シェサンドーパゴダの急な階段を上りながら、周辺を見渡した。
物凄い数の観光客だ。
すでに夕日を眺めるのに良い場所はほとんど白人観光客たちに押さえられてしまっている。
まずい。
せっかくここまでやって来たのに、ダイナミックな夕景を眺められないとなると問題だ。
ベストポジションで眺められなかったという後悔の念は、きっと取り返しが付かないものになってしまうだろう。
それは私にトラウマとして残り、やがて、
「PTSDですね」
なんて言われかねない。
なんといっても、精神科医は科学で実証不可能なことを材料に患者の不安をあおり立て、銭儲けに励む人種である。
バガンの夕日を見れなかった私を捕まえて己が商売の材料にするとも考えられなくはないのだ。
ともかく、それほどまでにパゴダの上は人で混雑をしていた。
その激しい競争率を勝ち抜いて石山さんはベストポジションの位置に腰を掛けていたのだった。
「こんにちは。良い場所ですね。」
「こんにちは」
と気軽に会話を交わしたが、彼女の座っている場所を見て、私は足がすくんでしまった。
というのも、石山さんが腰を掛けているのはパゴダの石段の上。
しかもそれは下の段までの高さが5メートルはあるんじゃないかと思われるような高さなのだ。
マンダレーヒル訪問の時にも話したかも知れないが、自慢ではないが、私は高所恐怖症である。
高いところは飛行機に乗ること以外、苦手としている。
子供の頃はジャングルジム登ったのはいいが、登ってから下を見ると異常に高く感ぜられ、泣いて大人に助けてもらったことがある。
今も高いところはダメだ。
パゴダのような仏教遺跡は下から見ると大した高さではないと感じる。
ところが実際に登ってみると随分と高さのある建造物で、おまけに階段の傾斜が45度以上あるので「登るのは良いけれど、降りるのは恐怖だ」というスキージャンプの札幌大倉山ジャンプ台をスタート地点から眺めたような状態になるのだ。
で、そんな私にとって恐ろしい高さのところへ、他の外国人と同じように足をブラブラさせてニコニコ座っている石山さんにビックリしてしまったのであった。
「落ちたらどうするんや」
と思わず叫びそうになったが、
「...あ、意気地なし」
と嘲笑されても癪なので私は無理をして笑みを作っていたのであった。
でも、本当に落ちたらどうなるのだろう。
ここバガンにはちゃんとした病院はあるのだろうか?
一番近い街は空港のあるニャンウーであるが、ヤンゴンにさえ「満足な病院はない」と地球の歩き方に書かれているミャンマーのこと。
重傷を負ったりしたら、ニャンウーではダメで少なくともマンダレーまで移動。
もっとひどければ飛行機をチャーターしバンコクやシンガポールの病院に運び込まなければならないに違いない。
そんなネガティブなことばかり考えても仕方がない。
私はビクビクしながらパゴダの棟のまわりで、夕日をバッチリ眺められそうな場所を探し始めたのであった。
一方、Tさんは慣れたもので、すでに客たる私を放っておいて石山さんと女同士、楽しそうに談笑しているのであった。
人は多いがパゴダも大きい。
場所の確保に心配をしたものの、自分の気に入った場所を探すのにさして時間を要さなかった。
私の見つけた場所からは夕日の沈む西の方向がパノラマ状に見渡せた。
シェサンドーパゴダの周囲は緑に囲まれ、その緑の中から無数の仏塔が頭をのぞかせている。
そしてその遥か彼方には大河エヤワディの流れがキラキラと輝き、さらにその向こうにはヤカイン山脈の稜線が浮かび上がっていた。
もちろん、その稜線をクッキリと浮かび上がらせていたのは、今まさに沈みゆく太陽の橙色の輝きであった。
その山の稜線の頂きでは一つのパゴダが黄金色の輝きを放っていた。
「あそこにはお釈迦様の歯がお祀りされているんですよ」
とTさん。
思えばミャンマーは釈尊の故郷からさほど遠く離れているわけではない。
少なくとも日本と比べると、物凄く近い。
あちこちにお釈迦様ゆかりのお寺があり、そのお寺にはお釈迦様の遺骨や歯などが祀られている。
いくら「○○仏教界だ、えっへん!」などと日本のクソ坊主どもが金に物言わせて威張っても、葬式屋の戯言、空元気にしか聞えないのは、こういう部分にも原因があるに違いない。
私のそういった考え方はタイやミャンマーを旅をするようになってから、より顕著になっている。
あのパゴダの輝きの向こう側に太陽が沈んでいく姿はまるで、後光に照らされたお釈迦様が、私に何かを語りかけてくれているのではないか、という錯覚すら受けてしまうぐらい神秘的だ。
ま、西遊記の一場面が白昼夢となって私のイメージを操作しているのかも分らないが。
西の空が深紅に染まり、視線を徐々に東に移せば、見事なグラデーション。
東の空にはチラホラと星たちが瞬きはじめている。
少し歩いて位置を変えて西の方向を振り返ると、石段に座った若い白人の男がカメラのレンズを交換しているところだった。
そのシルエットがなかなか渋い。
「カシャッ」
夕日をバックに彼のシルエットをデジカメに納めた。
「私、この写真大好きですよ」
後にTさんが褒めてくれた、バガンの夕景写真。
その写真は私にとってもタッコンで撮影した子供たちの写真に次いで好きな一葉となったのであった。
つづく
物凄い数の観光客だ。
すでに夕日を眺めるのに良い場所はほとんど白人観光客たちに押さえられてしまっている。
まずい。
せっかくここまでやって来たのに、ダイナミックな夕景を眺められないとなると問題だ。
ベストポジションで眺められなかったという後悔の念は、きっと取り返しが付かないものになってしまうだろう。
それは私にトラウマとして残り、やがて、
「PTSDですね」
なんて言われかねない。
なんといっても、精神科医は科学で実証不可能なことを材料に患者の不安をあおり立て、銭儲けに励む人種である。
バガンの夕日を見れなかった私を捕まえて己が商売の材料にするとも考えられなくはないのだ。
ともかく、それほどまでにパゴダの上は人で混雑をしていた。
その激しい競争率を勝ち抜いて石山さんはベストポジションの位置に腰を掛けていたのだった。
「こんにちは。良い場所ですね。」
「こんにちは」
と気軽に会話を交わしたが、彼女の座っている場所を見て、私は足がすくんでしまった。
というのも、石山さんが腰を掛けているのはパゴダの石段の上。
しかもそれは下の段までの高さが5メートルはあるんじゃないかと思われるような高さなのだ。
マンダレーヒル訪問の時にも話したかも知れないが、自慢ではないが、私は高所恐怖症である。
高いところは飛行機に乗ること以外、苦手としている。
子供の頃はジャングルジム登ったのはいいが、登ってから下を見ると異常に高く感ぜられ、泣いて大人に助けてもらったことがある。
今も高いところはダメだ。
パゴダのような仏教遺跡は下から見ると大した高さではないと感じる。
ところが実際に登ってみると随分と高さのある建造物で、おまけに階段の傾斜が45度以上あるので「登るのは良いけれど、降りるのは恐怖だ」というスキージャンプの札幌大倉山ジャンプ台をスタート地点から眺めたような状態になるのだ。
で、そんな私にとって恐ろしい高さのところへ、他の外国人と同じように足をブラブラさせてニコニコ座っている石山さんにビックリしてしまったのであった。
「落ちたらどうするんや」
と思わず叫びそうになったが、
「...あ、意気地なし」
と嘲笑されても癪なので私は無理をして笑みを作っていたのであった。
でも、本当に落ちたらどうなるのだろう。
ここバガンにはちゃんとした病院はあるのだろうか?
一番近い街は空港のあるニャンウーであるが、ヤンゴンにさえ「満足な病院はない」と地球の歩き方に書かれているミャンマーのこと。
重傷を負ったりしたら、ニャンウーではダメで少なくともマンダレーまで移動。
もっとひどければ飛行機をチャーターしバンコクやシンガポールの病院に運び込まなければならないに違いない。
そんなネガティブなことばかり考えても仕方がない。
私はビクビクしながらパゴダの棟のまわりで、夕日をバッチリ眺められそうな場所を探し始めたのであった。
一方、Tさんは慣れたもので、すでに客たる私を放っておいて石山さんと女同士、楽しそうに談笑しているのであった。
人は多いがパゴダも大きい。
場所の確保に心配をしたものの、自分の気に入った場所を探すのにさして時間を要さなかった。
私の見つけた場所からは夕日の沈む西の方向がパノラマ状に見渡せた。
シェサンドーパゴダの周囲は緑に囲まれ、その緑の中から無数の仏塔が頭をのぞかせている。
そしてその遥か彼方には大河エヤワディの流れがキラキラと輝き、さらにその向こうにはヤカイン山脈の稜線が浮かび上がっていた。
もちろん、その稜線をクッキリと浮かび上がらせていたのは、今まさに沈みゆく太陽の橙色の輝きであった。
その山の稜線の頂きでは一つのパゴダが黄金色の輝きを放っていた。
「あそこにはお釈迦様の歯がお祀りされているんですよ」
とTさん。
思えばミャンマーは釈尊の故郷からさほど遠く離れているわけではない。
少なくとも日本と比べると、物凄く近い。
あちこちにお釈迦様ゆかりのお寺があり、そのお寺にはお釈迦様の遺骨や歯などが祀られている。
いくら「○○仏教界だ、えっへん!」などと日本のクソ坊主どもが金に物言わせて威張っても、葬式屋の戯言、空元気にしか聞えないのは、こういう部分にも原因があるに違いない。
私のそういった考え方はタイやミャンマーを旅をするようになってから、より顕著になっている。
あのパゴダの輝きの向こう側に太陽が沈んでいく姿はまるで、後光に照らされたお釈迦様が、私に何かを語りかけてくれているのではないか、という錯覚すら受けてしまうぐらい神秘的だ。
ま、西遊記の一場面が白昼夢となって私のイメージを操作しているのかも分らないが。
西の空が深紅に染まり、視線を徐々に東に移せば、見事なグラデーション。
東の空にはチラホラと星たちが瞬きはじめている。
少し歩いて位置を変えて西の方向を振り返ると、石段に座った若い白人の男がカメラのレンズを交換しているところだった。
そのシルエットがなかなか渋い。
「カシャッ」
夕日をバックに彼のシルエットをデジカメに納めた。
「私、この写真大好きですよ」
後にTさんが褒めてくれた、バガンの夕景写真。
その写真は私にとってもタッコンで撮影した子供たちの写真に次いで好きな一葉となったのであった。
つづく