク国際空港と呼ばれていたドンムアン空港はチャーター機専用空港になるということで、一抹の寂しさを感じるものの、新空港を利用するであろう11月の旅行が楽しみだ。
おまけに新空港の建設費の6割が日本からの円借款で賄われているというのだから、日本人は胸を張って利用しよう。
同じく円借款で建設されたバンコクの地下鉄には「日本に感謝」プレートがはめ込まれているようなタイ王国のことだから、きっと何処かの国と異なって、みんなに「日本の援助で作ったよ」とインフォームしていることだろう。

ところで「スワンナプーム空港」開港で、少し心配なことが一つある。
それは、どうやってその空港から都心へ出るのかということだ。
これまでは空港バスやリムジンタクシー、メータータクシー、国鉄などの選択技があったが、新空港は分らない。

そこで書店でガイドブックをチェックしてみた。
するとなんと、驚いたことに、どのガイドブックも「ドンムアン空港」での入出国しか掲載していないのだ。
スワンナプーム空港から(への)バンコクへの(からの)交通手段がまったく説明されていない。

まさかJTBも昭文社も実業之日本社もタイのバンコク国際空港が新しくなるということを知らなかった、ということはあるまい。
こんなガイドブックでは知らない人はドンムアン空港の略図を見ながらスワンナプーム空港のロビーを歩くハメになってしまう。
早く刷新してもらいたいものだ。

で、なにが一番困るかというと、こういう時に頼りにするタクシーの存在が一番困る。

ふつう空港に着いて、
「○○ホテルへ行って下さい」
と言うと、
「ハイよ」
てな具合に運転手任せで行きたいホテルの玄関に到着し、素早くチェックインしてシャワーを浴びて一安心。
ということになると思うが、それは日本の話。

「.........あんた、運転手していて地理もわからんの?」
という人が平気でタクシーを運転しているのがバンコクだ。

私はバンコクに着くといつもタクシーに宿泊先のサービスアパートの名前と共に目印になる「BTSのタクシン大橋駅の近くへ行って下さい」とタイ語(これは簡単)で指示する。
しかし「タクシン大橋駅」が分らない。
仕方がないので、「とりあえず高速道路を走ってシーロム出口で出てちょうだい」とタイ語と英語(こうなるとちょっと複雑になるので私の怪しいタイ語では心配なので、とりあえず英語を付け加える)で説明する。
あとは、「右に曲がって」「まっすぐ」「そこでストップ」と指示しなければ、アパートはおろか目印になる電車の駅にさえたどり着けないのだ。

「そんなら、地図を見せればいいじゃない」
と思ったあなた。
あなたは甘い。
地図を見せても「?????」となるのが普通で、意味がない。
ホントかどうかは知らないが、聞くところによるとタイ人は地図を見る習慣がないらしい。

で、問題は日本へ帰る時。

タクシーを捉まえて、
「空港に行って下さい」
「ドンムアン空港?」
「うんにゃ、スワンナプーム空港」
と答えようものなら、
「へへへ..........お客さん、空港への行き方知ってる?」
と訊いてきそうで、なんとなく怖い。

ということで、邦人が事件に巻き込まれたり迷子にならないためにもガイドブックの刷新が望まれる。

とりがら旅サイト「東南アジア大作戦」

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「なんか笑える小説はないかなっ、と」
という気持ちで書店の本棚を物色していたら、
「25万部の大ベストセラー『県庁の星』の著者、渾身の傑作長編!」
という宣伝帯が目にとまった。

織田裕二主演の映画「県庁の星」はついに映画館で見ることなくロードショーが終ってしまった。
しかし、原作小説「県庁の星」は読んでいる。
あの物語は勉強にもなり、涙と笑いに溢れたアップテンポの娯楽現代劇で、とてつもなく面白かった。
その作者の「新作」?

私は平積みされた陳列から、一冊抜き出して中身もチェックせずにレジへ持っていった。

桂望実著「レディー、ゴー」は、大都会で一人暮らしをしている何の変哲もない23歳の普通の女の子「南玲奈」が主人公。
派遣社員のその玲奈はひょんなことからキャバクラで働くようになるが、それから物語はメチャクチャ面白くなっていくのだ。

「県庁の星」の時もそうだったが、この作者の描く人物像は実に魅惑的だ。
主人公の「ボンヤリ」した性格は、どこにでもいる普通の女の子を思い描かせ、その主人公を取り巻くキャバクラの店長やボーイ頭、オカマのスタイリスト、キャバクラのキャスト仲間などなどが、性格俳優的に活き活きとしており、憎めない。
一人一人の背景はほとんど描かれていないが、その個々の人生に刻まれているものはなんなのか、という読者の想像を引き出していく広がりが、この物語にはある。

そして「レディー、ゴー」では、読者を「県庁の星」で織田裕二が演じた出向役人の立場にさえさせてしまう驚きがある。
主人公の出向役人は、パート従業員の子持ちの女にスーパーとは何かを伝えていくのだが、「レディー・ゴー」では主人公の南玲奈が、キャバクラのビジネスとは何か、ということを試行錯誤する行程を彼女自身の言葉として描くことにより、読者に「それは、キャバクラだけではないぞ」と気づかせる凄みがある。

お客様に喜んでもらえるにはどうしたらいいのか。
品格はあるか。
嘘は必要か。
営業メモはいつつける?
などなど

キャバクラビジネスの中身を知ることが出来るという面白い面を持った小説だが、何よりも今の私のように少し元気をなくしている者にとっては「夢を持って、元気に生きよう」と思わせる素晴らしい物語である。
一気に読み切り、最後に涙したのはいうまでもない。

~「レディー、ゴー Lady Go」桂望実著 幻冬舎刊~

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一昨日の産経新聞でバンコクで日本人の女性旅行者がタクシー運転手に暴力を振るわれ、お寺に逃げ込み保護された、というニュースが伝えれていた。


なんでも記事によると、
「カオサンの宿は一杯だよ、ぼくが宿屋を紹介してやるから」
というタクシー運転手の一言に騙されたらしい。
もしかすると彼女にとっては初めての海外旅行だったのかも分らない。
なぜなら上記のセリフは、有名な騙しテクニックの定番なのだ。

カオサンはバックパッカーのメッカとして知られ、私の大嫌いな場所でもある。
ここでは一泊1ドル程度のドミトリーから20ドル程度の安宿が集中し、不良外国人と不良タイ人が屯している。
食堂やパブなども外国人(主に西欧人)向けに作られており、シーロムやスクンビットに比べるとかなり安価だが、いかにもいかがわしい場所なのだ。
こんなところで騙され、怪我をするくらいならば、もし日本人ならタニヤ(日本人ビジネスマン&観光客ご用達の歓楽街)で遊んで日本並の料金を請求される方が、なんぼマシかもわからない。

カオサンでは、これら外国人旅行客を目当てにした悪徳なタクシーやトゥクトゥクの運転手も、当然ながら少なくない。
「安くて良いテーラーがあるよ」と初めて訪泰した外国人旅行客はいくつもの店を連れ回され(昔の私)、「安くて良い宝石があるよ」といっては安物の宝石を買わされて(昔の私)、「女、要らない?」と言われては風俗店を連れ回される(昔の私(但し、連れ回されただけで行ってません。キッパリ))ような、とんでもないところなのだ。

じっさいのところ、バンコクの交通網はかなり充実している。
タクシーなど使わなくてもたいていのところへは行くことができるのだ。

高架鉄道や地下鉄は速いし清潔でクーラーがよく効いていて快適。
路線バス網も日本とは比べ物にならないくらいに発達している。
バンコク都内の紀伊国屋書店や東京堂書店へ行くと「バンコク路線バスマップ」というとても便利な路線図が販売されている。
その地図に記されている番号のバスに乗れば、3回に1回ぐらいの割合で自分の行きたい目的地の近くにたどり着くことができる。
で、あとの3回に2回はというと、そのバスが途中までしか行かないことや、同じ番号でも種類によって行き先が違うことが分らずあたふたしたり、降りるタイミングを逸してしまって、どうでもいいところで下車することになってしまうのだ。
困ったことに日本のバスの運転手が日本語しか話せないのと同じようにタイのバスの車掌はタイ語しか話せないのが普通なので、意思が通じず、バスマップを持ちながら迷子になる、という楽しいおまけも体験できるのだ。
ということで、わざわざ割高で、危険がつきまとうタクシーを使わなくてもいいのだ。

とは言うものの、タクシードライバーには微笑みの国ならではの陽気で親切な運ちゃんも少なくない。
「○○へ行って下さい」
と片言のタイ語で話しただけで、
「あんた日本人? タイ語話せるの?」
「ちょっとだけ」
「ちょっとだけ、でもいいよ。うれしーな......(以下、私には意味不明で陽気なネイティブスピードによるタイ語)」
と永遠に話し続けるのではないか、と思えるような陽気で賑やかな運転手に遭遇したときや、
すべての交差点でちゃんと一時停止し、歩行者を優先させ、制限速度を確実に守る交通ルールに律義な運転手に遭遇した時などは、思わず嬉しくなって笑ってしまった。

なお、最近ではカオサンよりもスカイトレイン国立競技場駅北側の安宿街が「安くて」「安全」という噂がある。
カオサンのような猥雑さはないが、バンコクの渋谷と云われるサイアムも徒歩すぐ。

それにしてもカオサンに宿泊しようとするような貧乏旅行者が、どうして空港からタクシーなんぞ使ったのだろう?

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ところで、現在ここバガンは巨大な観光地として開発されつつある。
というのも、バガンの仏教遺跡は前述のようにとても雄大で、見ごたえがあり観光客は年々増加しているのだ。
それに今のところこの国では観光ぐらいしか外貨獲得手段がないこともあり、ミャンマー政府の力の入れようは半端ではない。

その最も顕著な例がニャウー空港の拡張工事である。
ニャウー空港はバガンの玄関口なのだ。

私はここバガンへは列車と船を乗り継いでやってきたが、この方法は実は一般的ではない。
飛行機を使ってヤンゴンからダイレクトに飛んでくるのが普通なのである。
飛行機を使うとわずか1時間半ばかりでヤンゴンからやって来ることができる。
私なんぞ列車でマンダレーまで27時間。(普通は16時間ぐらい)
マンダレーからバガンまで船で9時間。
途中マンダレーに滞在したからといっても、移動だけを合計すれば36時間もかけてやって来ているのだ。
また、ヤンゴンからバガンまでダイレクトに走っている列車もあるが、聞くところによると、それもまた24時間以上の移動時間を要するのだという。

つまり、よっぽどの暇人(私ではない)かバカ(どちらかというとこちらが私)でない限り列車や船でバガンへやってくるヤツなどいないのである。

しかしバガンの玄関口であるニャウー空港は非常に小さい。
ただでさえミャンマーにまともな空港は少ない。
正直ヤンゴン国際空港ぐらいしかない。
でもそれも第2次世界大戦中にミンガラドン飛行場として日本軍が整備した古い空港だからかどうかは知らないが、滑走路が途中で大きく沈下した「一部坂道滑走路」の飛行場なのだ。
そんな国の田舎の空港である。
ニャウー空港がいかに小さくお粗末であるのか想像できようというもの。

実際、現在(2005年9月のこと)のところ、ここの滑走路の着陸できるのはヘリコプターか小型旅客機程度なのである。
結局私はここから飛行機でヤンゴンへ戻ったのであったが、搭乗した飛行機は90人乗りのボンバルディア製のプロペラ機であった。

ボンバルディア機といえば、大阪空港から高知に向かって飛び立ってはエンジントラブルで戻ってくることでお馴染のANAグループ・エアーニッポン機で知られている「なんとなく危ない」飛行機である。
私はこのブラジルのボンバルディアという社名を聞くたびに「オンボロビア」などという造語を想像し、あまり良いイメージを持っていないのであった。

で、今(2005年9月現在)ミャンマー政府はこのニャウー空港をA300やB737程度の中型機が着陸できるような立派な飛行場にすべく拡張工事に着手しているのであった。
直接バンコクやシンガポール、如いては東京から直接観光客を「大量」に呼び込もうとしているのだ。

ダマヤンジー寺院を見学したあと、私たちがいくつかのスポットを回るうち、いよいよ夕日の時間が迫ってきた。
たった数ヶ所しか廻っていないのに、あっという間に3時間近く経過したのは、遺跡の美しさに見とれたのも去ることながら、私の写真家魂(があったことが驚きだが)が呼び起こされ、想像を絶する枚数の写真を撮っていたからであった。
なんと、帰国して数えてみると、私は約2700枚もの写真を写していたのであった。
何枚写してもタダ、のデジカメのなせる技。
フィルムで写していたら破産していたところであった。
ああ恐ろし。

夕日はシェサンドーパゴダという、これまたピラミッド型の寺院の上から眺めることになった。

「最近、寺院に上ることができなくなってきているんです」
とはTさんの解説。

これも観光開発の一貫なのだろうが、最近このバガンに観光用タワーが建設された。
タワーはマンダレーの王宮跡にある物見櫓を見立てた円筒形のビルディングだ。
高さが50メートルぐらいあるビルディングだが外壁は周囲の景観を乱さないように濃い黄土色をしている。
ところが、ここのタワーを利用するには入場料US10ドルを支払わなければならない。
パゴダからの眺めはタダなのにである。
したがってほとんどの観光客は10ドルも払ってタワーへ登るのが阿呆らしいので、無料の寺院の上から夕日を眺めることになる。
第一、寺院の上から眺める方がロマンチックで雄大ではないか。

そこで、政府がとった政策は、
「遺跡保護の観念から、寺院へ登ることは禁止します」
作戦であった。
でも実際は「10ドルぐらい払わんかい」
作戦なのだった。
もちろん私はタワーなんぞに登らず、シェサンドーバゴダから夕日を眺めることにしたのだった。

「シェサンドーパゴダには早めに行きましょう。良い場所がなくなってしまうから」
とTさんは言っていた。
しかし、シェサンドーパゴダに近づくと、すでに多くの人々がパゴダに蟻のように群がっている姿が遠望された。

パゴダに到着し、他の観光客と手摺りに捉まりながらパゴダの急な階段を上った。

「あ、石山さん!」

とTさんが指さす方向を見上げると、パゴダの段になった部分腰掛けて笑顔で大きく手を振る石山さんの姿があった。

つづく

とりがら旅サイト「東南アジア大作戦」

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男、43歳。
独身。
毎晩のビール数缶とジャンクフード。
体重126キロ。
仕事は工場の製造ラインで製品の品質チェックを行うこと。

私はある新聞に載っていた書評欄を読んで「すぐに読んでみたい」と思った。
というのも、主人公の男は私の現状と瓜二つだったからだ。
もっとも年齢やビールを常飲することを除いて、多少違うこともある。
私は太ってはいるが、体重は126キロもないし、工場作業員でもない。

しかし、43歳、独身。
なんとも痛々しく、自分自身を投影した分身を描いた小説ではないかと思われてならなかったのだ。

「奇跡の自転車」
なんていう邦題が付けられているが、原題は「THE MEMORY OF RUNNING」。
「翔る記憶」とでも訳せばよいのか私は翻訳のセンスがよくないので分らない。
分らないが、これを「奇跡の自転車」と訳した翻訳家か編集者の感覚は素晴らしいと思う。

主人公は交通事故で両親を失う。
その葬儀が終わり、誰もいない実家で一人、郵便物の整理をしているとロサンゼルス市から送られてきていた行方不明の姉の遺体が見つかったという封書を見つける。
やがて彼は、姉の遺体を確認し、引き取るため東海岸のメイン州からロサンゼルスに向かって自転車の旅に出る。

人はいつも「奇跡」を求めている。
なにか、突拍子もない信じられないことが起こり、自分を導き救ってくれることを夢想する。
しかし、決して人は自分の人生の存在そのものが実は「奇跡」であることに気づくことはない。
そんな「人生」という、ガラス細工のように繊細な時間の流れが「奇跡」であることに気づかせてくれる。
この小説は、そんな途方もない魅力を持っているのだ。

主人公の男は、旅の途中で多くの人々に遭遇する。
ある者はアル中で自分の人生を失ってしまったベトナム帰りの英雄であり、またある者はエイズに苦しむ若者であり、またある者は暗い過去を引きずりつつ力強く生きるトラック運転手であったりする。
両親のこと、姉のこと、そして自分を好きと思ってくれている隣家の車いすの幼なじみのこと。
もしもあのとき、あのうようにしていれば。
という過去への想いは誰もが持っているもの。

知らない間に涙してしまう、いくつもの小さなエピソードが織りなす長編小説。
43歳の独身男が読むにはあまりに深く、人生を考えさせてくれるロードノベルだった。

~「奇跡の自転車」ロン・マクラーティ著 森田義信訳 新潮社刊~

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ホテルを出発して日没までに残された時間を、ともかくTさんのオススメにしたがって廻ることにした。
オススメにしたがったのは、いちいち地図を見て目的地を私が決めると、時間がかかってしょうがないからだ。

日没まで約3時間。
車を出発させてすぐに、後悔が浮かんだ。
というのも、バガンはあまりにも魅力的で、そしてあまりにも広かったため2日や3日間ぐらいで廻りきれるところではなかったのだ。
しっかり廻るには、すくなくとも一週間か二週間は必要だ。

しかし私のこの脅威に満ちた「お気楽」ミャンマー旅行も残されたところ今日を除いてあと2日。
明後日の夕方にはヤンゴンを離れてバンコクへ帰らなければならい。
午後の陽射しに照らされた美しいバガンの遺跡群を眺めながら、ふと一瞬、寂しさを感じたのであった。
でも、その寂しさもつかの間、凸凹道を揺られながら、まず最初に訪れたのはダマヤンジー寺であった。
外見はピラミッドのような形をしていて、中央に入り口がある。
普通、こういうところには土産物売りの女子供がうようよしていることが多く、遺跡を見る前に土産物の売り込み攻勢に辟易とするものだ。
ところが、ここダマヤンジー寺には土産物売りはおろか、遺跡を管理監督する係の人もいない。
ししらしーん、とした雰囲気なのだ。

「ここミャンマーはよその国とは違うのかな?」

と考えながら門をくぐり境内に入ってみると、入り口付近にはちゃんと土産物屋が並んでおり、数台のタクシーと一台の馬車が止まっていた。
馬車はタッコン駅で見かけたものと同じもので、ここでは実生活よりも観光用に使われているらしい。
で、肝心の土産物売り達は、己が店の前や寺の入り口付近で居眠りをしており、観光客などお構いなし。
「見てや、寄ってや」
というような呼び込みさえしていない。
西日に照らされたクソ暑いところで真面目に商売なんかやってられるか、という感じなのだ。

おかげで境内を誰にも邪魔されずにゆっくりと見学することができた。
しかも、驚いたことにTさんがきっちりとガイドをしてくれたのだ。
寺院の名称や由来。
いつ建立されて誰が寄進したのか、などなど。
私はすっかりTさんが自分のガイドであることを忘れていたので、突然の説明に、思わず「よく知ってるね」と云いそうになってしまったのであった。
Tさんはガイドというよりも、この時すでに旅の相棒になってしまっていたのだ。

「さすがガイドさんですね」
と褒めると、
「なに言ってるんですか?」
とTさんは怒りながら笑った。

寺院のなかの壁面には手入れのまったくなされていない壁画がびっしりと描き込まれてた。
いずれも昔々のそのまた昔。
NHKで放送されていた「シルクロード」に出ていたような仏教壁画がこれでもかというほどに展開されていたのだ。
石坂浩二のナレーションが聞えてきそうだ。

「これ、昔のままですか」
「そうですよ」
「誰も手入れをしないんですか?」
「国にお金がないんです」
「でも、これってミャンマー人の宝というよりも、人類の宝物ですよ。少なくとも日本人の私はそう思うけど」

帰国した後、ユネスコのホームページで確認すると、ここバガンは東京大学の西村さんという教授が指導的役割を果たし、世界遺産のために支出されている日本信託基金で保全活動に努めていることがわかった。
やがてこの日本人の人的金銭的支援によりここバガンが世界遺産に登録される日が来ることを、私は確認したのであった。

「この、くすんだところなんか早く直さないとダメですよね」
と私は天井を指さしながらTさんに話しかけた。
「あそこは、煮炊きした後だと思います」
とTさん。
「煮炊き? 誰か住んでいるんですか? ここに? お坊さんとか」
「ずっと昔の人が住んだことがあると聞いています」
「普通の人が住んだんですか?」
「日本と英国がここで戦争をして、みんなパゴダに避難したんですよ」
「..........ホントですか。」
「ホントです。」

驚くことに先の大戦中に日緬連合軍と英印軍がここで戦い、市民はパゴダを防空壕代わりに非難場所に使ったのであった。
ますます、英国人はともかく、日本人はこのバガンの保全に全力を注がねばならないと私は痛切に感じたのであった。

つづく

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1986年2月。
フィリピンのマラカニアン宮殿に突入した民衆と軍隊は、贅の限りを尽した異様な世界を目撃した。
そこには自分たちの住む世界とはまったくの異なる異次元が存在しており、怒りを爆発させるよりも呆れ返った。
その象徴が数百数千といわれたマルコス大統領夫人イメルダの靴コレクション。
毎日違った靴を履いたとしても一生涯で履ききれない。
その無数のコレクションは独裁者としてのマルコスの異様さを極めて強く印象づけるものとなった。

こと政治家というものは民衆とかけ離れた存在であることが多く、そういう輩が選挙の時だけ「市民の代表として」などとおっしゃるものだから「民主政治」は罪なもの。

フィリピンの政治的教育を行ったのはアメリカ合衆国。
帝国主義時代に遅ればせながら参加した米国が、自分の植民地に組込んだ数少ないアジアの国がフィリピン。
だから、さもありなんと言ったところか。

とかく為政者は独裁者に限らず庶民とかけ離れた生活をすることによって「我こそは選ばれし民なり(=選ばれてはいるが「民」とは言い難いところがホントのところ)」と自己満足浸にるのが一般的だ。

イスラム革命以前にイランを支配したパレービ国王は、ホメイニに追い出されたにも関わらず亡命と称してフランスで悠々自適の余生を送った。

「あら、坊主のバーベキューが出来たわね」
と政府の仏教弾圧に焼身自殺で抗議した高僧を罵った南ベトナム大統領のニュー(新しいという意味ではなく名前です)夫人は、齢90代の今もなお、亡命先のアメリカ合衆国で悠々自適。

壁の崩壊と共に自らの地位も崩れ去った赤の独裁者ホーネッカー(東ドイツ)もまた、南米に亡命して悠々自適に余生を送った。

それに引き換え、日本の為政者は海外へ逃亡するという思想に欠けるのが外国のそれと比較して唯一の美徳と言えるかも。
戦争に敗れた帝国日本の為政者たちは、誰一人として亡命しようとするものはいなかった(尤も亡命できるような場所もなかったし、亡命しようと思うような卑怯者はいなかった)。
仕方がないのであの世に亡命をした無責任な近衛文麿みたいな人もいるにはいたが、個人財産までもあの世へ持っていくことはなかった。

為政者に比べ、商売人や役人には卑怯な輩が日本にもたくさんいる。
中世堺の貿易商で政商だった呂宋助左衛門は秀吉の堺焼き打ちに恐れをなして財産もろともフィリピンへ亡命し、これまた死ぬまで悠々自適に余生を送った。
時代はぐっと下って現代。
日本での商売がやばくなってきたの「本拠をシンガポールに移して、東京の店はたたみます」といった元官僚の村上世彰は、逃げる切る前に告発された。
悪徳海外投資ファンドとグルになって日本の財産をかすめ取れるだけかすめ取り、それを華僑の都市国家シンガーポールに移すとは、不逞な輩、売国奴だといわれても仕方がない。

タイの突然の政変で、ニューヨーク滞在中だったタクシン首相は、どういうわけか英国のロンドンへ移動した。
で、同国の外相もロンドンへ移動した。
「しばらく別邸に滞在するよ」
ということらしいが、なんでタイの首相や外相の別邸がロンドンにあるんだろう?
タクシン首相は中国系タイ人で実業家。
今回のクーデターは首相自らタイで稼いだ途方もない闇銭を親戚うようよのシンガポールに移していたことが原因だ。
「国家の財産を他国に移すとはけしからん」
と、王様はじめほとんどの国民にバレて怒りを買った。

ま、村上世彰程度の男が政治家になったらどういうことになるか。
タイのクーデターを非難する国は、そんなことを分っているのかいないのか。
タクシン首相はロンドンの不動産のお得意だから、パーレビ国王はパリの大切な顧客だから、欧米はタイやイランを非難するのかもわからない。

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ここ一週間の疲れがどっと出ましたので、本日のコラムは一枚の「バガン」の写真をお楽しみください。

で、どのくらい疲れているかというと、今日の話。

いつものように英会話の授業が終り西梅田(大阪)駅から地下鉄四つ橋線に乗車。
携帯電話の留守電を確認すると、仕事の出来ないことで定評のある入社15年目の女子アシスタントからのメッセージ。

「○○科学の△△部長にお電話ください。そして○○株式会社○○さんもお電話欲しいそうです」

なんども言うとるやろ。
「簡単な要件ぐらい訊いとらんかい!」
と不満が心の中で爆発した。

すでに先方のいるような時間ではないので、週明けに電話をしようと思いつつ鞄から小説を取り出した。
結構面白い小説でここ一週間通勤途中に夢中になっている作品だ。
電車が出発。
私は本に夢中。
この本に夢中と、来来週からの新しい仕事と残す仕事のことが交互に浮び、集中力が中途半端。
感覚的にすっかり「地下鉄御堂筋線」に乗っている気になり、そのまま乗り換え駅の大国町を乗り過ごした。
で、気がついたのが玉出の駅。

「あれ? ここ、あびことちゃうやん」

過去、学生時代から電車通勤30年。
初めて乗り過ごした。
地下鉄だから良かったものの、これが新幹線ならシャレにならない。

明日はゆっくり休んで、バガンの夢でも見るとしよう。

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「日本は島国。だから外国のことには疎いんだ」

という人は未だに数多いが、ある方向から眺めると事実だから仕方がない。
しかし、外国で活躍する商社マンや外交官が「外国に疎い」と困ったことになる。
日本の外務省の職員の中には日本人の価値観そのままで(お人よしという意味)外国の主張を鵜呑みにして国家に多大の損害をもたらす人が少なくない。
しかも困ったことに自分自身は損害を与えていることにまったく気づかず、
「日本の歴史認識を改めなければ」
とか
「投資することは相互の利益」
などとと宣っているので恐ろしい。

で、こういう人たちの海外認識のピント外れは損害は大きけれど、一般人の身近で影響が表れないから無視されることが普通である。

ところで、昨日のタイの首都バンコクで発生したクーデターは各方面に大きな影響を与えている。
東京株式市場の平均株価は落っこちて、損した人は数知れず。
それもそのはず、海外からの対タイ投資の半分近くが日本からのもの。
落ちない方が不思議である。

でも一番ビックリしたのが旅行代理店の対応だ。
各社バラバラで、この事件への認識の違いを浮き彫りにした。

中小代理店の動向は知らないがJTBと阪急交通社は26日までツアーを取り止め。
近畿日本ツールリストと日本旅行は変更なし。
タイは年間100万人以上の日本人旅行者が訪れるいわば定番観光地。
JTBや阪急交通社は旅行のプロでありながら、「タイの政変」の性質的なものも理解しない。
島国そのままの旅行代理店であったらしい。

ニュース映像で、
「ここバンコクでは戒厳令が敷かれ.......」
と伝えられている後ろの映像で、道路には自動車がビュンビュン走り、電車バスが走ってて、ファミマ、セブンイレブンが営業している国の、どこが危険なのか疑いたい。
いつイスラム原理主義者が出現して観光客を銃で「処刑」しかねない中東諸国や、いつテロや凶悪犯罪に巻き込まれるとも限らないアメリカ合衆国や、いつクレージーな反日運動に巻き込まれて怪我をするかわからない中韓よりも、よっぽど安全だと思うのだが。

ま、なんかあった時に責任とらされるのが怖いという、へっぴり腰がホントのところか。
旅行代理店。


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